今月は、本来なら、真っ先に、野崎六助『北米探偵小説論21』(インスクリプト)書下ろし3500枚という超大作を取り上げるつもりだったが、読み終える目算を誤った上に、野崎ワールドを彷徨っているうちに自分が何を読んでいるかすら判らなくなってしまい、いっとき棚上げすることとした。まこと、レヴュワーの面目なしだが、次回へ送ることとしたい。

 というわけで、今月は一冊のみ。

■ベルトン・コッブ『悲しい毒』


 『悲しい毒』は、英国作家ベルトン・コッブの第二作。先般、『ある醜聞スキャンダルが同じ論創海外ミステリの一冊として翻訳されるまで、創元クライム・クラブで『消えた犠牲いけにえ(1958) の紹介があるだけの作家だったが、立て続けに二作紹介されたことになる。もっとも、『悲しい毒』は1936年に出版された黄金期の作、『ある醜聞スキャンダルは1969年の作と、両者の間には30年以上の開きがある。
 『ある醜聞スキャンダルは、モダンな警察小説の装いのもとに謎解きにも意外性のある好作だったが、
『悲しい毒』は、毒殺物の純パズラーの佳品。しかも、解決は、C.D.キングなどに作例がある手がかり索引つきだ。
 舞台となるのはロンドンの邸宅で、ほぼ動かない。株取引で財をなした男ルパート・ボールとその妻メアリー、娘の三人家族のところに、職を失ったメアリーの弟リチャードの家族四人(弟、その妻、息子、娘)が寄宿しており、さらに経済的に困窮したメアリーの老父母まで引き取ってひとつ屋根の下に暮らしている。この三世帯同居の年越しパーティにゲストとして招かれた青年が砒素で死亡する。
 捜査に当たるのは、チェビオット・バーマン警部補。『ある醜聞スキャンダルを読んだ方なら、主人公アーミテージ警部補の上司で一緒に捜査に当たるのがバーマン警視正だったことを思い出すだろう。『ある醜聞スキャンダルでは、四つの班の長であり、冷静沈着で信頼できる上司だったバーマンが本作では若き警部補として登場。30年以上にわたって40作以上のシリーズ作が書き続けられたバーマンも、フレンチ警部やアプルビイ警部のように出世していく警察官探偵なのだ。
 本作でのバーマンは快活でハンサムな小柄の男。ダンス好きの女中に誘うようにダンスのステップを踏んで見せる茶目っ気もある。
 バーマンの捜査が進むうちに、どうやら青年の死は誤殺で、犯人は別の標的を狙っていたらしいことが明らかになってくる。
 ベルトン・コッブの作品の特徴として、植草甚一や森英俊は毒殺事件へのこだわりを挙げているが、本作のエピグラフでも、「人に襲いかかるであろうあらゆる死の形式の中で、人間性や予想をもっても防ぎ得ないという理由でもっとも嫌悪すべきは毒死である」という専門書の言が引かれており、作者の毒殺テーマを扱った作の嚆矢となったものと推測される。
 本格ミステリにおける毒殺の特徴の一つとして、仕込まれた凶器による不可視の殺人だけに、失敗や誤殺が起きやすいということが挙げられるだろう。本書の原題は、The Poisoner’s Mistake(毒殺者の失策)。バークリー『毒入りチョコレート事件』でも、毒殺事件であるがゆえに、様々な推理のバリエーションが可能になった面がある。
 事件が誤殺であることを前提とするなら、本書のサブテーマは、犯人探し+被害者探しとでもいう興味深い作例になるが、その分、警部補が解き明かすべき謎は茫漠としている。
 毒殺テーマの作品にふさわしく、終章近くまで、冒頭の毒死のみ。関係者のインタビューにより、乾杯用のグラスの位置や当夜の各人の行動を確定していくバーマン警部補の丹念な捜査は、真の標的と容疑者を絞り込んでいくが、ややもすると単調に映る。大家族各人の肖像は書き分けられているが、やむなく妻の血縁者を受け入れているルパートの傲慢さをはじめとして、類型を超えるものではない。全体に不自然さのない捜査と家族の感情が描かれるが、ケレン味に欠け、誰が毒殺者であったところで、大した驚きは期待できないとも半ばまでは思わせる。
 ここで諦めてはいけない。作品が輝きを放ちだすのは終盤近く、家族間の真の感情を探る、いささか見当外れにも映る警部補の調査により、登場人物の戦争にまつわる秘密の過去が生々しく露呈してくる辺りから。ここに至って、登場人物は書き割りから抜け出し、犯人候補が浮かんでは消え、第二の事件が起きるまでラッシュが続く。カタストロフのさなかに、バーマン警部補は、意表をつく真相を指摘する。
 終幕、謎解きの段に移って、我々は、良きミステリが総じてそうであるように、作者の手のうちでもてあそばれていたことが判明する。一見単調な尋問、事実をピン止めしていくような地道な捜査も、巧妙で無理がないミスディレクションとして機能していたのだ。
 実際、手がかりがばら撒かれたページを適示した謎解きを味読すれば、本書の美点はいくつも浮上してくる。捜査側の仕掛けを作者の仕掛けとしてとして自然に同期させていく巧みさ、犯人探し+被害者探しの味わい深い処理、終盤の畳みかけるような展開で真相から読者を遠ざける技量などは、表面上のサプライズ以上の達成だ。これらは、作者のもって生まれたミステリ・センスというほかはなく、200頁を少し超えるミステリに盛られた創意としては十分すぎるほどだろう。
 ほぼ忘れられた作家の埋もれた作品群から、小さな真珠を選び出してきた関係者の眼力に敬意を表したい。

 さてさて、『北米探偵小説論21』に戻らなくては。

ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた)
 ミステリ読者。北海道在住。
 ツイッターアカウントは @stranglenarita




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