前月の『まるで天使のような』の記憶が冷めやらぬうちに、今月もマーガレット・ミラーの初訳長編の登場だ。
『雪の墓標』(原題 Vanish in an Instant) は、1952年の作。昨年紹介された『悪意の糸』(1950)とMWA最優秀長編賞受賞作『狙った獣』(1955)の間の作品。作風を模索しつつ、作家としての充実期を迎える頃の作品。
舞台は、二週間後にはクリスマスを控えた、ミシガン州デトロイト近郊の小さな街アルバナ。空港で幕を開ける第一章から、物語は静かな緊張に満ちている。
支配欲の強い中年女性ミセス・ハミルトン。彼女の過保護でスポイルされてしまった娘ヴァージニア。その夫で事なかれ主義の医師のポール。変化を求めている若い付き添い女性アリス。中年に差しかかったしがない弁護士ミーチャム。さりげない情景描写や会話が登場人物の肖像を鮮やかに浮かび上がらせ、ただならぬ事件の奥行きを暗示する。
ミセス・ハミルトンの娘ヴァージニアは、殺人容疑で勾留されていた。殺された男マーゴリスは、ヴァージニアとの不倫を疑われていた人物で、状況は、ヴァージニアが犯人であることを示唆している。そこへ、自らが犯人であるという男が名乗り出て、事態は混迷を深めていく。
最初のうち、主人公が誰であるのかも判然としないが、やがて、ヴァージニアの弁護士を務めたエリック・ミーチャムの探索行に焦点が絞られ、ミーチャムの探索は、入り組んだ人間ドラマを開示していく。
とにかく、文章に一切の無駄がないのには感嘆させられる。情景描写には簡潔で喚起力に富んだ比喩が散りばめられ、点景のような人物にも命が吹き込まれている。
文学的なミステリとしては、これで十分な達成のはずなのだが、ミラーの凄味は、これらの文章・人物像が、練り上げられたプロットと混然一体、骨がらみになっている点にある。彫琢した文章やリアルな人物像は、ある意味で、プロットがもたらすの「驚き」のための下僕になっているともいえる。その「驚き」が、屈託に満ちた人間たちに訪れる悲劇の色合いを一層強めているのが、ミラーのミステリである。本書でいえば、幾つもの要素が一人の人物に収斂していく際の驚きは格別のものだ。
原書で本書を読んだ江戸川乱歩は、「成り行き探偵」「平々凡々のみ」と記しているという(本書解説)。確かに、ミーチャムの探索はロジカルなものではないし、関係者の間を巡っているうちに思いもよらぬ真相にたどり着いたという側面が強い。真相は、本格的な警察の捜査が始まれば判明してしまう類のものかもしれない。
しかし、人間は限られた経験を生きるしかないし、ミーチャムの手探りのような探索の果てに待ち受ける衝撃は、彼と行動をともにした読者のものでもある。内省的ながら感情に流されないミーチャムには、ミラーの夫君ロス・マクドナルドの私立探偵リュウ・アーチャーの面影を重ねたくなるが、ミーチャムは『まるで天使のような』のクィン同様、物語の一回性を生き、自身もまた事件の中で変化を遂げていく。
真相が明らかになったときに、登場人物たちの秘められた悲しみ、怒り、諦め、後悔、驕り、様々な感情もまた明らかになるが、そこには、パンドラの匣の底に残ったもののように、かすかな希望の響きを聴きとることができ、しみじみとした情感が漂う。
本書に現れるクリスマスのイメージは断片的で、作中で重要な意味をもつ雪の墓標のように、あるいは登場人物のひとたびの生のように「一瞬で消えていく」はかないものだが、そこに残された希望ゆえ、どこか清澄な趣がある。異色で出色のクリスマス・ミステリとしても記憶しておきたい。
ロジャー・スカーレット『白魔』(1930)は、戦前の「新青年」で抄訳されて以来、82年ぶりの完訳となる。これで、ロジャー・スカーレットの長編は、すべて完訳で提供されたことになるわけで、他の四冊もちょっとおさらいしておこう。
第一作『ビーコン街の殺人』(1930)は二つの密室殺人を扱った事件、第三作『猫の手』には強烈なフーダニット興味があり、第四作『エンジェル家の殺人』は異様なサスペンスと謎解きが横溢、第五作『ローリング邸の殺人』は、意外極まる大技を効果的に駆使した作。いずれも、ボストンを舞台に、ノートン・ケイン警視を探偵役にした、スクエアな本格ミステリだ。
活動期間わずか四年、本国でも忘れ去られてしまっているこの作家がわが国で長く記憶されているのは、乱歩をはじめ、戦前の探偵小説の鬼たちが熱狂的に支持したことが大きく、特に乱歩の傾倒ぶりは、『エンジェル家の殺人』は乱歩が『三角館の恐怖』としたことにも表れている
ロジャー・スカーレットは、二人の20代の女性のユニットの男性名義のペンネームだったのだが、おそらくはヴァン・ダインの成功を範として、同好の士が二人で練り上げていったような、生粋の本格センスを感じさせる。
本書は、他の四作と同様に、「館」もの。高級住宅街バックベイ地区の屋敷で、下宿人が殺される。容疑者は、限られた登場人物の中に、という常道の滑り出しだが、アッといわせるのは、100ページに満たないところで、ケイン警視が屋敷の住人たちを集め、謎解きを始めてしまう点。アリバイトリックも解明され、それなりに意外な犯人が指摘され、警視の指摘は間違っていない、という設定でありながら、謎解きの興味は最後まで持続していくという、かなりのはなれわざが披露される。
本書では、ほかにも、大胆なミスリードの手筋が仕掛けられており、結末の真相が明かされたときに、うっちゃりを食らったような感覚をもつ人も多いのではないだろうか。念の入った手がかりの配置や、謎と推理をうまくブレンドした筋の運びには、まだ若いジャンルだった長編本格ミステリの技法の洗練・改良の場に立ち会うような楽しさがある。
探偵役も含め登場人物の魅力に乏しいのが欠点だが(他の四長編にも登場するケイン警視のキャラクターを筆者はほとんど思い出せなかった)、捜査陣を翻弄することを楽しんでいるような犯人の行動は挑発的で、結末で明かされる犯人像と動機は、なかなか強烈。それがパズルの王国の論理で造型されたものにすぎないとしても。
戦前からの邦題「白魔」とは、下宿人が飼っているペルシャ猫のことだが、さほど出番のない猫を小説のシンボルとしてうまく用いており、原題 The Back Bay Murders より、よほど魅力的なタイトルになっている。
エラリー・クイーン『チェスプレイヤーの密室』(1965)は、〈クイーン外典コレクション〉のその1。クイーンのペーパーバック・オリジナルから、「クイーンらしさが感じられ、本格ミステリとして優れている」三作を選び、紹介していく企画の第一弾。
1960年代にクイーン名義のペーパーバック・オリジナルが大量に出版され、それらはクイーンのハウスネームの下、様々な作家が執筆したものであることはよく知られているが、クイーンの「聖典」とは異なるものとして、これまで、ほとんど言及されてこなかった。邦訳も、二作あるだけだ。
しかし、本書の解説によれば、近年の研究ではこのシリーズにはクイーンの片割れ、マンフレッド・リーがプロット・文章の両面にわたり、相当に関与していたことが明らかになっているらしい。この辺の事情や邦訳に至る秘話は、訳者・解説者である飯城勇三氏が、当シンジケート・サイトで披露されている
代作者はSF界の大物で、一昨年96 歳で亡くなったジャック・ヴァンス。『魔王子』シリーズや『竜を駆る種族』などが著名だが、モロッコを舞台にしたエキゾチックな長編『檻の中の人間』(ジョン・H・ヴァンス名義)で、MWA最優秀新人賞を受賞している歴としたミステリの書き手でもある(白石朗氏の「ジャック・ヴァンスのミステリー作品リスト」を参照してください)。
ジャックとクイーンは、いかにしてキング(犯人)にチェックメイトをかけるのか。
小学校教師アン・ネルソンのもとに、久しぶりに、折り合いの悪い母親がやってきて、彼女のかつて別れた夫でアンの父ローランドに多額の遺産が転がりこんできた話を告げ、毒づいて帰っていく。その二か月後、ローランドが完全な密室で死亡したことをアンは知らされる。父親が自殺する人間と信じられないアンは真相を探るべく、行動に出る。
密室ものとはいえ、ペーパーバック・オリジナルとあって、お色気と暴力を盛り込んだスリラー仕立てなのかと思っていたが、それは先入観というものであって、突如遺産が転がり込んでくることになったアンの視点で、不可解な事件を追っていく謎解き重視のミステリである。アンの前に姿を現す捜査官タール警視は人好きのする男で、アンのツンデレぶりも含め、ロマンス風味も添えられている。
本書の最大の売りは、冒頭で提示される書斎の密室で、ロバート・エイディの密室ミステリ研究書 Locked Room Murders でも称揚されている。オリジナルなトリックには、相当の自信があったようだが、類似の発想のものが知られ、日本でも同様の作例が出ている現状では、そのインパクトは弱くなっている。むしろ密室を可能とした事情、密室解明の手がかりに創意が感じられる。
チェスの決戦のシーンもあるものの、父親をアマチュアのチェスプレイヤーにした設定は、謎解きにはあまり生きていない。人物を書き分ける筆は巧みで、いびつな人間関係が明らかになっていくくだりや犯人を隠すミスリードの一工夫にも面白みがある。終幕では、関係者を集めた堂々たる謎解き(強調の傍点入り!)が展開されており、これもちょっとした驚きだった。
ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた) |
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ミステリ読者。北海道在住。 ツイッターアカウントは @stranglenarita 。 |
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