8月の当コラム『著者に聞く! 民国ミステリー叢書をつくった理由』の最後に、「民国時代を舞台にして、実在の作家が登場する小説も生まれるかもしれない」と書きましたが、現実はもっと速いスピードで動いていました。
1930年代の上海を舞台に、当時の探偵小説に描かれた数々の中国人探偵が勢揃いするミステリー小説『偵探往時』が9月にすでに発売されていました。作者は、上海でミステリー小説専門書店「孤島書店」を経営する時晨、これまで『黒曜館事件』や『五行館事件』などで古典的な本格ミステリー小説を書いてきた正統派です。
今回は、半植民地状態だった当時の上海「租界」を舞台に、警察組織すらも外国勢力や中国マフィアに行動を制限される中で、事件解決のために自由に動き回る虚構の探偵たちが活躍する『偵探往時』を紹介します。
フランス租界の腕利き華人巡査長・葉智雄のもとに大学教授の陳応現から事件の情報が寄せられる。陳応現は、最近報道されている上海在住の外国人や中国人の大富豪の連続事故死・病死はすべて他殺だと言い、その証拠として、新聞に載っている写真の死体には赤い斑点があると伝える。葉智雄が監察医に死体を調べさせると、自殺ではつかない傷があるだけではなく、重度の水銀中毒の症状が見られた。しかし、他殺の証拠を掴んだ葉智雄が得たのは名ばかりの捜査班長の職務で、部下は探偵小説が大好きな羅聞という頼りない男だけ。頭を抱えているところに羅聞から、この連続殺人事件には「とりく」が使われているとわけの分からないことを言われ、民間の探偵の力を借りるべきだと提案される。そして後日、葉智雄のもとに、霍森、羅思思、李亦飛といった上海、いや中国を代表する探偵が続々と集まり、大胆な推理を披露する。そんな中、葉智雄はあることに気付く。どうして陳応現は白黒の新聞を読んで死体に「赤い」斑点があると言ったのか。そこには上海中を巻き込んだ大掛かりな研究が隠されていた。 |
■民国探偵小説風を重視
清朝末期~中華民国を舞台にした現代の中国ミステリーは少なくありません。『白澤先生志怪譚 人間修羅案』(著:平山君)は、民国時代の南京で広まっている怪奇小説が数十年前に実際に起きた殺人事件の記録だということが分かり、旅をしながら事件の足跡を辿る物語でした。『夜聞録』(著:高楼大厦、馬翼文)は、民国時代の北京で盲目の楽師が師匠殺しの犯人を見つけるために裏社会の人間と渡り合っていく話です。そして『江寧探案録』(著者:江寧婆婆)は、清朝再興を企む秘密組織の陰謀を阻止するために探偵や教授、さらに道士などが活躍する冒険奇譚的なお話でした。
本作のジャンルを言い表すなら、民国探偵小説風ミステリー小説といったところです。舞台は1930年代の上海なのですが、作品の構造自体は現代的なミステリー小説と似ていて、文章も現代風で読みやすく、登場人物も一人一人キャラが立っています。最大の特徴は、当時のさまざまな作家の手により生み出されたフィクションの中国人探偵たちが出演する点です。しかしあらすじを読んでピンと来た方もいるかもしれませんが、探偵全員、本来の名前と異なります。
霍森は「中国ミステリーの父」程小青が生み出した探偵・霍桑をモデルにしています。女性探偵・羅絲をモデルにした羅思思は気が強い才女、李亦飛は少年探偵・李飛がモデルで、しゃべるのが苦手でおずおずと推理を披露する……という風にオリジナルとはちょっと違う性格をもってこの世界に現れます。作品内には他にも多くの探偵がいて、おそらく民国時代の探偵小説に登場する全ての探偵が生きているのだと思うのですが、本書に登場するのは5人ほどなので、カオス状態にはならずに済みました。
不思議なのは、本作には、上海マフィアの杜月笙や悪名高いフランス人警視総監サーレーら実在した人物は実名表記で出てくるのに対し、フィクションの登場人物である探偵たちの名前が軒並み変えられていることです。作家が登場するのならまだしも、彼らが生み出したキャラクターの、作家遺族への配慮とかでしょうか。
■変格小説風の犯人像
本書は第一部「犯罪の都」と第二部「洋館での殺人」の中編二作で構成されていて、どちらも「密室殺人」が鍵となっているのですが、前者が日本の大正・昭和時代のエロ・グロ・ナンセンスを意識しているような作風なのに対し、後者は登場人物の言動を含めてやけに現代的な本格ミステリーとなっています。
「犯罪の都」では、大富豪連続変死が実は殺人事件だと掴んだ葉智雄と探偵一行が犯人を追うわけですが、探偵たちは密室だった現場の状況や証拠品などから、ツリーマン症候群の人間が被害者が油断するまで木に化けて部屋で待った、小人症の人間が狭い通路を通って密室に侵入した、という殺人方法を推理。実際この予想は正しくて、上海に来ていたサーカス団一味が犯人なのですが、何十年も前の変格小説に出てきそうなトリックがこの時代に書かれたことに驚きました。過去を舞台にしたミステリー小説って、時代が昔であってもトリックは現代の基準に沿ったオリジナリティがなければならないと思っていたので。
とはいえ、犯人を見つけて終わりなんてことはなく、実はサーカス団の裏には黒幕がいて、彼には大富豪たちを殺す必要があり、被害者たちの遺体に高濃度の水銀が残っていたのもきちんと理由があった、と明かされ一部は終了。本番は後半です。
■犯人当てで外国人に復讐?
第一部でターゲットにされるも無事だったドッグレース経営者のフランス人ブービエのもとに、殺人予告が届けられる。葉智雄は警察の威信をかけ、探偵たちとブービエ邸に乗り込むが、案の定ブービエは密室で殺されてしまう。上司のフランス人警視総監サーレーから責任を追求されることを恐れた葉智雄は、サーレーが来る前に犯人を逮捕することを決意。ブービエ邸の住人に聞き込みをすると、外国人である住人はみな中国警察の捜査に非協力的で、全員何かを隠している様子。そんな中、予想に反して早く到着したサーレーは、ブービエ殺害の犯人を葉智雄と決めつけ、彼を連れて行こうとする。探偵たちは葉智雄の冤罪を晴らすためにサーレーを納得させる推理を披露し、真犯人を見つけなければならない。 |
第二部は変格から一転して本格ミステリー的な犯人当てが主軸となります。現場は密室、被害者は銃で撃たれ、死亡時刻にアリバイがない人間が多数……という難易度が高い事件を前に羅思思ら探偵たちも意気込むのですが、現場には最低4人の探偵がいるわけで、いったい誰が謎を解くのかが気になるところ。しかしここで作者は全員にチャンスを与えます。その結果、探偵が犯人を推理すると次の探偵に矛盾を指摘され、また別の人物が犯人として挙げられ、また別の探偵が発言する……というコントのようなことが行われます。しかもその間、決して探偵たちの味方ではないサーレーがなんだかんだで推理に協力するのも面白いところです。
「推理は間違ったな。じゃあ葉智雄を連れて行くぞ」
「待ってください。次は私が推理するので、もう10分ください!」
「分かったよ……」
という流れが2、3回続きます。アレ? サーレーって実はいい人なのでは?
推理のたびに犯人候補に挙がるのがブービエ邸の住人たちで、推理に誤りがある以上、彼らが犯人であるわけないのですが、全員人には言えない秘密を持っており、無実の証明が秘密の暴露となってしまうため、皆の前で探偵たちに良いようにやられてしまい、怒りたくても怒れません。
中国人探偵たちが租界に住む外国人たちの秘密を暴いて恥をかかせるというこの構図、もしかして当時の被支配者層から特権階級への意趣返しとして描いたのかなと思わせます。
また、第一部の黒幕の正体も後半で明かされます。彼も中国人でありながら租界の金持ちの外国人たちを影で操る権力者であり、外国人が主役である租界を舞台にしていても、敵も味方も結局は中国人であるという本作の構造に、外国に半植民地化されていようが、中国は表社会も裏社会も共に中国人のものだというメッセージ性も感じられました。
■民国時代の作家がミステリーマニアだったら
作者の時晨は本作を書いたきっかけについて、民国時代の探偵小説家たちが日本の江戸川乱歩や横溝正史、高木彬光のように当時の黄金時代の欧米ミステリーを読み込んでいたら、中国ミステリーの未来は変わっていたかもしれず、その希望を込めたという旨のことを言っています。
本格ミステリー小説の形式に則って推理を披露する探偵たちがいるほか、葉智雄が殺人事件の捜査に探偵を介入させることを許可したことも、探偵が真犯人を見つけ出すまでサーレーがじっと待ってくれたのも、そして皆の前で秘密を暴露されて犯人扱いされても住人たちが激怒しなかったのも、作者が設定した民国探偵小説風ミステリー小説世界の中だからでしょう。
本書はあくまでも民国を舞台にすることで中国オリジナル要素を強調した作品ですが、当時には存在しなかったであろうミステリー小説のお約束要素を十分に取り入れることで、現代のミステリー小説を読み慣れた読者でもとっつきやすい内容になっています。本物の民国探偵小説は読みづらそうだしちょっと……と思う人は、本書から入ってみるのも良いのではないでしょうか。
阿井幸作(あい こうさく) |
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中国ミステリ愛好家。北京在住。現地のミステリーを購読・研究し、日本へ紹介していく。 ・ブログ http://yominuku.blog.shinobi.jp/ |
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