毎年九月十月は、ミステリ小説の世界における年度末というべき時期であり、各社から年末のベストテン候補となりそうな自信作・話題作が数多く発売されています。読者としては大変よろこばしいことではあるのですが、発売点数が多いと正直なところお財布が悲鳴をあげますし、入手したらしたで読み込む時間も捻出しなければなりません。そこで、ちょっとでも絞り込みたい! 今月読むべき作品はどれだ? と迷える子羊ならぬ読者が参考にするのが、当サイトの人気連載「書評七福神の今月の一冊」なわけですが、つい先日更新された「書評七福神の九月度ベスト!」を見てみると、なんと七名全員がそれぞれ異なる作品を挙げているのでした。
このように読者をよろこばせ、また悩ませもするミステリ年度末。今月は発売されたばかりの新刊と、ちょっと前に出た作品の二作品をご紹介したいと思います。
まずはちょっと前のほうから。六月に刊行された、シャルロッテ・リンク『裏切り』(浅井晶子訳 創元推理文庫)は、ドイツの二〇一五年ペーパーバック年間売り上げ一位に輝くベストセラー・ミステリです。
シャルロッテ・リンクといえば、『沈黙の果て』『失踪者』が同じ創元推理文庫から出ていていずれも話題になりましたが、『裏切り』もまた、これら二作品に勝るとも劣らないサスペンスフルな作品に仕上がっています。
ヨークシャー警察を退官し、妻にも先立たれて一人で暮らしていた元警部のリチャードが、自宅で何者かに惨殺されます。捜査の指揮を執っているケイレブ警部は、リチャードがかつて刑務所送りにした人物から最近出所した一人に目をつけ、その行方を追うのですが、成果はほとんど上がっていません。そんななか、ロンドンに住んでいるリチャードの一人娘ケイトが父の死を受けて故郷に戻ってきます。ケイトは、地元警察の捜査がほとんど進んでいないことにいらだち、徐々に勝手な行動を取り始め、ケイレブらを困惑させます。
一方、脚本家であるジョナスと妻のステラは、養子として引き取った息子のサミーとともにロンドンで暮らしていましたが、仕事で神経がまいってしまったジョナスへの医師からの助言で、携帯電話の電波も乏しいヨークシャーの田舎で休暇を過ごすことに決めます。しかしそこにサミーの実母とその恋人が現れ、ジョナスたち親子はとんでもない事態に巻き込まれていくのです。
この二本の筋、どちらも不穏な雰囲気を漂わせて進むのですが、それが徐々に収斂していく様は実に見事で、本を置く暇もないほど没頭させられます。章立てなどの構成の巧さはもちろんあるのですが、ここまで物語にのめり込むことができる大きな理由は、特徴的なキャラクター造形にあります。ケイトはロンドン警視庁の刑事なのですが、三十九歳にして独身、プライベートをともに過ごすパートナーも友だちもおらず、職場でも周囲から疎まれて完全に浮いた状態なのです。平たく言えば孤独で、唯一の拠り所であった父さえも死んでしまって、これからの人生になにひとつ希望を見いだせないという状態で故郷に戻ってきました。また、地元警察のケイレブ警部やジェイン巡査部長などもそれぞれに孤独と戦っている様子が細かく描写されており、そういったなかから彼らがどのようなつながりを見いだしていくのかが繊細に描かれます。
本作は、言ってみれば「誰がリチャードを殺したか」というシンプルな謎を追うだけの小説です。が、謎が解けたことによって得られるカタルシス以上の深い余韻が残るのは、謎が明らかになっていく過程において、登場人物の心理を丹念に描いているからであり、それこそが著者の真骨頂なのだと思うのです。
まだお読みになっていないかたはぜひこれからでも手に取ってみてください。シリーズの第一作ということなので読み始めるにはちょうどいいと思います。そのタイトルとは裏腹に、きっとみなさんを「裏切らない」ことでしょう。
続いてはピカピカの新作から。
ケイティ・グティエレス『死が三人を分かつまで』(池田真紀子訳 U-NEXT)の舞台はテキサス州とメキシコシティ。犯罪実話ライターのキャシーは、日課となっている犯罪実話掲示板の検索中ひとつの記事に行き当たります。
〈彼女の秘密の二重生活――ある女の重婚がいかにして罪のない男の殺害につながったか〉
という見出しに目を奪われ、キャシーはその記事を読み始めます。
一九八三年、テキサス州ラレードに本店を置く銀行の執行役員という立場でメキシコに出張していたドロレス・リヴェラは、取引先の結婚披露宴でたまたま隣同士となったアンドレス・ルッソと出会います。二人は急激に恋に落ち、やがてアンドレスがドロレスに求婚するに至りますが、ラレードでの仕事があるという理由でドロレスはなかなか首を縦に振りません。実はドロレスは既婚者で、ラレードに夫も子供もいたのですが、それをアンドレスには隠したまま交際を続けていたのでした。
結婚したいと迫るアンドレスをなんとかごまかし続けたドロレスでしたが、一九八五年のメキシコ地震を機に、ドロレスはいよいよメキシコで入籍することを決意します。もちろんラレードでの生活はそのままで、つまりアメリカとメキシコを股にかけた重婚という罪を、ドロレスは犯したことになったのです。
ドロレスとの結婚からおよそ一年が経過した一九八六年八月、テキサス州のモーテルで、アンドレスの遺体が発見されます。警察の捜査によって、ドロレスの本当の夫であるファビアンが容疑者として浮かび上がり逮捕されます。作中の現在である二〇一七年、ファビアンはまだ刑務所に服役中です。
三十年前に起こったこの事件の記事を読んだキャシーは、そのなかにドロレス側の言葉がないことに不満を感じます。そしてこの事件を、自分ならもっと掘り下げることができるのではないかと思い、現在もラレードで暮らしているドロレスに取材を申し込むのでした。
物語は、三十年前に起こった重婚~殺人の顛末をドロレスの視点から語る〈ローレ〉の章と(ローレ=ドロレス)、ドロレスに取材し、彼女についての本を書くことを決意した現在(二〇一七年)をキャシーの視点から語る〈キャシー〉の章が交互に描かれていきます。
キャシーは、なにかとはぐらかすような言動を取るドロレスに対して、なぜ一線を越えてしまったのかという部分に迫ろうと懸命に取材を続けます。一方、キャシーにもなにか秘密があるのだと感じ取ったドロレスもまた、その秘密を知りたいと思い、インタビューに応じつつも彼女からさまざまな話を引き出していきます。いつしか二人は単なる取材対象という関係を超え、ある種の秘めた結びつきが生まれるのです。
キャシーとドロレス、そしてそれぞれの家族とその結びつきを丁寧に描き、やがては読者ごと大きな渦に巻き込むようなうねりを持つ作品です。翻訳の素晴らしさもあるのでしょうが、デビュー作にして堂々たる筆致だと言わざるを得ません。
重婚や不倫の是非という観点から見れば、批判的な意見が生まれる余地はあると思います。しかし、嘘をついてまでも、誰かを傷つけてまでも、彼らが守り抜こうとする愛の、そのさまざまな形を目の当たりにすることで、私たちの心に刻み込まれる何かがあるような気がするのです。
動画配信サービスとして知られているU-NEXTが、オリジナルの電子書籍出版に携わっていることは知っていましたが、紙の書籍を出しているとは知りませんでした(というか本作が初めてなのかもしれません)。新しい出版社が増えることは海外ミステリファンとしても大変ありがたいことだと思います。今後に期待したいところです。
大木雄一郎(おおき ゆういちろう) |
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福岡市在住。福岡読書会の世話人と読者賞運営を兼任する医療従事者。Twitterでも随時情報発信中です(Twitterアカウント @hmreadersaward)。 |