今回は、それぞれのアプローチは違うけれども、英国作品らしい快作が二本揃った。

■レオ・ブルース『ビーフ巡査部長のための事件』


 実に、20年という時を超えて、ビーフ巡査部長物の登場だ。
 『三人の名探偵の事件』(1936)で初登場し、名探偵たちを出し抜く推理を披露したビーフ巡査部長物は、『死体のない事件』(1937) で被害者探しを、『結末のない事件』(1939) で文字通り結末のない事件を扱うというように、一作ごとに探偵小説の文法を破ることになった。第5作『ロープとリングの事件』(1940) の邦訳は既にあったものの、その後のビーフ巡査物は未紹介のままだった。ここに、ビーフ物の第6作『ビーフ巡査部長のための事件』(1947) が見参したわけだ。
 初期のレオ・ブルースは、ミステリ世界の冒険者だ。探偵小説という土壌から探偵小説をつくるラディカルな革新者だ。そして探偵小説のセオリーを脱臼させる批評家でもある。そのプロットの狙いは、ごく簡単に要約できるものであり、誰しもアイデアとしては浮かぶかもしれないが、書くのは困難というテーマに一身を賭した。この求道者めいたストイックさがディープなファンに好まれる要因だろう。2000年に『結末のない事件』に関し、「ブルースは加速していく」とウェブサイトに書いたことがあるが、本書『ビーフ巡査のための事件』を読んでも同様な感覚をもった。
 探偵小説から探偵小説をつくるレオ・ブースの作法は、本書からも十分に窺える。
 第一章では、ビーフ巡査部長物の記録者でワトソン役でもある「ぼく」(ライオネル・タウンゼント) は、もうビーフ物を書くのを投げ出して、堅実な海上保険の仕事に就こうとしている。ビーフが感謝どころか、自分が主人公の探偵小説が売れないと不満ばかり表明するからだ。タウンゼントは「君には洗練が欠けてるんだよ」「君は粗野でぞんざいだ」となじる。本の売れ行きを巡って喧嘩する探偵とワトソン役というのも前代未聞だろう。しかし、既に警察官をやめ私立探偵事務所を開いているビーフ(まだ巡査部長と呼ばれている) は、嫌がるぼくと一緒にケント州の森で起きた事件に関わることになる。
 ここで物語は一転、ウェリントン・チックル氏の日誌が始まる。実直な時計職人だったチックル氏は、今は引退の身、完全殺人を実行し将来に名を轟かせようとしている常軌を逸した人物。警察に捕まらないためには、無動機の殺人が一番という犯罪学に通じたチックル氏は、その舞台を物色し、森の中の快適なバンガローを構える。最初に会った者を殺害するという犯行計画の手記が50頁ほど続き、事件は放蕩者の銃殺という形で起きる。ビーフたちの捜査は、大晦日のパブから始まる。
 作品の中で登場人物の口を借りて出てくる探偵小説批評は、なかなか痛快だ。
 「君たち探偵作家が物語を面白くしたいと思った時には必ず検屍法廷を差し挟むことにわしは気づいていた。何のために?」こういってビーフは検屍法廷を欠席する。
 「容疑者の一覧表、時刻表、入念な手がかり目録、等々は、本当の推理からは何も出て来ない時に、一章を満たす必要があると感じた作者の常套手段である」とタウンゼント。
 「君のために容疑者を一人増やしてやろうかと思ってな」というのは、作中の名探偵であることを十分意識しているビーフの台詞。「君の読者が学んだのと同じことをやればいい」「登場人物の中で一番怪しくない人物を選び、それでどうなるか見るんだ」という探偵小説の読者という存在を意識した語り。第24章には「お約束の第二の死体」という章題がつけられている。
 さらに、チックル氏は探偵小説全般の愛好者であり、ビーフがチックル氏を訪ねると、あろうことか、彼は『ロープとリングの事件』を読んでいると、いった具合。ビーフは初めて愛読者にして好敵手にまみえたのだ。
 こうした批評的とも、メタ探偵小説的ともいえる部分は初期作にも共通するが、本書の読みどころの一つ。
 ビーフは探偵小説の定石・お約束をからかいながら、かなり正統的な聞き込み捜査を続ける。度々パブのビールに脱線しつつ、動機を重視する警察とも連携しながら。大がかりな捜査手段をもたないビーフがボーイスカウトの一団にわたりをつけて、森の一斉探索を行うくだりは、ビーフの意外なリーダーシップに微笑ましくなる。
 さて、本書における作者の狙いは、最終章でビーフ自身によって明らかにされているが、やはりチャレンジングで危ういものである。
 事件の犯人と目される手記や記述を冒頭に置くという手法は、アガサ・クリスティー『ABC殺人事件』やニコラス・ブレイク『野獣死すべし』、F・W・クロフツの半倒叙といわれる作などに見られるもの。冒頭の手記にはチックル氏の殺人そのものを描いた部分がないのだから、読者の思考は、チックル氏は犯人ではあり得ないと流れるだろう。では、その先にどんな驚きが待っているのか。これが本書の見どころである。
 作者のたくらみについては相当にひねくれているが、似たような前例もないわけではなく、本作では「やられた」というより、苦笑いの方が勝るかもしれない。読者の反応に関し何らかの計算違いがあったものか。本書は、加速しすぎたゆえにあやうく脱線しかけている状態で、そこがまたブルースらしいといえるだろうか。
 しかし、「新手一生」(人の指した手は指さない)の言葉を残した勝負師・升田幸三のように、新しい探偵小説の指し手の創造に情熱を燃やしたブルースの忘れ難い置き土産として記憶にとどめておきたい作品である。

■コリン・ワトソン『ロンリーハート・4122』

 コリン・ワトソンは、2016年に『愚者のたちの棺』(1作目)、
『浴室には誰もいない』(3作目)が創元推理文庫で相次いで紹介され、その人を喰ったようなユーモアと意想外なプロットを大いに愉しんだのだが、売行きのせいか、その後の紹介が止まってしまっていた。
 『ロンリーハート・4122』(1967) は、前記2作と同じく、英国の架空の町フラックス・バラが舞台、パーブライト警部を探偵役とするシリーズの一作で、第四番目の作品に当たる(創元版では「コリン・ワトスン」、町の名称が「フラックスボロー」と表記されている)。
 本書は、『愚者のたちの棺』解説の森英俊氏が「シリーズの最高傑作」と挙げていた作品だ。 
 四作目ということで、変化球でもあるのか、本作では、結婚相談所に相手を求めるルシーラ・ティータイム(変わった姓だ) と行方不明事件を捜査するパーブライト警部陣営を交互に描く手法を用いている。
 中年の未亡人女性が家を売却して四百ポンドを手に失踪した。すでにもう一人の中年女性の失踪事件も起きている。警察の捜査で、二人の共通点として、「ハンドクラスプ・ハウス」という結婚相談所の会員であったことが判明する。さては、二人は「青髭」の犠牲になったのか。
 結婚相談所を舞台にしたものとしては、交際相手を探す若い娘たちを愛人にする邪悪な経営者を登場人物にしたジュリアン・シモンズの『自分を殺した男』(1967) などが思い浮かぶが、「ハンドクラスプ・ハウス」の経営者は女性で、誰と誰が交際しているかまでは関与していない。
 ロンドンから来たミス・ティータイムは、この結婚相談所を通じてある男性会員を知り、交際を深めていく。彼女の運命に何が待っているのか。タイトルの「4122」というのは、この男性会員のコード番号のことである。
 ぬけぬけとした本質を射抜くような人物描写、ビターで下ネタも厭わない風俗や社会への批評の毒がある人間喜劇といったところにワトソンの特質はあると思うのだが、本作でもそれはいかんなく発揮されている。
 ミス・ティータイムが魅力的だ。「年齢の割には美女」であり、何事にも物おじしない行動的な女性。フラックス・バラの街で、ドミノの賭けをやっている連中にすぐさま溶け込み、九杯のウィスキーを飲み干すうちに、大勝してしまうような女性だ。  
 このミス・ティータイムという外部の視線により、これまでの紹介作以上に「片田舎の裕福で保守的な町」古くからの市場町、自治都市であったフラックス・バラという町が生き生きと立ち上がってくる。点景人物の清掃人が手押し車の両サイドに書いた女王陛下をネタにしたメッセージには、同時代の先鋭的なコメディセンスを感じさせる。
 ワトソンの創造になる「フラックス・バラ」サーガについて、H・R・F・キーティングは、アーノルド・ベネットの「五つの町」やウィリアム・フォークナーの「ヨクナパトーファ郡」にさえ比肩しうる架空の土地とまで評しているほどだ(『海外ミステリ名作100選』)。
 童顔の好人物ながらズレた捜査で笑いを呼んだシドニー・ラブ巡査部長は、前作よりも、捜査の腕は上がっているようだ。周囲の人物のコミカルな描写の一方で、切れ者ながらやや印象の薄かった感のあるバーブライト警部は、二人の失踪女性に関し「実に気の毒だ。金を奪われたからではない。ことによると殺害されたからでもない。侮辱されたからだ。ふたりは心底、傷ついたに違いない」と真情を吐露し、思わず居ずまいを正したくなるような場面もある。
 ワトソンの人を喰った一筋縄でいかない調子はプロットにも及んでいる。というより、意地悪な叙述と予想を裏切るプロットが一体化している点がワトソンの持ち味といえるのではないだろうか。本作には、やはり喜劇的ともいえるサプライズがあり、このまま収束かと思いきや、さらにもう一幕のサプライズが待ち構えている。あっさりとした(しかも悪趣味な)フェイドアウトにワトソンの粋を見たい。
 願わくは、「フラックス・バラ」サーガの紹介が続いていきますことを。

ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた)
 ミステリ読者。北海道在住。
 ツイッターアカウントは @stranglenarita



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