第12回:『さらば愛しき女(ひと)よ』——叙情派ハードボイルドの登場

全国15カ所以上で開催されている翻訳ミステリー読書会。その主だったメンバーのなかでも特にミステリーの知識が浅い2人が、杉江松恋著『読み出したら止まらない! 海外ミステリー マストリード100』をテキストに、イチからミステリーを学びます。

「ああ、フーダニットね。もちろん知ってるよ、ブッダの弟子でしょ。手塚治虫のマンガで読んだもん」(名古屋読書会・加藤篁

「後期クイーン問題? やっぱフレディの死は大きいよね。マジ泣いちゃったなー。We will rock youuuu !!!」(札幌読書会・畠山志津佳

今さら聞けないあんなこと、知ってたつもりのこんなこと。ミステリーの奥深さと魅力を探求する旅にいざ出発!

加藤:杉江松恋著『海外ミステリー マストリード100』をテキストに、翻訳ミステリーとその歴史を学ぶ「必読! ミステリー塾」。今回もどうぞお付き合いください。

 今回取り上げるのはハードボイルドミステリーの巨匠レイモンド・チャンドラー。僕が愛して止まない作家です。

 清水俊二訳では『さらば愛しき女(ひと)よ』村上春樹訳では『さよなら、愛しい人』は1940年の作品。こんなお話です。

 なお、本稿では煩雑さを避けるためタイトルを『さらば愛しき女よ』で統一し、引用文も清水俊二訳としました。

刑務所から出たばかりのマロイは、別れた恋人ヴェルマを探しに訪れた酒場で殺人を犯してしまい逃亡する。偶然現場に居合わせた私立探偵マーロウは、成行きからヴェルマとマロイを探すことに。そんなときに怪しげなボディーガードの仕事が舞い込み、その依頼人や、ヴェルマを知る酒場の元女主人などが殺されて、マーロウは否応なく事件の渦中に巻き込まれてゆく……。

『さらば愛しき女よ』は、チャンドラーの長編のなかでも『長いお別れ/ロング・グッドバイ』と人気を二分する作品。改めて読むと、チャンドラーの魅力と欠点が目一杯詰め込まれた、実に贅沢な話だと思いました。

 レイモンド・チャンドラーは1888年生まれのアメリカの作家。大恐慌で職を失ったのち、生活のために創作を始め、45歳で作家デビュー。すでにハードボイルド探偵ミステリーの大家となっていたハメットを手本とし、パルプマガジン作家としてキャリアを重ね、51歳のときに初の長編『大いなる眠り』を発表。70歳で他界するまでにフィリップ・マーロウを主人公とする7作の長編と未完の1作を遺しました。

『さらば愛しき女よ』はマーロウの一人称で綴られるシリーズ第2作。

 チャンドラーの魅力は何といっても、その端正でキレのある美しい文章と、キャラクター造形です。本作にもマロイやヴェルマといった本筋に深く関わる人物から、気のいい悪徳警官や何故か酒場でマーロウを助けてくれる男といった登場人物一覧に載らないような人物まで、ときに不必要と思われるようなディティールが与えられ、生き生きと語り、動き回ります。

 反対にいつも気になるのが全体の妙なツギハギ感。チャンドラーの長編はどれもそうなのですが、何度読んでも話を細部まで理解できたとは思えないところがあるのですね。余分なものが多くて、この人物にはどんな役割が与えられていて、あのシーンには何の意味があったのかって、あとになると説明ができないことが結構ある。『さらば愛しき女よ』はそれが顕著な気がしました。

 もともとプロット作りが苦手だったチャンドラーは、長編を書くにあたって過去に発表した短編を流用するのが常だったのですが、本作は4つの短編をつなぎ合わせて書かれてたりするのです。そりゃ無理があるってもんですたい、星君。(編集部註:『巨人の星』に登場する左門豊作のつもりか

 だから、チャンドラーに整合性とか美しい論理展開とかを求めるのは間違っていると思うのです。チャンドラーの作品はキラめくような印象的で格好いいシーンの積み重ねで出来ているのですから。全体の流れなんかどうでもいいのです。目の前のシーンが格好良ければ全てが許されるのです。そう決めたのです。

 ところで、以前この「必読! ミステリー塾」で『ガラスの鍵』を取り上げたとき(→こちら)、感情描写を完全に排除したハメットの三人称一視点による文体を「これぞハードボイルドの完成形」と書いたわけですが、チャンドラーは全く逆です。

 自らの心情を吐露する主人公、自分の弱さをさらけ出す等身大のヒーロー、それがフィリップ・マーロウなのです。

 少し長くなりますが、以下に『さらば愛しき女よ』のなかから、「いかにもマーロウ」「いかにもチャンドラー」という3つの文章を抜き出してみました。ご覧ください。

「私は二十分間を安らかに眠っているあいだに、仕事をしくじって、八千ドルの紙幣を失った。とくに不思議なことではない。二十分あれば、軍艦を沈めることもできるし、飛行機の三機や四機は撃墜することもできるし、死刑を二つ行うこともできる。死ぬことも結婚することも、馘になることも、就職することも、歯を抜くことも、扁桃腺を手術することもできる。二十分あれば、朝起きることもできる。ナイト・クラブで水を一杯所望することもできる——いや、これはわからない。」

 物語の序盤、ボディーガードの仕事中に殴られて意識を失い、その20分の間に依頼人を殺され、預かった8000ドルも失ってしまったマーロウの独白。この冗長さのなかに、ふがいない自分への苛立ちと嘲笑、そして自己憐憫が複雑に入り混じっています。なんて分かりづらいんだ。

「邸そのものは、それほどのものではなかった。バッキンガム宮殿よりは小さく、カリフォルニアにしては灰色がかっていて窓の数もクライスラー・ビルディングより少なかった。」

 これはマーロウが初めて大金持ちのグレイル夫人の屋敷を訪れたときの感想。説明するのも無粋だけど、グレイル邸がいかに大きいかを逆説的に説明しているわけです。加藤家が名古屋城より小さく、愛知県庁舎より窓が少ないというのと同じですね(いや違うか)。マーロウのシニカルさ、一筋縄ではいかない偏屈さを表したかったのでしょうね。

「私は酒が必要だった。多額の生命保険が必要だった。休暇が必要だった。田舎の別荘が必要だった。しかし、私にあるものは、上着と帽子とピストルだけだった。私はその三つをからだにつけて、部屋を出た。」

 これは物語の終盤、マーロウが意を決して街の裏の顔役が経営する賭博船に乗り込む直前のシーン。ビビりまくっている自分を鼓舞しつつ、そんな自分にちょっと酔っているという感じでしょうか。

 このようにマーロウは実に自分の心情を、それもかなりセンシティブな部分を読者に伝えてくるのです。近寄り難いくらい超然としていて、何を考えているのかが一切書かれることのなかった『マルタの鷹』のスペードや『ガラスの鍵』のボーモントとはエラい違いですね。

 さて、畠山さんはチャンドラーをどう読んだのかな? あまり聞きたくはないんだけど……。

畠山:驚いた。加藤篁が真面目である。時折自らの本分に立ち返ろうとふざけてみるもののマジで語りたくってしょうがないのがありありと伝わってくる。私の駄文を読む前にまずは初心者のためのレイモンド・チャンドラー入門を読め。未読は私が許さ……(霜月蒼風の限界)

 思い出していただきたい。本連載のダシール・ハメットの回を。お得意のジャンルですっかりはしゃいだ加藤氏は「コメットじゃなくてハメット」という実にわかりづらいギャグまで放って私達を翻弄しました。今回、彼の最も愛するチャンドラーともなれば、間違いなく成層圏まで舞い上がり、ほとんど“使徒カトチャンドラー襲来”くらいのインパクトでトンデモギャグ光線を放ってくるに違いない……と私はおののいていたのです。

 それがどうでしょう。もうギャグを言うのりしろもないほどのチャンドラー愛。なんとか自分を抑えようとしても行間から溢れ出てしまう情熱。「いいから座れ。黙って読め。酔え、酔いまくれ。そして痺れろ。このカッコよさがわからんとは貴様に漢(おとこ)の資格はない」とでも言わんばかりの熱気。

……ごめん、ちょっと暑苦しいわ……。

「初心者のためのレイモンド・チャンドラー入門」の中で「本当は拳銃を押し付けてでも読ませたい」という一文を読んだ時、私はハッとしたのです。「ひょっとしてアタシ、15年くらい拳銃つきつけられてた?」……いやまぁ、なんとなくそんな雰囲気は感じていたんですが(テヘッ)。でもモチベーションが上がる時ってちゃんと巡ってくるんですね。昨年の「ロング・グッドバイ」ドラマ化ですよ。浅野=マーロウに綾野=テリー・レノックスとあらば、萌えないわけにはいかないじゃない! というわけでようやく重い腰を上げて『長いお別れ』を読んだのです。未読でも知っている数々のフレーズ(「優しくなければ〜」なんかは有名ですよね)から、フィリップ・マーロウには “気取り屋”というイメージを持っていたのですが、意外にも行き当たりばったりでわりとヌケてる探偵だったのが面白かった。うっすら加藤さんの「ソコジャナイ」という憤怒の声と撃鉄を起こす音が聞こえた気がしたけど。

 ラストで真相が全部判った時は思わず「へぇぇ」とニヤつきましたよ。堪能しました。

 そして今回の『さらば愛しき女よ』です。まずは今まで多くの人が親しんだ清水俊二訳を手に取りました。

 冒頭、大鹿マロイが、酒場で用心棒たちを部屋の隅までぶっ飛ばして大暴れするシーンが漫画チックなほど豪快で「世紀末覇者かよ!」とツッコミそうになったんだけど、即座に撃鉄の音が聞こえたので、お口ミッフィーちゃんにして粛々と読み進める。(でもマロイは北斗の拳というよりはシティーハンターの海坊主な感じかも!?)

 そして随所で「この人には助手か秘書が必要だ」と思わせるマーロウのスットコ探偵ぶりにクラッときてもいちいち騒がない、間違っても笑わない。笑おうものなら途端に私の脳漿が飛び散るのだから。熱血ハードボイルダーの友人は厄介です。

 さてこの作品、フィリップ・マーロウの魅力は言わずもがなですが、私はどうしてもヴェルマの生き方に思いを馳せずにはいられない。ところがヴェルマについては何を語ってもネタバレに近づいてしまうのが辛いところ。読み終えた方に彼女の生き方をどう思うかお聞きしてみたいものです。好き嫌いがハッキリしそうな予感がするのですが……。

 また、ヴェルマが昔働いていた店の経営者の妻ジェシー・フロリアンも強烈な印象でした。夫に死なれ、ゴミ屋敷のような家で一日中酒を浴びている汚らしい女。かつては美しさを誇った時期もあったのかもしれない彼女がなぜこうなってしまったのか、酒に濁った脳裏によぎるものはなんだったのか。

 隣人ウォッチャーのモリスン夫人やグレイル夫人の影の薄い夫にしてもそう。大きく話に関わる人物ではなくてもとても気になるのです。それはマーロウがその残念さや俗っぽさを許容し、逆に彼らに対して蔑みや憐れみを抱く自分に一抹の恥ずかしさをおぼえているようなところがあるからなのかもしれません。

 ハードボイルド成分の乏しい私でも、荒っぽい時代にナイーブさを抱えて生きるマーロウにはちょっとくすぐられるところがあります。

 なんだかんだで『大いなる眠り』『長いお別れ』『さらば愛しき女よ』『高い窓』と読み進めました。長編コンプリートも近い。というわけで、加藤さん、そろそろ拳銃を下ろしてくれませんか? 実際、マーロウはあまり銃に頼らないし、本作では「今だ!」という時にもたついてしまうというご愛嬌まであり。意外にもドンパチとは縁遠いようですもんね。

加藤:あの畠山さんがチャンドラー長編コンプリート目前ですと!? これまで押しても引いてもガンとして読まなかったのに。選り好みはいけないという読書会の世話人としての自覚が芽生えたのだろうか。何にしても、えらいぞ畠山。今後もその調子で励むがよい。

 さてさて、畠山さんをいじって遊びたいのは山々なれど、今回はいつもより話が長くなってしまったので急いで話を進めます。

 前述の通り、チャンドラーの魅力の一つは人物造形であり、なかでも主人公である私立探偵フィリップ・マーロウの恰好良さだと思うのです。

 特別な能力があるわけではなく、ただ愚直に依頼人と仕事に向き合う男。ボコボコにされた後、一人になってから「よっしゃ、今日はこれぐらいにしといたるわ」とうそぶく男(<実際は言わないけど)。それがマーロウなのです。

 自分が昔かくあれかしと思った男の姿がそこにある。相手が誰であろうと納得のいかない命令には従わず、どれだけ金を積まれてもなびくことなく、困っている者を助けずにはいられない。

 ハードボイルド探偵というには、あまりに真面目でお人好しなマーロウのような生き方を「馬鹿だ」と切り捨てる人もいるでしょう。でも僕みたいに、再読するたびに襟を正して今の自分を省みてしまう人も多いと思うのです。

 まあ、なかなかマーロウのようには生きられないのですけどね。

 そして最後に翻訳について。世界中の僕をあっと言わせた2007年の『ロング・グッドバイ』から始まった村上春樹さんによるチャンドラーの新訳ですが、すでに長編7作中5作が発表されており、近いうちに全作品が揃うことになりそうです。これは本当に嬉しい限り。そして、さらに特筆すべきは、版元の早川書房が旧訳の清水俊二訳を今も全て流通させているということです。これって凄いことだと思いません?

 僕らの年代のファンにとっては、誰が何と言おうとチャンドラーといえば清水さんです。チャンドラーが日本でこれだけの人気を獲得できたのは清水さんのキレのある訳文によるところが大きいのは間違いありません。

 これまで散々書いてきたように、(分かりにくいとはいえ)一人称叙述で自分の感情をダダ漏らしする孤独な私立探偵の物語が、必要以上にウェットに感じないのも清水さんのお蔭ではないでしょうか。

 それでも、これからチャンドラーを読もうという若い方には、僕は村上春樹訳を勧めています。なんだかんだ言ってもアップデート版なのですから。

 例を挙げると、本作で村上春樹さんの新訳によって大きく変わったものの一つがマロイの呼称。清水訳では「大鹿マロイ」だったのが、村上訳では「へら鹿マロイ」となりました。原文は” Moose Malloy”です。

 大鹿というと、体はデカいけど優しい目をしたちょっと臆病な動物を連想しませんか? でも、チャンドラーの意図はそうではなかったと思うのです。まあ、清水さんの時代に「へら鹿」ってやっても誰もピンと来なかっただろうとは思いますが。

 このように清水訳と村上訳という優れた2種類の訳文を選んで読めるなんて、僕らは何と幸せなのでしょう。しみじみ、ありがとう早川書房さん。

 そんなこんなで、語りたいことを語ってきましたが、チャンドラーを未読の方に「加藤がそこまで言うのならいっちょ読んでみるか」と思っていただけたなら、これに勝る喜びはありません。ここに幸あり青い空。ご静聴ご静読ありがとうございました。

 昨年5月の名古屋読書会で失いかけてた自信を取り戻せたよ!

 やっぱりチャンドラーは面白い!

畠山:母さん、あのチャンドラリアン、どこに行ったんでせうね。ええ、好きなだけ語って勝手に終了して、夕陽の向こうに駆けて行ったあのチャンドラリアンですよ。母さん、あれは筋金入りのチャンドラリアンでしたよ……。(西条八十『帽子』風)

 翻訳の話題がでました。この原稿は、村上春樹訳の『さよなら、愛しい人』を読みながら書いています。私は新訳と旧訳、どちらを読んだらいいかをお勧めできる分際ではありませんが、願わくば両方読んでいただきたい。

 ぶっちゃけ、清水訳は草加煎餅のような噛みごたえで、とにかく顎力全開でバリバリ噛み砕くような読書体験。この読後の達成感といったらもう!(笑)

 その後で村上訳を読むと、それはもうぬれ煎餅の如き優しさですよ。マーロウとインディアンの掛け合いなんかは実にいい軽妙さが出ていて、大好きなシーンです。しっとりとした歯ざわり、コクのある醤油の味と香り。クセになりそう、ぬれ煎餅……と思ってもしばらくするとまた草加煎餅が食べたくなるんです。ん〜〜乙女心を揺らす匠の技。

 ところで新訳のタイトルが『さよなら、愛しい人』であると聞いた時、当時未読の私ですら「それでいいの?」と思ったのを憶えています。『さらば愛しき女よ』に馴染んだオールドファンは黙っちゃいないだろうと。でも本を読んでみると新訳のタイトルは「誰が」「誰に」別れを告げているのかいろいろ解釈の余地がありそうで、これはこれでアリではないかと思うようになりました。何につけ本というのは読んでみないとわからないものです。

 あ、そうそう、ひょんなことから私は加藤さんの芸風の源を見出しましたよ。

『高い窓』でマーロウはとある女性からこう言われてるんです。

「去年の古臭いギャグととってつけたような薄笑いの口のへらない私立探偵」

 ひっくり返って笑っちゃった。

■勧進元・杉江松恋からひとこと

 加藤さんがたくさんしゃべってくださったので、こちらからあまり付け加えることもないのですが少しだけ。

 キャラクターは作者とともに成長するものです。フィリップ・マーロウの場合は特にそれが顕著で、長篇第一作の『大いなる眠り』と代表作とされる『長いお別れ』のころでは印象がまったく違う。それはそのはずで、前者は1939年、後者は1953年の作品です。しかも『長いお別れ』を発表する前のチャンドラーは、ハリウッドに行って映画業界でさんざんな目に遭ってきていた。人生経験を積んでいるわけです。そうした作者の心境の変化が、マーロウという主人公像にも反映されないわけはないでしょう。シリーズを通読すれば、その変遷も楽しめるはずです。

『さらば愛しき女よ』は長篇第二作ですのでまだまだ元気なマーロウです。動きもあり、犯罪小説としてのおもしろさも抜群だと思うのですが、いかがでしょうか。

 翻訳の話をすると、私は『湖中の女』や『高い窓』の田中小実昌訳も好きでした。ハヤカワ・ミステリから文庫に入った際に清水訳に統一されてしまったのですが、機会があればこちらも試してみていただければ、と思います。前期マーロウの元気の良さには、田中訳もいい気がするんだよな。

 さて、次回はウィリアム・アイリッシュ『暁の死線』ですね。こちらも楽しみにしています。

加藤 篁(かとう たかむら)

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愛知県豊橋市在住、ハードボイルドと歴史小説を愛する会社員。手筒花火がライフワークで、近頃ランニングにハマり読書時間は減る一方。津軽海峡を越えたことはまだない。 twitterアカウントは @tkmr_kato

畠山志津佳(はたけやま しづか)

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札幌読書会の世話人。生まれも育ちも北海道。経験した最低気温は-27℃(くらい)。D・フランシス愛はもはや信仰に近く、漢字2文字で萌えられるのが特技(!?) twitterアカウントは @shizuka_lat43N

どういう関係?

15年ほど前に読書系インターネット掲示板で知り合って以来の腐れ縁。名古屋読書会に参加するようになった加藤が畠山に札幌読書会の立ち上げをもちかけた。畠山はフランシスの競馬シリーズ、加藤はハメットやチャンドラーと、嗜好が似ているようで実はイマイチ噛み合わないことは二人とも薄々気付いている。

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