■エリザベス・フェラーズ『亀は死を招く』
名手フェラーズの『亀は死を招く』(1950)は、フランスのリゾート地を舞台とした作品。昨年紹介された『魔女の
まだ、二次大戦の戦禍が濃く残る南仏のこぢんまりとしたリゾートホテルを訪れた英国の女性ジャーナリストのシーリア。九年ぶりの再訪だ。以前の訪問に何やら曰くがあるようだが、それはかなり後まで明かされない(帯ではしっかり書かれてしまっているが……)。
ホテルの経営は老夫婦から息子夫婦に移っているが、息子はみるからにホテル経営に熱が入らない。
ホテルの客は、徒歩旅行中の自称イギリス人の男性、カナダ人のダイバー夫妻、六人の子連れの株式仲買人やパリの宝石商、謎めいたスイス人などなど国籍も多様。でも、何か変だ。このホテルでは何かが起きている。
限定された登場人物、見知らぬ者同士の運命の交錯、加えて旅情。ホテルは、ミステリドラマの良き舞台だが、本書のホテル・ビアンブニュも、スモールサークルの事件好みのフェラーズにはうってつけだ。
全体としては、ロマンティック・サスペンスの枠組みに入る作品と思えるが、ヒロインは、自らについては多くを語らない。「彼女はいかにもイギリス人らしいわよ。とても静かで。とても礼儀正しくて」という台詞が後で出てくる。
彼女は、ホテルで起きる人間模様を冷静に観察し、人々の営みを見つめ、聞き役になる。
息子を愛しながらも、そのやる気のなさには不満をぶちまける明るく激しい気性の母親、絵を描くのを趣味とする達観したようなその夫、ホテルに出入りする口先八丁のアルメニア人といったキャラクターなどはとりわけ印象が強い。英国人を名乗る男は、捉え難い人物で、ロマンスの対象なのか、はたまた疑わしい人物なのか、『魔女の
題名の亀は……。実際に亀が出てくるのです。六人の子連れの株式仲買人のペットとして。亀がいなくなるとこの男は著しく不機嫌になり、一同で亀を探す羽目になるが、実は事件の真相を示す糸口にもなる存在。やんちゃ盛りの経営者の幼娘とともに、物語のアクセントになっている。
物語の背景には、沖に沈んだ難破船に積みこまれた財宝探しというロマンテックな道具立てがあり、その一部とみられる宝石を巡る事件を機に、登場人物の思惑はぶつかりあい、殺人事件が発生してからは、村伝統の祭りの中で物語は激しく動き出す。
ロマンティック・サスペンスの枠組みと書いたが、もちろんフェラーズのこと、納得度の高いホテルの「秘密」と、相当に意外な犯人を用意している。ただし、本作では、犯人に至る手がかりがやや弱いのと、最後の大胆な犯行がつくりすぎの感も否めない。
ホテルにも地域にもヒロインを含め人々の心にも戦争はまだ大きな爪痕を残している。
ある登場人物は、過去を振り返り「世界が今よりもっと希望に満ちた場所に思えた頃。今は幸福な人というのは無関心な人たちだけよ」と語る場面では悲哀が立ち込める。
本書が生き生きとしたサスペンスであることはもちろんだが、失われた楽園の再訪記-そこには崩壊してしまった秩序といくばくかの希望がある-として読むことも可能かもしれない。
■マティアス・ボーストレム『〈ホームズ〉から〈シャーロック〉へ』
全110章、出典、書誌を含めて470頁になんなんとする大著。著者はスウェーデンの人で本書は英語版からの翻訳である。
ホームズ本、世の中に数あれど。
「これは「シャーロック・ホームズ」というキャラクターの創造と発展と受容を本格的に総合し俯瞰した、世界で初めての研究書なのだ」(平山雄一氏の監訳者あとがき)という言葉が本書の意義と特色を示している。
筋金入りのシャーロッキアンが資料を博捜して書き上げた研究書だが、といっても、本文を読むのに苦労はない。出典は全部後ろに廻され、短く整えられた各章は、実在の人物の内心に入り込んだかのように語られる。ホームズマニアならずとも興味深いエピソードが満載だ。
第一部から第三部まで、年代でいえば1878年~1930年がコナン・ドイル存命中のパート。その後のパート、第四部から第八部まで、年代でいえば、1930年~2016年までの叙述が厚いのが、何といっても本書の抜きんでたところだ。ごく最近の書だから、TVドラマ『シャーロック』秘話やアンソニー・ホロヴィッツ『シャーロック・ホームズ 絹の家』、ネットにおけるファンコミュニティといった話題も登場する。
もちろん、ホームズ誕生からドイルの死に至るまでのエピソードの数々も面白い。
1891年に世界初のシャーロック・ホームズ翻訳版(『四つの署名』)がスウェーデンにてわずか数週間違いで続けて刊行された話、ホームズのイメージを決定づけた挿絵はシドニー・パジェットが描いたものだが、実は当初挿絵の依頼は同じく画家だったシドニーの弟に届いたものでその弟がホームズの容貌のモデルになったこと、ホームズの死の頃にはホームズの名前は婦人雑誌から下剤まであらゆる商品の広告につかわれるくらい著名になっていたこと、ドイルの幅広い交友等、挙げればキリがない。
ドイルの死後については、遺族と著作権の物語、パロディや演劇・映画、TV等への展開、ファンクラブの興隆といった要素が柱になり、これらは、相互に密接に絡み合っていく。
主要な遺族は、次男デニス、三男エイドリアンとその妻たち。生計の手段をもたない彼らは、偉大なる父の創作物から収入を得、世界を旅し、贅沢三昧を続ける。パロディには不寛容で愛好団体とは敵対し、新たな収入源を探し続ける彼らの姿は、時に滑稽でもあり、物悲しくもあり、その生涯は波乱に富んだ一個の物語のようでもある。
エラリー・クイーンが編んだホームズパロディのアンソロジー『シャーロック・ホームズの災難』が、遺族により絶版に追い込まれたのは有名な逸話だが、その経緯も詳しい。
エイドリアンは、ピアソンの書いたコナン・ドイルの伝記が気に食わず、ジョン・ディクスン・カーに伝記の執筆を依頼する。他人の作には厳しかったが、カーとの合作短編集『シャーロック・ホームズの功績』を出版し、愛好家からは手厳しい批判を浴びてしまう。
最初のホームズ愛好団体、米国の〈ベイカー・ストリート・イレギュラーズ〉の創設の事情も面白い。団体の立ち上げは、作家・評論家クリストファー・モーリーによるものだが、彼は、オックスフォード大学に留学中、後の聖職者でミステリも書いたロナルド・ノックスの講義に触れていた。ノックスは、聖書学の分析手法に批判的で、ホームズ物語を同様に分析することで強烈な当てこすりを行っていたのである。ホームズ学がノックスの当てこすりパフォーマンスを端緒だとするなら、愉快ではないか。
本書の叙述は、数百人を擁する群像劇のように展開する。一人の男の脳髄から生まれた架空のキャラクターが脈々と人々の中で生きながらえ、増幅され、人を結びつけ、あるときは人の運命まで振り回す奇蹟と不思議を思わずにはいられない。
感動的なエピソードがいくつもあるが、その一つ。
サンタフェに住む12歳の少年ミッチ・カリンはホームズの世界に熱中し、近隣に住む世界一のホームズコレクションをもつジョン・ベネット・ショーの書斎に入り浸る。しかし、16歳になり、ホームズ熱はほとんどさめ、今は『重力の虹』や『失われた時を求めて』に夢中だ。古書店にホームズコレクションを売りにきていたミッチに、ショーは偶然、再会する。ショーには判っていた。ミッチは先に進もうとしているのだ。ホームズに興味をもった多くの若者が同じ道をたどるのをショーは見てきた。これが二人の最後の別れとなる。
ミッチは、後年、小説家となり、ホームズが出てくる唯一の小説『ミスター・ホームズ 名探偵最後の事件』(同名映画原作)を書く。そして筆を折ることにしたミッチは、原稿類をミネソタ大学に寄贈する。旧友だった今は亡きショーのコレクションが収められている場所に。
ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた) |
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ミステリ読者。北海道在住。 ツイッターアカウントは @stranglenarita 。 |