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 今回は帯文に『迷幻』(幻覚的)と『懸疑』(サスペンス)と『推理』(ミステリ)と『民国』(中華民国時代を舞台にしたストーリーのこと)の文字が並び、読書好きもドラマ好きも惹きつける要素が詰まったSFミステリ『愛因斯坦与上海神秘人(アインシュタインと上海のミステリアスな人物)(2016年。著者:床蝶庵)を紹介します。

 ただし実際のところミステリ成分は薄いのでジャンルとしてはミステリよりもSFに分類されますが、本書には中国ミステリを語る上では欠かせない人物が登場しますのでこれはここで取り上げなければと思いました。

 1922年の秋、アインシュタインの中国訪問を控えた上海で何の関係性もない十数人の人間が自宅の天井に首が同化してぶら下がっているという奇怪な事件が発生する。しかも彼らは首がないというのに死んではおらず体は依然温かいままなのである。だがそんな猟奇的な事件に取り組むことになった警察に更なる非現実的な事件が襲いかかる。彼らの前に事件を解決にしに来たと名乗るミステリアスな人物が現れるのだが、その人物とは上海で大人気のミステリ小説家・霍小青が創作した『遠東のホームズ』の異名を持つ名探偵・程桑その人だった。

 天井にめり込む生きた死体と小説のキャラクターが実体化した現実を目の当たりにした新聞記者の林子文はこれらの事件の真相を暴き大スクープを得ようとするがいつの間にか問題の渦中に巻き込まれる。程桑から自分はアインシュタインに会うために来たと伝えられた林子文は彼の生みの親である霍小青、警察庁庁長の徐国梁とともにアインシュタインの講演に行く。だが一その方でナチスによるアインシュタイン暗殺計画が進行していた。

 本書に登場するミステリ小説家・霍小青と名探偵・程桑の名前を見て、中国ミステリをかじったことのある人ならこの二人が『中国ミステリの父』と言われる程小青と彼が生み出した『東方のシャーロック・ホームズ』こと名探偵・霍桑をモチーフにしたキャラクターだということがわかるでしょう。(ワトソン役の包朗に当たるキャラクターは本書には出てきません)

 程小青と霍桑の紹介は本コラム第1回目の『ミステリ教育者 程小青』で既に行いましたのでそれに目を通してもらえたらと思います。

 本書に登場するミステリアスな名探偵・程桑は、誰が見てもこいつは本人だと思うほど霍小青の小説に登場する程桑そっくりの風貌と言動をしていて、住所も小説世界と同様の現実には存在しない『愛文路77号』に住んでいると語ります(この住所は元ネタの霍桑と一緒です)。一見すると熱狂的なファンやコスプレイヤーにしか見えない彼ですが存在感や探偵としての優秀な能力に説得力があるため、警察も一般人も彼が小説の中から出てきたという非現実的な事実を受け入れ、彼を小説と同様の名探偵だと信頼している点が面白いです。そして天井に首なし死体がぶら下がっているという一見猟奇的な光景も、死体にはまだ体温があり芳香を発しているという不可思議な現象を描いているので死体を死体だと認識しづらくなり、被害者の正体を深く掘り下げていないこともありますが死体に対する嫌悪感を全く感じさせません。作品世界に超常的な力を徐々に蔓延させて、最終的には林子文たちが不思議な力でドイツ語が話せるようになってアインシュタインと喋れても批判されない空気が形成されています。

 このように本書は史実を基にしているにも関わらず何が起きても不思議ではないと読者に思わせる下地がありますので、天井と一体化している首なし死体がXファイルに出てくるような超常現象が原因であってもSF小説だから問題ありません。

■民国時代

 最近の中国では民国時代の話が映像化される傾向にあるようです。その風潮を如実に表したのが女性ミステリ小説家・鬼馬星『淑女之家』(2009年)です。2014年にドラマ化されたこの作品は原作では現代中国が舞台だったのにドラマでは何と時代背景を1930年代の中華民国に置き換えられました。とは言え原作も現代である必要性はさほど大きくないように感じます。この改変は時代設定が現代ではドラマを制作できないからという理由ではなく、他のドラマと同様に民国にした方が多くの視聴者を得られると判断されたからでしょう。

(参考:トリフィドの日が来ても二人だけは読み抜く 淑女之家

 本書が既に映画化を決定されている理由は民国を舞台にしているので一定の客数が見込めるということとが挙げられます。更にアインシュタインが上海に来たという実際の事件を背景に当時の警察庁庁長の徐国梁や民国四公子の袁寒雲(袁克文)など実在の人物が出てきて民国ファンの心理をくすぐることでしょう。

■程小青の復権はなるか

 中国において程小青は『中国ミステリの父』や『東方のコナン・ドイル』などの異名を持っていますが実はあまり有名ではありません。本屋では江戸川乱歩やコナン・ドイルの翻訳本は売られているというのに程小青は短編集すら並んでおらず、著書を探すとすれば小説コーナーではなく文献資料コーナーに行くことになります。それは同時代に活躍した『東方のアルセーヌ・ルパン』の生みの親・孫了紅らも同様で、過去に作品集が出たことはありますがそれが常に本屋に置かれていることは少ないです。本書のあるレビューで「程小青という作家が実際にいたんだ」というコメントが付くぐらい知名度が低く、彼の功績を称える『程小青推理小説賞』のような賞もありません。

 海外の古典ミステリにばかり目が向けられ自国の中国ミステリ黎明期を支えた作家たちが顧みられない今の中国ミステリの状況は一読者として悲しいので、本書の映画版がきっかけになり民国時代の中国ミステリの再評価に繋がればと思います。

阿井 幸作(あい こうさく)

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中国ミステリ愛好家。北京在住。現地のミステリーを購読・研究し、日本へ紹介していく。

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