みなさん、こんにちは。関東はまだ梅雨入りまえなのに、やけに暑いですね。わたしはすでに二度ほど熱中症らしき症状に見舞われています。真夏になったらどうなるんだろう。とにかくこまめに水分補給をしなくては。

■5月×日

 久々にサラ・パレツキーのV・I・ウォーショースキー・シリーズを読んだ。『セプテンバー・ラプソディ』はシリーズ十六作目、ヴィクも五十歳になるんですね。

 友人ロティからの依頼で、彼女の知り合いの娘であるヤク中のジュディの行方を追っていたヴィクは、ジュディが滞在していたと思われる農家の近くで男性の遺体を発見する。最先端企業で働くジュディの息子マーティンも姿を消しており、やがてマーティンの曾祖母にあたる人物が残したあるものが、件の企業のお家騒動を引き起こすことに。

 ヴィク、あいかわらず誠実でたよりになるわ。自己管理能力が高いから、ボディラインや体力もちゃんとキープしてそうだし。

 高齢のロティやミスタ・コントレーラス(もう九十歳近いんだって)も元気そうでよかった〜。マリ・ライアスン! ペピー! なんかいろいろなつかしい。すみません、しばらく読んでいなかったもので。でも、ご無沙汰していたのがうそのようにすっと物語世界にはいれるということは、それだけシリーズキャラクターの個性がブレていないということだろう。

 事件のほうは相変わらず大企業が関わってくるビジネスがらみの内容だけど、今回は第二次大戦中の出来事が大いに関係してくるので、歴史ものとしても読ませる。ユダヤ人のロティの子供時代が明らかになるのも興味深い。シビアな時代だからこそのドラマチックな展開に胸を打たれた。

 物理学も大切な要素だが、文系人間でもわかるように、それなりにかみくだいて書かれているので、登場人物の研究分野にすごく引き込まれた。そして、その人物がひとりの母親だったことによる悲劇。彼女の数奇な運命と、その家族たちの不器用な生き方が印象的。「母たる者が家事全般と自分の情熱のあいだでバランスをとるのは、ピンの先端に片方の爪先で立つよりもむずかしい」という文章にすごく実感がこもっている。壮大な物語で読み応えアリ。

 大矢博子さんの今年1月度の「金の女子ミス」に選ばれた本書。大矢さん、かぶっちゃってすみません!

■5月×日

 ヴィクは五十歳になったのに、ケイ・スカーペッタはまだ四十七歳。ん? なんか計算合わなくない? と読むたびに思うパトリシア・コーンウェルの検屍官シリーズ。最新刊はシリーズ第二十一弾『儀式(上下)』だ。

 5月24日、お手伝いをさせてもらっている翻訳ミステリーお料理の会主催・第4回調理実習があった。翻訳ミステリーに出てくる料理を作って食べてお話しましょう、という会で、この日のテーマはコーンウェル『検屍官』のピッツアと『真犯人』のワイルドライスのサラダ。そのときのもようはコチラ→第4回調理実習レポートを見てね。若林踏さん、その節はお世話になりました。

 で、検屍官シリーズ。最初のころは読んでいたけど、今は……という人がけっこういた。でもこんなに長くつづいているシリーズで、翻訳もずーっと出ているというのは、ダイアン・デヴィッドソンのクッキング・ママ・シリーズ同様やっぱりすごい。

 まあ、たしかにね。シリーズ途中でかなり大きな軌道修正があったり、ルーシーやマリーノなどのサブキャラが暴走したり、肝心の検屍シーンが以前に比べると少なくなってたりしますよ。でも、ゆるぎないのは「ケイ・スカーペッタ」が才色兼備であること。男たちは老いも若きも彼女のまえにひれ伏し、女たちは羨望と嫉妬の炎を燃やす。さらにどんなに忙しくても料理をし、冷蔵庫にはつねにラザニアやミネストローネの作り置きがある女子力の高さ。職場でも現場でも家庭でも「女帝」。そんな彼女のライフスタイルを楽しむために読むシリーズなのではないかと。若返り上等。美は正義。しかもケイが関わる男性はイケメンばかりのイケメン祭り。「わたしは美しい」と錯覚しながら、逆ハーレムを楽しむ感覚で読んでみてはいかがだろうか。

 肝心の今回のお話はというと、マサチューセッツ工科大学のキャンパスで、キラキラの粉をまぶされた変死体が発見される。死体に施された「儀式」がワシントンDCの連続殺人事件と似ていたことから、同一犯の犯行と思われた。被害者はケイの姪ルーシーの知り合いで、ITのエキスパート。謎めいた儀式にはどんな意味が?

 あいかわらずケイの心の声は暗いけど、事件そのものはかなりおもしろくて「おおっ!」と思った。とくに下巻にはいって、犯人像が見えてきてからがすごい。そしてラストはまさかのほのぼのシーンで大団円。でも次回にはまた人間関係がこじれているんだろうなあ。

■5月×日

 リュドミラ・ウリツカヤの『女が嘘をつくとき』は、嘘をつけない教養のある女性ジェーニャの、嘘をつくさまざまな女たちとの関わりを、長い年月にわたって描いた連作短編集。収録作品は「ディアナ」「ユーラ兄さん」「筋書きの終わり」「自然現象」「幸せなケース」「生きる術」。

 派手な婦人アイリーンの、波瀾万丈の人生を演出する嘘(「ディアナ」)、いかにも嘘っぽい話は本当で、本当っぽい話は嘘という少女ナージャの不思議な嘘(「ユーラ兄さん」)、お粗末な現実をみんな同じお粗末な嘘で飾る娼婦たち(「幸せなケース」)。印象的な嘘、ドラマチックな嘘、生きるために必死でつく嘘。さまざまな嘘に翻弄され、あきれながらも、なぜか嘘をつく人びとを憎めないジェーニャ。

 なんかいいなあ。女性と嘘の、付かず離れずの関係。相手のためを思ってつくやさしい嘘とか、振り向いてもらうためにつくかわいい嘘とか。でもまあ、世の中の嘘はそんないじらしい嘘ばかりではないわけで……

「嘘をつけない人」ジェーニャを中心に据え、そのジェーニャに夫との別居、離婚、再婚、不倫、子育て、仕事、そして自身の危機といったさまざまな人生経験を積ませ、彼女をフィルターとして「嘘をつく女たち」を描いているのが実にうまい。物語性も豊かで、どこまでが現実でどこからが嘘(妄想)かを見極めるのも楽しく、ロシアの社会情勢(七〇年代〜九〇年代?)によって変化する生活の様子も興味深い。どの短編もとてもおもしろかったが、起承転結がはっきりしている「幸せなケース」がいちばん好き。ジェーニャ自身に大きな転機が訪れる「生きる術」も衝撃的でドラマチックだ。

「序」を読んだだけで、対象への深い愛が感じられることばの選び方や微妙な言い回しに魅了された。ちょっととぼけた風味のなかに、女性的なかわいらしさやひたむきさが感じられて好き。訳者あとがきによると、著者は「今やロシアのリベラルな市民の良心」「精神的支柱」だとか。とても庶民的なのに内省的で、潔くもユーモラス。不思議な魅力あふれる短編集。

■5月×日

 ヨルン・リーエル・ホルストの『猟犬』は、ガラスの鍵賞、マルティン・ベック賞、ゴールデン・リボルバー賞の三冠に輝いたノルウェーの警察小説。執筆当時、著者は現役警察官で、本書はシリーズ八作目。

 地方都市ラルヴィクの警察署のベテラン捜査官、ヴィリアム・ヴィスティングは、新聞記者をしている娘のリーネから、十七年まえの誘拐殺人事件「セシリア事件」の証拠は警察による捏造だとして、当時の責任者ヴィスティングを告発するスクープ記事が翌日の新聞に載ることを知らされる。すでに刑期を務めて仮釈放中の容疑者リュードルフ・ハーグルンは無罪だったのか、それとも……

 証拠を捏造した人物は警察内にいるはずだとにらんだヴィスティングは、停職処分を受けたにもかかわらず、「猟犬」のように静かに執拗に真相を追い求める。おりしもリーネが取材していた別の事件とセシリア事件との関わりが明らかになり、父娘は協力し合いながらそれぞれのやり方で事件を追う。

 五十代の硬派なベテラン刑事の父ヴィスティングと、二十八歳の新聞記者のいまどき娘リーネ。刑事と新聞記者、両方の視点がはいっているところは、ノルウェーの横山秀夫か。といっても、リーネは警察番の記者ってわけじゃないけどね。こういう場合、お互い反発して仲悪くなりそうなのに、父娘がそれぞれの立場や仕事をきちんと認め、信頼し合い、協力して事件に取り組んでいるところにすごく好感が持てるし、何よりストレスなく読めるのがいい。まあ、愛し合っているのに反発し合ってばかりの家族というのも、そのもどかしさがまた楽しいんだけどね。でもそういうのばっかり読んでると、だんだんストレスになってくるわけで。

 ちなみにヴィスティングの父は医者で、三世代みんな職業がちがうのだが、それぞれにリスペクトし合っている。必要以上に干渉せず、子供に対してもいつまでも子供扱いしない、大人な家族なのだ。ヴィスティングの恋人のスサンネを含め、家族間のやりとりが自然で、多くを語らずとも関係性がよくわかるのがうまい。冷静でたよりになるヴィスティングのキャラもすてき。地味だけど堅実な警察小説&家族小説。

上條ひろみ(かみじょう ひろみ)

英米文学翻訳者。おもな訳書にフルーク〈お菓子探偵ハンナ〉シリーズ、マキナニー〈朝食のおいしいB&B〉シリーズなど。最新訳書はフルーク『シナモンロールは追跡する』。ロマンス翻訳ではなぜかハイランダー担。趣味は読書とお菓子作りと宝塚観劇。

■お気楽読書日記・バックナンバーはこちら