ついに令和に突入しましたよ、みなさま! 一国民としてはとくに変わったこともなく、日々粛々とすごしておりますが、なんとなく気持ちが引き締まるものですね。あくまでもなんとなくですけど。
 平成最後の翻訳ミステリー大賞授賞式&コンベンションでは、読者賞とのダブル受賞を決めた『カササギ殺人事件』の魅力と底力にあらためて圧倒されました。ほんとうにおめでとうございます。一読者として、この時代に、この作品が読めた喜びと感動を、ひとりでも多くの未読の方々に伝えたい思いでいっぱいです。ていうか、これから読む人がうらやましすぎる! ちなみに、ポーの顔がマグネットシートになったのは去年のコンベンションからです。意外に気づかれていなかったんですね。でも、気づいてもらえてうれしいです、加藤さん。
 そうそう、みなさまゴールデンウィークはいかがでしたか? われわれ自由業の人間にとって、GWは毎年わりと他人事なのですが、今年は十連休だった方もいるとか……きっと思う存分読書を楽しまれたことでしょう。これまたうらやましい!!
 というわけで、連休明けですが、平成の最後に読んだ本たちのなかからお勧めをご紹介します。

 

■4月×日
 またあらたなスウェーデン作家に出会ってしまった。『私のイサベル』は、エリーサベト・ノウレベックのデビュー作で、ストックホルムとダーラナ地方を舞台に、母と娘の濃密な関係をサスペンス仕立てで描いたミステリー。英語版からの翻訳です。アメリカやイギリスが舞台だとしてもまったく違和感がない作風で、スウェーデンにはこういう作品もあるのか、とちょっと新鮮でした。

 心理カウンセラーのステラは、カウンセリングを受けにきた女子大生イサベルを見て、二十年まえに行方不明になった娘アリス(当時一歳)だと確信する。しかし、過去に精神的に不安定だったことのあるステラは、イサベルがアリスだと言ってもだれにも信じてもらえない。
 一方イサベルは、大学進学を期に所有欲の強い母シェスティンからの離れ、大学生活を楽しんでいたが、亡くなった父が実の父ではなかったと突然母シェスティンに告げられたことで、もやもやした思いを抱えていた。
 夫を失い娘とふたりきりになったシェスティンは都会で暮らしはじめたイサベルが心配でたまらず、突然田舎から出てきてあれこれ世話を焼く。二十二歳にもなった娘を守ろうとする姿は、逆に娘にしがみつこうとしているようにも見えた。

 ステラ、イサベル、シェスティンの三人の視点が頻繁に切り替わることで全体像が見えてくる。よくある手法ではあるけど、やっぱり引きこまれます。十代での妊娠、疑われる育児放棄、どこかで子供は生きていると思いながらすごす長い年月、ようやく手に入れた幸せ。そこに突然二十年ぶりに娘が!となるわけだから、興奮もするし混乱もするだろう。わかるよ、ステラ! でも、イサベルはほんとうにアリスなのか。それとも、みんなが言うように、自分がおかしくなってしまったのか。イサベルにもシェスティンにもどこか信じられないところがあり、物語に不穏な空気を撒き散らす。

 イサベルが今時めずらしい超箱入り娘なわけも、わかってくるとうわーっとなります。田舎からオカンが突然出てくるシーンでは、ちょっとドラマ「トクサツガガガ」の小芝風花と松下由樹を思い出してしまった。あのブルドーザーのようなオカンがシェスティンとちょっとかぶるのよね。

 ぶっちゃけ、目新しさはないけど、心にずっしりとくる佳作。登場人物が少ないので真相はなんとなく透けて見えてしまうももの、そのぶんそれぞれが丁寧に描かれていて、興味が途切れないし、物語の展開がスピードアップしてくる後半ではそれが生かされてくる。感情移入しやすそうでいて、意外にも個人的にはだれにも感情移入しないで読んでいて、それはそれでニュートラルなおもしろさがあった。後半はややホラー寄りで、ラストの展開がすごい。手垢のついた表現だけど、手に汗にぎります。そして、やっぱり母は強い。

 

■4月×日
 手に汗にぎるといえば、クリス・ホルムの『悪魔の赤い右手 殺し屋を殺せ2』。あの『殺し屋を殺せ』の続編です。どちらもそんなに長くないので、一作目が未読の方はこの機会に二冊まとめて読むことをお勧めします。そのほうが絶対におもしろいから。

 アンソニー賞最優秀長篇賞受賞作の一作目『殺し屋を殺せ』は、元特殊部隊員の殺し屋ヘンドリクスが、全米の犯罪組織を束ねる〈評議会〉に命をねらわれる話。ヘンドリクスの標的は同業者限定なので、殺し屋をねらう殺し屋をねらう殺し屋の話! 殺し屋好き(?)にはたまらない設定です。殺し屋バブルです。すごいざっくりした説明だけど、とにかく読んでね。
 はい、読みましたか? 読んだと仮定して『悪魔の赤い右手』に移りますよ。これもざっくり言えば悪の秘密結社〈評議会〉とヘンドリクスの戦いの話なのです。

 サンフランシスコのゴールデンゲートブリッジにタグボートが激突して爆発炎上し、多くの犠牲者が出る。すぐに現場に居合わせたと思われる人物が撮影した動画がSNSにアップされ、それがテレビなどで拡散されたため、〈評議会〉とFBIは騒然となる。〈評議会〉の秘密をにぎる、死んだはずの元〝悪魔の赤い右手〟こと、フランク・セグレティの姿がちらりと映っていたからだ。〈評議会〉に復讐するべく準備をしていたヘンドリクスも、その渦に否応なく巻き込まれていく。

 ヘンドリクスは相変わらず強くてかっこいいし、新キャラも登場するし、〈評議会〉のほうもまたいい駒を出してくるのよ。とくにフランク・セグレティ。翻訳ミステリー大賞イケオジ部門があったらノミネートまちがいなしの美老人。外面というより、中身がね。彼が逃げ込んだプレシディオの邸宅で、その家に住む老婦人ロイスとすごすシーンがあるんだけど、この熟年のふたりの会話がすばらしいのですよ。ロイスも丁寧に生きてきた人という感じがしてすてき。このシーンが読めただけでも価値がある作品だった。ヘンドリクスが無駄な殺生をしないのもかっこいいよなあ。全体としてはいい意味でB級というか、大作っぽくないところが魅力だ。

 ところで、SNSがある種の危険をともなうことは周知の事実で、ミステリー作品のなかでもよく言及されているけど、実は自撮りも怖いんですね。それもうっかり自撮り。ちょっと動画撮ってもらえますか、とスマホをわたされて、見たら自撮りのまま切り替えてなくて、撮影者がうっかり映りこむやつ。それがあんな大事になるとは……みなさんも気をつけましょう。

 

■4月×日
 エリー・アレグザンダーの『ビール職人の醸造と推理』は、ビール職人スローン・クラウスが活躍するシリーズの一作目で、ビール好きなら必読です。なんとなくドイツが舞台なのかと思っていたら、アメリカはワシントン州に実在する小さな町レブンワースが舞台。ドイツのバイエルン地方によく似た街並みの、ビールで有名な観光地だそうです。そんな場所があるなんて初耳! まずは新シリーズの開幕を祝ってビールで乾杯、といきたいところだけど、下戸なもんで……という人でも楽しめるコージーミステリーです。

 なんとなく既視感があるなあと思ったら、ニューヨークの老舗コーヒーハウスを舞台にしたクレオ・コイルの〈コクと深みの名推理〉シリーズとちょっと似たところがある。イケメンのチャラ男と恋に落ちてできちゃった結婚、夫の家業を手伝うことになり、その才能から彼の親に気に入られるも、浮気性の夫に悩まされる、というあたりはまんま同じじゃない? ちがうのは、家業がクラフトビール醸造所兼パブということと、ヒロインのスローンが孤児で、多くの里親たちのもとを転々としてきた、ということ。そしてもちろん、ビール職人だということだ。

 物語はスローンが夫の浮気現場を目撃するシーンからはじまる。町いちばんの醸造所兼パブ〈デア・ケラー〉のビール職人であるスローンは、夫から距離をおこうと、新規オープンの小さなブルワリーで働きはじめるが、オープン翌日ビールのタンクのなかに死体が浮いているのを発見してしまう。
 スローンの強みは「次々に変わる里親を注意深く観察しながら何年も過ごすうちに身につけてきたサバイバル術」。人当たりがよくて、相手がどういう人物なのか言い当てるのが得意なのだ。まさに素人探偵にうってつけのスペック。パブで出す料理やデザートをちゃっちゃと考案して作ってしまうのもすごいけど。

 クラフトビールとは、小規模な醸造所が作る多様で個性的なビールのこと。ほとんどお酒を飲めないので、あまり詳しくないのだが、大好きだったドラマ「獣になれない私たち」には、新垣結衣演じるOLが仕事終わりに「5tap」というクラフトビールバーに寄るシーンがかならずあって、飲めない身ながらもなんかいいなあと思っていた。IPAなどの存在を知ったのもあのドラマだったなあ。本書にはあれ以来気になっていたクラフトビールの世界が詳しく描かれていて、とても楽しめた。エアー酔いしそうなほど。

 

■4月×日
 帯に書かれた「新型記憶ミステリー」とはなんぞや? という興味だけで読みはじめたフェリシア・ヤップの『ついには誰もがすべてを忘れる』は、SF的トンデモワールドが舞台のミステリーだった。

 成人すると全人類が、昨日と今日の記憶しかない「モノ」と、一昨日までの記憶を持つ「デュオ」に二分される世界。デュオが少数派で、双方の記憶格差は大きく、モノもデュオもアップル社製の電子日記iダイアリーに記録した事実をたよりに生活している。
 そんな世界で殺人事件が起こる。被害者のブロンド美女ソフィアの日記によると、彼女は有名作家マーク・エヴァンズの愛人だということだが、マークの日記にそんな記述はない。マークの妻クレアはモノで、夫のアリバイを証明できない。捜査する刑事ハンスはモノであることを同僚にも隠しており、なんとしてでも一日で事件を解決しようとする。

 なんという発想! 設定を頭に入れるまではたいへんだったけど、そのあとで状況を想像しながら読むとすごくおもしろかった。謎解きも一筋縄とはいかず、まさにトンデモ設定が生かされた案件と言えそう。被害者、容疑者、容疑者の妻、刑事。その家族も隣人も、みんな記憶は穴だらけ。生活のすべてを日記に記録することはできないし、その記録にしても改竄されているかもしれない。そんな状態で殺人事件を捜査するなんて気が遠くなりそうだ。そもそも、一日の記憶にしろ二日の記憶にしろ、どちらも短期記憶でしかないのに、職業や収入や教育にすごい格差があって、デュオかやたらとえらそうなのがちょっと笑える。

 こういう状況ならいやでも日記をつけるようになるんだろうなあ。とにかく書き留めておかないとなかったことになってしまうんだから、三日坊主などと言ってはいられない。でも、iダイアリーに記録されるのは自分が覚えておきたいことであり、外の世界に見てほしいことだとマークは書いている。そうして入念に作り上げた公的人格は、内なる真の自分とは似ても似つかないことも多い、とも。これは現実世界のSNSにも言えることだと思う。
 それにしても、全人類がiダイアリーを所持している世界って……アップルどんだけ儲かってるんだ。

 しかしこのSF的設定、考えるとつじつまの合わないこともある。マークはベストセラー作家だけど、作家って仕事になるのだろうか。早い人で翌日、そうでない人でも翌々日には記憶が消えてしまうのだから、本は一日で読めるものでないと売れないのでは? それに、読んでもすぐ忘れるから、一度買えば何度でも読めてしまい、そもそも売れないのでは? などと縁起でもないことばかり考えてしまう。あまり深く考えずに楽しんだほうがいいのかも。

 

■4月×日
 ミステリーではないけど、チョ・ナムジュの『82年生まれ、キム・ジヨン』は多くの人に読まれるべき作品だと思う。とくに男性がどう読むか興味がある。すでに韓国では100万部突破のベストセラーで、映画化も決定しているということだが、書かれているのは女性たちがごくあたりまえに体験し、感じてきたことだ。それを衝撃的ととらえるなら、世間はいかに男性主体か、いかに男性ファーストか、ということになる。その傾向は日本より韓国のほうがさらに強いようだ。あんなに女子たちがキラキラしている国なのに。

 結婚して三年、三歳年上の夫と一歳の娘とともにソウルに暮らすキム・ジヨンは三十三歳。とくに自分だけが苦労しているとも思わずに、あたりまえに社会に張り巡らされたさまざまな差別や抑圧に耐え、幸せを手にしたかに見えた彼女は、ある日を境に母や友人が憑依したようなしゃべり方をするようになる。夫は育児ノイローゼを疑い、妻にカウンセリングを受けさせる。

 ドキュメンタリーっぽい部分もあり、文学的でもあるけど、ひとつひとつのエピソードはものすごく日常的でリアル。そのくせ突き放したように妙に淡々としていて、問題解決には至っていない。その理由は最後まで読むとわかり、正直脱力してしまった。そこで憤った読者が立ちあがる、までが作者のねらいなのだと思う。

 ヒロインの名前である「キム・ジヨン」は一九八二年に出生した女の子の中でいちばん多い名前らしい。一九八二年にソウルで生まれたキム・ジヨンが、どんな家庭生活や学校生活や社会生活を送ってきたかが克明につづられ、不特定多数の女性の半世紀としても読むことができる。だからこそ、みんなが「これはわたしの物語だ」と思ったのだ。

 思えばどこにでも転がっていた差別。読んでいるうちに忘れていた数々の黒い記憶がよみがえってきて愕然とした。驚いたのは、かなり若い世代の女性に思えるキム・ジヨンでも、生まれたときから根強い男尊女卑に苦しめられてきたことだ。大人になっても、差別はついてまわる。夫に子供がほしいと言われ、子供を持つことで自分は多くのものを失うのに、夫はそうではないと気づいてしまう。「子どもができてもいないのにもう預け先を考えているという事実に罪悪感が押し寄せてきた」という感覚は、今まさに日本でも多くの人が感じていることだろう。問題は保育園がなかなか見つからないことではない(いや、それも問題だが)。女だけが罪悪感を覚えなければならないことが問題なのだ。

 しかし、いちばん印象的だったのは、キム・ジヨンの母のオ・ミスクの存在だ。姑からひどい扱いを受けながらも、「家」のために黙々と働き、たよりない夫の代わりに財テクにはげむ母。しかし、言うべきことははっきりと言う。退職後、友人の事業に退職金を投資しようとした夫に、慌てず騒がず「投資したらその瞬間に離婚だから」と言いわたすのだ。げんなりするエピソードばかりのなかで、このシーンは読んでいてすごく気持ちがよかった。パワフルな韓国のオモニはこうやって戦っているのだ、と見せつけられた気がした。ジヨンが急に母のようにしゃべりはじめたのも、母が娘に憑依してまでいっしょに戦ってくれているようにも思える。

 

上條ひろみ(かみじょう ひろみ)
英米文学翻訳者。おもな訳書にフルーク〈お菓子探偵ハンナ〉シリーズ、サンズ〈新ハイランド〉シリーズ、バックレイ〈秘密のお料理代行〉シリーズなど。趣味は読書と宝塚観劇。最新訳書は〈お菓子探偵ハンナ〉シリーズ19巻『ウェディングケーキは待っている』

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