英国ミステリ界のファンタジスタ、マイケル・イネスの第8作『陰謀の島』(1942) は、とてつもないミステリだ。できれば、一切の予備知識なしに読むのがいい。そして、作者の奇怪な想像力に魂消てほしい。

■マイケル・イネス『陰謀の島』

 と、警告をした上であとは蛇足。前作『アララテのアプルビイ』(1941) では、南方の海で名探偵アプルビイ警部が乗った船が爆発、数人の男女と無人島に辿りつくという破天荒の小説だったし、イネスの世界では何が起きても不思議ではないのだが、この小説はさらにその上を行く奇想天外さだ。
 作家殊能将之は、ネットに連載した日記で、21世紀最初に読んだ本として、本書 The Daffodil Affair を挙げ、あらすじと読みどころを紹介した後、「ああ、なんという人を食った作家なんでしょう。イネス最高。尊敬の念がますます高まりました」と書き、別なところでは自作『キマイラの新しい城』は発想源が本書であることを明かしている。(『殊能将之読書日記 2000-2009』)

 戦時下のロンドンで、多重人格の娘ルーシーが失踪する。続けて、人が思い浮かべた数字を当てることができる黄水仙ダフォディルと呼ばれる馬が消える、馬と一緒に魔女の末裔との噂のある娘が消える、そして、空襲に乗じて古いロンドンの幽霊屋敷も持ち去られる…。
 舞台は、一転、南米の洋上。事件の謎を追うアプルビイと同僚刑事ハドスピスは貨物船に乗り込んでいる。船には、他に男女数人が乗っているが、何やら曰くがありそうな面々。二人の刑事の人を食った作戦により少しずつ事件の背景が解明されていくうちに、一行は、南米大陸の大河の上流の奇怪な島〈ハッピー・アイランド〉にたどり着く。
 〈ハッピー・アイランド〉は〈アメリカ島〉〈ヨーロッパ島〉〈アジア島〉などの群島に分かれ、〈ヨーロッパ島〉には〈イギリス・ハウス〉〈ドイツ・ハウス〉などという建物もある。島は世界のミニチュアになっているのだ。
 本書の中盤以降、『ガリヴァー旅行記』に紛れ込んだような二人の警察官の冒険が語られるが、その冒険は『アララテのアプルビイ』にみられる陽性のアクションを伴う冒険ではない。この島において企まれている途方もない陰謀には、二人の警官は非力にすぎ、島の狂える現実にかろうじて対抗できるのは、彼らのもてる機智と空想力だけなのだ。だから、島での「冒険」は、敵との腹の探り合いとアプルビイの想念が混ざった一種の心理戦とならざるを得ない。
 作中で、ハドスピスが「わたしたちは今、空想とめちゃくちゃな冒険をごちゃ混ぜにした真っ只中にいるんだ、まともな探偵小説とはまったくちがう。まるで、マイケル・イネスの作品だ」という。「イネス? 聞いたことがないな」とアプルビイ警部はオチをつけのだが、この「空想とめちゃくちゃな冒険をごちゃ混ぜ」にしたというのがイネスの自作解説といってもいいだろう。
 本書には、奇怪な人々、奇怪な陰謀、様々な奇想や言葉遊び、文明への省察、文学からの引用が充満している(アプルビイと多重人格のルーシーを巡る挿話は一等魅力的だ) 。しかも、ただ単に奔放な空想力が駆使されているというわけではなく、「陰謀」は知的で論理的な一貫性を保ったもので、それは大戦下という現実の世界とも地続きなのは明らかだ。
 名探偵アプルビイの役割は途方もなく拡張されているが、それでもなお、ねじくれた世界の背後にある論理を読み解き、陰謀を打ち砕くために知的に格闘する名探偵そのものとして存在している。「真に独創的な(殺人の)動機」が提示され、それをアプルビイらが逆利用するというプロットもその一環だろう。アプルビイの戦略が『ハムレット』『マクベス』の本歌取りになっているというのも痛快だ。本書は、もちろんオフビートなホラ話として純粋に楽しめる小説には違いないが、英文学者でもあるイネスが、この作品において、自ら持ちうる武器で、ねじくれた世界への抗い方を示していると考えると、一種の感動の念を禁じ得ない。
 二次大戦下、イネスは教職の関係でオーストラリアにいた。空爆下のロンドンも描きながら、その当事者ではない英国人というイネスの立ち位置が戦時下という現実と向き合いつつも、対象を冷静にみつめる距離感をもたらしているようにも思える。ミステリとファンタジーを架橋するイネスの独自性が世界大戦という現実と切り結んで生まれた、唯一無二の光芒を放つ作品だ。

■ウィリアム・ル・キュー『完訳版 秘中の秘』

(http://seirindousyobou.cart.fc2.com/ca15/522/)
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 ウィリアム・ル・キュー『完訳版 秘中の秘』がヒラヤマ探偵文庫から。我が国の探偵小説史、翻案・翻訳史上も意義のある出版だ。
 『秘中の秘』は、当時の人気作家、菊池幽芳が1902 (明治35) 年から翌年にわたって、大阪毎日新聞に連載した作品だが、当時、小学校三年生の乱歩が母に読み聴かされ、夢中になった作品として知られている。幼き乱歩は、学芸会で多くの聴衆の前でそのストーリーを語ったというのだから、彼の熱狂ぶりが窺える。
 原作は不明とされていたが、ル・キューの作品であることを今年、藤元直樹氏が同人誌「Re-ClaM」vol.2で明らかにされた。訳者の平山雄一氏は、それを知ったその日に原作本を発注し、翻訳、刊行に至ったというのだから、その仕事の速さには驚かされる。個人出版ならではの快挙だろう。
 ル・キュー(1864~1927) は、イギリスのスパイ小説及び探偵小説家。エドワード・フィリップス・オッペンハイムらと並ぶ当時のベストセラー作家で、戦前の翻訳も多い。けれども、リアリズムに基づくエリック・アンブラーらの登場で、「外套と短剣」と呼ばれるような古いタイプのスパイ作家として退けられてしまった感が強い。
 本書『完訳版 秘中の秘』(原題 The Tickencote Treasure) (1903) は、正統的な宝探し小説。
 私、主人公のポール・ピッカリング32歳は、代診医。患者として知り合った老船長からイタリア行の航海を誘われ、貨物船に乗り込む。その途上、不気味な船に遭遇。二軒の木造住宅のような船だ。しかも、300年以上もの間沈没していた船らしい。謎の船に乗り込んだ船長、医師以下は、大量の金貨、古びた羊皮紙、骸骨、そして三世紀前の服を着た狂った老人を発見する――
 なんとも奇抜な滑り出しだ。古びた資料には、16世紀末に海賊退治をしたイタリア人が巨額の財宝を英国のある一族に遺したことが書かれていた。一方、その宝のことを知った何者かが先行し、宝探求の鍵となる資料への襲撃をしかけてきた。果たして宝の在りかは? 宝争奪戦の行方は? 医師の前に現れた謎の美女の正体は? 
 冒頭の怪老人の謎が強烈なフックとなって、読者を引きずり込み、その後もいくつもの謎と怪奇を繰り出して頁をめくる手を緩めさせないのは、さすが往時のベストセラー作家。印象的な場面も多く、宝の在りかと思われる家に住み込んだ医師らが家の各所を手あたり次第破壊して回る場面などは、作者の意図ではないだろうが、スラプスティックな味すら漂う。美女とのロマンスも、お約束とはいえ、物語に彩を添えている。
 面白いのは、冒頭に、「波乱万丈の冒険物語ロマンスは死んだ」という言葉が出てくるところ。本書がロマンスなき後のロマンスという自意識で書かれているところである。確かに、古い宝探し小説にはないような宝の帰属をめぐる法律的論議があったり、ヒロインへの心理的虐待もあったりするのだが、現代の眼からみると、恐れをしらない主人公たちの勇敢さや遊び心に古き良き時代の伸びやかなロマンを感じさせる。


 一方、菊池幽芳『秘中の秘』は、2013年の『菊池幽芳探偵小説選』(論創社)の刊行で容易に読めるようになっている。涙香流の翻案で、舞台は英国、登場人物は日本名になっているが(悪人の名が黒鬼鉄平というのが凄い)、途中までの筋は、原作本に基本的に沿っているものの、29章以降、主人公の医師がかつて別れた、盗癖のある性悪女が登場し、妙な三角関係じみた話になり、また原作のストーリーに戻る。(性悪女は、捨て台詞に「お前さん、一ツふんどしを締ておかかりなさい」と言ったりする。英国なのに褌はない)
結果として分量的には翻案の方が長くなったようだが、菊池によって加えられたことが明らかになった部分が完全に余計だったわけではない。この部分には、宝の在処のヒントとなる歌「忘るなよ、三つ目の三ツのその下に、黄金の花や、咲き出ぬらん」が群衆によって歌われるというオリジナルの夢のシーンがあり、伊藤秀雄氏が指摘するように、乱歩『孤島の鬼』の「六道の辻に迷うなよ」の歌を想起させるものだ。これは菊池の栄光だろう。
 乱歩は、1920年代に開花したフェアプレイの欧米の探偵小説を高く評価し志向しつつも、体質的には伝奇とロマンの人だったと思える。自身「最も早い僕のCuriocityをそそったものの一つ」という、乱歩好みを形作った一冊『秘中の秘』の完訳版は、その意味でも珍重すべき作品。

■ファーガス・ヒューム原作、丸亭素人訳述、高木直二編集『鬼車』


 翻案関連ではもう一つ。丸亭素人訳述『鬼車』(1891・明治24年) は、19世紀のミステリ最大のベストセラー、ファーガス・ヒューム『二輪馬車の秘密』(1886)の明治翻案版だ。
 丸亭素人は、「鬼車緒言」で、「欧米各国の大小新聞雑誌が、奇想、天外より落ち来たり、妙趣、地中より湧き起ると喫驚称賛せしは、十九世紀の文学界に雷名を轟かしたる大家ヒュームの筆になり」と書き起こす。なんとも大仰すぎる称賛ぶりだが、その後も「この書の趣向、斬新奇抜にして古今往来いまだかつて他にその比類を見ざるの一大小説」「数千万部の印刷もたちまちにして売りつくして」(実際は著者の生存中に75万部) と続き、訳者丸亭、病魔に苦悶を重ねていたが、英国から帰朝した友人がもたらしたこの小説により「病苦も、ために洗いしごとく癒え去りたり」というのだから、香具師の口上のような誇大広告には笑みもこぼれる。

 こちらも、涙香式に、舞台はオーストラリア、登場人物は和名になっている。原作でも強烈なキャラクターだった貧民窟に住む老婆の名が「お形老婆おかたばばあ」はまだいいとして、その娘サルが「お猿」になっていたりで、ちと可哀想。現代の読者が「緒言」のような文語体を読み通すのはつらい面もあるが、会話主体に綴られ、思ったよりは読みやすい。
 二輪馬車で殺された男、恋敵だった青年にかかる冤罪、彼を救おうとする婚約者と弁護士。という骨太のプロットは、基本的に原作に忠実だが、ストーリーとあまり関わらない性格描写、聖書や文学への言及、街の描写などはバッサリ落とされている。
 一方、世情風俗は大いに異なるのに、我が国の読者にも伝わるように訳されており、全体として、まだ欧米風俗にも十分ななじみのなかった層に対する、配慮が感じられる。
 前記『秘中の秘 完訳版』もそうだが、今年、『二輪馬車の秘密』完訳版に次いで丸亭素人の翻案が出て、我が国におけるミステリ輸入史の見晴らしが大いに良くなったと思われる。日本ミステリ黎明期の翻案と原作を仔細に読み比べることで、様々見えてくることがありそうだ。

ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた)
 ミステリ読者。北海道在住。
 ツイッターアカウントは @stranglenarita


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