先月の「第80回:歓迎しづらい密室トリック人気」でも紹介した中国のミステリー小説家・時晨が、このほど上海にミステリー小説専門書店「孤島書店」をオープンしました。

 小説家が書店を経営するというニュースはネットで反響を呼びました。なぜなら、日本でも中国の書店関連のニュースが報道されますが、そういうニュースで取り上げられるのはだいたい大型・チェーン書店だからです。「最も美しい書店」と言われて店内に多くの撮影スポットがある「鐘書閣」、上海にオープンした「蔦屋書店」、24時間営業の「Page One」(本店はシンガポール)、西洋的な雰囲気が漂う「SiSYPHE」など。北京に住む私もよく本屋に行きますが、ほとんどがチェーン書店ですし、本を多めに購入する場合はネットショップを利用します。しかも中国、特に北京や上海などの都市部では家賃が高騰し続けています。そんな時代に個人書店を開くとは、ずいぶん思い切ったなと思いました。時晨もSNSに「この時代に本屋を開くのは時代と逆行しているし、100%赤字経営だ」と書いているので、ある程度の損は覚悟の上のようです。しかも、今は都市部のほぼ全ての書店に併設されていると言ってもいいカフェもないので、完全に本だけで勝負するつもりです。

 ミステリー小説を専門に扱う同店では、中国ミステリーの他、日系、欧米、社会派などに棚が分けられていて、ここまで細分化されている書店は中国で他にないのではないでしょうか。

 4月10日のオープン日には大勢の客や作家仲間が詰めかけ、本はほぼ完売、1万元(約16万円)余りの売上があったようです。幸先の良いスタートを切ったかに見えたのですが、実は後日談があり、なんとオープンしたのに今は仮営業になっているとのこと。

 中国で書店を経営するには営業許可証の他に出版経営許可証が必要なのですが、出版経営許可証を用意するのが間に合わず、現在はお店は開いているけど物は売ってはいけないという状態に。正式オープンは5月以降になるようです。

 カフェもない、通販をする予定もない書店で儲けを出すのは至難の業でしょう。しかも中国では一般的に、新刊本すら書店で数割引きで買え、ネットショップだとさらに安くなります。実際、2015年にも南京で中国初と言われるミステリー小説専門書店がオープンしましたが、もう閉店してしまいました。 中国のミステリー小説愛好家に交流の場所を提供するために開かれた同店は、毎月家賃を支払う経営者と、きちんとお店まで足を運ぶ客の善意でのみ成り立ちます。大型・チェーン書店を街中で見掛けるようになった昨今、同店のような特定のジャンルに秀でたテーマ性のある個人書店が流行れば、それは夢のある話になるのでしょう。

 

孤島書店
住所:上海市黄浦区南昌路125号2幢102室
(以上の写真は全て時晨の許可を得て転載使用)

 さて、今回は時晨が序文を寄せた中国長編ミステリー『天使降臨之塔』(著:里卡多)を紹介します。この本、後半を読むまでは今年一番のミステリーだと確信するほど面白かったです。

 大学の現地調査に同行していた葉深は、森をさまよい、カラスが周囲を飛び回る石造の塔がそびえる村にたどり着く。彼女は村人の程子来に塔や村のことを質問するが、程子来から塔を「不吉の塔」と教えられ、村に二度と来ないよう警告されて村を出る。しかし塔のことが気になる葉深は、同じ現地調査班の孫極を誘って、記憶を頼りに再度その村へ。村ではちょうど「神降祭り」という祭事が行われており、彼女たちは村人の誘いを受けて祭りに参加する。しかしその祭りとは、カラスを天使に見立て、鳥の糞便を服に塗り、20メートル以上の高さの塔から生贄の人間を落とすという異様な内容だった。天使降臨教という宗教が支配するこの村には、23年前に不可思議な出来事が起きており、まだ塔の屋上に出入り口がなく、内部が密閉されていた頃、ある男が塔内部の天辺から落下死した。それ以降、村はカラスを天使として崇め、その奇跡のような出来事の模倣を繰り返しているのだ。
 
村で軟禁状態に置かれていた2人は程子来に助けられる。だが逃走のさなか、程子来から、さっき塔から落ちた人物は自分だと告げられ、さらに信者たちから「呪い」をかけられてしまう。無事脱出し大学に戻った葉深が引き続きその村のことを調べると、自分がまだ幼児だった23年前に大学教授の父親に連れられてその村に行っていたことが分かった。自分ならびに父親と村との関係、そして23年前の密室塔落下死事件の真相を明らかにするため、彼女は三度村へ行く決意を固める。

 辺鄙な村で奇祭と出くわし事件に遭遇するというミステリー小説ではおなじみの展開ですが、普通と違うのは主人公が村と都市部を短期間のうちに往復できているという点です。葉深は村から脱出して外から村のことを調査できたので、23年前の落下死事件を担当した警官に会い、当時父親と共に村を調査した大学教授が残した資料に当たれたわけで、主人公が現場にいないことがプラスに働いています。一方、調べれば調べるほど村を支配する教団の異様さに気付き、「呪い」の実在を信じてしまってどんどん参っていくというマイナスの影響もあり、それが読者にも村の異様さを際立たせる効果が出ています。

中国の辺境にある西洋的村落
 全体的にスローで外側から物語をじっくり固めていく展開の他、本作にはもう一つの特徴があります。それは中国の実情とややかけ離れた舞台に対して一応合理的な解釈をしているところです。
 深い森を抜けると石塔が立つ村に出た、という中国というよりドイツを旅しているんじゃないかという状況。これは作者の里卡多がドイツ在住だということが大きいでしょう。そして作品の中心的存在である石塔も、何も装飾がない単なる円柱という、これまた欧州の田舎にありそうな質素さです。
 村で信じられている宗教も、天使(実際はカラス)を信仰対象にしている、油(実際は鳥の糞)を塗る、生贄をオストラコンで決める、などどこか西洋かぶれ。村や宗教がヨーロッパっぽい理由はラストに明らかになるのですが、小説の中とは言えそもそもなぜ中国でこれらの存在が許されているのでしょうか。

 葉深は村で軟禁されている間、村人から信じられないことを聞きます。この村には名前がなく、外界とは最低限の交流しかしていないと。村に名前がないということは行政や法の支配を受けていないということ。しかし一方で、23年前の落下死事件の時には近隣の村から警官が駆け付けています。いったいこの矛盾はなんだと都市に戻った葉深が調べると、実際にはこの村にも北崗村という名前があり、政府による人口統計調査が行われていたことも分かります。ですが、当の村人たちも周囲の村も北崗村を気に留めておらず、そこで誰が何をやっていようと誰も関心がないということが、この村で異質な宗教が続く理由になっているのです。
 法もインフラも整備されている現代中国で犬鳴村のような地図に載ってない村は存在しえないですが、結局のところ、いくら科学が発達しても人間の意識の問題でいくらでも「忘れさられた村」はつくれるというわけです。

石塔トリック
 本作の肝となる石塔は、中身が空洞になっていて、外側には、内部をいぶす葉っぱを入れるための木製の扉と、屋上から生贄を入れて落とすための木製の扉しか装飾がありません。このシンプルな構造の塔で主に三つの謎が発生します。
 一つ目は、屋上から生贄(中身は程子来)が落下したのに、程子来は生きているということ。二つ目は、塔にまだ扉がついてなかった23年前に、密室状態の塔の屋上からまるで男がワープしたかのように突如現れて落下死したこと。そして三つ目は、葉深の父親の死体が塔の内部で見つかったこと。
 一つ目は手品的なトリックなので前菜みたいなものですが、二つ目のトリックは村人に奇跡の存在を信じ込ませ、その後に宗教を信仰させるには十分です。なにせどこからも入る場所がない塔の内部で男が落下死するのですから。そして三つ目は葉深にとって衝撃的な事件ですが、何より不思議なのは、死体は全身を強く打っているのに落下死した形跡が見られないということです。

麻耶雄嵩的?オチ
 この本、構成や伏線の貼り方は新人作家とは思えないほど素晴らしいです。村で「呪い」を受けた葉深が都市に戻ってから、カラスをシンボルにする新興宗教(中国では怪しい新興宗教は邪教として処分されるので、ここではセミナーとして言い逃れている)に絡まれたことがきっかけで、村の連中が自分を監視して殺そうとしているんじゃないかと疑心暗鬼に陥ったり、23年前の事件の一部を知る父親から呪いが実在するとしか思えない話を聞かされたり、さらには同じく「呪い」を受けた孫極という男が交通事故で死んだりして、彼女の精神はどんどんすり減っていきます。そこで後半、彼女に代わって探偵役として登場するのが、作者と同名の探偵・里卡多です。
 里卡多(リカルド)という中国人離れした名前から偽名ということが分かりますが、彼の本名、容姿、職業などは一切明かされません。時晨は序文で「本作において探偵は徹底して『真理』の象徴になった」と書いており、名探偵を実際の都市で特定の人物にさせたくなかったのではないかと推測しています。彼は北崗村と同様、正体を気に留められることなく、謎の探偵として役割を終えることができました。

 物語終盤、里卡多は関係者を集めて、上記の謎の二つ目と三つ目の真相を明かすのですが、それがかなりとんでもなかったというか……二つ目の謎の真相は、ワープ落下死事件が起きたのが塔の完成直後という点で察することができるかもしれません。そしてこの謎の判明が村や教団の正体につながるから良いのですが、問題は三つ目です。使われている密室トリックのあまりの強引さに驚かされました。

 カラスが登場するアンチミステリー的な内容であるため、中国のレビューサイトでは麻耶雄嵩っぽいと評されている本作。二つ目の謎の解明で終わっておけば佳作になったのでしょうが、三つ目の降って湧いたような事件を挿入したことで賛否両論の問題作に仕上げています。みなさんも一緒に本書を読んで、トリックの図解ページを見て私と一緒に「なんだそれ?」と呆れてほしいです。

 中国の麻耶雄嵩とも言える新人作家の登場に中国のミステリー界隈はけっこう盛り上がり、今も評価が分かれています。作者の2冊目があれば、読者は当然身構えて読むことになると思うので、その上でどういった内容を出してくるのか楽しみです。


阿井幸作(あい こうさく)

 中国ミステリ愛好家。北京在住。現地のミステリーを購読・研究し、日本へ紹介していく。

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(藍霄「自殺する死体」、陳嘉振「血染めの傀儡」、江成「飄血祝融」の合本版)


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