ミステリの歴史は、現実の犯罪と切っても切れない面がある。例えば、ポオの「マリー・ロジェの謎」は、現実の殺人事件をモデルに謎解きを適用した例だし、19世紀に特にイギリスで探偵小説の隆盛がみられたのも、犯罪事件に対する国民の熱狂が背景にあることは、 R・D・オールティック『ふたつの死闘―ヴィクトリア朝のセンセーション』やルーシー・ワースリー『イギリス風殺人事件の愉しみ方』などの本で説かれている。
謎解きを主題にしたより人工的な黄金時代の作品にあっても、例えば、ヴァン・ダイン『ベンスン殺人事件』『カナリヤ殺人事件』は現実の殺人事件を下敷きにしているし、アントニイ・バークリーやドロシー・セイヤーズの作品にも作者が現実の犯罪を探究した痕跡が残されている。
ミステリ(それが謎解き興味を主軸にした探偵小説であっても)は、現実の犯罪と合わせ像の関係にある。ミステリは、現実の犯罪の複雑性や多義性、非合理性を取り払って整序された、犯罪と謎解きの一種の理想郷であり、逆に現実の犯罪側からみるとそれはフィクション化された現実の歪んだ像という関係になるだろう。そんな現実の犯罪と小説の似て非なる関係を考えてみるのに、ふさわしい犯罪ノンフィクションが刊行された。
チャールズ・ボズウェル『彼女たちはみな、若くして死んだ』は、1949年に米国で発刊された犯罪実話集。19世紀末から1936年まで若い女性が犠牲になった英米の10の犯罪が扱われている。当時、ミステリと並んで盛んに読まれていたわりに、この時代の犯罪実話集が刊行されることは珍しい。著者は、7年間の私立探偵経験もある犯罪ジャーナリストで、本書は雑誌に掲載した犯罪実話から精選された著者最初の著作という。
川出正樹氏の解説で詳しく触れられているとおり、本書は、米国のミステリ作家ヒラリー・ウォーに強烈なインパクトを与え、その影響の下で書かれた『失踪当時の服装は』(1952) によって、「警察捜査小説」というジャンルの確立に間接的に寄与しているとのことだ。
『失踪当時の服装は』は、現実に発生した女子大生失踪事件を基に、事実と客観描写を積み重ねるドキュメンタリータッチで警察当局が試行錯誤を繰り返し謎に迫る小説で、その掟破りの結末のインパクトとともに、ミステリのスタイルに革新をもたらした。
(ちなみに、この女子大生の失踪事件(ポーラ・ジーン・ウェンデル事件)は、先ごろ紹介されたシャーリイ・ジャクスン『絞首人』(別題『処刑人』)の基にもなっている。)
一読すると、『失踪当時の服装は』の手法が、本書のスタイルに大きな影響を受けていることは明らかだ。
例えば、冒頭の一編「ボルジアの花嫁」は、19世紀末のニューヨーク、上流階級の若いレディ向けの教養学校で学生ヘレンが急逝する。直前に飲んだホットチョコレートが原因にも思われる不審な死であったが、駆けつけた母親が娘の腎臓に障害があった旨を警察に告げ、死体は解剖されずに埋葬される。殺害の線を捨てきれない警察は、女性刑事を掃除婦として潜入させゴシップを収集するなど、周辺事情の捜査を始めるうちに、ヘレンに極秘結婚した過去があることを突き止める…。さらに、意外な花婿の正体やその動機、隠ぺい工作が明らかになるところなどは、佳品の短編ミステリを読むような味わい。唾棄すべき犯人像ではあるのだが、その内面に触れられることはなく、結末では犯人が電気椅子で処刑されたことが読者に告げられる。約30頁でこれだけドラマティックな展開があるにもかかわらず、事実に即して淡々と語られるので、秘められた歴史の一端に触れたような重みがある。
その叙述は、淡々と事実のみを積み重ねるというよりも、(おそらくは著者が想像した) 関係者の会話が続くなど小説的な技法を用いた部分も多いのだが、センセーショナリズムや著者の主観は極力排除され、事件関係者の内面には立ち入らないという姿勢は一貫している。ハードボイルド小説のように、そこに描かれた事実のみから読者の感情に訴えかけるものが立ち昇るのである。
読み進むうちに、読者は、“まるで小説のような”“小説ではありえない”との思いを行き来することになる。
「ランベスの毒殺魔」は、切り裂きジャック事件のような(実際、犯人はジャックの正体に擬せられたこともある)警察を嘲弄する、19世紀ロンドンの連続娼婦殺し。「彼女が生きているかぎり」(1924英国)は、財産取得の詭計を扱って、肉付けすれば、カトリーヌ・アルレーの小説になりそうだ。
「青髭との駆け落ち」(1924・英国)は、リゾートの高級バンガローでの金髪美女バラバラ殺人。同じバンガローには、別の黒髪の女がいた痕跡も残り、事件は混迷を極める。小説であれば、別の女性がいた理由は「不自然すぎる」と却下される類のものだが、現実の事件であれば犯人の性向を示すものとして薄ら寒く会心できるものである。
「サラ・ブリマー事件」(1910・米国) は豪邸での美人家庭教師殺し。本格ミステリ風の筋立てだが、小説であれば登場しないような犯人像と愚かすぎる偽装工作が逆に胸を衝く。
いずれも、二次大戦以前の事件であり、今様のショッキング要素は少ないクラシカルな事件だが、犯罪事件を通じて人間の欲望と悪意、怒りと悲しみという普遍の真実には触れられる。
犯罪ノンフィクションとしては、後年、MWA賞(最優秀犯罪実話賞)も受賞したトルーマン・カポーティ『冷血』(1966)のように、事件関係者に徹底的なインタビュー等を基に、加害者の死刑執行も含め犯罪の全容を冷徹に描き、作者自らノンフィクション・ノベルと称した革新的スタイルも登場するが、ボズウェルの作品はその過程に位置しているともいえる。
現実の犯罪がプロットの霊感源になり、犯罪を語るスタイルがミステリの手法に変革をもたらしたように、ミステリと犯罪の相補的な関係は、今後とも続いていくのだろう。
ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた) |
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ミステリ読者。北海道在住。 ツイッターアカウントは @stranglenarita 。 |