前回の記事(第74回:中国のミステリー作家志望者は増えた。では読者は?)で取り上げた第1回QED長編推理小説賞(長編推理小説を対象にした新人賞)の受賞作品が、10月21日に決定しました。入賞作品5篇から選ばれたのは、鐘声礼の『堕落巷不堕落』

 本作は「堕落巷」という路地を舞台にした日常短編ミステリー集で、物語が時間の流れに合わせて展開するのではなく、場所に合わせて進むというもので、読み終わるとともに「堕落巷」の全貌が明らかになるという設定になっているようです。長編ミステリーを対象にした本賞において、短編集形式の応募作品も少なくなかったようですが、中でも本作が群を抜いていたとのこと。「日常の謎」を題材にしながら、過去の名作のように謎をロジックで解き明かしていき、しかもそのロジックも複雑なものはなく、糸口のつかみ方や伏線回収も綺麗だと評価されています。
 審査員を務めたミステリー作家の陸秋槎は中国のレビューサイト豆瓣で、「少なくとも新人という枠において、中国の本格ミステリーは日本と特に差はないと思う」と述べており、今後は日本の新人賞に直接申し込む中国の若手作家も出てくるかもしれません。本作は来年、99読書人の黒猫文庫から出版予定です。

 続いては、最近読んだ本がどちらも「幽霊」を題材にしていたので、2冊とも紹介します。

 

■ミステリアスな女性が事件の鍵握

 1冊目は雷鈞の『見鬼的愛情』(妖異と恋情)。これは新作ではなく、第3回島田荘司推理小説賞入選作(胡傑の『ぼくは漫画大王』と文善の『逆向誘拐』が受賞。共に文藝春秋から稲村文吾訳で出版)として2013年にすでに台湾で繁体字版が出版されていて、今年7月に簡体字版として中国大陸で出版されたものです。まだ読んでなかったので買いました。雷鈞は第4回島田荘司推理小説賞受賞作品『黄』(稲村文吾訳)が昨年文藝春秋から出たので、知っている人もいるかと思います。

 監察医なのに幽霊が怖いという楊恪平は連日同じような内容の悪夢にうなされる。同時期に市内で女性ばかりを狙った連続殺人事件が起きており、彼女らの死体を検死した彼は犯人の犯行の法則を発見。行きつけのバーで神秘的な雰囲気を漂わせる葉詩琴から「良くないものがついている」と忠告される。そしてついに、現実で心霊現象のような怪異が起こり、葉詩琴に連絡すると、確かに「鬼」(幽霊)と呼ばれるものがついていると言われる。彼女と「鬼」の正体とは一体?

 幽霊や怪奇現象が登場するミステリー小説って、それらをどう科学的かつ論理的に処理するかが見せ所の一つだと思うのですが、本作では「鬼」の正体は葉詩琴の正体と同様中盤ぐらいで明かされます。「アレ」にそんな力あるのか? と、とてもじゃないがすんなり受け入れられない正体なのですが、本作の最大の謎は楊恪平に「ついているもの」ではありません。
 楊恪平の悩みが解決し、ミステリアスな葉詩琴の肩書が判明してしまうと物語の終着点が分からなくなります。楊恪平は恋人がいながらすっかり葉詩琴に夢中になって彼女を口説き落とそうと必死で、「これどういう話なんだっけ」と読者が思っているところに連続殺人事件が再浮上して、物語の全貌は葉詩琴の存在によって明らかにされ、彼女によってピリオドを打たれます。

 監察医という職業の楊恪平が科学的な証拠と迷信のロジックの板挟みに遭って、超常現象を信じ込む下地がつくられていく、一種の洗脳のような手口が鮮やかに決まった作品だと思います。あと連続殺人事件とは別の犯人の犯行動機がスパイ小説のようなのですが、このようなことを考える背景は中国だけに存在するわけじゃないので、日本人にも心理的に結構受け入れられるでしょう。

 実はこの本で気になったのは、物語そのものよりもレビューでした。豆瓣のレビューを見てみると、島田荘司への批判が目に付きます。簡体字版には収録されていないのですが、2013年に出た繁体字版には第3回島田荘司推理小説賞受賞作品選考における本作に対する島田荘司の書評が載っているようです。手元に繁体字版がないのでどういう書評だったのかは分かりませんが、読者がレビューで指摘しているのは要するに、島田先生の評価は間違っており、それは先生が中国語を読めないのが原因じゃないのか、という不満と疑念です。前回の記事で取り上げたQED長編推理小説賞設立の理由の一つに、「島田荘司先生は言葉の関係上、概要を通してでしか作品を評価できない。これは伏線、文章力、登場人物設定を得意としている作家にとって不公平である」として島田荘司推理小説賞の不備を挙げていました。実際島田荘司が本書を読み間違えているのかは不明ですが、中国人作家による「われわれのミステリー賞を設立しよう」という意識は2013年の本書(または第3回島田荘司推理小説賞の結果)から生まれたのかもしれません。

 

■過剰にそうあろうとする探偵と助手

 もう1冊は陸燁華の新作『助手的自我修養』(助手の自己修養。2020年)です。陸燁華はユーモアミステリーが得意で、特にキャラ同士の掛け合いが面白い作家。またQED長編推理小説賞設立の発起人の一人でもあります。そんな彼が今回、本格ミステリーをターゲットにし、探偵と助手という関係性をおちょくりまくります。

 ヨーロッパ留学を目前に控えた祝灯灯の部屋に見知らぬ中年男性の霊が現れる。周一非と名乗るその幽霊は、半年以上前に「黄金館」の主人で覆面作家兼探偵の助手をしていたところを何者かに殺されたと述べ、彼女に調査を依頼する。助手募集の広告を見て向かった先には本当にマスクをした男が立っていた。探偵が要求する助手としての身の振り方などが全然理解できないながらも助手の面接に合格した彼女は、ミステリー黄金時代の雰囲気を漂わせる、電子機器持ち込み禁止で外部との連絡手段が存在しない人工クローズドサークルの黄金館に案内される。そしてそこに探偵としての矜持を持つ作家と自らの本分をわきまえた助手が次々にやってきて、その翌日に覆面作家のものと思われる死体が見つかる。ミステリーのことなど何も知らない祝灯灯は、助手どころか探偵として事件を推理する羽目になる。

 本作に登場する幽霊は本物です。そしてこれが探偵の助手だったくせにとても無能というか、幽霊という状況を生かしてサポートしてくれるわけではなく、むしろ彼のせいで祝灯灯がピンチに陥ったりもするので、その辺りはミステリー小説としてフェアです。

 覆面作家と思われる死体が見つかり、本当にこれが覆面作家のものなのか、そもそも覆面作家の正体って誰だったのかと情報が制限された空間で推理するわけですが、この作者のことなので正解なんかすぐには出してくれません。「覆面作家は2人いた!」と推理したかと思ったら否定する材料がすぐに出てきたり、「誰とも会話をせず、誰にも見向きされていないあのオッサンは、周一非と同様、私にしか見えない幽霊に違いない」と看破したかと思ったら、次のページで「やっぱり本物の人間だった」ってなったり、祝灯灯が把握している材料から導き出す推理はことごとく間違います。

 一番ふざけているのが探偵のキャラクターで、過剰な探偵像を演じるとともに助手には決して自分より目立たないよう要求します(名前すらも個性的であってはいけない)。タイトルの「自己修養」は「そんたく」と言い換えても良く、助手にとって探偵は神であり、彼らの考えを推し量らなければなりません。推理をするなら傍若無人に振る舞っても許されると思っている探偵も出てきて、黄金館内における探偵の影響力は、全く間違った推理をして無実の人間を犯人扱いしても「よく分からないけど、確かにそうかもしれない」と信じ込ませるほどです。
 しかしミステリーの定石を知らない祝灯灯から見ると、そういった探偵のこだわりや加害性などはみなくだらなく、信じられないものであり、助手として身を引いてやろうという気はさらさらありません。本書は一般人(非ミステリー読者の祝灯灯)の目を通して、ミステリー小説のお約束や探偵の異常性などを揶揄する小説であるとともに、一人の人間が助手から探偵へと変貌する成長物語であるともいえます。

 メタミステリー作品として個人的には満足したのですが、さすがにそれはちょっと……と思う点もあり、本当の謎解きの前に披露される偽りの解答がどう考えてもその場にいる全員を納得させるのは不可能だろうという内容でした。死体が別人の物という可能性をみんなが暗に受け入れていたとはいえ、そんな穴だらけの推理を仮にも探偵と助手たちが信じ込んでしまう展開を書いたのは作家としての「逃げ」だろうと、その後に本当の真相を提示されても爽快感は薄かったです。むしろどれだけ突っ込まれようが無茶を承知でゴリ押しする力強さが欲しかった。

 今回紹介した2冊に関連性はなく、雷鈞と陸燁華の間に特別な交流があるわけでもないですが、かたや島田荘司から支持されなかった作家、かたや島田荘司以外の基準をつくろうとしている作家の作品がほぼ同時期に発売されたことに、何か意味を読み取ってしまいます。中国ミステリーが今後どのような可能性を見せてくれるのかは、来年出版予定の『堕落巷不堕落』に答えが書いているかもしれません。

阿井幸作(あい こうさく)

 中国ミステリ愛好家。北京在住。現地のミステリーを購読・研究し、日本へ紹介していく。

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現代華文推理系列 第三集●
(藍霄「自殺する死体」、陳嘉振「血染めの傀儡」、江成「飄血祝融」の合本版)


現代華文推理系列 第二集●
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