――疾走する狂気! もうどうにもとまらない!

全国20カ所以上で開催されている翻訳ミステリー読書会。その主だったメンバーのなかでも特にミステリーの知識が浅い2人が、杉江松恋著『読み出したら止まらない! 海外ミステリー マストリード100』をテキストに、イチからミステリーを学びます。

「ああ、フーダニットね。もちろん知ってるよ、ブッダの弟子でしょ。手塚治虫のマンガで読んだもん」(名古屋読書会・加藤篁

「後期クイーン問題? やっぱフレディの死は大きいよね。マジ泣いちゃったなー。We will rock youuuu !!!」(札幌読書会・畠山志津佳

今さら聞けないあんなこと、知ってたつもりのこんなこと。ミステリーの奥深さと魅力を探求する旅にいざ出発!

畠山:のっけから宣伝で恐縮ですが、9/2の札幌読書会はとんでもなくスペシャルなゲストをお迎えすることになりました。競馬あるところ巨匠あり。馬の力ってすごい。

 課題書はローレンス・ブロックの『八百万の死にざま』です。すでに地元読書会メンバーが「やおよろず、やおよろず…」と唱えながら書店をさまよっているとかいないとか。とにかく期待値が天井知らずで上がりまくっています。ご興味ある方、ぜひいらして下さいね!

 さて、杉江松恋著『海外ミステリー マストリード100』を順に取り上げる「必読!ミステリー塾」。今回のお題は、ジャン=パトリック・マンシェット『愚者(あほ)が出てくる、城寨(おしろ)が見える』。1972年の作品です。

精神を病んで入院していたジュリーは、慈善も行う(けど胡散臭い)企業家アルトグに雇われ、彼の甥であるワガママっ子ぺテールの世話係となる。ある日ペテールとともに4人組の男たちに誘拐され、策略によって誘拐犯の濡れ衣を着せられたうえに、命まで狙われて絶体絶命に。男たちの正体も目的もわからぬまま、とにかく逃げるジュリー。そしてどこまでも彼女を追う殺し屋たち。殺戮と破壊の一大ショーが始まる。

 ジャン=パトリック・マンシェットは1942年マルセイユ生まれの作家です。パリ大学在学中に政治運動に傾倒し、五月革命も経験したそうです。大学中退後はさまざまな職業を経験し、1970年代から1980年代にかけて犯罪小説を発表しました。本書『愚者が出てくる、城寨が見える』は1972年に出版され、フランス推理小説大賞を受賞しています。1995年没。

 まぁなんて変わったタイトル。インパクトは強いけど意味はよくわからないし、ジャンルの見当もつかない。ほんとにこれ、ミステリー小説? 面白いのかしらねぇ…? と思ったのは勧進元にはナイショ。じゃなんで『海外ミステリー マストリード100』に載ってんだよって話です。しかもあらためて調べてみたら、「私設応援団・これを読め!」で吉野仁さんが紹介なさっているではありませんか!(全然気がついてなくてゴメンナサイ、吉野さん…と小声で謝ってみる)

 こりゃもう頭を垂れて粛々と読ませていただくしかありません……。

 なーんて殊勝なことを言ってみましたが、この本、光文社古典新訳の素敵な字の大きさと、全230頁というお手軽感。こいつは楽勝だぜ、ふっふっふ。サクサクッと読んじゃいましょ♪……とナメてかかってまたまた反省。

 読みにくかったわけじゃありません。むしろ怒涛のスピードで、わわわーっと最後まで連れてかれたって感じなんですが、とにかく読み終わってゼェゼェするほど疲れました。

 登場人物全員が見事なまでに「どっかおかしい」。特に胃の悪い殺し屋トンプソンが凄かったなぁ。やや素人臭さがある誘拐実行犯たちに比べて冷徹なプロ。その彼が文字どおり血反吐を吐きながらジュリーたちを追いつめていく終盤の盛り上がりったら、もう最高です。なんであそこまで胃が悪い設定なのかはよくわからないけど。そして職場でお弁当食べながら読んでた私も、ちょっともらいそうになっちゃったけど。

 さて、日間賀島「そし誰」合宿から無事生還(?)した加藤さんは、このお話をどう読んだかな? 絶対知らなかったでしょ、この作品は。カシオミニを賭けてもいい。(>『動物のお医者さん』を読んだ方だけわかって下さい)

加藤:名古屋読書会の日間賀島合宿は、おかげさまで無事終了しました。ツイッターのまとめ(https://togetter.com/li/1130893)には読書会の話題がほぼナッシングーですが、アガサ・クリスティー『そして誰もいなくなった』について、とっても真面目に討論したことを、この場を借りて報告しておきます。

 参加者の皆さんと飯テロ被害者の皆さんには心からの感謝とお詫びを。

 今後も長い目と広い心でお付き合いください。

 さて、マンシェットですよ。

 僕がマンシェットを知らなかっただろうって? はっはっはっはっ、なにを隠そう、この話は岡村孝一訳から読んでいたのだ。はい、カシオミニ没収~(ってナニこれ?)。

 この本が光文社古典新訳文庫から出た時の驚きは、まるで8年と少し前のことのように覚えているよ(日本語ヘタか)。

 創刊してすぐに亀山訳『カラマーゾフの兄弟』でブレイクした同文庫は、「これから海外の名作に触れよう」という前途明るい若い読者と、「今さら読んでないなんて言えない」という後ろ暗い中年読者をガッチリ取り込み、ずいぶん話題になりましたもんね。

 かくいう僕も、チャンスとばかりにカラマーゾフ読んだもの。もちろん初ドストエフスキー。

 それがあまりに面白かったので、まわりのみんなに「ところでドストエフスキー読んだ? え、読んだことない? マジで? それちょっとマズいんじゃないかなあ(心配顔)」って教えてまわってたら、出てきたのがマンシェットですよ。

「へ? マンシェット?」って声が出そうになったもん。僕の「いわゆる古典の名作」ゾーンからボール4つ分くらいアウトコースに外れてる。

 なんてったって、この人を食ったような邦題。さらに本を開くと、最初の一文が「トンプソンが殺すべき男はおかまだった。」だもの。

 そのあと、この光文社古典新訳文庫からはハメット『ガラスの鍵』ジェイムズ・ケイン『郵便配達は二度ベルを鳴らす』が出て欣喜雀躍したけど、インパクトという意味ではこのときのマンシェットに遠く及ばなかったなあ。

 この話、あらすじを読むと手に汗握るまっとうなサスペンス・スリラーみたいだけど、何かがちょっと違うんだよね。「壊れたスカーレット・ヨハンソン」みたいな主人公ジュリーをはじめとして、まともな人間はほぼ出てこない。罠にハメられた若い女性と7歳くらいの子供が、冷酷非情な殺し屋からひたすら逃げるという話なのに、なぜだか単純に彼らの無事を願うというふうにならないのが凄い。

 疾走感に脳がマヒして、「いいぞ、もっとやれ」みたいなテンションになってくる。

 畠山さんの「疲れた」って読後感もムベなるかな。

 それにしても9月の札幌読書会に行けないのは残念だなあ。せっかく誘っていただいたのに。『八百万の死にざま』なのに。ここで行けないのなら、もう一生北海道には行けない気がしてきたよ。

畠山:この機会を逃すなんて、天才的な間の悪さだと思わない? 北上さんと田口さんが投げたフリスビーなら、ドーバー海峡を泳いででも咥えて帰ってくると言われた忠犬カトーが、津軽海峡を渡れないなんてねぇ……。(ボストン・テランの新作『その犬の歩むところ』、面白かったですよ!)

 それにしても加藤さんがマンシェットに一家言あったとは、アテが外れてショック。はらたいらさんに賭けた3000点(頼むから、オバチャンにクイズダービーの説明をさせないでくれ)が全部消えたみたいな気分です。

 言われて思い出したけど、新訳のカラマーゾフはとてもよいと確かに加藤さんはみんなに勧めまくってた。でも「オレ古典を読んだ」というはしゃぎっぷりが痛々しかったので、「旧訳で読んだよ」と優しく冷水を浴びせてみたんだっけ。どうしてあの時、マンシェットを推してくれなかったかなぁ。気が利かないなぁ(←八つ当たりの見本)。

 加藤さんの「ジュリー=壊れたスカヨハ」説はうなずける。いや全員壊れてるんだけど。

 その最高潮は、ジュリーたちがスーパーに逃げ込んで火事と殺戮の一大ショーが繰り広げられるところでしょうか。精神面も物質的にもとことん壊れて崩れ落ちんばかりになります。イメージは赤。炎の赤と血の赤で真っ赤っ赤。

 この狂気と暴力の圧倒的エネルギー、これでもかというほどの徹底ぶりはすごい。本を読みながら、園子温監督の《地獄でなぜ悪い》の映像を思いだしましたね。読了後はじっとり汗をかいて、足が微かに震える感じがしました。

 誘拐や殺害計画の目的とか、各人のバックグラウンドとかはほぼどーでもよくって、ただひたすら「追う」「逃げる」に特化すると、こんなに清々しい狂気になるのかと、つい感嘆してしまいます。私も加藤さんと同じく、読み進めるうちに暴力に対する恐怖や嫌悪が薄れて、うっすら解放感すらおぼえました。そんな自分がちょっと怖くもなる。

 心理描写をせず、人物の行動を素っ気ないほどの短い文章でパッパッと切れよく表現していくことで、スタイリッシュな映像が頭の中にできあがっていきます。この行動のみを描写する方法は、ハメット『ガラスの鍵』の回で教わったハードボイルド文体のお作法ですね。正直に言うと、ハメットの時にはその良さがピンときていなかったのだけど、今回はシビれました。

 ちなみに冒頭でワタクシ、タイトルが意味わからん的なことをほざきましたが、もちろん本を読めば雰囲気がつかめるし、訳者あとがきを読むと「なるほど!」と膝を打つこと間違いなし。つまり訳者あとがきもマストリードですよ!

加藤:うん、確かに。たまにはいいこと言うじゃん畠山さん。はい、ブラックサンダー。

 岡村孝一訳『狼が来た、城へ逃げろ』だけ読んでるって人も、光文社古典新訳文庫の中条省平訳を読んで、続けて解説、あとがきも読むといいと思う。ずいぶん印象が変わるんじゃないかな。

 まずなんてったって、畠山さんも書いてるとおり、とにかく読みやすい。

 そして、あの岡村孝一さんのアンダーワールド感というかギラギラ感が薄くなって、ストーリーが頭に入ってくるw

 なんだか岡村訳をdisってるみたいになっちゃったけど、僕も岡村さんの訳は大好きなんですよ。岡村さんのおかげでフレンチ・ノワールの世界にハマったって人も多いと思うし。でも、ちょっとノリが良すぎるというか。

 これ書いてたら堪らなくなって、思わず本棚からジョゼ・ジョバンニ『穴』を探し出して読んじゃったよ。最初の数ページで「脱獄る」(ヤブる)、沈殿む(シズむ)、失敗る(ドジる)、逃かる(ズラかる)って編集者はルビ振り甲斐ありすぎだろ。

 あ、話が脱線れた(ソれた)。

 中条訳では、マンシェットの狂った世界が、クールというかフラットな筆致で描かれ、その異常さが一層引き立っているのも特徴ですね。

 たまにこういう話を読むと、自分がいかに既成概念のかたまりか、常識に囚われた人間かと思い知らされる。いわゆる「ネオ・ポラール」の開拓者としての面目躍如というべきか、読んで圧倒されるのは、既成の価値観、行動様式、常識をすべて捨て去って、一から新しい世界を作るという気概=パワーであり、自由さです。

 救いのない話ながら、読後すこし時間が経つと、読書ってこんなに面白いんだ、そして翻訳小説ってこんなに見たことのない世界がみられるんだって、幸せな気分に浸れる本。

 お勧めです。

■勧進元・杉江松恋からひとこと

 フランス・ミステリーの歴史の中で、1970年代の〈ネオ・ポラール〉と呼ばれる作品群は特異な色彩を放っています。デュマやバルザックなどが主戦場とした新聞連載小説を母体とするロマンス小説の系譜がフランス・ミステリーにはありますが、それが大きく変貌したのは第二次世界大戦後でした。1930~50年代のアメリカ犯罪小説の翻訳が再開、現在も続く〈セリ・ノワール〉叢書にはそうした作品や、フランス作家による模倣作が多く収録されました。そうした〈暗黒小説〉の系譜に〈ネオ・ポラール〉の作家たちは新たなものを付け加えました。そこにあるのは強烈な現状批判です。1960年代の熱い政治の時代を経たことで、先鋭的な犯罪小説が多数生み出されることになりました。そうした作家たちを主導したのがA・D・Gとマンシェットの二人だったのです。

 現在では絶版ですが、マンシェットの長篇第三作『地下組織ナーダ』を読んだときの衝撃を今も覚えています。NADAとはスペイン語で「無」、反体制的組織が暴走し、壊滅に到るまでを非情極まりない筆致で描いた作品であり、テロリストだけではなくその取り締まりにあたる警察官もまた残酷な殺人者として描かれます。本当にすべてが無に帰する幕切れは古今東西のミステリーを通じて最高のものではないでしょうか。もし本書を読んで感銘を受けた方があったら、ぜひ同作も手に取っていただきたいと思います。二作を併読することにより〈ネオ・ポラール〉の熱さを感じることができるはずです。

 二年前に現在の〈セリ・ノワール〉叢書編集長を務めるオーレアン・マッソン氏が来日された際、〈ネオ・ポラール〉の世代の意義について質問したことがあります。マッソン氏は〈ネオ・ポラール〉運動の結果として小説が政治プロパガンダの色を帯び過ぎてしまった弊害があるとし、「だけどマンシェットは頭からそれを信じていたわけではなくて、『お仕事』として書いていたんだ。彼と彼の作品は別物だ」と付け加えていたのが印象的でした。まだまだ一面的にしか紹介されていない〈ネオ・ポラール〉世代、そして1980年代以降のフランス作家については、体系的な邦訳紹介の機会が持たれることを望みます。

 さて、次回はP・D・ジェイムズ『女には向かない職業』ですね。こちらも期待しております。

加藤 篁(かとう たかむら)

愛知県豊橋市在住、ハードボイルドと歴史小説を愛する会社員。手筒花火がライフワークで、近頃ランニングにハマり読書時間は減る一方。津軽海峡を越えたことはまだない。 twitterアカウントは @tkmr_kato

畠山志津佳(はたけやま しづか)

札幌読書会の世話人。生まれも育ちも北海道。経験した最低気温は-27℃(くらい)。D・フランシス愛はもはや信仰に近く、漢字2文字で萌えられるのが特技(!?) twitterアカウントは @shizuka_lat43N

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