前回も書いたように、8月14日から20日に上海展覧センターで上海ブックフェアが行われました。中国全土の出版社が集まり、無数の書籍が販売されるだけではなく、中国国内及び世界各国から招かれた作家がトークショーやサイン会を開催する非常に大きなイベントです。日本関係のゲスト作家を紹介しますと、平野啓一郎、角田光代、森見登美彦、毛丹青、都築響一らが参加しました。

 中でも中国のミステリー読者を引きつけたのは、「推理之神」こと島田荘司の5年ぶりの参加です。17日にはブックフェア会場の大会堂を約3時間も使用するサイン会を行い、18日には人数を100人程度に限定したトークショー&サイン会を行うという精力的な活動ぶり。中国で多数の海外ミステリーを翻訳・出版する新星出版社は、以前も有名な日本人ミステリー小説家を上海ブックフェアに招いており、2014年に島田荘司・麻耶雄嵩のダブルサイン会、2016年に伊坂幸太郎サイン会を開きましたが、16年を最後にイベントはストップしていました。今回は『屋上の道化たち』と新装版『占星術殺人事件』の中国での出版に合わせて島田荘司が来るということで、中国各地から小説家、編集者、読者が上海に集合することになりました。そして私も、サインをもらうという目的もありましたが、それと同じぐらい同好の士たちと久々に会いたかったので、北京から上海に向かいました。
 今回のコラムではブックフェア期間中に行われたミステリー関連のイベントを紹介します。

■17日の島田荘司サイン会■
 サイン会は11時半から15時までという長めの時間が設定されていましたが、聞くところによると9時の時点ですでに100人以上が並んでいたそうです。これは島田荘司の人気を表すとともに、主催側の不備を心配する読者の心情も表しています。

 並ぶ人々には番号が書かれたシールが貼られ、現在何人並んでいるのかがひと目で分かるようになっていました。私が12時に並んだときにもらった番号は861。噂によると、サイン会開始当初に主催側から「900人にサインする」というアナウンスがあったようで、開始30分後に並んだ私はかなりギリギリだったみたいです。

 そして会場内に入ると、大勢の人間が椅子に座り、ステージ上で島田荘司が黙々とサインをしているという光景が飛び込んできました。場内は極めて静かで、人々はスタッフや警備員の指示に従ってサインを待っています。

 この後も別の作家のサイン会が控えているので時間の延長はできないのですが、結局、私がサインしてもらったのは15時をちょっと過ぎた段階。おそらく全員分が終わったのは15時半だったことでしょう。今回のサイン会は、1人1冊まで(新刊のみで持ち込みの本は不可)、ツーショット写真禁止、「~さんへ」など各人の名前は書かない、という制限がありました。16年の伊坂幸太郎のときも同じような決まりがあり、950人にサインしたそうです。
 島田荘司は途中、スタッフに手をマッサージしてもらっていて流石に疲れの色は隠せない様子でしたが、それでも一人一人に笑顔で接し、3時間で900人以上へのサインをやりきりました。
 しかしこのサイン会、当初から大勢が来ることは分かりきっていたのだから、先着900人だと言うのなら事前にそれを告知する必要があったのではないでしょうか。15時というのはサイン会が終了する時刻であって、実際は12時半ぐらいで受付は終了していたと思われます。一方、完全な先着順にすれば、開始のもっと早くから並ぶ人間がさらに増えることになり、別の問題が生じそうです。

■18日の島田荘司×陸秋槎トークショー&サイン会■


 期間中は上海全体がブックフェアの舞台となり、各地の本屋や図書館などで作家のトーなどが行われます。この日は、ブックフェア会場からだいぶ遠く離れた建設書局という場所が会場になりました。

 発売開始3分で完売したチケットを手に入れた120人程度だけが参加できるこのイベントには、昨日のサイン会で見掛けた顔や知り合いがチラホラ。場内に入ると新刊2冊がプレゼントされ、なるほど、事前振込の86元(約1300円)は本という形で変換してくれるのかとちょっと感心しました。この日のサイン会は1人2冊までとなっており、おそらく全員がこの2冊にサインをもらったことでしょう。

 トークショーは14時からスタート。島田荘司と陸秋槎の「対談」という触れ込みでしたが、実際は陸秋槎が司会をしながら日本語で島田荘司に質問し、ほとんど島田荘司が喋るという形式。2人の通訳は、新刊『屋上の道化たち』の翻訳者でもある呂霊芝が担当していました。

【左から呂霊芝、島田荘司、陸秋槎】

 トークショーは中国で新装版『占星術殺人事件』の出版にちなんで、島田荘司が約30前の発売当時に本書が受けた強烈な反発の原因を、ミステリー史を振り返って説明するという内容。正直言って、新鮮な話はあまりなかったです。『占星術殺人事件』が最近ロシアでも発売され、中国と同じぐらい大反響を呼んだ、というのは初耳ではありましたが、ミステリー史とか最新科学への言及とか、以前も聞いたなという話ばかりでした。
 質問タイムでは、「華文ミステリーの中で最も『21世紀本格』なのは何か」という質問に対し、島田荘司が島田荘司推理小説賞の第1回受賞作品『虚擬街頭漂流記』(ミスターペッツ)と第2回応募作品『無名之女 (無名の女)』(林斯彦)を挙げたのが少し面白かったです。本音を言えば、陸秋槎と最新の中国ミステリーに関する対談をしてほしかったです。

 実はこのトークショー&サイン会の同時刻に、上海図書館でミステリー関係のイベントが行われていました。評論家・編集者が華斯比がまとめた『給孩子的推理故事(子どものための推理物語)』の発表会が行われ、中国ミステリー小説家の時晨と孫沁文がゲストとして参加。『給孩子的推理故事』とは、子どもの思考力を鍛え、親が子どもに安心して読ませられる「殺人なし、犯罪なし」の作品ばかりを集めた短編ミステリー集で、当日は多くの親子連れが駆け付けました。この本については今後華斯比にインタビューし、別の機会に取り上げたいと思います。

■19日のミステリー関係サイン会■
 この日は以前に私のブログで取り上げた『少女偵探事件簿』のサイン会が行われたのですが、作者の何慕が有給を取れずに欠席(会社には小説家であることを隠している)という事態に。そこで、華斯比を始めとしたミステリー関係者が集い、各々の見識を発表しました。列席者の一人由宝児は、中華民国時代を舞台にしたミステリー小説『謀案上海』の新刊発表会を同日に行っており、中国ミステリーの横のつながりの強さを見せるトークショーとなりました。

 

■まとめ■
 今回、上海ブックフェア全体を見ても、島田荘司サイン会は目玉の一つでした。しかし、70歳というベテラン作家に計1000冊以上もの本にサインさせるのは無茶ではなかったかという声が中国ミステリー界隈から上がっています。そして同時に、日本からもっと若い作家の到来を求む声もあります。

 若い作家を呼ぶのは私も賛成なのですが、せっかく上海まで呼ぶのに目的がサイン会だけというのは虚しいので、トークショーにももっと重点を置いてもらいたいです。しかし、新刊を売るという出版社側の意向もありますし、有名な作家であればあるほどサイン会に多くの時間を割かなければならないので、サイン会とトークショーの両立は難しそうです。さらに、肝心の中国人がトークよりもサインをよほど重視しているようなので、日本人作家のトークショーが充実するのは当分なさそうです。

 とは言え、華文ミステリーが日本で出版されるにつれて、日中ミステリー小説家の距離も年々縮まっている感覚がありますので、特に20、30代のミステリー小説家を集めたトークショーが開催される日もそう遠くないんじゃないでしょうか。

阿井幸作(あい こうさく)

 中国ミステリ愛好家。北京在住。現地のミステリーを購読・研究し、日本へ紹介していく。

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