■シャーリイ・ジャクスン『壁の向こうへ続く道』


 本書は、『丘の屋敷』『ずっとお城で暮らしてる』などの恐怖小説で名をなした、シャーリイ・ジャクスンのデビュー長編。刊行されたのは、1948年。彼女の出世作の短編「くじ」の発表年と同年、著者32歳の頃の作だ。ジャクスンの長編は、全部で6編だが、近年、第2作『絞首人』、第3作『鳥の巣』、第4作『日時計』の紹介が進み、本作ですべての長編が紹介されたことは喜びたい。この作品は、夫であった評論家のスタンリー・エドガー・ハイマンに捧げられている。
 本の扉を開けると、ペッパー通り周辺地図・登場人物と題して、通り周辺に住む12の家庭の家の配置図と家族の名が書かれている。その数40人。謎解きミステリでもないのに、こうした図面が入るのは異例だが、この図面で複雑に入り組んだ登場人物の関係性が判りやすくなることは確か。それにしても、無慮40人の群像を書き分けて、近隣の共同体という小世界を描き出すのは、著者にとっても冒険だったに違いない。
 本書は、終幕を除き、恐怖の要素のない普通小説である。舞台は、サンフランシスコ近郊の住宅街。「見た目にきれいでそれなりに高級で、住む者に安心感をもたらす外界との適度な隔絶具合にも恵まれた住宅地」には、中流のごく普通の人たちが住んでいる。街路の壁の向こう側は、まだ住宅地として開発されていない私有地であり、地域を区切っている門の向こう側は、広壮な屋敷をもつ富裕層が住んでいる。ときは、子どもたちの夏休みが始まった時期から夏休みの終りまで。世界のどこにでもある、普遍的な近隣社会の情景が点綴される。
 女の子が男の子に対してラブレターを書くのが流行したり、女の子たちが怖がりながら近隣のアパートに住む中国人を訪れたり、住人の引っ越しといった小事件はあるが、作者は淡々と群像の描写にいそしむ。
 一部の閉じこもっている人間を除き、近隣の交流は盛んで、妻たちは、持ち回りで、毎週針仕事の集まりを催したり、子どもたちは小学生から高校生まであまり世代の隔てもなく遊んでいる。一見、平穏で安定した暮らしぶりだが、住人たちの間には様々な思いがうごめいている。ある家族は、この地を脱し、門の向こう側に移転することを夢想している。ある家族は、生計が成り立たなくなり、別の地域へ移転する。住民たちの間では、ささやかなゴシップとお愛想とマウントの取り合いが日常茶飯事だ。安定しているようであっても、彼らにとっては、富裕層への栄転と脱落の可能性が双方ある仮の居住地でもあり、子どもたちは大人たちへの反抗の構えを見せ、いずれは大人を脅かすかもしれない。この種の中流階級のあてのない希望と不安、震えを描く、作者の筆致は、皮肉な微笑とでもいえそうな、辛辣かつ幾分はユーモラスなものだ。
 建前と本音が行き交うそうした大人の世界と並行して、子どもの世界が描かれるのが、本書の持ち味でもある。子どもといっても、幼児から高校生まで、それぞれに異なるが、スクールカースト的な序列があるのは、子どもの世界も同じ。自らの容姿に苦しみ、友だちの欲しさにのたうち、仲間はずれを怖れる。日々遊び暮らしてはいても、子どもには子どもの悩みがある。四人の子の母親で、スラプスティックなまでの子育て奮戦記『野蛮人との生活』を書いた著者だけあって、子どもの世界を描くのは実に巧みだ。「スズ屋、スズ売り(チン・チン)」という遊びで、子どもたちの中の静かな闘争を描いた部分には凄味すら漂っている。
 この子どもの世界は大人の世界とときに対立し、蹂躙されてもいく。ユダヤ人のマリリンと親友になったハリエットは、母親に「なにより肝心なのは、羽目をはずさないこと」とその交際を諦めるように言い渡される。中流の人たちは、自らの内なる基準から出ようとしない人たちでもあるのだ。
 小事件はあってもペッパー通り周辺の平穏な暮らしに、カタストロフが襲うのは、終幕に至ってから。事件は、新たなアパートの建設のために、「壁」が撤去された後に起きる。一つの小天地を区切っていた壁が取り払われ、凄惨な事件が起きることによって、場所と時間を備えた一つの世界が終焉を迎える。後の『日時計』以降の作の「内と外」「囚われ」「世界の終り」といったモチーフが、このデビュー作にもくっきり刻印されていることは明らかだ。
 事件を引き起こしたのは一体誰なのか、小説では明示されないが、あえていえば、住民の間での鬱勃たる思い、ささやかな罪と悪意の集合体が引き起こしたとでもいえようか。
 作者は、この小さな共同体を描いた小説で、住民たちの意識と無意識を剔抉してみせる。小さな世界を描いた小説であっても、作者の視線は、ほろ苦い人の世の営みすべてに向けられている。ドメスティックでミニマルな視点が憂き世の総体を炙り出す。これは、ジャクスン流全体小説の試みなのだろう。そして、読者は、子どもたちの世界にかつての自分を、大人たちの世界に現在の自分を見い出すことになる。

■ジェレット・バージェス『不思議の達人(上) 』


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クラシックミステリの発掘紹介を続けているヒラヤマ探偵文庫16は、『クイーンの定員』第50番に選定されている短編集『不思議の達人』(1912) の上巻。
 東洋の預言者を自称するアストロがニューヨークで様々な事件に遭遇し、謎に挑むという連作短編集だ。
 この探偵アストロ、自らのスタジオを構え、水パイプを吸い、白いターバンやローブに身を包んだ東洋人の恰好をし、手相占いや水晶占いで客を集めているが、実は、東洋人でも超能力者でもない。合理的精神と推理力に長けたアメリカ人の青年であるというユニークな設定だ。
 加えて、もう一つ、助手役が金髪碧眼のかわいらしい娘ヴァレスカというのも、際立った特徴。彼女は普段はアストロのアシスタント役だが、いざ事件となると抜群の行動力を発揮する。ワトソン役が溌剌とした若い娘で、主人公と恋愛模様にあるというのは、今でこそありふれているかもしれないが、20世紀初期の段階では、かなり珍しい部類に属するのではないだろうか。有名どころでは、アガサ・クリスティのトミーとタペンス連作を思い出すくらいだ。原題の副題の一部にも「ヴァレスカとのラブ・アフェア」が入っているように、この設定は単なる添え物ではなく、ミステリの要素とともにアストロとヴァレスカの仲も読者の興味を惹きつける。
 「ジョン・ハドソンの失踪」 スタジオを訪れた客がアストロの「超能力」を頼って解決を依頼するというのが短編の基本形式。本編では、不動産業の夫をもつ妻が夫の失踪事件の解決を依頼する。振動曲線という特殊な曲線を用いた新手のビジネスが事件の背後にあり、ホームズ譚「唇の捩れた男」を思わせる。
 「盗まれたシェークスピア」 シェークスビアの〈ファースト・フォリオ〉の盗難事件。アストロは必ずしも正義の人ではなく、依頼料以上の儲けを得る。
 「マクドゥーガル街事件」 黒手組を名乗る組織からの爆破予告事件。事件に困った刑事が依頼人で、犯人の正体に工夫がみられる。
 「ファンショーの幽霊」 屋敷に現われる赤ん坊を抱えた女の幽霊の謎。冒頭にあるアストロとヴァレスカの、ムダ毛や親知らずといった「痕跡器官」の話が謎の解決に直結するのが面白い。が、かなり無茶な話。
 「デントンの婦人の間の謎」 恋人を殺された男からの解決依頼。現場の笑い声や口笛が手がかりになる。
 「ロースソンの駆け落ち」 交際を許されない恋人同士が聖書を用いた暗号で恋文のやりとりをしていることをアストロが発見。ヴァレスカとともに恋人同士を助けるさわやかな一編。
 「カレンドン誘拐事件」 五歳の息子を誘拐された夫婦のもとに足指の入った箱が送りつけられる。誘拐物では身代金の受渡し方法が鍵になるが、本編はアイデア賞物。最初のほうで明かされるので書いてもかまわないだろう。犯人は、株式市場のインサイダー情報を暗号で知らせることを要求されるのだ。身代金は株価の変動というわけ。
 「ミス・ダーリングプルのロケット」 遺産相続をめぐってこれも暗号が鍵になるが、やさしすぎる暗号に込められた犯人の意図がミソ。
 「十三」 ヴァレスカが連れてきた言葉が通じない娘の謎。娘の書いた絵に秘密がある、これも一種の暗号物。
 「タリヴァー事件」 有能な地方検事が汚職摘発裁判の直前にすべてを放棄してしまったようにみえる謎。買収が疑われるが、犯人の計略はもっと巧妙なものだった。科学的には噴飯物かもしれないが、そこが今となっては面白い。
 「なぜバーバンク夫人は逃げたのか」軍人の夫人失踪の謎。古びたトリックだが、幼子から発せられる一言がなかなか怖い。
 「セルウィン夫人のエメラルド」 富豪家のパーティでの宝石盗難。上流人士たちの間でのアストロとヴァレスカの人気ぶりが微笑ましい。
 二人が登場する「前書き」に、原書には暗号が秘められていることが示唆されるが、その暗号については、訳者による〈附録〉の解説が詳しい。
 とりたてて優れた推理があるわけではないが、科学的思考に基づく機智のひらめきのようなものが各編にみられるのは、ユーモア作家だった作者が地形学の教授の前職をもつ学者だったことと関係がありそうだ。

 「ファンショーの幽霊」では、アストロがヴァレスカに内心を明らかにしようとするが、彼女は「今のままずっといられたら」とそれを受け入れようとはしない。「タリヴァー事件」では、ヴァレスカは「ただの殺人事件や宝石泥棒なんかよりも、もっと価値のある仕事に手を染めてほしいの。そんなありきたりの探偵仕事なんて、才能の浪費よ」とアストロに求める。まだ恋愛未満ともいえそうな二人のラブ・アフェアはどうなるのか。それも下巻に向けてのお楽しみだ。

■飯城勇三『エラリー・クイーン完全ガイド』


 エラリー・クイーン研究の第一人者が書き下ろした「完全ガイド」。同様の本に、著者が編著者となった『エラリー・クイーン Perfect Guide』(2004 / ぶんか社 文庫版『エラリー・クイーン パーフェクトガイド』)があるが、流用されているのは巻末の年表の一部のみで、新たなコンセプトに従って書き下ろされたもの。
 その新たなコンセプトは、【1】対象を〈探偵エラリー・クイーン〉物と〈ドルリー・レーン〉物に絞ったこと、【2】クイーンが日本の本格ミステリに与えた影響に言及すること、である。
 『完全ガイド』の名に恥じず、第2部では、『ローマ帽子の秘密』以降の全作品(短編集収録の個々の短編を含む) をガイドしていく。新書とはいっても、多くの情報と新たな知見をふんだんに散りばめたガイドで、初心者から上級者まで多くの楽しみが得られる本だろう。
 本書の特徴は、著者の視点を前面に押し出した点にある。公平を装ったガイドであれば、クイーン作品の海外での評価とミステリ史的位置づけ、その及ぼした影響、同様に日本での評価 (例えば、乱歩の) といった具合になりそうであるが、本書は、その辺はさして触れられず、著者の「私はこう読む」という見解が多くを占めている。この第一級の研究者の視点が一貫しているところが清々しい。
 例えば、評価が定まったかにみえる初期の作品においても、『ローマ帽子の秘密』では、「本作で意外なのは、〈真相〉ではなく〈推理〉である」、『フランス白粉の秘密』では、「おそらく、本格ミステリでは初の〈消去法推理〉が披露されます」、『Xの悲劇』では、「レーン最大の特異さは、事件を解決するのではなく、支配しようとする点にあります」といった著者の見解が次々と披瀝される。
 また、クイーンの片割れマンフレッド・B・リー以外の作家に協力を求めた『盤面の敵』以降の作は、力が落ちたとみられがちであるが、著者は、そこにも〈ミステリの限界への挑戦〉(第2部第5章章題) を見い出す。『緋文字』『三角形の第四辺』『顔』といった、従来見落とされがちだった作品にも新たなスポットを当てているのも見逃せない。
 著者の見解すべてに同意するかどうかはともかく、本書には、クイーンのミステリを縦横に読み分析し続けてきた著者の粘り強い思考が反映されている。その見解は、ミステリ読者への著者の新たな投げかけでもあろう。
 ほぼ全作品に、日本のミステリ (特に新本格) の実作に与えた影響を見い出しているのも興味深い。著者のいうように、「いささか強引」の気味があっても、現代の日本のミステリに巨大な影響を及ぼしていることが、改めて実感できる。
 
■イアン・フレミング『007/ロシアから愛をこめて』

 映画版も含め広く知られた『007/ロシアから愛をこめて』(1957 )の新訳が出た。恥ずかしながら、筆者は007の原作を読むのは初めて。いわゆる食わず嫌いというか、映画で十分と思っていたのか、敬遠していたのだが、今更ながら、本書は実に面白かった。リーダビリティという点では、今年読んだ本の中でもトップクラスだ。
 冒頭で出てくるのは、筋骨隆々の男。プールのかたわらで若い女にオイルマッサージをさせている。女は男の完璧な肉体に対して本能的恐怖を感じる。これがボンドかと思いきや、実はソ連の殺害実行機関SMERSHの首席死刑執行ドノヴァン・グラント。この後、この南アイルランド生まれの殺人狂の数奇な運命が辿られる。続いて、国家保安省のグレタ・ガルボ似の美女タチアナ・ロマノヴァやチェスのチャンピオンがSMERSHに召還される。彼らは、かつてソ連側に敗北をもたらしたジェームズ・ボンドを標的として、「恥辱を与えて殺害せよ」との厳命を実行する一員なのだ。こうして、ソ連側の謀略の生成過程がじっくり描かれ、ボンドが登場するのは、150頁も過ぎてから。謎解きミステリでいうと、犯人側から事件を描くいわゆる倒叙物の趣もある。
 実際に会ったこともない英国の諜報部員を愛してしまったソ連国家保安省の女が国家機密を英国に流そうとする――という奇想天外なSMERSH側の作戦だが、ジェームズ・ボンドは、Mの命令の下、イスタンブールに張られた罠に単身飛び込んでいく。この東西の交わる地で、ボンドとタチアナが遭遇してからは、物語は大きく動き出し、愛と謀略の渦に二人は巻き込まれていく。
 国家レベルの騙し合いの基底部には、愛なのか嘘なのかという男女の駆け引きがあり、ボンドはその真贋も見極める必要があるという見事な設定。ソ連側の作戦が前半描かれているとはいっても、いわゆる「半倒叙」のようなもので、その成行きには読者もボンド同様、戸惑うことになる。映画版ボンドは、冷徹な遊び人のイメージがあるが、本書におけるボンドは、スティーヴンスンやジョン・バカンらから脈々と伝わる、英国気質の冒険を愛する人間。スポーツマンシップの持主だ。旅のお伴に、エリック・アンブラー『ディミトリオスの棺』を読んでいるのも、作者は、そうした正統性を意識しているのだろう。
 「鼠のトンネル」やジプシー族の襲撃といった息をつかせぬ展開の後、タチアナを伴ってパリへ向かうオリエント急行内で危難が襲い掛かるというのも心憎い演出だ。元レスラーの桁外れの大人(たいじん)トルコ支部長ダルコ・ケリムの造型もいい。本書は、オールタイムミステリのベスト〈サンデータイムズ誌のベスト99〉に選定されている作だが、それも十分納得できる名作だ。読みやすいが少し古びたところもある井上一夫訳が白石朗訳でアップトゥデイトされたことも喜びたい。
 併せて、映画『ロシアより愛をこめて』(原作の「から」が「より」になっている) を久しぶりに観てみたが、原作の英国情報部VSソ連SMERSHの構図に犯罪組織スペクターを加え、三つ巴の闘争にするというプロットが良くできており、原作の名場面をほぼ完璧に映像化しているのには感心した。
 ちなみに、白石訳では井上訳に敬意を払って、ある人物がボンドのことを「大将」と呼ぶのを踏襲しているが、映画版の字幕でも「大将」が使われていて、嬉しくなった。
 

ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた)
 ミステリ読者。北海道在住。
 ツイッターアカウントは @stranglenarita





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