一部の人にとっては、「伝説の」といってもいいかもしれない。

 昨年、『サンリオSF文庫総解説』で話題となった往年のサンリオSF文庫の中でも屈指の怪作、キリル・ボンフィリオリ『深き森は悪魔のにおい』(1976)。イギリス領ジャージー島で奇人たちのドンチャン騒ぎが繰り広げられるような不可解なミステリで、加えてSF要素はなし。一体、あの小説は何だったのかといぶかっていた古参の読者も多いのではないか。

 そのボンフィリオリの小説、欧米では根強い支持があるらしく、『深き森は悪魔のにおい』でも主役を務める画商モルデカイが世に出てから40数年後に、ジョニー・デップ主演で『チャーリー・モルデカイ』として映画化され、日本では2月公開の運びとなった。

 そのおかげで、『チャーリー・モルデカイ』シリーズ全4冊が角川文庫で刊行されることになったのは、思わぬお年玉。(4冊目は、著者の死後、未完の作品に1章分が書き足されて刊行。刊行順では『深き森〜』は2作目だが、内容の時系列でいうと3番目。角川文庫版では「3」が冠される)

 ボンフィリオリは、画商、編集者、小説家で、編集者としては、英国のSF誌の編集長を務め、キース・ロバーツやクリストファー・プリーストらの才能を見出したことでも知られている。その編集者としての活躍は、最近刊行されたマイク・アシュリー『SF雑誌の歴史 黄金期そして革命』でも確認できる。作中人物モルデカイは、作者自身の投影ともいわれている。

 さて、その第1作『チャーリー・モルデカイ1 英国紳士の名画大作戦』(1972)は、英国推理作家協会第1回ジョン・クリーシー記念賞(最優秀処女長編賞)受賞作。原題 Don’t Point That Thing At Me は、従来、「そんなものこっちに向けないで」と仮訳されていた。

 好都合なことに、本シリーズの訳者、三角和代氏自身による「1」「2」のレビューが当サイトに掲載されている。こちらです。

 「1」、「2」の筋も、シリーズの妙味もきっちりレビューされていて、もはや当コーナーの出番はなさそうだが、重複をいとわず、蛇足を少々。  

 チャーリー・モルデカイは、貴族の師弟で、画商。「芸術と金と下ネタと酒が大好物」。女嫌いの好色漢。用心棒兼執事のジョックらに囲まれ、安逸な暮らしをしているが、モルデカイの「事業」に関わって、とんでもない仕事を押し付けられ、大西洋の両側を遍歴する、というのが「1」の大筋。

 前述のマイク・アシュリーは、このシリーズを「P・G・ウッドハウスとエドガー・ウォーレスを合わせたような」と評しているが、誰にでもとっつきやすい、もてなしのいい小説というわけではない。

 真面目顔でふざけたことをいう、という英国的なユーモアに貫かれている上、地口、外国語、古典や名言からの引用などが散りばめられており、それは作者の深い教養の発露でもあるのだが、ともすると読者は置いてきぼりをくいかねない。(例えば、各章にはエピグラムとして大家の詩が掲げられているのだが、「1」の8章、「2」の16章には偽作の詩を掲げ、センテンスの冒頭の文字を辿ると作者の名前が浮き出てくるといる高尚なお遊びも。翻訳でも、それが踏襲されているのはあっぱれ)

 拷問や殺人や性的冒険がにぎにぎしく展開するのだが、一体「何が」現在進行しているのかは、あえて掴ませないような書き方をしているようで、プロットの面でも一筋縄ではいかない。

 作中、度々ウッドハウスの小説に言及し、相棒ジョックを「アンチ天才執事ジーヴス」よばわりしている作者のタッチは、さながら黒いウッドハウス。原題には、銃のほかに性的隠喩が含まれるとおぼしいが、上品で下品な毒を乱射するモデルカイの口も、そんなものこっちに向けないで、といわれる存在かもしれない。

『チャーリー・モルデカイ2 閣下のスパイ教育』(1979)に至って、筋の方はさらにヒートアップ。モデルカイは結婚を強制され、実在のやんごとなき方!の暗殺に狩り出され、雌牛のような女校長のいるスパイ学校に入校させられ、香港に飛ばされ……。

 一人称、不道徳な主人公、風刺的要素、主人公の遍歴といった特徴は、古典的なピカレスク(悪漢)小説の20世紀版を狙った作のようにも思われる。

 ともあれ、「1」「2」を続けて読んで、チャーリー・モルデカイ、このもったいぶった快楽主義者が大いに気に入った。続刊、映画でどんな姿をみせてくれるのか。

『世を騒がす嘘つき男』は、大戦間の英国短編を中心に、純文学・大衆文学の区別なく、モダニズムに関する独自の視点から作品を選定したアンソロジーの第2集。(第1集『自分の同類を愛した男』の紹介は、こちら

 本書には、ミステリ関連では、オルツィ、サキ、チェスタトン、バカン、フリーマン、ウォルポール、セイヤーズ、ミッチェルらの短編を収める。

 ジョン・バカン「フルサークル」は、屋敷怪談の一種といえるだろうが、住人が幸福度を増していくに連れて怖さも増していくという不思議な味わいの作。セイヤーズ「ビターアーモンド−モンタギュー・エッグの物語」は、一風変わった毒殺物。フリーマンのソーンダイク博士物「不思議な宝石箱」は、第1集の「人類学講座」同様、日本人にとても近しい異色作。日本人の国際ギャング団が登場するが、当時それに近い存在があったのだろうか。

 ミスター・モトといえば、ジョン・P・マーカンドの手によるシリーズにおける名高い日本人ヒーローだが、『サンキュー、ミスター・モト』(1937)は、全6長編のうち2番目の作品であり、邦訳はこの本が3冊目。(第1作『ミカドのミスター・モト』(雑誌掲載のみ)、第4作『天皇の密偵』

 1930年代に、ピーター・ローレ主演で計8作の映画がアメリカで公開され人気を博したせいか、007的な日本人諜報員のイメージがあるが、訳者あとがきによれば、本シリーズの主人公は、それぞれ別のアメリカ人青年で、ミスター・モトは主人公ではなく、重要な脇役の位置づけという。

 小説におけるミスター・モトの外見は、ずんぐりとした背の低い男で頬骨高く、細い眼に分厚い眼鏡、金充填の歯。やたらと「申し訳ございません」を連発する。作者の目に映った典型的な日本人像といったところだろう。 

 日本軍が間近に迫り、中国国民党が撤退した、落日の気配が濃い北京が本書の舞台。主人公のトム・ネルソンは、元弁護士のアメリカ人青年で、今は北京で定職もなくブラブラしている一種の高等遊民だ。

 トムは、英国人の元少佐の自宅で馬賊の大物や日本軍が北京を占領しようとしている企みを知らされる。トムの後に元少佐を訪れたアメリカ娘エレノアと遭遇し、なぜか怯えている彼女をホテルまで連れ帰ったが、翌朝、トムは、元少佐が殺害されたことを知らされる。

 描かれた時間は二夜のみ。起伏に富んだ筋や派手なアクションがあるわけではない。が、歴史の転換点にいる者たちの権謀術数の狭間でトムとエレノアは翻弄されることになる。日本の特務機関と関わりがあるらしいミスター・モトは、誰のためにどのような役割を果たすのかも見所だろう。

 本書の魅力は、その命脈が尽きそうになっている北京という、時代と舞台の特異性にあろう。落日の気配は濃厚でも、この街は、奇妙に安定し、平穏だ。北京には、様々な国の人々が優雅に暮らし、住民は激しい変化の中にあっても超然としている。絵巻物のようで、謎めいた都市と民をエキゾチズム豊かに描き出す手腕は、さすがピューリッツァー賞作家。西洋側の色眼鏡を感じる部分もあるものの、東洋の神秘の理解者たろうとする作家の思いを感じさせる。

 世界からはぐれかけた若者の再生のドラマとなっているところもいい。遠い国、歴史の転換点に立ち会った人間たちの二夜の物語に、思わぬ情緒が宿っていた。

 リチャード・S・プラザー『墓地の謎を追え』(1961)は、タフで軟派なロサンゼルスの探偵シェル・スコット物の長編。第一作『消された女』以降数作の翻訳があり、本書と同じ論創社からは、映画界を舞台にした『ハリウッドで二度吊るせ!』が邦訳されている。

 スコットの事務所に若い娘が訪ねてきて、失踪した兄の捜索を依頼される。調査をはじめると兄は麻薬に手を染めていたことや関係者も失踪していることが次第に明らかになる。彼らの失踪の秘密は大規模な墓地にあるようだったが…

 行くさきざきで痛い目にあわされたり、多くのブロンド・ビューティとの出会いとお楽しみは、シリーズのお約束。冒頭の美女の登場シーンは、こんな具合。

 「背が高く、体は引き締まっていながら驚くほどグラマラス、髪は花粉のような黄金色で、その体のラインたるや、死体ですら棺を蹴破って出てきそうだ」

 本書では、中心的な題材として麻薬問題が扱われており、禁断症状の実態など市民社会にはびこる深刻な社会相も窺える。

 後半スコット自身が罠にかかって殺人の容疑者となり、留置されるという展開が待っているが、射殺にまつわるトリックが使用されていたり、解決に向けてほどよく手がかりが埋め込まれているなど、謎解きの面でも快調だ。

 最後は画集で。

 ロバート・マッギニス/アート・スコット『アート・オブ・ロバート・マッギニス』は、伝説のイラストレーター、マッギニスの傑作から秘蔵作品までを収録した本邦初の作品集。

 マッギニスは、リチャード・S・プラザーのシェル・スコット物や、ブレット・ハリディのマイケル・シェーン物、カーター・ブラウン、E・S・ガードナーといったペーパーバックの売れっ子たちに、セクシーな美女のイラストを提供し続けてきた。我が国では、『007シリーズ』や『ティファニーで朝食を』のポスターデザインの仕事で知られる、といったほうが通りがいいかもしれない。

 マッギニスは、60年の間に、1000冊を超える装画を描いてきたという。シリーズ打ち切りになりかけていたカーター・ブラウン作品が、マッギニスの描く美女の絵の採用で、11年にわたり何千万部もの売上げを叩き出したという逸話があるそうだ。

 彼の描く女性は、<マッギニス・ウーマン>といわれるという。それまでのパルプ雑誌スタイルの、作中のシーンを切り取った脅すか脅される女性とは異なり、優雅で知的、肉体的魅力に溢れ、誘うような、挑むような瞳を持ち合わせているのが特徴とのこと。

 同書には、小説の装画が100葉以上、その他の映画ポスター、挿絵や絵画作品も収録。前記『墓地の謎を追え』の原書カバーや、『ポップ1280』のカバーの別バージョンなども掲載されている。オールカラー170頁超で価格(2015/01/21 08:03時点)もお手頃だ。

 活字に飽きたら、精緻で優雅なイラストレーションの美女たちにみとれるのもまた楽し。

ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた)

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 ミステリ読者。北海道在住。

 ツイッターアカウントは @stranglenarita

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