(承前)

 翻訳ミステリー好きの方にはいまさら説明する必要はないと思うが念のため。ジョン・ドートマンダーは1970年の長篇『ホット・ロック』でお目見えした、ニューヨークに住むプロの泥棒だ。ウェストレイク本人が明かしたところによると、「泥棒が、一つのターゲットを何回も盗む羽目になる」というプロットを、すでに登場済みだった悪党パーカーを主人公にして書いてみたところうまくいかず、別の人間にチャンスを与えてみようとしたのだという。その結果生まれたのがドートマンダーだ。腕は立ち、頭も切れるのに、生来の悪運のためにいつもトラブルに巻きこまれる。犯行計画が崩壊し泥沼に首まで浸かってからが一番の腕の見せ所になる、という可哀相なキャラクターなのである。

 本書には11篇が収録されている(1ダースなのに1篇足りないのは盗まれたからという洒落、と訳者の木村二郎さんがどこかに書いていた)。私が最初に読んだのは、アメリカ探偵作家クラブ(MWA)最優秀短篇賞を一九九〇年に受賞した「悪党どもが多すぎる」だ。ドートマンダーと相棒のケルプがトンネルを掘って銀行の地下金庫室を襲う。ところが壁を壊すと、中には大勢のひとがいて、ありがたやありがたやと喜んでいるのである。聞けば、二人がトンネルを掘っている間に地上には機関銃を振り回す荒っぽい強盗がやってきたのだという。退散しようとしたドートマンダーだが、運悪く(そらきた!)その強盗一味につかまり、銀行を取り囲んだ警官隊との交渉をやらされることになる。前には武装した警官、後ろには頭に血が上った銀行強盗という、この上もなく嫌なシチュエーションに立たされるのだ(この作品でドートマンダーが名乗る「ディダムズ」という偽名は、楽屋落ちとして後で何回か使われることになる)。長篇のプロットを転用したような話だが、ぎゅっとエッセンスがぎゅっと濃縮されており、無駄のない名篇。『狼たちの午後』ドートマンダー版、という感じかしら。

 一篇ずつ趣向が凝らされていて楽しい、楽しい。「芸術的な窃盗」は、おかしな犯罪に巻きこまれかけたドートマンダーが推理を働かせて逃れる話で、彼が知恵働きをするところを読むことができる。「パーティー族」は状況が目まぐるしく変わっていくさまと、ドートマンダーが条件反射のような行動だけで危機を乗り越えていくさまを読むお話。さらに「今度は何だ?」では、ほとんどスラプスティック・コメディのような場面転換が行われ、読者をあっけにとらせてくれる(ちなみに、この作品と「雑貨特売市」に登場する故買屋アーニーのキャラクターは出色である)。

 ウェストレイクの作品は他に1966年発表の『忙しい死体』(論創社)も刊行されているが、初心者向けということであえて短篇集を推す。これを読んでおもしろかったら、『ホット・ロック』を『ジミー・ザ・キッド』を『逃げだした秘宝』(映画版は不評だったらしいが、私は大好きなんだ)を読みましょうよ。それからノン・シリーズの『我輩はカモである』を読んで、リチャード・スターク名義の『悪党パーカー/人狩り』を読んで、タッカー・コウ名義の『刑事くずれ』を読もう。そして、ドナルド小父さんの未訳作品がこれからもどんどん紹介されるよう、みなさんにも祈ってもらいたいのだ。

杉江松恋