■H・H・ホームズ『九人の偽聖者の密室』


 原書房から出ていた「奇想天外の本棚」シリーズが3冊で途絶、版元を改め国書刊行会から再始動となった。製作総指揮は、同じく作家の山口雅也氏。
 「噂には聞くものの、様々な理由で、読書通人ウェル・リード・コノサーでも読んでいる人が少ない「都市伝説的」作品の数々――ミステリ、SF、ホラーから普通文学、戯曲まで――を紹介する、読書通人にとっての《理想郷シャングリラ》ともいうべきシリーズ」(リーフレットから) は、ミステリファンの瞠目に値するラインナップとなっており、まずは、第1期12巻の完走を祈りたい。
 その第1弾は、H・H・ホームズ (アンソニー・バウチャー) 『九人の偽聖者の密室』(1940)。米国のミステリ評論家として第一人者だったアンソニー・バウチャーは、ミステリ作家としても知られ、7冊のミステリ長編と3冊の短編集を遺した。ちなみに、SF誌の編集長も務め、後述のアブラム・デイヴィッドスンもバウチャーが見出している。本書は、別冊宝石に『密室の魔術師』として掲載されたが、60年以上ぶりの新訳となる。

 作家のマシュー(マット) ・ダンカンは、ひょんなことから宗教詐欺の権威ウルフ・ハリガンと知り合い、仕事を手伝うようになった矢先、ハリガンの書斎の窓を通して、黄色い衣を着た何者かがいるのを目撃する。マシューらは、現場に駆け付けるが、ハリガンは完璧な密室で殺害されており、犯人の姿は消えている。しかも、自分が犯人だと公言する新興宗教〈光の子ら〉の教祖は、信者たちの前で説教をしているという鉄壁のアリバイがあった。新聞は「幽体殺人事件」と書き立てる。果たして、完璧な密室は、いかにつくり出されたのか、犯人は教祖なのか。
 本書の名探偵役は、かつては婦人警官を志していたというカトリックの尼僧アーシュラ。ダンカン邸に出入りしていた彼女は、捜査の進展に応じていくつかの重要なポイントを指摘する。
 本書は、バウチャー自身が熱烈なファンで、交友もあったジョン・ディクスン・カーに捧げられた密室物で、作中には、カーの『三つの棺』の中のフェル博士の密室講義も登場する。警部補のマーシャルの奥さんがミステリ好きで、密室殺人に手も足も出ない夫に、本を貸すのだ。
 マットとマーシャル警部補は、「密室講義」を参照しながら、ハリガン殺しに当てはまるか検討するのだが、現場の状況はどの分類にも該当しない。バウチャーは、その意気高し、密室講義に当てはまらない密室があるとカーに挑戦状を叩き付けているわけだ。
 本書は、エドワード・D・ホックが主催する歴代密室ミステリのベストテンの9位にもランクインした作品。そのトリックは、「密室講義」の隙をつくもので、よく考え抜かれているし、犯人の意外性もなかなかのもの。カーは、後年、このトリックから別な作品をつくったのでは? と妄想するのも楽しい。(ちなみに、ダグラス・G・グリーンのカーの伝記によれば、この本を贈られたカーは、礼状を出せなかったのは、この本をまさに読み終えようとしたとき、家に爆弾が落ちたからとバウチャーに書き送っている)
 注目すべきなのは、終幕近くの男女の会話の趣向で、真相を知ってから読み直すと、えも言われぬ味わいがある。こうした工夫がトリックのみに陥らない本格ミステリとしての完成度を高めているのだ。
 作者の教養を感じさせる文体だが、マットとハリガンの娘との恋愛も織り交ぜ、話はテンポよく進み、時は二次大戦のさなかながら、謎解きミステリのグッド・オールド・デイズを満喫できる。
 ご存じの方も多いように、本書には曰くがあって、2022年9月20日第1刷発行から20日後の10月10日には、アントニイ・バウチャー(H・H・ホームズ)『密室の魔術師』(扶桑社) 高橋泰邦訳が刊行されている(訳者が同一なので別冊宝石版の文庫化か) 。こちらは、都筑道夫と江戸川乱歩のエッセイを併録。
 版元を異にする同一作品が同時期に翻訳出版されることはこれまでもあったものの、こんな近いケースは稀だろう。貴重な復刊だけに、何とかならなかったものか。

■アブラム・デイヴィッドスン『不死鳥と鏡』


 ファンタジーやSF分野の短編作家として知られ、ミステリ短編「ラホーア兵営事件」でもMWA賞を受賞、エラリー・クイーンの『第八の日』などの代作者としても知られるアブラム・デイヴィッドスン。我が国では、デイヴッドスンの熱狂的なファンで、短編集『どんがらがん』も編んだ故・殊能将之氏が、連作短編集『エステルハージ博士の事件簿』(1975) と並ぶ「最高傑作」としたのが本書『不死鳥と鏡』(1969) だ。
 作者が「自分がほんとうに書きたい小説を書こう」と決意し、5年がかりで出版に漕ぎつけた作品であり、その執筆に専念するあまり他の仕事は激減し、生活費の安いホンジュラスに移り住んだという。
 本書は、架空の古代ローマ世界を舞台に、魔術師ウェルギリウス(本書では、ヴァージル)が活躍する幻想小説である。「架空の古代ローマ世界」というのは、実際の古代ローマの歴史や地誌に即してはいても、魔法と神話が違和感なく共存した世界だ。ウェルギリウスは、紀元前に実在したローマの詩人だが、ヨーロッパ中世においては、黒魔術師か妖術使いであったとみなすウェルギリウス伝説が流布し、多くの説話に登場するという。本書は、こうした後の世の空想話にヒントを得て、異世界の古代ローマ世界を構築している。
 この異世界は、ローマ帝国の版図、それを取り巻く〈オイコノミウム〉という西洋文明圏、さらには地図に載らない最果ての地が広がっている。この古代ローマ世界の描写は、微に入り細を穿ち、その筆からは、リアルな古代ローマの風景やナポリの港や夕餉の匂いまでが立ちのぼってくるようだ。
 物語は、ナポリの巨大迷路である地下水路を彷徨うヴァージルの描写から始まる。人間の頭とライオンの胴体を持ち、人間を食うとされる伝説の怪物マンティコアに追われるが、初老の男に助けられる。彼の女主人コルネリアは、イタリア北東部カルスス国の王太后で、失踪した娘を探すため、魔術師マグスヴァージルに、〈無垢なる鏡〉の制作を依頼する。ヴァージルは現状では不可能と断るが、コルネリアのセクシャルな魔法で魂の一部を奪われ、鏡造りに同意せざるを得なくなる。
 ここから、〈無垢なる鏡〉を制作するためのヴァージルの悪戦苦闘が始まる。
 無垢なる錫を求めてタルティス人の自治区へ、無垢なる銅を求めて〈海のフン族〉の支配により航行が遮断されているキプロス島へとヴァージルは向かう。(キプロスの旅で出てくる悪臭漂う野営地の王バイラ王のキャラが秀逸)。さらには、〈無垢なる鏡〉を制作する複雑な工程を経て、ヴァージルは、アフリカのリビアの砂漠まで遠征。彼の地では、不死鳥(フェニックス) の出現に遭遇し、自分が巻き込まれた事件には愛と権力をめぐる深い因縁があることを知る。コルネリアの行方不明の娘がコルネリアの周囲にいたように見える謎にも、意想外な策略が仕掛けられている。
 錬金術を自在に操るヴァージルだが、意外と人間味もあり、友人で錬金術師のクレメンスとの友情と気安いやり取りは、どこかホームズとワトソンを思わせなくもない。
 ナポリの〈馬飾り屋通り〉にある、真鍮の頭像が来客を監視し、風呂や夕食が自動で用意され、充実した書斎と実験室と工房を備えたヴァージルの家は魅力的だ。
 日本の現代の読者には、見慣れない地名、民族や風物、神話や聖書の事績などが頻出し、すいすいと読めるわけではないが、まるで見てきたかのようなディテールを積み重ねた圧巻の異世界描写と、魔術をはじめとした奇想の濃密さに圧倒される。

■ドナルド・E・ウェストレイク『平和を愛したスパイ』


 今年、新潮文庫で初邦訳された『ギャンブラーが多すぎる』(1969) に続き、ウェストレイクの1960年代の作『平和を愛したスパイ』(1966) が初邦訳。論創海外ミステリとしては、2009年に刊行された『忙しい死体』(1966) に続くウェストレイクのノン・シリーズ作品になる。
 本書の主人公J・ユージーン(ジーン)・ラクスフォードは32歳、独身、ニューヨーク市立大学を退学処分になって以来の平均年収は2312ドル。〈市民独立連合〉の全国委員長だ。この連合は、1950年代後半朝鮮戦争に大学生を徴兵するなと抗議して結成された団体だが、戦争が終戦に近づき、目標がなくなると、平和活動だけに重きをおくようになり、平和行進に参加したりパンフレットを配ったりする穏やかな平和愛好者の団体になっている。年々、メンバーは激減し、現在のメンバーは17名で、うち12名は幽霊会員という超弱小団体だ。
 ジーンが謄写版の手回し印刷機の修理に苦戦しているところに、ユースタリーという男が現れ、仰天の提案をする。〈アメリカ青年民兵団〉〈全米ファシスト更生委員会〉〈アイルランド人遠征軍〉〈ユーラシア人救済団〉などの弱小テロ組織が協力して「ある計画」を実行するための集会に参加しないかとの誘いだ。適当にあしらって、ユースタリーを帰らせ、FBIの捜査官に話すが、相手にしてくれない。ジーンは、身の危険を恐れ、証拠を集めてFBIに提供するために、恋人にして、富豪の娘、〈市独連〉会員アンジェラと、集会に参加することにしたが…。
 設定からして、ギャング組織の一員を主人公にした『忙しい死体』やタクシードライバーが主人公の『ギャンブラーが多すぎる』よりも、さらに突拍子もない話で、地の文も会話も徹底的にコミカルであることを意識している。長年の勘違いにより、FBIが常時監視しているという設定も可笑しい、それをジーンも当たり前のように受け止めているのもとぼけている。アンジェラは抜群に美しいセクシー美女。「アンジェラの服はいつ見ても、ビリビリに破ってさっさと脱がせたくなる」なのに、というか、だから、というか、「底抜けのばか」というのも、お笑いエンターテイメントの王道だ。
 ジーンはアンジェラとともに、集会に参加するが、(ここが頭のネジが飛んだテロ組織のキャラの大集合でまた可笑しい) 命からがら脱出、FBIの施設で、即席のスパイとしての訓練を受け、国連ビル爆破を計画するテロ組織の潜入捜査に当たることになる。つまり、本書は、非力な平和主義者を主人公にした1960年代に流行したスパイ小説のパロディでもあるのだ。施設での特訓の様子、スパイ映画に登場するような小道具の数々にもニヤニヤしてしまう。
 全編コミカルな設定とはいえ、弱小テロ組織を操る真のボスは冷徹な存在で、次々とテロ組織のリーダーは殺されていく。肝の冷える場面をかいくぐって、果たしてジーンの目的は遂行できるのか。
 A、B、Cなど記号で表されるFBI捜査官も、話が進むうちにZまで使い切って、A’、B’まで登場するというようなギャグも冴えわたっている。
 本書は、シリアスな作風からコミカルな作風に舵を切った『弱虫チャーリー、逃亡中』(1965) 以降、最もコミカルな方向に振り切ったノン・シリーズ作品であり、ウェストレイク60年代の達成の一つに数えられる一編だろう。

■『ニューヨーク・ネル 男装少女探偵』


(https://seirindousyobou.cart.fc2.com/ca15/903/p-r-s/)
(画像をクリックすると〈書肆盛林堂〉の該当ページに飛びます)

 ヒラヤマ探偵文庫22は、女性が探偵役を務める作品6編を蒐めている。それも、一般庶民、労働者や少年少女が読み捨てて顧みられないような名もない英米作家の作品だ。
 訳者解説では、これまで主として作家や出版社の視点から語られてきた推理小説史のアンチテーゼとして、「探偵趣味」を持つ一般大衆は、はたしてどうやって彼らの「探偵趣味」を満足させていたのか、という創造する側ではなく受容する側の視点を強調する。今後の推理小説史の学問的研究は、それまでの傑作・名作のつまみ食いでは、いつまで経っても発展はしないだろうという。本書は、今まで見捨てられていた「探偵趣味」をわずかながらでも復元させようとする試みなのだ。
 本書には、愛する男性が巻き込まれた事件を解決する夫人や婚約者、新婚旅行中に夫の鉄道探偵の代役を務める新妻、ロンドンの女性刑事、女性の私立探偵などが登場する。多くは、ホームズ登場前夜の作品で単純なものが多いが、犯罪譚を大衆が好み、探偵という存在が既に特別なものであったことが感得できる。
 集中の多くを占めるのは、表題作のエドワード・L・ウィーラー「ニューヨーク・ネル 男装少女探偵」。週刊で発行された大衆雑誌で、主に若年労働者階級を読者としたダイム・ノベルの一冊だ。

 「おいらはネル・ニブロ、またの名をニューヨーク・ネル、少女探偵さ」

 主人公の探偵ニューヨーク・ネルは、新聞の売り子をしながら探偵も務める男装の少女だ。その存在は、ニューヨークでは悪党どもの恐怖の的になっている。炎上する船の中に身を踊ろせ、女性を助け出すなど活躍は常人離れしている一方で、都会の浮浪児姿の男装を脱ぎ捨てると、なかなかの美少女。
 メインの事件は、いわゆる「天一坊」物で、ハドソン川上流に邸宅を構える大富豪の偽物の息子が現れ、財産を奪おうとし、ネルは本物の息子と協力し、その計画を阻止しようとする。8年前に出ていった息子かどうか実物を見ても判らない富豪も富豪だが、悪党側の計略もどこか間が抜けていて、牧歌的だ。物語の一部に整合しないところがあるなど、ダイム・ノベルらしいかなりアバウトなつくりになっている。ネルは、悪党側の重要な企みの場面に偶然遭遇するなど、スーパーヒーローぶりを発揮し、終幕では大団円が待っている。
 ネルは男装の理由を「おいらは好きでこんな格好をしているんだ」とも「ママ・ニブロがおいらに男の子の服を着せ始めた」とも言っているが、男装によって性を超え、特権的知力と行動力をもった探偵として活躍するネルの姿は、ダイム・ノベル的夢想の世界にしても、その異色の設定で今もなお訴えかけるものをもっている。

■ドロシー・L・セイヤーズ『ストロング・ポイズン』


 幻戯書房のルリユール叢書は、ルイザ・メイ・オルコットの悪女小説『仮面の陰に』、ジェイムズ・M・ケインの『ミルドレッド・ピアース』、ジョルジュ・シムノンの文学志向の犯罪小説『運河の家 人殺し』といったミステリ・ジャンル的にも注目すべき本が刊行されてきたが、なんと今回は、黄金期の本格ミステリであるドロシー・L・セイヤーズのウィムジィ卿物第5作『ストロング・ポイズン』(創元推理文庫版の訳題は『毒を食らわば』) 。本書は、殺人罪の被告人という衝撃的な形で、女性探偵作家ハリエット・ヴェインが初登場する作品でもある。いうまでもなく、後の作品でハリエットは、ピーター卿の妻になる女性。
 本書が新訳された意図は、戦間期イギリス文学を専門とする大西寿明氏の訳者解題に詳しい。本書においては、ピーター卿は、ハリエットに一目ぼれするが、真相を見い出せず、彼女を救い出すことができない「不能」に苦しむことになる。
 訳者は、本書について、「男性に影響を与える抑圧的なジェンダーイデオロギーの存在を明らかにすることで、男性によって制度化された探偵小説というジャンルを問い直したといえるだろう」と結論づけている。
 確かに、本書では、最後の謎解きの場面を除いて、ピーター卿の捜査に冴えはみられず、その苦悩は深い。ミス・クリンプスやミス・マーチスンといった女性に、捜査を丸投げのような形で代行させる点も風変りだ。訳者の論考は、数々の例証を挙げていて説得的であり、セイヤーズという知的な作家であれば、表向きの謎解きとは、別な物語を意識的に (又は無意識に) つくりだしたことはあり得たのではないだろうか。
 訳者は、「英語圏にて盛り上がりを見せるセイヤーズ研究が国内においてはまったく見当たらない」として現状を嘆いており、そうした状況に一石を投じた翻訳でもある。
 また、訳者は、「翻訳するにあたって心がけたことを挙げるとしたら、他の探偵小説に比べて難解なセイヤーズの英語を平易な日本語にあえて置き換えなかったこと」としている。様々な訳書が出ることは、読者としても歓迎だろう。本書には、註が巻末に200弱も付いており、セイヤーズの文章の理解を助けている。

ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた)
 ミステリ読者。北海道在住。
 ツイッターアカウントは @stranglenarita


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