昨年の『あなたは誰?』に続いて、ちくま文庫から順調にマクロイの新刊が出た。
ヘレン・マクロイ『二人のウィリング』は、傑作『暗い鏡の中に』(1950)の翌年に刊行された長編。とにかく、冒頭のつかみが抜群。
ウィリング博士が自宅近くでみかけた男は、「私はベイジル・ウィリング博士だ」と名乗るとタクシーで走り去った。驚いたウィリングは男の姿を追ってパーティが開かれている屋敷に乗り込むが、殺人事件が発生してしまう。被害者は「鳴く鳥がいなかった」という謎の言葉を残していた…。
冒頭の魅力的な謎から、さらなる事件が発生。世代も社会的地位も異なる個性的な登場人物たちの間を縫うようにウィリングは行動し、物語はスムーズに流れ、結末に至るが、読後感はずっしり。ウィリング博士が絵解きしたものは、悪意が幾重にも絡み合ったような、まず普通の謎解き小説ではお目にかかれないような光景だ。
以前、『小鬼の市』のレヴューで、「「批評性」と「幻視力」という一見相反するようなマクロイの資質」と書いたが、本書でもやはり作者のヴィジョン構築力には脱帽せざるを得ない。おそらく、作者の頭には一幅のパーティの絵があったに違いない。なにげない社交の場面を凝視することで、秘められたヴィジョンが立ち上がり、「鳴く鳥がいない」世界と太い線で結ばれる。そうしたヴィジョンが世界を取り巻く不安や現実への批評性によって獲得されているところも、『逃げる幻』などにも共通するところだ。真相が知れると、ウィリングが軽快なフットワークで登場人物たちの背景を探り、交わした会話が別な意味合いをもって浮上してくるのも秀逸だ。
一方で、謎解きミステリとしては、構図が強烈なだけに、厳密な推理の積み上げが向かない面があり、犯行方法などの謎解きのカタルシスはやや弱い。冒頭のウィリングを名乗る男の謎もいささか肩すかし気味ではある。
本書では、『暗い鏡の中に』で婚約中だったギゼラとの新婚生活が描かれ、ウィリング博士が「私はどの(精神分析の)学派にも属していないと言明するなど、ウィリング・サーガの一編としても読み逃せない一冊。
ルーファス・キング『緯度殺人事件』(1930) は、戦前に抄訳があるものの、全訳の紹介としては初めてとなる。いわゆる「船上ミステリ」になっているところが大きな特徴だが、C.D.キング『海のオべリスト』、ディクスン・カー『盲目の理髪師』、クリスティ『ナイルに死す』、クエンティン『死を招く航海』など、黄金期のミステリにも多くある趣向でありながら、「船上ミステリ」ならではの趣向を十全に生かしている点で出色。
バーミューダ諸島からカナダへと向かう貨客船〈イースタン・ベイ号〉の中に、ある殺人事件の容疑者が紛れ込んでいた。ニューヨーク市警のヴァルクール警部は犯人逮捕のために同船に乗り込んだが、容疑者の人相は不明で無線連絡だけが頼りだった。ところが、船の無線通信士が殺害されて、陸上との連絡手段は絶たれ、警部は独力で犯人を追い詰めることになる。
船上ミステリは、旅情を添えるなどのほかに、洋上を移動するクローズド・サークルである点で、容疑者を限定的にすることが可能、詳細な検死など科学捜査が不能、脱出不可能な点でサスペンスの醸成が容易など書き手にとってのメリットが考えられるが、本書ではさらに一工夫が施されている。普通の客船と異なり、貨客船という設定によって、登場人物がごく限られた範囲に自然に限定されているし、陸との交信が絶たれる中、必死に連絡をとろうとする陸側の動向が織り込まれることで緊迫感が生じている。各章の冒頭には船の位置の緯度経度が記されており、アクセント的なものかと思っていたら実はこの工夫が後半部から迫力を生み出してくるのは、さすがである。
連続殺人に加え、奇妙な盗難が相次ぐという飽きさせない展開に加えて、一種のペーソスの漂う調子も好ましい。無線士の死体を帆布で包んで水葬するシーンで、中年女性が賛美歌を歌えなくなるシーンはこの時代のパズラーとは思えない。ヴァルクールも真摯な人間的魅力をもつ人物として描かれている。
謎解きの面で、常套を脱していると思われるのは、乗客たちの過去が明らかになる中、ヴァルクールが「犯人は女に扮した男である」という確信に取り憑かれてしまう点で、乗客たちを見回しても女に変装していそうな男も見当たらない。これが犯人探しの絶妙なアクセントになり、どう決着をつけるのかと思っていたら、結末では鮮やかな収束が待っていた。
後年「クイーンの定員」にも選ばれた短編集『不思議の国の悪意』でその実力をいかんなく発揮した人物描写やレトリックの冴えの片鱗も垣間見ることができる。読後には、天然の悪意を身に着けた女の肖像がくっきりとした残像を残す。
2013年1月ころから、林清俊氏がKindle版で、クラシックミステリファンも注目すべき翻訳物を次々と紹介している。ミステリを中心に、ジャンル小説の中から、本邦未訳の名作、隠れた傑作を紹介するというのがコンセプトらしい。ミステリの母メアリ・エリザベス・ブラッドンの『オードリー夫人の秘密』、ヒューゴ賞にノミネートされたコメディタッチのミステリ、マーク・フィリップス『女王陛下のFBI』(SF作家の合同ペンネームであり、片割れはランドル・ギャレット)、幻のパルプ作家ノーバート・デイヴィスの傑作選…。選択の幅が広くて深い。こんなシリーズを見過ごしていたとは不覚。
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今のところ最新刊と思われるアーノルド・ベネット『グランド・バビロン・ホテル』(1902)を読んでみた。アーノルド・ベネットは『老妻物語』(『二人の女の物語』)などで知られる英国の大御所で、文学的作品のほかに、作者自身が「ファンタジア」と称した娯楽的小説も書いており、本書もその一編という。『都市の略奪品』という短編集が「クイーンの定員」にも選ばれている。
時は19世紀末、バビロンとも称される世界の中心ロンドン。そのロンドンには世界中の有名人、政治家、貴族らが集う超一流のホテル「グランド・バビロン・ホテル」があった。しかし、そのホテルでは見かけの煌びやかさとは裏腹に、国際的な陰謀が進行中だった…
アメリカの大富豪がステーキとビールの夕食を注文し、格式を重んじるホテル側に断られたばかりに、ホテルそのものを買い取ってしまうというのが物語の発端というのだから、スケールが大きい。
作者は、ヨーロッパ的伝統と格式を重んじ、アメリカ的成金趣味に抗う立場なのかと思いきや、いきなりホテルのオーナーになってしまった米富豪ラックソウルと、その美しくて奔放な娘ネラの冒険を軸に物語は進んでいく。
ホテルの買収を契機とした給仕長と事務長の失踪、ドイツのポーゼン国の皇子の失踪とその従者の死。事件の背後には、皇位継承にまつわる謀略が潜んでいることが次第に明らかになっていく。事件の構図はクラシカルなものだが、ネラが怪しげな男爵夫人をベルギーの港町まで追いかけてしまうなど、テンポが良く勿体ぶったところがない。富豪が実は正義を重んじる独立不羈の人であり、初めは単なるわがまま娘に見えたネラが実は意志の強い、勇気ある娘であることが明らかになっていく展開もいい。壮麗な舞踏会や貴賓室の秘密、名シェフ、ロッコの支配する厨房の威容など、世界の中心たるホテルの優雅さも物語に彩りを添え、ひととき大英帝国の残照輝くロマンの世界に遊ぶことができる。
ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた) |
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ミステリ読者。北海道在住。 ツイッターアカウントは @stranglenarita 。 |