ヘスター・ラターリィは地下鉄を降りた。手さげ袋のなかを探ってPASMOを見つけ、自動改札機のしかるべき場所に押しつけると、地下道をきびきびとした足取りで歩き、銀座三越へと向かった。
背が低く髪がショートで眼鏡をかけたエンドウがいるかと、へスターは周囲に目を凝らした。会う約束をしているのだが、姿は見えず、通りでは中国人観光客の団体が大声で騒いでいる。会いたがったのも彼女なら、銀座三越のライオンの前で待ち合わせましょうと言ったのも彼女だ。ヘスターは中央通りを行きつ戻りつし、だんだんと苛立ちをつのらせながらさらに待った。それにしてもこのライオン、トラファルガー広場のとずいぶんよく似ているけれど、どういう関係なのかしら。ようやくエンドウの姿が目に入った。
ヘスターはエンドウに歩み寄った。その刹那、相手の顔つきから、何かがあったらしいことに気づく。「どうしたの?」面と向かうなり、ヘスターは尋ねた。エンドウの顔はひどく嬉しそうだ。めったにない都会へのおでかけ、という理由だけではないらしい。「何があったの?」
「あのね……」エンドウは息をはずませて、さっとヘスターの両手を取った。「出るのよ待望のシリーズ3作目が。『護りと裏切り』っていうタイトルなの。わたしたち、どれほど待ったことか。東京創元社の「近刊案内」にちゃんと出てたわ。まだ信じられないような気もするけれど」
「まあ、たいへん。ウィリアムに知らせなくちゃ。いつ発売なの?」
「1月29日ですって」
ヘスターはその場に根を張ったかのように立ちつくした。「まあ! もうすぐじゃないの。いったいどうしてそんなことに?」
エンドウはヘスターの腕を取り、三越の入口を抜けて、エスカレーターへと向かった。「編集の方や翻訳者さん、辛抱づよく待ち続けたファンのみなさんのおかげはもちろんだけれど、へスター、あなたのおかげでもあるのよ。本作でのあなたの活躍ぶりが、関係者の心を動かしたって聞いたわ。それを早く伝えたくて」
「そうだったの。でもね、活躍したのはわたしだけじゃない。ウィリアムもオリヴァーも、それはそれは頑張ったわ。裁判が始まっているのに、真犯人が見つかっていなかったのですもの。見つかってからも、それをどう法廷で証明するかがたいへんで。ウィリアムの不屈の信念に裏打ちされた捜査と、オリヴァーのすぐれた法廷戦略がなかったら、ああはいかなかったわ」
「それはそうだけど、あの二人をあそこまで奮起させたのは、やっぱりあなたの功績よ」
「たしかにあの二人、ああ見えて結構打たれ弱いというか、すぐ悲観的になるというか……。女はそうやすやすと諦めないんだから」
「そう、それも本作の大事なポイントね。権力や財力、肉体的な力の面では男性にかなわないけれど、それを受け入れてなお、現実に対処しようとするヴィクトリア朝の女性の強さときたら!」
「いろいろな立場の、いろいろなタイプの女性が登場するから、それぞれの人物描写も楽しんでほしいわね。見事なものよ。使用人たちの日々の暮らしぶりなんかも、いまの時代に生きるあなたたちには、おもしろく読めるんじゃないかしら。あなたのところ、使用人は?」
「……いるわけないでしょ。メイド・オブ・オール・ワークとはわたしのことよ。……さあ、着いた。ここでお茶でもいかが?」
「なぜ?」
「お茶の時間だから。クランペットもいただく?」
「あるの? あらここハロッズなの? ハロッズって、あのブロンプトンにある食料品店?」
「そうよ。ここのNo.14という紅茶がお気に入りなの。さあ、『護りと裏切り』の出版を祝って、紅茶で乾杯しましょう」
「コーヒーばかり飲んで、ハワイばかり行ってるあなたに、好きな紅茶の銘柄があったとはね」
「ビートルズとモンティ・パイソンも好きだわ。あなたにはなんのことか、わからないだろうけれど!」
「ともあれ、素晴らしいお知らせをありがとう。前の2作とは完全に独立したお話になっているから、本作から読み始めても、まったく問題なく楽しんでもらえるはずだし。紅茶といわずコーヒーといわず、お好きな飲み物を片手にヴィクトリア朝に遊びに来ていただけたら、ウィリアムもわたしも本当に嬉しいわ」
遠藤 裕子(えんどう ゆうこ) |
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出版翻訳者。建築、美術、インテリア、料理、ハワイ音楽まわりの翻訳を手がける。ヨーロッパ19世紀末の文学と芸術、とくに英国ヴィクトリア朝の作品が大好物。趣味はウクレレとスラック・キー・ギター。縁あってただいま文芸翻訳修行中。 |
●東京創元社提供『護りと裏切り』特製フライヤー
全4ページ、ここでしか読めない訳者の吉澤康子さんと
担当編集者Sさんの本書推薦のことば掲載!
(←左画像クリックでpdfファイルをひらきます)
●遠藤裕子さんによる原書レビュー→ http://wordpress.local/1264641561
●東京創元社Webミステリーズ掲載の紹介→ http://www.webmysteries.jp/topic/1301-03.html