今年は独りでクリスマス? では、『キャロル』をどうぞ。

 クリスマス商戦のさなか、デパートのおもちゃ売り場でアルバイトをする19歳の女性テレーズは、美しい人妻と出会う。彼女の名はキャロル。

 パトリシア・ハイスミス『キャロル』(1951)については、訳者の柿沼瑛子さんが既に詳しく紹介してくださっている。(「訳者自身による新刊紹介」)

 とにかく出会いのシーンが鮮烈だ。売り場に現れた、すらりとした背の高いブロンドの女性。「瞳はほとんど透明といってもいいほどの薄いグレーだが、それでいて光や炎のように強烈な印象を与える」

 デイヴィッド・グーディスやジム・トンプスンの小説の主人公たちが一瞬にして恋に落ちてしまうように、テレーズはキャロルの瞳にとらわれる。そこには、恋する主体がやさぐれた男と、まだ何者でもない小娘という違いがあるだけだ。実際、女が女を愛するという部分を抜きにしてみると、本書は、「おくめんもないほど素直な恋愛小説」(訳者あとがき)なのだ。

 ただ、特徴的なのは、主人公テレーズが、内気で孤独な娘ゆえ、彼女の行動には、未成熟の娘らしい純度、不安定、身勝手さ、偏狭さがあり、感情の振幅も大きい。キャロルはテレーズのことを「わたしのかわいいみなし子さん」と呼び、「あなたはどんなものに対しても自分のとらえ方をあてはめようする」という。テレーズの性向は、大人の女であるキャロルと対照的だ。

 クリスマス風俗を交えて綴られるテレーズの日常、キャロルの家庭の事情が明らかになっていく第一部、キャロルに誘われアメリカ横断の自動車旅行に出るロードムービー的な第二部を通じて、テレーズは恋愛の歓喜と不安、嫉妬の感情を行き来する。第二部では、二人を追う存在が現れ、己と愛する者をいかに守るかというサスペンスの要素も盛り込まれている。愛が満たされる歓喜とともに、テレーズが世界中を敵にまわしたような感覚に身を浸されるところは、ハイスミス的。

 旅先の図書館でのいささか不可解なテレーズの心変わり(それは成長とも呼べるものだ)を経て、再会をするシーン。二人の立場は微妙に逆転している。キャロルの瞳には「切なげなもの」が浮かんでいる。しかし、気まぐれで誇り高いキャロル像が崩れないのがいい。ここに至って、本書は文字どおりキャロルの小説でもあることが明らかになる。

 幕切れは多くの読者の共感を読んだという。出会いの鮮烈さと同様、映像が浮かぶようなラストシーンだが、結末に共感しつつも、人妻とみなし子が、二人の女になったという変化もまた読者は受け入れるべきなのだろう。

 ジョルジュ・シェルバネンコ『虐殺の少年たち』 (1968)は、イタリアのミステリ界の重鎮によるドゥーカ・ランべルティ物第三作。元医師ドゥーカを主人公にした第一作『傷ついた女神』で冷え冷えとした情感を漂わせながら社会悪を追及した作者の境地はさらに深まっている。

 夜間定時制校の教室で若い女教師が強姦暴行され死に至る。警察は、13歳から20歳の生徒11人による犯行と断定し逮捕する、という衝撃的なオープニング。

 今は警察官になっているドゥーカは、教室を検分しながらも、怒りと絶望でタバコを吸う手がとまらない。生徒たちの尋問を進めるが、いずれも自分は関わっていないと繰り返すのみ。生徒の大部分は鑑別所送りの経験があるか、父親はアル中、母親は売春といった境遇にある。

 作者は、この捜査官が葛藤せざるを得ない状況を描きだすのが巧みだ。既に冒頭で、ドゥーカは、妹の娘が高熱に苦しんでいるという個人的事情を抱え、さらに、明朝には全員予審判事に引き渡すという条件を付けられている。全編にわたり、こうした様々な制約の中で、ドゥーカは苦しみながら、真実をたぐりよせようと苦悩する。

 細い糸をたどるような捜査を続けるうちに、少年たちの行動の背後にある強烈な悪意が浮かんでくるストーリーに加え、少年たちの置かれた劣悪な環境、同性愛者への蔑視、精神医療制度の問題、麻薬など現代世界にも通じる当時のイタリアの病巣も露になってくる。

 一方で、鑑別所に収監されている少年がドゥーカのもとで暮らすくだりには、一条の光がみえる。

 リアルな人物群像、巧みなストーリーテリング、社会悪の凝視と途切れることのない緊張感で事件の顛末を描き切った一級品。

『中国銅鑼の謎』(1935)は、『完全殺人事件』などで知られる英国のクリストファー・ブッシュによる本格ミステリ。論創社では、『失われた時間』(毎夜叫び声が上がる家という特異な設定と鮮やかな謎解きが結びついた秀作ですぞ)に続く二冊目の邦訳となる。

 食事を知らせる中国銅鑼の音が鳴り響いた瞬間、屋敷の主人が射殺される。近くにいたのは遺産相続人である四人の甥と、執事、弁護士。

 というゴリゴリの本格物でありながら、冒頭は、不況にあえぐ複数の甥たちの殺意が暗示されるというように半倒叙風の趣もある。アリバイ物を得意とするブッシュだが、本書では別な趣向で勝負しているわけだ。

 探偵役は、他のブッシュ作品と同様に、ルドヴィク・トラヴァーズ。変人が多い探偵たちの中では、穏やかで人好きがする屈指の好人物だが、今回は、手がかりが多すぎる事件に、きりきり舞いさせられることになる。

 実際、失われた凶器を探して近くの池の水を抜くと三丁もの銃が発見される始末。捜査が進めば進むほど、混乱に拍車がかかっていくという具合なのだ。手がかりが出現するたびに、読者がおぼろに推理することが直ちに検討の俎上に載せられるなど、真摯でフェアな謎のつくり手としてのブッシュの良さは本書でも健在。

 ただ、状況が錯綜しすぎる割には謎解きはシンプルで、用いられたトリックも面白いものではあるけれど、前半の仕掛けや多すぎる手がかりが、迷彩のための迷彩の感があって、その点は高い評価にはつながらない。

 エラリー・クイーン『摩天楼のクローズドサークル』(1968)は、『チェスプレイヤーの密室』に続く、「エラリー・クイーン外典コレクション」の第二弾。代作者は、我が国では『クランシー・ロス無頼控』などの短編で知られる職人作家リチャード・デミング。ニューヨーク市警のティム・コリガンと私立探偵チャック・ベアを主人公にしたシリーズの第六作(最終作)に当たる。二人は、朝鮮戦争に従軍した戦友同士。コリガン警部は戦争で左目を失っており、眼帯をしている。互いに軽口をたたきながら、捜査で協力するバディ物の雰囲気が、全体に気楽な調子を与えている。

 本書で抜群なのは、1965年現実に起きた「ニューヨーク大停電」を設定に用いていることで、ニューヨークの高層ビルの会計事務所で発生した殺人事件の捜査が大停電後の暗闇で行われる。コリガンとベアは、階段を歩いて事件現場の21階まで登らなければならず、ランタンや蝋燭を頼りに、オフィスに残された容疑者たちを尋問しなければならない。いわば、大都会の中の「嵐の山荘」ものなのだ。

 コリガンの尋問で、複数のオフィスの男女関係はもつれにもつれていることが判明するが、犯人に結びつく決定打は出ない。特異な状況の中で、コリガン警部もチャックも、美女ぞろいの被疑者と、いい感じになってしまうのは、ペイパーバック・オリジナルらしくてご愛敬だが、オフィス泊の真っただ中で、第二の事件が発生する。

 ベアがパンチを繰り出す捜査もあるが、全般的には設定を生かしたつくり込まれた本格物で、手がかりはきちんと提示され、解決はちょっとした盲点をつくもの。ただし、犯人側の工夫がいささか古めかしいのは惜しい。

 アリス&クロード・アスキュー『エイルマー・ヴァンスの心霊事件簿』は、意欲的に古典ホラーの紹介に取り組んでいる「ナイトランド叢書」から出た知られざるオカルト探偵物。雑誌掲載は、1914年というから、短編シリーズで活躍したA・ブラックウッドのジョン・サイレンス博士やW・H・ホジスンのカーナッキとほぼ同時期であり、オカルト探偵のはしりといえるだろう。作者は、夫婦合作で、多彩な題材の91編の長編を残した英国の流行作家という。

 八つの短編が収められているが、探偵役エイルマー・ヴァンスは四十代前半の好事家、元「幽霊研究会」の主事で、心霊現象には、該博な知識をもっている。ワトソン役は、弁護士デクスターで、ヴァンスとの友情を深めるうちに、ゴースト・ハントの世界に飛び込んでいく。デクスターは、ヴァンスによって、千里眼の能力を開発されるというのが面白い。

 最初の三編は、ヴァンスが遭遇した事件をデクスターが聴くという設定だが、四編目「消せない炎」からは、二人で怪事件の謎に臨むというスタイルになっている。ヴァンスは、ある事件で「この世もあの世も、まだまだいまの人間にはとうてい理解できないことばかりなんだ」と述懐するが、二人は探偵というより、「立会者」の役割が近く、進行する事態を見守るしかないこともある。

 扱う事件は、悪霊、ヴァンパイヤ、ポルターガイスト現象と多彩で、「消せない炎」では、孤高のうちに死んだ詩人と謎の炎、「固き絆」では、パイプオルガンによる音楽と怪奇現象を結びつけるなど工夫がされている。合理的に解かれる謎もあるが、全般的にはオカルト寄り。優美でクラシカルな怪奇小説の趣が楽しめるが、怖さの演出には巧みなものがあり、特に、古屋敷の住人を襲う「恐怖そのもの」が探索の対象となる最後の一編「恐怖」は、読む者をじっとりと汗ばませ、特筆に値する。

 よく古くさいスパイ小説の型を「外套と短剣」などと呼び、それらの書き手として、オッペンハイム、ル・キューらの名前が挙げられるが現物に触れる機会はまずなかった。「ヒラヤマ探偵文庫」の『日東のプリンス』(1910)は、そのE・フィリップス・オッペンハイムの作(戦前訳あり)。日本の皇族が中心人物になっており、その点だけとっても大変珍しい作品だ。

 リヴァプールから特別列車を仕立て一人ロンドンに向かう米国人が列車の中で殺され、続けてアメリカ大使館の青年がロンドン市内を走る自動車の中で怪死を遂げる。二つの米国人殺害事件には、英国政府もアメリカ大使館も重大な関心を寄せる機密事項が関わっていて……。

 事件に関わりがあると目されるのは、英国滞在中の日本の皇族・舞陽宮。それにしても、この舞陽宮がなんとも優美な人物として描かれていること。ロンドンの上流人士たちは、この人品骨柄を一様に褒めそやし、社交界の若い女たちも虜にしている。舞王宮の父親が日本人、母親が英国人という設定で、姿形も西欧人と変わらないということが大きいのだろうが、作者の筆にも、この日東の皇族に一種畏敬の念をこめているようだ。

 オッペンハイムの筆は、今日の眼でみると、いささか悠長、もったりしているものの、さすがに、「ストーリーテラーのプリンス」と称されていただけあって、捜査側ジャックス警部補、事件に関わる溌剌とした米国娘ミス・ペネロープ、英国政府、米大使館など多視点を用い、次への興味をそそる場面転換を図りながら、謎の核心に舞うように迫っていく。

 この小説では、スリルやサスペンスがメインというよりも、特異な存在・舞陽宮の口を借りて、世界の覇者・大英帝国の驕りを批判する目論見があったように見受けられる。

 今の日本人からみると、小説の背景をなす当時の日英同盟の改定問題が、これほど英国や米国の関心事であることや数年後にはアメリカとの戦争を避けられない、とする舞陽宮の認識も驚きであり、日露戦争に勝利した後の、日本のプレゼンスの高まりを感じさせずにはおかない。当時のヨーロッパからみた日本を知る歴史的資料としても価値があると思う。

ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた)

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 ミステリ読者。北海道在住。

 ツイッターアカウントは @stranglenarita

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