クリスチアナ・ブランドの本邦初訳作登場。心ときめくではないか。昨年紹介された『領主館の花嫁たち』(1982 http://wordpress.local/1392764361) は、ミステリごころ豊かな作品ではあったものの、ゴシック小説の色合いが濃厚だった。しかし、今回は、本格ミステリらしい。しかも、ブランドらしい騙りと推理たっぷりの。

 レギュラー探偵コックリル警部物ではないが、ゴシックサスペンス色が強い異色作『猫とねずみ』で主役を張ったチャッキー警部が再登場とくれば、その点でも興味を惹かれる。

 クリスチアナ・ブランド『薔薇の輪』(1977)の冒頭は、こんな感じ。

 ロンドンの美人俳優エステラの絶大な人気は、体が不自由でウェールズの片田舎で暮らす娘ドロレスとの交流を綴った新聞連載に支えられていた。充実した女優生活を送っていた彼女のところに、悪い知らせが舞い込む。エステラの夫で服役中だったシカゴの大物ギャング、ビルが出所し、娘ドロレスに会いにくるというのだ。ビルと用心棒のエルクがドロレスの住む村に押しかけたところで、怪事件が勃発する。

 いかにもブランドらしい作品が、まだ眠っていたのかという嬉しい驚き。

 事件の関係者は、ごく少数。にもかかわらず、二つの死をめぐって曲折に満ちた、謎解きが展開する。謎をめぐるディスカッションや多重解決がブランドの本格物の大きな魅力になっているが、本書でも登場人物らによる仮説が提示され、否定され、さらに別の仮説が提示されるという行程が繰り返される。それも、提示される仮説は、月並みなものではない。普通のミステリなら、これが真相でもおかしくないというような、大胆な仮説が繰り出され、さらにエスカレートしていくのだ。

 ブランド作品においては、推理のエスカレーションそのものが主役といってもいい。仮説と否定の繰り返しにより、見知らぬ部屋の扉が次々と開いていくような感覚。真の結末への興味がいや増しに増していくようなグルーヴ感。それを可能にしているのはもちろん精緻な仕込みの技術なのだが、目的のためには手段を選ばないとでもいうような凄みがブランド作品にはある。驚き(の推理)のためなら、人間の心理などいくらでも書き換え可能である、と作者は思っているフシがある。

 その徹底性、容赦なさが、ときに通常の人間心理とかけ離れた怪物を生み出したり、不安や恐怖の領域に及ぶことがあるのもブランド特有の凄味なのである。推理のエスカレーションによって、よって立つ現実が揺らいでいくような感覚は、本書の終盤のチャッキー警部の推理における、一種の決定不能にも表れている。

 本書には、特有の面白さもある。容疑者は限られているのだが、すべてエステラの近親者で、俳優経験者が多いということもあり、彼らの連帯感や、嘘、偽り、演技が、真相を深く包み隠している。チャッキー警部vs 容疑者グループという構図のゲームにもなっているのである。仮説−否定の繰り返しが、警部の推理による攻撃とチームプレイによる絶妙な防御に対応し、白熱の頭脳戦を見守るような趣がある。

「この一件は、積み木の山を崩さないようにそっと一本ずつ抜きとっていくゲームのようなものだった」と警部が述懐するのも肯ける。それだけに、真相解明のために打った警部の奇手は、ウェールズの自然を背景に絵画的な美しさも持ちあわせた、余韻の残るものになった。

『猫とねずみ』の読者には、あのヒロインの女性記者の後年の姿を見出して、感慨にふけるという楽しみもあるだろう。

 ラング・ルイス『友だち殺し』(1942)は、作者の処女作。このアメリカの女性作家、知名度があるとはいえないが、同じ論創社から一作だけ紹介されている『死のバースデイ』(1945)は、サスペンス色もあり、巧みなプロットが用いられた本格ミステリの秀作だった。

 本書は、大学を舞台にしたウェルメイドな本格ミステリ。

 二年前までは学生だったケイトは、医学部の学部長の秘書として大学に戻る。前任で学生たちと浮名を流していた女秘書が書置きを残し失踪したため、その後任として雇われたのだ。かつての恋人で医学部生のジョニーに構内を案内されていたとき、解剖用死体保管室に新たな死体が運びこまれるが、ジョニーは顔面蒼白となる。その死体は失踪した秘書だった……

 かなりショッキングな導入部だ。周辺地域では女性連続殺人事件が勃発しており、秘書の死との関連も疑われる。小説の半分は、図らずも事件に巻き込まれていくケイトの視点から描かれ、何者かに狙われるサスペンス色やロマンスの興味もある。

 舞台は、作者が学んだ名門・南カリフォルニア大学をモデルにしているらしく、知的な学生や教授らがいきいきとした筆致で描かれている。「同じ白衣を着ていても、医学部の学生と歯学部の学生はすぐに見分けがつく。医学部の学生は目のまわりに隈ができているから」などという卓見(?)も出てくる。

『死のバースデイ』にも登場したタック警部補は、本書のもう一人の視点人物。人間味に富んだ人物で、女刑事とのやりとりも笑わせるが、想像力と地道な捜査でねばり強く真相に迫る。連続殺人の扱いには不満もあるものの、多くの「なぜ」を満たす唯一の解決に至ったとみせかけ、さらに一段深いところに置かれた真相は、作中で活写された人間関係と緊密に結びついていて出色だ。

『仮面の佳人』(1920) は、『快傑ゾロ』『地下鉄サム』などで知られるアメリカの作家、ジョンストン・マッカレーのスリラー長編。

 主人公は、仮面をつけた、うら若き女盗賊、マダム・マッドキャップ。ニューヨークの悪漢どもを手下に、謎めいた犯罪を次々に実行していくが、その秘められた意図は?というのが大筋だが、先月のエドガー・ウォーレス『真紅の輪』などと比べると、プロットの行き当たりばったり感や構図の古めかしさは否めない。そのぶん、人類学に飽きて大真面目に犯罪界に飛び込む教授のキャラクターや、アパートに刑務所そっくりの独房をつくるといった道具立ての突飛さなど、一種「抜け」た部分が、この時代のアメリカ産らしい大らかな味わいになっているとはいえるかもしれない。

 ほかに、電子書籍で、アーサー・B・リーヴ『無音の弾丸』ミニヨン・エバハート『スーザン・デアの事件簿』といった注目作が出ているが、次回ということでお赦しを。

ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた)

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 ミステリ読者。北海道在住。

 ツイッターアカウントは @stranglenarita

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