前回の「第83回:上海の孤島書店と民国ミステリー」の後半で、約100年前の中華民国時代に生まれた中国オリジナルの探偵小説を作者ごとにまとめた『中国近現代偵探小説拾遺』叢書を紹介しました。今回は、その叢書を編纂した華斯比から話を聞き、いま民国時代のミステリー小説をまとめた理由や意味を皆さんにお届けします。


孤島書店で新刊発表会をする華斯比(右)

 華斯比についてはこのコーナーで何度も取り上げてきました。中国の編集者兼書評家であり、中国ミステリー業界で顔が利く人物の一人です。国内の短編ミステリー小説をまとめた小説集を毎年出したり(☞ 第78回:短編ミステリー小説集『2020年中国懸疑小説精選』)、子どもに向けた日常ミステリー短編集を出したり(☞ 第62回:中国で子ども向け短編推理小説集発売するなど、編集者として積極的に活動するほか、自らの名前を冠した短編ミステリー小説賞「華斯比推理小説賞」を立ち上げて(☞ 第44回:中国ミステリの雑誌と賞がこの先生きのこるには、新人ミステリー小説家がデビューする舞台をつくっています。

 そんな彼が清末や民国時代の探偵小説を収集していると知ったのは数年前のこと。民国時代をテーマにした現代のミステリーやSF作品は数多くあれど、その当時の作品そのものに日が当たることは少ないです。ましてや、その分野の研究者でもない彼がどうしてそんなことをしているのか不思議でした。今回のインタビューではそんな自分の疑問にも答えてもらうことになりました。


華斯比が編纂した『中国近現代偵探小説拾遺』

右から『李飛探案集』(著:陸澹安)、『胡閑探案』(著:趙苕狂)、『中国偵探:羅師福』(著:南風亭長)、『劉半農偵探小説集』(著:劉半農)(写真提供・華斯比)

 

 Q1:いつ頃から民国時代の探偵小説の研究を始めたのですか?

 A1:実際のところ、清末・民国時代の探偵小説を「研究」しているとはまだ言えない状態で、今はまだ「研究」前の原著の収集と整理を体系立ててやっているにすぎません。正確に言うと「文献学」の範疇ですね。
 2016年初頭にミステリー小説家の時晨(孤島書店の店主)に誘われて、友人の亮亮が出したユーモアミステリー小説『季警官的無厘頭推理事件簿3』(亮亮およびこの作品シリーズについては、第9回:中国ミステリ紹介『季警官的無厘頭推理事件簿』第18回:中国ミステリ紹介『季警官的無厘頭推理事件簿2巻』などを参照)の序文を一緒に書くことになったのですが、そのときに時晨が序文で、これは民国時代の「ユーモアミステリー」だと趙苕狂の『胡閑探案』シリーズを取り上げたんです。その頃私も「ユーモアミステリー」を総括した文章を書こうと思っていたので、興味が湧いて、趙苕狂と彼の作品を調べてみることにしました。
 すると、中国には清末・民国時代にすでにおかしみやユーモア要素を探偵小説に盛り込んだ「滑稽探偵小説」と呼べるジャンルがあることが分かりました。趙苕狂のほかに徐卓呆や朱秋鏡(代表作は『糊塗偵探案』)らも滑稽探偵小説を書いています。そのため、中国の「ユーモアミステリー小説」を系統的に研究するのであれば『胡閑探案』だけ読んだのでは全然不十分で、このジャンルの源流である清末・民国時代の「滑稽探偵小説」をできるかぎり掘り起こさなければなりません。しかし清末・民国時代の探偵小説の数はとても多く、それらを余さず記録した書誌目録もないので、その中から研究に役立つ作品をピックアップすることは不可能に近いです。だから私ができることと言ったら、現存する文献資料を手引として、歴史から忘れられ続けている清末・民国時代の探偵小説を可能なかぎり集めて救うことでした。
 それで『胡閑探案』を手引として、どういう運命のいたずらか「清末・民国時代の探偵小説のコレクションと整理」という大きな沼に足を踏み入れ、それらの原著やコピー、デジタル化された資料を集め始めました。
 その中で重視したのが実物のコレクションです。この数年間、懐の許す限り、各種古書通販サイトで70冊余りの清末・民国時代の探偵小説の単行本を買い漁りました(ほとんどが中国人作家のもので、雑誌もあります)。それほど多いとは言えませんが、貴重な物が多いです。原著が見つからなくなった時は、上海図書館や北京の国家図書館などでコピーやスキャンされた資料を買っていました。今後はそれらの資料を全て整理するつもりです。

 

 Q2:2016年から関連書籍の収集を始めて、今年3月頃に4冊の叢書を出したわけですが、趙苕狂、陸澹安、劉半農、南風亭長の4人を選んだのはなぜですか?

 A2:この叢書の企画出版の契約を「牧神文化」という会社と2018年末に取り交わした際、向こう側から、一度に3~4冊出した方が「叢書」の意味も出るし、1冊出すより市場で読者から注目されると言われました。
 その4冊をどの作家の作品にするかについても紆余曲折がありました。当初は、趙苕狂、陸澹安、劉半農の他に、張天翼という作家の作品にしようと思ってたんです。
 趙苕狂の『胡閑探案』は改めて言う必要もない民国時代の「滑稽探偵小説」の代表であり、最初からまとめようと決めていました。陸澹安の『李飛探案集』は、程小青の『霍桑探案集』や孫了紅『侠盗魯平奇案』(片方は「東方のシャーロック・ホームズ」、もう一つは「東方のアルセーヌ・ルパン」と呼ばれる有名な作品シリーズ」)と肩を並べる民国時代の探偵小説の名作ですが、「全集」がなかったため必ず整理しなければいけませんでした。しかし作品の著作権がまだ切れていなかったので、陸澹安の孫の陸健氏から著作権の独占的利用許諾を得て、無事出版となりました。そして張天翼と劉半農に関しては、新文学作家の中では若い頃に探偵小説を書いていた珍しい作家で、作品の数も多くはなかったため整理は比較的簡単でした。しかし張天翼の作品も著作権切れしておらず、遺族から彼の初期のいわゆる「習作」を出版することに同意が得られなかったため、諦めるほかありませんでした。そして最終的に南風亭長の『中国偵探:羅師福』にしたのは、それが比較的珍しい白話文学〔文語体ではなく口語体で書かれた文学〕の探偵小説で、文章も長く、個性的だったからです。
 読者から、どうして程小青と孫了紅の作品をまとめなかったんだと聞かれるので、ここで改めて説明しておきます。彼らの作品は1949年(中華人民共和国成立)以降、出版社によってわりと系統立てて再出版され、今でも古本を買うことができますし、ネットでは電子版を読むことができます。それらはどれも全集ではないとは言え、少なくとも読めるわけです。しかし他の清末・民国時代の探偵小説家はそれほど恵まれてはいません。だから私はこの叢書を編纂する際、あまり読まれていない貴重な文書をできるだけ整理し、多くの作品にとって初の整理された出版となるようにするという基本方針を打ち立てました。

 

 Q3:5年間の整理作業の中で何が大変でした?逆に良かったことはありますか?

 A3:大変なことはありましたね。先に述べたように、張天翼の作品を整理しようと思っていたら遺族の同意を得られず諦めるしかなかったこともそうです。
 文書をまとめている時、読めない異体字に遭遇するとどう入力すればいいか分からなくなりましたし、そもそも入力できない文字もありましたから、レイアウトの時に「造字」を編集することもありました。今では見掛けない漢字や方言に注釈を付ける必要があったため、方言辞典や資料に目を通しましたが、それでも分からないものはSNSで友人から聞いたりしました。
 他にも、「英語の発音を漢字に直訳した」言葉が文中に出てくることもありました。当時の作者たちは多かれ少なかれ方言があって、当時と現代の訳名に違いがあるので、その漢字の単語が何という英語に対応しているのか分からず、注釈が付けられないということもありました(例えば、現代ではホームズの訳名は福爾摩斯(Fuermosi)に統一されているが、昔は呵爾唔斯(Heerwusi)と書いた作家もいた)。それらも、SNSで外国語に詳しい友人に教えてもらって解決しました。
 この叢書を整理する中で、たくさんの師や友人からアドバイスや助言をもらえたことがうれしかったです。この間、志を同じくする仲間と出会い、清末・民国時代の探偵小説に関する話をいつもすることができるのはたいへん幸せです。
 一番良かったことは、叢書の出版後、有名な清末小説研究者の樽本照雄氏から、氏のコレクションである清末の滑稽探偵小説家・煮夢生の『滑稽偵探』を頂いたことですね。本当に喜びました。


樽本照雄から送られた煮夢生の『滑稽偵探』(写真提供・華斯比)

 

 Q4:今までも『20世紀中国偵探小説精選』や『百年中国偵探小説精選』など民国時代の探偵小説の短編集が出版されましたが、それらとこの叢書の違う点を教えて下さい。

 A4:それらの書籍は清末・民国時代の探偵小説だけを収録した叢書ではなく、そこそこ代表的な中編・短編作品の一部をまとまりなく選んで収録したにすぎず、体系的ではありません。それに誤りや見落としが多い作品もあり、原文がいくつも抜けている作品もありました。
 私が編纂したこの叢書にはいくつかの特徴があります。まず、清末・民国時代の探偵小説家のあらゆる関連作品をできる限り系統的に収録し、シリーズとして1冊ごと続けて出版していること。二つ目は、作品が連載時と各種短編集に収録された際に描かれた挿絵をできる限り探し集め、挿絵も文章も揃えたこと。三つ目は、作家本人の作風やクセを尊重し、作品本来の姿をできる限り保つ一方、読書の手助けとなるように基本的な注釈を付けたことです。

 

 Q5:これまで自分で短編小説集や子ども向け短編集などを出版されていましたが、今回の叢書の出版にはどのような意図がありますか?

 A5:この叢書の趣旨をまとめると、清末・民国時代の探偵小説の発掘と整理、「中国ミステリー小説」黎明期の貴重な歴史的文献の救助と保護にあり、読者と研究者にとって読みやすく、また当時探偵小説を執筆していた中国人作家の姿に直感的かつ巨視的な認識を持ってもらうためです。
 探偵小説は舶来品として1896年に中国に翻訳されて入ってきて、中国人作家は清末にはもう白話文学の探偵小説を書き始めていました。こういうことを中国の読者はほとんど知りません。ですので、中国初期の探偵小説を整理し、現在の中国のミステリー小説読者に示すことで、当時の中国の探偵小説の執筆状況を少しでも理解してもらえればと思っています。
 また、この叢書には資料的価値もあるので、研究者が手っ取り早く調べられる書籍にもなります。
 まとめると、この叢書に文献的価値と読む価値を持たせ、一般の読者と研究者に資する形にさせるということが私の初心です。

 

 Q6:江戸川乱歩やコナン・ドイルの作品といった多くの古典ミステリーは今でも読まれていますが、今の中国人も民国時代の探偵小説を読むべきでしょうか。

 A6:清末・民国時代の探偵小説は読む価値よりも資料的価値の方が大きいという観点を持つ人がおり、私もそれには同意します。より斬新な犯罪トリックが読みたければ、こういった骨董品のような本をめくる必要などありません。ホームズシリーズにしたって一緒です。でも民国時代の雰囲気を知りたいというのであれば、これらの探偵小説は良き選択肢と手段だと言えます。当時の社会や世間の側面を知る上で悪いものではありません。

 

 Q7:民国時代当時の探偵小説と、現代の民国風ミステリー小説やテレビドラマは何が違うでしょうか。

 A7:当時の探偵小説はホームズの影響を強く受けていて、トリックにあまりこだわっていません。探偵しているだけで推理要素がほぼゼロのストーリーもあります。現代の民国風ミステリー作品は現代の作家や脚本家が今風の考え方でもって創られているので、トリックまたはロジックがメインです。今の作家はこの百年間で蓄積された数多くの古典を読んできているので、ストーリーの構成が当時の作家と異なるのは当然ですね。

 

 Q8:この叢書を出版してから新刊発表会やトークショーなどに出ていますが、感触はどうですか?

 A8:読者は興味をもってイベントに参加してくれていると思います。清末・民国時代から中国人が探偵小説を書き始めていたことを信じていない人もいました。その頃は世界的にも探偵小説がまだ産声を上げたばかりだったので、当時の中国人作家が面白いものを書けたと考えられないのでしょう。しかし、そういう人でも、作品を読めば民国時代の雰囲気を体感することができます。

 

 Q9:叢書は現在4冊までですが、今後計画はありますか?

 A9:何事もなければ出版し続けます。今のところ、第2期も4冊出版するつもりで、すでに3冊は決まっています。朱秋鏡の『糊塗偵探案』、張碧梧の『双雄闘智記』、長川の『葉黄夫婦探案集』です。4冊目をどの作家の作品にするかまだ未定です。

 

■終わりに
 
現在、中国では毎年数多くの海外ミステリーが翻訳出版され、国産ミステリーも日本や欧米などで輸出されるようになり、ミステリーというジャンルは中国にすっかり根付いています。しかし華斯比が述べたように、今から百年ほど前の中国にも国産ミステリーがあったことはあまり知られておらず、当時の多くの作家の名前は程小青と孫了紅に隠れてしまっています。中国では1950年代から反スパイ小説が主流になり、ホームズ的な探偵小説の流れが途絶えてしまったことがその理由でしょう。
 清末・民国時代の探偵小説は現代のミステリー小説読者の好みに必ずしも合うとは言えず、この叢書の役割は今のところ資料的価値の方が高そうです。しかし中国はその歴史の長さと厚さが物語の宝庫になっているように、当時の探偵小説を掘り起こすことはこれからの創作の良いネタになるでしょう。現代の民国風ミステリーと当時の探偵小説にはまだ結び付きが薄いですが、いつかこれらを結ぶような作品が現れることを期待しています。それこそ、『文豪ストレイドッグス』や『啄木鳥探偵處』のような当時の作家をモデルにした個性的な作品、または作家研究が進んで、民国時代を舞台にした物語に実在の作家が登場する作品も生まれるかもしれません。華斯比の叢書は一般の読者や研究者が読むためだけではなく、新人作家に今後の創作のきっかけを与えたのかもしれません。

阿井幸作(あい こうさく)

 中国ミステリ愛好家。北京在住。現地のミステリーを購読・研究し、日本へ紹介していく。

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