注意!
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今回の記事では 東野圭吾『容疑者Xの献身』の原作小説、・日本版映画、及び中国版映画の内容に言及しています。(筆者) |
3月31日に中国全土で中国版『容疑者Xの献身』(中国語タイトル『嫌疑人X的献身』)の映画が公開されました。本作はもともと2016年末には公開されると伝えられていましたが、年が明けた1月中旬ぐらいに2017年4月1日に公開されることが決まりました。しかしその後、まるでそれ自体がエイプリルフールのネタだったようにいつ頃か公開日が3月31日に変更されました。
本作は台湾の俳優・蘇有朋(アレック・スー)が監督を務めていますが、見どころはやはり日本版では福山雅治が演じた湯川学を王凱が演じる点です。以下に中国版の主要人物の名前と役者名を記します。(左が人物名で、カッコ内が役者名)
- 湯川=唐川(王凱)
- 石神=石泓(張魯一)
- 花岡靖子=陳婧(林心如)
- 花岡美里=陳暁欣(鄭恩熙)
- 草薙=羅?(葉祖新)
- 内海=なし
人名が中国人風に変更されています。ちなみに唐川や石泓は前の漢字が名字で後ろの漢字が名前を表しています。
個人的な感想として、中国版は全体的に湿った雰囲気の中で話が進み、役者の演技によってクスリと笑わせられるシーンこそありましたが、非常にシリアスなサスペンスドラマでした。狂言回しの内海が排除された結果、石泓を中心とした唐川との友情及び陳婧・陳暁欣母娘との交流シーンが多く描かれ、まさに石泓に捧げた映画と言っても良いぐらいです。テレビドラマの『ガリレオ・シリーズ』と比べてコメディ要素がないと言われる日本版ですら、中国版と比べるとまるで『踊る大捜査線』のような刑事ドラマに見えてしまいます。
■中国版ならではの改変
日本を舞台にした作品を中国に置き換える上で、本作には様々な改変が加えられました。
一番大きな改変ポイントは唐川が刑警学院の准教授であり、警察の犯罪捜査顧問であるということです。刑警学院とは警察官を育成する公安部直属の大学です。日本版の湯川が草薙の友人として事件解決に協力しているのに対し、中国版の唐川は羅?と仕事仲間であり、警察の中で権力を持っています。
原作及び日本版の湯川が真犯人を見逃しても構わない立場にあるのに対し(その場合は草薙か内海が代わりに役目を果たすが彼らとの関係が壊れる)、中国版の唐川は刑警学院の准教授という立場上それをするわけにはいきません。原作で湯川が草薙に対し「友達であると同時に刑事だ」と吐露したのとほぼ同じく、唐川は石泓にとって「友達であると同時に刑事」なのです。友情と倫理・道徳の他、公務とも葛藤する唐川を見られるのも中国版の魅力です。
■日本版映画との相違点と共通点
靖子がお弁当屋の店長だったことに対し、陳婧もテイクアウトができる小さな食堂を開いていて娘の名前を店名にしていること、石泓の授業が崩壊していること、唐川と石泓が登山に行くこと(ただし雪山には行かず、単なるハイキングとも言える)など、中国版映画は原作小説ではなく日本版映画をところどころ忠実に再現しています。しかし中国版は単なる日本版のリメイクではなく、中国ならではのオリジナリティもあります。私が映画を見ていていかにも中国映画らしいなと思い、また戸惑ったシーンは原作及び日本版にはないカーチェイスシーンです。
中国版は石泓が素直に自首しません。彼は唐川の研究室に保管されていた、以前逮捕した物理学の教授が使用した凶器(それを再現したもの?)である超音波発生装置を盗み出し、それを車に積んで警察から逃げながら、彼を車で追う唐川の命を狙います。しかし彼は本気で唐川を殺そうとしたわけではなく、出力を最低に下げた装置を唐川に向け、友人を殺すことなく警察に捕まります。
中国映画に詳しい人に言わせれば、このカーチェイスはロケ地へのサービスのようです。そう言えば、以前本コラムで少しだけ紹介した『宅女偵探桂香』(オタク探偵桂香)の映画でもカーチェイスが強調されていました。個人的にはカーチェイスなんか不要だと思うのですが、超音波発生装置のような科学技術を使用してこそ『ガリレオ・シリーズ』だろうという製作側の思惑でもあったのでしょうか。
ところで、中国版製作にあたって以下のようなエピソードがあります
(原文)出典:百度百科(嫌疑人X的献身)
苏有朋在与东野圭吾的版权合约条款里有两条规定,一是剧本一定要经过东野圭吾的亲自确认,所以苏有朋必须在与编剧商定剧本后,将剧本翻译成日文发给东野圭吾,再由东野圭吾提出修改意见,发回给苏有朋,苏有朋再请人将剧本翻译成中文后进行修改后再翻译成日文发还给东野圭吾。另外一条就是要改编得跟日本、韩国版本都不一样,所以最后苏有朋与东野圭吾来回反复磨合35版剧本,耗时11个月才最终将中国版《嫌疑人x的献身》的剧本敲定[1] 。
(訳文)
監督の蘇有朋は東野圭吾との契約で2つの約束を交わした。その1つが脚本を必ず東野圭吾に見せることだった。そのため、出来上がった脚本を日本語に翻訳して東野圭吾に見せて意見や修正をもらい、それを中国語に翻訳したものを蘇有朋が見て、改めて東野圭吾に脚本を提出するという流れだった。もう1つの約束は日本版と韓国版と異なる改変をするということで、最終的に蘇有朋は35回も脚本を書き直したとのことだった。
そのような製作側の苦労を知ってか、映画公開一週間前に東野圭吾から直筆の手紙が贈られました。
手紙にある『オリジナリティ』に関して、その最たる例が石神のキャラクターにあると思います。上述した唐川の刑警学院の准教授という肩書は日本人の湯川を中国人の唐川にする上で必要不可欠な改変(処置)でありましたが、石神を石泓に変更する上では製作側の独創性が発揮されていました。
日本版の石神が原作の石神の不気味さを強調しているのに対し、中国版は不器用さを強調しているように見受けられます。石泓が不器用だけど基本的には良い人という印象を陳婧・陳暁欣母娘に与え、事件後当初は石泓に対して好感を持ち、陳婧は身なりを気にしない彼のために新しい服を買おうとし、娘の陳暁欣は部屋で楽器を吹き、隣に住む石泓が壁を叩いて伝えるモールス信号の感想をもらう、といった交流が描かれます。だからこそ、石泓が陳婧から離れるために、自分が卑怯で陰湿な人間であると彼女を脅迫するシーンでの陳婧の絶望感と石泓の悲痛な苦しみが観客の心に強く残ります。
『容疑者Xの献身』の実質的な主人公は石神ですので彼をどう描くかという点が監督・蘇有朋の腕の見せ所だったのでしょう。その結果、石泓は陳婧のそばに頼れる男性(工藤)がいるところを見て動揺したり、得意な数学が上手くいかないことを苦にして自殺を図ったりするなど要所で『弱さ』が描かれたので、単なる『オタク』に見えなくもないです。このキャラ設定は個人的に日本版より好きなのですが、中国でも評価が分かれるところであります。
■中国版は成功したのか?
私はこの映画を公開初日の3月31日(金)の18:30に北京市の西単(天安門の1駅隣のショッピングスポット)にあるシネマで見ました。その日は翌日土曜日が国定の振替出勤日ということも原因か、100人ほど入れる劇場が半分ほどしか埋まっていなかったです。客層は女性多めでカップルだったり女性二人組だったりで、学生の姿は場所柄もあり見えなかったです。
だから、もしかして失敗か?と心配したのですが、上映から二週間以上経過した4月16日の興行収入を調べると3.9億元という成績が出ていて、映画出演者の一人がそれに対して喜んでいたので収入面から見ると失敗ではないようです(同時期公開した中国サスペンス映画『非凡任務』は1.9億元)。「日本版と比べてここが劣っている」、「原作と比べてこれが不足している」などのレビューを見かけますが、中国映画として考えるとなかなかいい出来だったんじゃないの? というのが私の個人的な総評です。
■今後も映像化され続ける東野圭吾作品
中国版『容疑者Xの献身』製作の報は2015年に伝えられましたが、その年から中国における東野圭吾原作の映像化ブームが沸き起こりました。
映画監督の賈樟柯(ジャ・ジャンクー)が設立した映画会社暖流が『パラドックス13』を映像化する権利を購入した他、中国ワンダグループと香港エンペラーグループが『ナミヤ雑貨店の奇蹟』の版権を購入しました。また、2017年には動画サイトYOUKUが『秘密』のネットドラマ化及び映画化の権利を購入し、北京天悦東方が『ゲームの名は誘拐』のネットドラマ化権利を購入し、監督やキャストが着々と決定しています。更に雲莱塢という版権交易会社が4月1日に『プラチナデータ』の版権を売った他、『美しい凶器』、『ブルータスの心臓』、『怪しい人びと』、『回廊亭殺人事件』、『白馬山荘殺人事件』、『犯人のいない殺人の夜』、『11文字の殺人』、『ダイイング・アイ』、『カッコウの卵は誰のもの』、『片思い』の10作品を映像化する版権を放出しました。
こうなると次の興味は否が応でも『白夜行』の映像化に向きます。作品のストーリー的に中国版を作ることが困難だと言われていますが、この作品の映像化が東野圭吾ブームの一つの節目となるような気もします。そしてそれは案外早く訪れるのでは?と思うのです。
阿井 幸作(あい こうさく) |
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中国ミステリ愛好家。北京在住。現地のミステリーを購読・研究し、日本へ紹介していく。 ・ブログ http://yominuku.blog.shinobi.jp/ ・Twitterアカウント http://twitter.com/ajing25 ・マイクロブログアカウント http://weibo.com/u/1937491737 |
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