第22回:『わらの女』——完全犯罪への遠く険しい道

 全国20カ所以上で開催されている翻訳ミステリー読書会。その主だったメンバーのなかでも特にミステリーの知識が浅い2人が、杉江松恋著『読み出したら止まらない! 海外ミステリー マストリード100』をテキストに、イチからミステリーを学びます。

「ああ、フーダニットね。もちろん知ってるよ、ブッダの弟子でしょ。手塚治虫のマンガで読んだもん」(名古屋読書会・加藤篁

「後期クイーン問題? やっぱフレディの死は大きいよね。マジ泣いちゃったなー。We will rock youuuu !!!」(札幌読書会・畠山志津佳

 今さら聞けないあんなこと、知ってたつもりのこんなこと。ミステリーの奥深さと魅力を探求する旅にいざ出発!

加藤:さて、2016年最初の必読! ミステリー塾です。

 皆さまにおかれましては年末年始の慌ただしさもとっくに落ち着き、殺伐とした日常と砂を噛むような味気ない毎日を無事に取り戻されたことと推察いたします。(<余計なお世話だ)(<てか、昨年の完コピじゃねーか)

 そんなこんなで今年もよろしくお引き回しください。

 2015年はいろいろありましたが、読書クラスタ的に嬉しかったのは『火花』の芥川賞受賞で出版界が盛り上がったことではないでしょうか。本の話題がこれほど取り上げられたのは久しぶりでしたもんね。個人的には、内容以前に、著者が人気芸人というのがネックになるのではないかと思っていたので、受賞は意外だったなあ。

 意外といえば、ラグビーワールドカップにおけるジャパンの活躍にも触れないわけにはいきません。あまり長く書くと悪の組織の怒りを買うので自粛しますが、翻訳ミステリー的には、五郎丸選手のプレースキック前の例のポーズを「同僚のお尻の穴を虎視眈々と狙うフロスト警部」だと想像して見ると、ちょっと違った楽しみ方ができるかも知れないので、是非お試しください。

 逆に、期待値が高すぎて残念な結果に終わったのが、5月のパッキャオVSメイウェザー戦。「世紀の一戦」とあれほど騒がれたのに、すでに「ああ、そんなこともあったよね」って感じになっちゃっています。

 ところで、メイウェザーという名前を聞いて、翻訳ミステリーファン、なかでもハードボイルド好きが思い浮かべるのが、メリーウェザー(モンタナ州の架空の街)の探偵ミロではないでしょうか。(そうに違いありません。そうに決まっているのです)

 そして、その作者ジェイムズ・クラムリーを日本の読者に紹介した小鷹信光さんの訃報が伝えられたのはつい先月のことでした。

 インターネット時代以前、地方に住む僕のようなハードボイルド好きにとって小鷹さんの著作は、貴重な貴重な情報源であり、指南書でもありました。唯一無二のハードボイルド世界の水先案内人のご冥福を祈るばかりです。

 さて、そんなこんなで今年最初の「必読! ミステリー塾」。杉江松恋著『海外ミステリー マストリード100』をテキストに、翻訳ミステリーとその歴史を学びます。第22回となった今回の課題本は久々のフレンチ・ミステリー、カトリーヌ・アルレー著『わらの女』。1956年の作品で、こんなお話です。

戦争で家と家族を失ったドイツ人女性ヒルデガルデは翻訳の仕事で糊口を凌ぐ日々。34歳となり、人生に焦りを感じながらも玉の輿を夢見る彼女は新聞の求縁広告のチェックに余念がない。そんな彼女がある日目にした広告は「当方、莫大ナ資産アリ、良縁求ム」から始まるものだった。結婚相手の条件はハンブルク出身の未婚女性で家族係累がないこと。キ、キ、キターー(・∀・)ーー!!! さっそく応募した彼女は、手紙の文面の率直さを気に入られ、最終選考に残り大富豪と対面することになったが……。

 著者カトリーヌ・アルレーはフランスの推理作家。1930年前後の生まれで、まだ御存命だそうです。これまで発表された長編27作のすべてが東京創元社から翻訳が出されました。

 なかでも最高傑作といわれ、オールタイムベスト企画などの上位の常連でもあるのが、アレルー2作目の長編ミステリーである本作『わらの女』です。

 著者アルレーは魅力的な悪女を活き活きと動かし、その悪女が破滅する様をサディスティックに描く作家と聞いておりましたが、本作の主人公ヒルデガルデは、財産目当ての結婚に躊躇はないものの、悪女という感じでは全くありません。

 相手は老い先短い億万長者。果たして、彼女は望み通りに玉の輿に乗ることができるのか。というのが前半の話。

 しかし、後半は思いもよらぬ展開に驚かされます。え? そんな話だったの? ってなって、そのまま最後まで一気読み。観覧車だと思って乗ったらジェットコースターで、さらに最後にプールに突っ込む的な展開に驚かされました。

 畠山さんは既読だったそうだけど、女性の視点で読むとどうなのか是非教えて欲しいなあ。

畠山 :年末年始にかけてフォースを覚醒された方々が多くいらっしゃるかと思います。もちろん私も馳せ参じまして、人生初の4DX3Dなる(4次元かと思った)スクリーンを体験いたしました。臨場感に加えてマッサージ効果(!)もある座席ってのはいいもんですね。

 そんなわけで、今年も我らが師スギ・エ・マコーイの指導の元、翻訳ミステリーの道を極めるべく頑張るパダワン(=ジェダイ修行中のひよっこ)の2名をよろしくお願いいたします。

 さて、今月のお題は戦争で全てを失った女性が一攫千金を夢見て人生の大勝負に打って出る(そんな勇ましい話だっけ?)『わらの女』。

 そういえば前回の『太陽がいっぱい』も犯罪の目的は「金持ちの友人になりかわる」というものでした。金銭や物欲が強い動機になるのはやはり時代性でしょうか。

 私が花も恥じらうJKの頃にフレンチ・ミステリデビューを果たしたのがこの本でした。

 姉の蔵書を漁っていて『わらの女』という意味はわからないけどなんとなくミステリアスなタイトルに惹かれて手に取ったのを覚えています。(ちなみに「わらの女」には「囮にされた女」という意味があるそうです)

 そして表紙にはタキシードのショーン・コネリーと白いドレスのジーナ・ロロブリジーダ。おお、映画になってたのか、これはきっと007っぽいゴージャスで痛快なお話に違いない!……と思い込んだのは早計でした。認めたくないものだな、自分自身の若さゆえの過ちというものを(by赤い彗星)

 前半はヒルデガルデが富豪の秘書アントン・コルフと手を組んで、富豪に見初められるべく奮闘するサクセス・ストーリーとして楽しみました。時々“最初に書かされた一筆”が脳裏をチラつくのですが(なんせヤバい雰囲気プンプンの内容)、なんか行けそうじゃね? と思えてきたところで事態は急転直下。

 後半は孤立無援の断崖絶壁状態でじわじわと苦しめられていきます。なんて底意地の悪い展開なんだ!

 どどど、どうなるのヒルデガルデ!? 完全犯罪できるの? っていうかもうあまりに痛々しくて悲壮感たっぷりぢゃないか、頑張れヒルデガルデ〜〜〜・・・と、なぜか私まで悶絶しながら読んでいました。

 そしてラストで呆然。読後3日間くらいは心の消化不良に陥りました。嗚呼、今にして思えばあれがイヤミスデビューでもあったのか……。

加藤:へぇー、1964年の映画『わらの女』にはショーン・コネリーが出てたのか。ん? 主要登場人物のなかに当時のコネリーが演じそうな人がいたっけ? と思ってググったら、かなり設定を変えられていたようですね。

 イギリスで撮られたというこの映画もきっとそうですが、実は原作もあまりフランスっぽくないんですよね。

 ピエール・ルメートル『その女アレックス』以来、日本ではフレンチ・ミステリーが見直されているけど、本作は翻訳で読んでいる分にはフランス人がフランス語で書いたとは気付かないんじゃないかな。

 舞台がフランスじゃないし、フランス人も出てこない。

 もちろん一筋縄ではいかない意地の悪さというか、穿いているのか穿いてないのか読者を不安にさせるみたいな感じは、いわれてみればフレンチっぽい気もするけど、むしろ、この話の凄いところは後半、周到に用意された完全犯罪の仕掛け部分ではないかと思います。

 その精緻さはほとんど芸術的。ピタゴラスイッチ的な装置が淀みなく綺麗に回ってゆくのを観ているかのような気持ち良さ。そして最後にどーなるのかは、本当に読み終わるまで予断を許さないのですね。

 サッカーやラグビーのフランス代表は、その華麗でスピーディーかつ予測不能なプレースタイルから、シャンパンサッカーとかシャンパンラグビーと呼ばれます。確かな個々のスキルに裏打ちされた、自由奔放に見えて実は美しく整った組織プレーという感じでしょうか。次から次へと湧きだすシャンパンの泡のように美しくてワクワクさせるのがその名の由来だとか。

 まさに本作も、次から次へと予想のつかない展開で読者を翻弄し、作者は気分の赴くままに筆を走らせているに違いないと思わせておいて、終わってみれば全て計算づくだったと思い知らされるみたいな話でした。

 畠山さんはこれを「イヤミス」と表現したけど、僕は全くそうは思わなかったなあ。

 そこは誰の立場になって読み進めるかによるのかな?

畠山 :ええ? そう? あのラストって暗〜い厭〜な気持ちにならない? てか、あれが気持ちいいって、加藤さんやっぱりドM

 2年ほど前、札幌で『わらの女』を課題にして読書会を行ったことがあります。なんたって(旧バージョンの)帯の惹句が半笑いになるほどの強烈。

「女の虚栄の醜さを完膚なきまでに描き、全世界に衝撃を与えた問題作」

 ここまで言われちゃ放っておけないですよね、誰だって。

 でも読書会で話しあってみたら「“醜い虚栄”なんかじゃない」ということでほぼ一致。

「結婚以外に女性が身を立てるのは難しい時代」「お金のために結婚を選んで何が悪いのか」「彼女が経験したドレスデンの空襲の酷さを知るべき。人生を賭けようとした気持ちがわかると思う」「悪いのはアントン・コルフでしょ」「ゲス、ゲスだよ、ゲスな野郎だアントン・コルフ!」。

 いやぁ、まさしくその通り。

 ヒルデガルデは経済的にも行き詰って先に希望を見いだせない孤独な女性。そこから抜け出したいと思うことを強欲と誹(そし)られるのなら開き直って完全犯罪を見事にやり遂げて欲しい、悪女街道をまっしぐらに行って欲しいと私の方がよほど悪人な気持ちでヒルデガルデを応援していました。アントン・コルフを手玉にとっちまえ! な勢いで(笑)

 せっかく前半でポイントを稼いだんだから、気を緩めずに周りの人の信頼や好意をがっちりモノにしておけばそれこそ痛快な悪女物語になったんじゃないかなぁ。

 こんなに思い入れたり、あれこれと想像ができるというのはやはりお話の力が強い証拠かもしれません。

 そういえば、読書会の後で「厭な気持ちになってください」とニコッと笑ってアルレー作品を押し付ける「不幸のアルレーごっこ」が行われてたっけ。今頃どこで誰を不幸にしてるんだろう?(>恐怖新聞かよ)(>てことはやっぱりイヤミスだよ、加藤さん)

■勧進元・杉江松恋からひとこと

 アルレーが新刊で読めたのは1980年代末ごろまでで、『狼の時刻』などは〈創元ミステリ’90〉叢書の1冊として、ハードカバーで刊行されたりしています。2時間サスペンスの初期には、コーネル・ウールリッチとともにドラマ化もよくされていましたし、探偵の出てこない、巻き込まれ型のミステリーの魅力をアルレーで知ったという読者も過去には多かったはずです。

『わらの女』は犯罪計画に巻き込まれたヒロインの物語で先が読めない楽しさがあり、確かに厭な展開ではありますが、一度本を開いたら絶対に最後まで読まざるをえなくなる元祖ページターナーのような作品です。アルレーにはこのように、物語のおもしろさをとことんまで味わえるたまらない魅力があります。「悪女もの」という印象の強い作家ですが、多面体のほんの一面にすぎません。冒険活劇あり犯罪小説ありと1作ごとに作風が異なり、読めば読むほどはまっていくはずです。ジェイムズ・ハドリー・チェイスにも似ていますが(プロフィールを秘匿したがる癖もそっくり)、かのイギリス作家よりもさらに奥行きが深い印象です。フランス・ミステリーの真の実力を知りたければ、まずアルレーを数冊手に取ってみるべきでしょう。『わらの女』を読んだ方が古書店へと急いで走っていく姿が目に浮かびます。

 さて、次もフランス作家、ノエル・カレフ『死刑台のエレベーター』ですね。楽しみにしております。

加藤 篁(かとう たかむら)

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愛知県豊橋市在住、ハードボイルドと歴史小説を愛する会社員。手筒花火がライフワークで、近頃ランニングにハマり読書時間は減る一方。津軽海峡を越えたことはまだない。 twitterアカウントは @tkmr_kato

畠山志津佳(はたけやま しづか)

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札幌読書会の世話人。生まれも育ちも北海道。経験した最低気温は-27℃(くらい)。D・フランシス愛はもはや信仰に近く、漢字2文字で萌えられるのが特技(!?) twitterアカウントは @shizuka_lat43N

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