前回「第91回:消えた島の謎と香港ハードボイルド」の記事の最後で触れた『画語戮』を読み終わりました。500ページ近くあるのに、章が40近くに細かく分かれているおかげで刻むように読み進めていくことができ、読了まであっという間でした。

 被害者の血液を使って実在する中国の名画を描く連続殺人犯と、警察と協力して血の絵に隠されたメッセージを読み解く美術品貿易会社社員による美術知識のマウント合戦、もとい頭脳戦を描いた長編サスペンス小説。

 作者の沙硯之は中国の小説の海外展開を手掛ける会社に勤め、代表的な作品に劉慈欣の『三体』や周浩暉の『暗黒者』などがあります。
 実は一度北京で会ったことがあり、その関係で2月にサイン本を送ってもらってからようやっと読めたわけですが、犯人の動機や次の行動が気になってページをめくるのが止まらない作品だったので、ここで紹介したいと思います。

 ちなみに、本書の序文で周浩暉が「ストーリーから見ると、『セブン』のような小説」と紹介しているので、ああこの小説には映画『セブン』のジョン・ドウのように、自分の価値観と何かの法則性になぞらえて人を殺す異常者が出るのか、中国人は本当に『セブン』が大好きだなと思ったのですが、この序文が一種のミスリードになっていました。
(中国人『セブン』好き問題:最近はあまり見掛けなくなりましたが、中国のミステリー小説には「七つの大罪」をテーマにした連続殺人事件がたびたび出てきます。日本人も「七つの大罪」ネタは大好きですが、中国のミステリー小説はそこに明らかにブラッド・ピットの『セブン』の影響があります)

 中国十大絵画の一つに数えられる水墨画『富春山居図』を保管する博物館の地下室で、血液で描かれた同水墨画の複製が何者かにより運び込まれる。その絵には「大画師」という落款があり、警察が捜査を開始した矢先、同市の公園で有名女性タレント梅莎莎の死体が見つかる。捜査を担当することになった刑事分隊長の盧克は、犯人が中国画に対し深い造詣を持っていると考え、美術品貿易会社で働く左漢を顧問として招く。警察が一丸となって大画師の捜索に乗り出す中、今度は名画『漁庄秋霽図』が精巧な贋作とすり替えられる盗難事件が起きる。防犯カメラに映っていたのは、10人以上の殺害などの罪で逮捕され、先日刑務所から脱獄したゴロツキの斉東民だった。斉東民と大画師の関係が疑われる中、市内でまたもや血の水墨画が発見される。今度の被害者は斎東民。いったい大画師は何のためにこんな手の込んだ殺人を繰り返すのか。

 

■美術オタク同士の頭脳戦
 中国画なんか全く知らない刑事の盧克が助っ人に呼んだ左漢は、母親が芸術家、父親が公安局元局長という、今回の事件にこれ以上ないほどの最適な人材。そんな彼は早速、血で描かれた『富春山居図』から、美術家の視点で犯人像をプロファイリング。絵の出来栄えを賞賛し、被害者の血液が墨代わりに使われている点から、犯人が殺害から死体遺棄までの1日か2日でこの絵を描き上げたことに着目し、犯人の正体は『富春山居図』の作者・黄公望の高名な研究者ではないかと推理します。
 しかし、絵の中に書かれた詩を見て、彼はすぐに答えを翻します。その詩も直筆なのですが、それも過去の著名な書道家そっくりの筆跡だったのです。要するに、大画師を名乗る人物は複数の画家・書道家のスタイルを高度に真似れる人間でした。そんな人間はめったにいないけど、普通に調べたのではまず見つけ出せません。

 そして第一の被害者・梅莎莎の死体が見つかってすぐ、犯人から警察の元に殺害直前の梅莎莎との対話を撮影した動画が届けられます。梅莎莎に罪状を宣告する動画は、最後に「鶺華秋色寒林雪、山居早春万壑松。」という詩の一節が現れますが、左漢だけがその真の意味を読み取ります。その意味とは、大画師が『富春山居図』のほか、『鵲華秋色図』『寒林図』『早春図』『万壑松風図』(いずれも実在する中国画)も描くというメッセージであり、この後少なくとも4人殺害するという犯行予告だと分かります。こんなの、普通の警察官では絶対意味不明です。


本書に載っている『富春山居図』

 他にも左漢は、描かれた絵の人物の配置や風景から犯人の心象を予想し、大画師の動機や次の犯行日時、被害者などを探ろうとする一方、遺体や現場の検証は完全に警察に任せます。あくまでも美術の専門家として、犯人が作成した血の絵を通じて犯人と対話しようとする態度は従来の探偵とはまるで異なります。

 一方、大画師の方も負けじと犯行を重ね、捜査陣に左漢がいなかったら例え完全犯罪を達成させられても誰からも理解されなかっただろう謎を残していきます。左漢による捜査が終盤に差し掛かった頃、実は大画師は殺害方法はもちろん、犯行日時から死体遺棄場所まで全てある法則に従っていることが明らかになります。しかも大画師は、警察側にそれがバレたところで絶対に変更せず決行するという強い執着心も備えているのです。


本書の終盤に載っている大画師の殺人の法則。表の大きさから彼の殺人へのこだわりが分かる(ネタバレ防止のためモザイク付き)

 

■登場人物たちの共通点
 最初の被害者・梅莎莎の秘密が序盤で明らかになる点と、周浩暉が序文で本作に下した「『セブン』のような小説」という評価を合わせると、大画師を誤解することになります。有名タレント梅莎莎は清純派という設定で世間に知られていますが実際はかなり性に奔放な人間で、大画師に「虚偽」の理由で殺されています。そして映画『セブン』の殺人者ジョン・ドウは、自分の判断でそこまで罪深くない人々に「暴食」だの「強欲」だののレッテルを張って殺していました。
 だから読者の目に大画師は、いわゆる「処女厨」みたいな思考で梅莎莎に「清純」ではないと有罪判決を下して殺した程度の殺人犯にしか映りません。ただその後、犯人と梅莎莎の対話が撮影された動画で、梅莎莎は彼氏である大富豪の息子に頼んで気に食わない人間を始末させていたことが明らかになり、彼女のクズ度と共に大画師のパニッシャー度がグンと上がります。

 二人目の被害者・斉東民は金でどんな汚いこともやる殺し屋であり、逮捕されて死刑確実の囚人でした。なので、あくまでも極悪人をターゲットにしている大画師はジョン・ドウと異なり、自分の価値観ではなく世間一般の道徳や法律を基準にしていることは一目瞭然です。
 そして大画師のターゲットには関連する人物がいて、それが梅莎莎の彼氏の父親で、斉東民の雇い主である趙抗美(抗美≒反米とはすごい名前だ。きっと朝鮮戦争かベトナム戦争の時に生まれたんだろう)です。彼は企業家としての表の顔と反社組織のボスという裏の顔を持って左漢らが暮らす省を牛耳る大人物で、法に代わって悪を処罰する大画師のターゲットにはうってつけの人物。また、趙抗美は左漢とも因縁があり、それは公安局局長だった左漢の父親殺害の疑惑がかけられているということ。

 しかし、いくら強烈な存在感を放っていようとも、本書の事件の中心人物が大画師または趙抗美にならないのは、物語中盤から、大画師の正体が左漢の友人の誰かではないかという可能性が高まるからです。左漢が捜査に介入したことで事件の解像度が跳ね上がったこの物語は、左漢を巡る人間関係で成立しています。その辺りに、ご都合主義ではないかという批判を投げつけたくもなるのですが、自分にしか解けない殺人事件の謎と対峙し、父を殺した男が命を狙われ、連続殺人犯が自分の友人かもしれないという重い設定を背負わないと500ページの大作の主人公は張れません。物語の中心に左漢を据えたおかげで人間関係がそこまで複雑にならなかったことも、本書の読みやすさの秘密かもしれません。

 

■犯人と本作品の真の狙い
 犯人の特徴についてかなり筆を割きましたが、大画師が趙抗美たちを狙う理由はなおも分かりません。正確に言うと、被害者の血液を使って絵を描き、現場や遺体には自分と直接結び付く手掛かりを何一つ残さず、なのに警察にスナッフビデオめいた動画を届けてメッセージを送るという手間をかけてまでやることが、単なる悪人退治とは到底思えないのです。
 ここで気になってくるのが、またしても第二の被害者・斉東民。最近脱獄したばかりの彼が、犯行日時から死体遺棄現場まで正確に決められている大画師の殺人計画に組み込まれたのはなぜか? 趙抗美の関係者であれば誰でも構わないのか? という疑問が浮かびます。

 物語の終盤で殺人の法則も犯人の正体もほぼ明らかになり、さらにターゲットが警察の保護・監視下にあるという状況にあり、果たして大画師は計画を完遂できるのか、というのが本書最大の見どころであり、最後まで結末が読めない展開には、500ページ読んだことへの疲れなどほぼ感じません。

 この本は中国でも評価が高くて、映像化もあり得ない話ではなさそうです。中国画という題材は文字よりも映像の方が間違いなく見やすくて映えますし、映像を海外に輸出するのなら中国文化の発揚にもなりますし、実際に真っ赤な山水画とか見てみたいですしね。

阿井幸作(あい こうさく)

 中国ミステリ愛好家。北京在住。現地のミステリーを購読・研究し、日本へ紹介していく。

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