舞台は、イタリア南部、ナポリ周辺の風光明媚な地。若い英国人女性が殺人事件に巻き込まれ、ロマンス要素もあるミステリ、というとエキゾチズムで味付けしたロマンティックなサスペンスが想像されるが、さすが名手フェラーズ、本書は、意表を突く謎、巧妙なミスディレクションと圧倒的なまでの伏線の妙が冴える本格ミステリでもある。サスペンスは濃厚だが、既に論創海外ミステリで紹介されている『灯火が消える前に』(1946)、『カクテルパーティ』(1955)の暗い色調はなく、作者自身も愉しんで書いた作品ではないかと想像される。

■エリザベス・フェラーズ『魔女の不在証明アリバイ


 ルースは、イタリア在住のアンティーク・ショップ経営者バラード家の住込み家庭教師。ルースが面倒をみる、バラードの息子16歳のニッキーは周囲になじめず、父親とも対立を繰り返している。
 その日、二階から下りたルースは、血にまみれたニッキーが逃走していく姿を目撃する。客間では主人バラードが普段と違う派手な服装で殺害されていた。ニッキーの犯行を疑い、死体を前に途方に暮れているところに、地元警察がやってきて、自宅から離れた山中で、バラードの遺体が発見されたと告げられる。
 自宅と、離れた地で同時に死亡した同一人という幻惑されるような謎がまず本書の強烈なフック。
 その後も、ルースの足元が崩れていくような事件が立て続けに起こる。特に彼女を追いこむのは、アリバイが成立しないことだ。彼女を招いていたのに不在だった知人には、招いた覚えはないといわれてしまう。
 スモールサークルの中の事件を好んで描いたフェラーズだが、本書も同様で登場人物はごく限られている。ニッキーの味方になるのは、自称作家のスティーヴンという身なりに構わない青年。自宅のバラードの死体を現場から隠したのは彼で、事件の真相を探るうちに、二人の距離は次第に近づいていく。といっても、ルースは、このスティーヴンのことも信じきれない。

 ここへきて、ルースは思った。人が他人に対する不信感を完全に拭える日は、はたして来るのだろうか。それには、どのくらいの時間が必要なのだろう。数日か、数週間か、それとも何年もかかるのだろうか。
 
 人間というものに対する不信というのは、フェラーズの作品の底流に流れるものと思うが、作家の真価は、それを主人公のアイデンティ不安やサスペンスの醸成に用いるだけではなく、本格ミステリの構成にも見事に生かし切っているところだ。このスモールサークルでは誰もが疑わしい。登場人物は、各人の推理をするが、ヒロインのそれは、不信を解消しようとする祈りにも似た行為なのだ。
 フェラーズの小説は皆そうだが、本書には、特に秀でた手がかりの提示がある。
 ディクスン・カーは、本格ミステリの手がかりを論じ「このジャンルの老錬作家と新参の作家との相違は、手掛りを提示する技術にもっとも明瞭にあらわれる」とし、新参の作家は、「読者の眼前に裸体をさらしている感じに捉われ」、「手掛かりをストーリーに書き込むが早いか、爆弾を投げ入れた犯人同様に、気が狂ったように逃げ出そうとする」と書いている(*「地上最高のゲーム」) 。本書『魔女の不在証明アリバイで進行しているのは、これとは真逆の大胆極まる手がかりの提示であることは、本書の読者はお分かりだろう。
 真相が判明したとたん、巧妙に配置された手がかりが呼び起こされ、タイトルも、冒頭の『マクベス』からのエピグラフも一本の太い線で結びつく快感。状況設定がさらに厳密なものであればさらに評価が上がるのではという気もするが、事件の仔細を書き込むタイプの小説ではないのだから、これは望蜀というやつだろう。
 地元の祝祭フィエスタの情景、馬車で遺跡の町への移動、乱暴すぎる満員のバスの運転など戦後まもないイタリアの風俗も各所に盛り込まれ、サスペンスの間に間に、異国情緒も楽しめる。

*「地上最高のゲーム」(宇野利泰、永井淳訳『カー短編全集5 黒い塔の恐怖』所収)

■Q・パトリック『八人の招待客』

 アガサ・クリスティー『そして誰もいなくなった』(1939) は、もはやミステリという枠を超えて、20世紀の神話とでもいうべき存在だろう。孤島に集められた男女が一人ずつ殺されていくという強烈なサスペンス、最後に誰もいなくなるという不可思議性は、読者を魅了し、多くの後続作を生んだ。
 その先行作ともいわれる作品二つが〈奇想天外の本棚〉で発掘されたというのだから、これは要注目だ。それも、近年、パズルシリーズなどの刊行が相次ぎ、再評価の機運も高い米国の作家Q・パトリック (パトリック・クェンティン) の作というのだから、聞き捨てならない。クェンティンは、四人の作家が共同あるいは単独で書いたときのペンネームでその内実は変遷を続けたが、本書は、その中核といえるウェッブ=ホイーラー組の作品。
 収録の二編は、「八人の中の一人」(1936)、「八人の招待客」(1937) で、それぞれ旧「宝石」誌に、「大晦日の殺人」「ダイヤモンドのジャック」として既訳があるが、単行本には収録された形跡がないという。
 
 「八人の中の一人」は、大みそかに開催された株主総会の際、主要関係者八名に対し、会社の合併を採択したら真夜中までに場合によっては全員を抹殺するという脅迫状が送りつけられるという発端。予定どおり合併が採択された後、八名はその場に残るが、停電となった暗闇の中、最初の一名が殺され、事件は相次いでいく。舞台は外部から隔離されたタワーの40階の会社フロアー。
 NYの摩天楼に孤立した空間を創出、暗闇で相次ぐ犯行、救出を求めるサバイバルの工夫などオリジナリティ溢れる設定に、語り手の社長秘書キャロルに対する二人の男性からのプロポーズというロマンス要素まで盛り、ぎりぎりまで犯人を隠すフーダニット興味も持続する。脅迫状が一種の目くらましになっているという設定も憎い。中編ながら、閉鎖空間という設定を存分に生かした佳品。
 「八人の招待客」は、富豪から六人の著名人に、招待状が送りつけられる。富豪と六名は、もう一人の招待客である恐喝者スターナーに強請られており、集まった者のうち誰かにスターナーを殺害させる予定だった。ところが、スターナーは、養女カームライトを連れて乗り込んできて、目論見は狂い始める。
 某有名作を倒叙型にしたような設定で、殺害計画はどうなるかという興味でもたせ、各人各様のドラマも展開するが、最後には多重解決のフーダニットにもなるというこれも贅沢な中編。准男爵と絶世の美女カートライトの関係には、ドリーミーな味わいもあるし、万事を的確にこなす執事の存在も面白い。
 さすがは短編にも秀でていたQ・パトリック。いずれも、これまで単行本化がされなかったのが不思議なほどのできばえだ。
 二つの作に共通する閉鎖空間、「八人の中の一人」で予告される全員の殺害 (実際には生き残るが) プラス「八人の招待客」のそれぞれ曰くをもつ招待客という要素を足し合わせると、なるほど『そして誰もいなくなった』のプロットに近づくわけで、二編並べて紹介される価値も高い。
 『そして~』のプロットを先取りしたものとして、これまでもS・A・ステーマン『六死人』(1931) やフィリップ・マクドナルド『生ける死者に眠りを』(1933) などが挙げられており、Q・パトリックの中編同様、実際にクリスティの作品に影響を及ぼしているかは不明だが、作家が相互に競い合い、次々とプロットが高度化していった黄金時代の空気を感じさせて興味深い。
 本叢書の製作総指揮者・山口雅也氏の手元には、『そして~』の「元ネタ」と思われる、ある作品があり、別の機会に翻訳出版予定というから、括目して待ちたい。

■J.J.コニントン『キャッスルフォード』


 英国のミステリ作家、J.J.コニントンはこれで紹介が四冊目。(ほかに、戦前刊行の『当たりくじ殺人事件』がある) これまでの四冊は、1920年代の作品だったのに対し本書『キャッスルフォード』は、1932年の作品で、ドリフィールド卿物としては、8作目に当たる。作者も手馴れたもので、作品のオープニングは、本書の中心人物となるフィリップ・キャッスルフォード及びその娘ヒラリーの人となり、父娘を取り巻く人々をじっくり描いている。
 フィリップは、かつては細密画家だったが、彼が絵を教えていた未亡人ウィニーのミスから指先を失い、廃業せざるを得なくなる。彼は、娘ヒラリーの将来を考え、死んだ夫が資産家だったウィニーと愛のない結婚をする。ウィニーは家庭における専制君主となり、異母妹をコンパニオンとして住まわせ、元夫の兄弟が頻繁に出入りさせている。父娘は不平も言えず、肩身を狭くして暮らすしかない。ウィニーに取り入っている元夫の兄弟のアドバイスにより、父娘はウィニーの遺言状の遺贈先からも外されそうだ。
 そんな矢先、ウィニーが銃により死亡する。果たして、事故か殺人か。
 本書では、警察署長であるクリントン・ドリフィールド卿の登場は、事件も3分の2を過ぎてからで、それまでは、キャッスルフォード家の地元の警察が務める。コニントン作品の特徴として、尋問、証拠の収集といった克明な捜査描写があり、それが退屈派といわれるゆえんだと思われるが、本書では、探偵小説好きで女嫌いの田舎巡査、敏腕な警部、スキャンダルを振りまく密告屋といった存在が、それぞれ個性を発揮していることもあって、平板を免れ、作者の読ませる技術の進捗もうかがわせる。
 かえって、ドリフィールド卿が登場してからの捜査には、地元警察の捜査と重複した感があり、もう少し省略できる余地があるのではないかと思わせる。
 ドリフィールド卿は、読者には (ワトソン役を務める治安判事のウェンドーヴァーにも) 何を立証するのか不明の証拠の数々、火床の燃えかす、繊維、銃弾、モルヒネ、血液型、図書館の貸出本、当時の気温、著名な犯罪事件の記事などなどを積み上げ、卿が「手が込み過ぎている」というほどの緻密な犯罪を暴き出し、「自分の思惑通りに駒を動かすチェスプレイヤー」の意外な正体を指摘する。『九つの解決』の九とおりの可能性の追及といった趣向、『レイナムパーヴァの災厄』の奇抜な真相こそないが、心理的ミスディレクションを各所に張り巡らして、読者を真相から遠ざけるテクニックには心憎いものがある。

ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた)
 ミステリ読者。北海道在住。
 ツイッターアカウントは @stranglenarita


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