ピエール・ヴェリーといえば、晶文社「文学のおくりもの」の一巻『サンタクロース殺人事件』(1934) がよく知られる。おもちゃの制作を生業としている村で、聖夜にサンタクロースに扮した男が殺され、ド・サンタ・クロース侯爵を名乗る男が訪れるという筋。童心と詩心が融合したようなファンタスティックな雰囲気を漂わせながら、子供たちを含めた風変りな村の人々を生き生きと描き、さらに謎解きの創意も何重にも盛っているという作品で、クリスマスミステリとしては最高峰の一冊といえる。
 同書の後書きで引用されている著者の友人あての手紙では、「ぼくの夢は探偵小説を詩的でユーモアに富んだものにすることによって、それを一新することなんだ」と語っている。
 英米の探偵小説の黄金時代の影響を受けながら、マイケル・イネスやマージェリー・アリンガムの作風を一部先取りした存在といえるかもしれない。

■ピエール・ヴェリー『絶版殺人事件』


『絶版殺人事件』(1930) は、そのヴェリーのミステリ第一作。冒険小説大賞の第一回受賞作でもある(同じく黄金期探偵小説の影響を強く受けたフレンチ本格ミステリの一方の雄、S・A・ステーマンは受賞を逃し、『六死人』で第二回を受賞する)。
 そのタイトルから本格的なビブリオミステリを期待すると肩透かしをくらうかもしれない。(戦前訳題が踏襲されているが、原題はLe Testament de Basil Crookes [バジル・クルックスの遺言])
 初老の男がやってきた蒸気機関車の窓へ一冊の無名な小説『シンデレラの娘』を投じ、さらに逆方向へ走る機関車に一通の手紙を投げ込んだ後、木の枝で首をくくる。この風変りなエピソードが口絵代わり。
 ところ変わって、舞台はスコットランドの港町ダンバートン。港に停泊しているアルデバラン号で船員全部が眠りこけるという事件が起きた後、船を来訪したアメリカ人実業家が毒殺される。容疑は、カクテルをつくった船長にかけられるが…。
 捜査に当たるのは、地元ダンバートン警察のビッグズ警部なのだが、フランス人の趣味人トランキルという男が現れて…。
 冒頭の奇妙なエピソードもそうだが、この作でも既に黄金時代の探偵小説とはひと味もふた味も違ったユーアと詩心の結びついた探偵小説が目論まれているのは歴然としている。
 登場人物は、富豪、その夫人、医師、警察陣と多彩だが、リアリズムの描写とは異なって、特徴をとらえた少ない線によるカリカチュアに近い。特に、トランキルという男は、身なりに構わず、1スー硬貨や消印のない切手など値打ちのないものを毎日拾い歩くという変わった趣味の持主。
「このすばらしい世界は、われわれの前に置かれた、永遠の果てしないなぞなぞであります!」「なぞなぞであれ、クロスワードパズルであれ、不可解な殺人事件であれ、来るものは拒まず」と言明する「謎マニア」。
 フランス人作家のミステリ第一作がスコットランドを舞台にしているというのも、英国の探偵小説に向けて対岸の国から上げた狼煙のろしのようなものだろう。
 続けて、第二の殺人事件が起こり、事件は錯綜していく。物語がハイランドに移ってからは、いったい何が進行しているのかが見当がつかず、読者は置いてきぼりにされた感もある。やがて、舞台は再び船上に戻り、かなり込み入った真相の開示となる。
 謎解きミステリとしては、自殺直前の作家のきまぐれな悪戯が後の騒動を引き起こすというメインプロットは魅力的で、毒殺をめぐるトリックにも創意がみられる。一方、少し曖昧に書いておけば、幾つかの事件間が有機的に結びついていないのが惜しく、手がかりも微妙なところは減点要素。(謎解きの手つきは、『サンタクロース殺人事件』を思わせる部分もある) それでも、第一の事件の動機などは豪快すぎて、あっけにとられてしまう。ある「紡錘形」を眼にしてからの堅物ビッグズ警部の変わりようといった登場人物のあれこれも楽しい。
 fantasticという語には、1a:空想的な、1b:気まぐれな、2a:途方もない/法外な、2b:風変わりな/異様な、という意味合いがあるようだ。その全部の要素をもつ本作には、後に『サンタクロース殺人事件』でファンタスティックミステリの高みに飛翔した作家の清新な挑戦が詰めこまれている。

■ジョン・ロード『クラヴァートンの謎』


 近年、『ラリーレースの惨劇』『代診医の死』『素性を明かさぬ死』(マイルズ・バートン名義)と刊行が相次ぐジョン・ロードの作。バートン名義を含め140冊を超える多作家のロードだが、訳者解説によれば、本作『クラヴァートンの謎』は、海外では、『ハーレー街の死』等と並んでロードの代表作に挙げられる作品というから期待がもてる。

 プリーストリー博士は、旧友のクラヴァートンの屋敷を久しぶりに訪問するが、独り身だったクラヴァートンの周囲には、彼の看護をする姪、その母親、それに時折やってくる彼の甥の三人がおり、冷淡な出迎えをされる。主治医のオールドランドからは、六週間前に砒素を飲まされたという話を聴かされる。博士が翌週に再度旧友を訪ねたときには、既に彼は死亡していた。当然、砒素による毒殺が疑われたが、検死の結果、何らの毒物が検出されず、胃潰瘍の突然の悪化と断定される…。 
 今回のロードは、退屈とは無縁である。それは一つには、プリーストリー博士が死んだクラヴァートンの旧友という立場で事件に関わっていくからで、旧友と無沙汰をしていたという後悔も相まって、友が殺されたことを疑わず、犯人への「復讐」を誓うという私戦に切迫感があるからだ。さらに、冒頭から屋敷に不気味な雰囲気を醸し出している姪とその母親の霊媒、甥といった関係者の顔立ちがくっきりしており、後に出てくるかつての関係者なども生彩に富んでいる。この作が初登場で後にレギュラーとなるオールドランド医師でさえ、過去の傷をもつ陰影深い人物として描かれる。クラヴァートンは殺されたのか、だとすればどうやって? というハウダニットを本作のメインにしているところもシンプルで求心力がある。
 クラヴァートンの遺言は、遺族の予期しない不思議なものであり、博士は、クラヴァートンの過去を尋ねる旅に出ることになる。クライマックスは関係者を集めた降霊会の開催とドラマティックなもの。
 シンプルで求心力のある謎だけに、逆に危うさもはらんでいる。本書で用いられたトリックは歴史に残るものだとは思うが、所謂一発ネタでもある。専門的知識に依拠し、謎が明かされても、「なるほど」の域を出ない。冒頭の屋敷の不気味さや、霊媒、遺言状の不可思議といった本書で魅力的だった数々の意匠が色褪せてみえてしまう。それぞれの要素が謎解きと有機的に結びついていないため、トリックだけが突出してみえてしまうのだ。
 そのような欠点をもつものの、本書におけるプリーストリー博士は人間的魅力を放っているし、プロットはシンプルで力強い。ロードの作品としては、記憶に残る一冊であることは間違いない。

■山中峯太郎訳著『世界名作探偵小説選』


 本書は『名探偵ホームズ全集』に続き、山中峯太郎の非ホームズ物の探偵小説の翻案を収めたもの。児童書ながら6冊分を二段組600頁超えに収めており、寝転んで読むには向かない本。
 収録作は、ポー「モルグ街の怪声」、「盗まれた秘密書」、「黒猫」の3冊分に、バロネス・オルツィ「灰色の怪人」、サックス・ローマー「魔人博士」「変装アラビア王」。このうち、オルツィの作とローマー「変装アラビア王」は、現在、古書でしか読めない本であり、翻案であることを抜きにしても見逃せない。
 本書には平山雄一氏による詳細な注と解説がついており、山中峯太郎翻案の特徴を浮き彫りにしている。注では、ポーの作品の翻案においても手がかりなどの細部に独自の工夫を付け加えていることが明らかにされている。
 山中峯太郎は、元軍人で、戦前は「少年倶楽部」に発表した『敵中横断三百里』『亜細亜の曙』で熱狂的な人気を得た。戦後は、公職追放となったが、1950年代に独自のホームズ翻案で活躍をした。

 峯太郎翻案の真価は、冒頭の「モルグ街の怪声」からも十分伝わってくる。陰鬱なデュパンは、快活で元パリ新聞記者だったデュパンに置き換えられ、原典では暖炉に逆さに突っ込まれた被害者の令嬢は、「私」(本作ではロバートの名がある) の小学校からの友人だったことになっている。婦人新聞記者シャルをデュパンのライバルの女探偵として登場させ、デュパンは容疑者を「ジュードー」で投げ飛ばすといった具合。いずれも、年少読者の興味をつないで一冊に仕立てるための工夫だったろう。
「盗まれた秘密書」は「盗まれた手紙」が原作だが、一冊分は満たせないということだったのか、謎解きの間際になって、デュパン宛ての書簡の形式で、ポー「告げ口心臓」が差し挟まれる。無論、これはミステリではないので、デュパンの推理は結末に至っても、うやむやにされてしまう。
「黒猫」は、いうまでもなく非デュパン物の怪奇譚ながら、デュパンと私が書簡を読んでいる形で進行し、結末近くでやはり非デュパン物「お前が犯人だ」 が挿入され、こちらはデュパンが捜査に出向く。この挿話の中には「黄金虫」の登場人物まで出てくる。
 いい加減といえばいい加減だが、ポーの作品を自由にサンプリングし、ポーの作中人物がポーの作品を批評的に読みながら、ときには別な作品の世界にまで飛び込んでいくのは、今時のメタフィクションそのものではないかしらん。
 以下、三作はいずれも、戦前の邦訳をもとにした翻案。
 バロネス・オルツィ「灰色の怪人」は、ナポレオンの密偵を主人公にした歴史冒険小説で、ボロをまとった「ちんちくりん」が密偵役という変わった設定。偽装や意外な敵役といった探偵小説的興趣もあり、最後の大爆破作戦の帰趨は、迫力満点。
 サックス・ローマー「魔人博士」は、フー・マンチュー物で、近年では『悪魔博士フー・マンチュー』として平山雄一訳のkindle版が出ているが、この翻案では、エピソードも刈り込まれ、読んだ印象はかなり趣が異なる。魔人博士に使われる女奴隷カラマネが老婆扱いにされているため、原作のもう一つの胆である語り手ペトリーとの相思相愛が生きてこない。
 同じく「変装アラビア王」は、ロンドンだけでも1600人の手下がいるという怪傑バブロンという義賊を主役に据えた探偵小説。新聞編集長トムと友情を育みつつ、複数の事件に関わりながら国家の救世主になっていくという筋を追うだけでも十分面白い。

 峯太郎の探偵とワトソン役は友情に篤く、皆、探偵熱に取りつかれている。そして、その世界ではトーナメントが、決勝戦が待ち構えている。

 「悪魔博士との探偵戦を、ぼくは『白対黄の決勝戦だ!』と言った」
 「これは、われわれ白人とアジアの有色人の戦いだ! まさに世界的探偵戦なんだ!」(「魔神博士」)

友情! 探偵! 対決! 決勝戦! こどもたちが熱狂した理由が判ろうというものではないか。

ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた)
 ミステリ読者。北海道在住。
 ツイッターアカウントは @stranglenarita


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