メインストーリーからの逸脱のようにみえる描写には、常に注意が必要だ。特に、手練れによるミステリにおいては。
 それを実感させるのが、本書である。

■ドロシー・ボワーズ『アバドンの水晶』

 
 主人公は、エマ・ベットニー。62歳。長年勤めた家庭教師を引退、上流婦人向けのホームを終の棲家としようとしたが、親の職業が青果店だったことに引け目を感じ、住人との階級差に気後れを感じていた。そんな彼女のところへ一通の手紙が届く。かつての教え子グレイス・アラムからだ。家庭教師として何人もの生徒を教えてきたが、今も文通をしているのは、彼女だけだ。
 彼女は、現在、ドーセット州で、富裕層の子女を対象とした私立学校を運営中。エマには、フランス語とドイツ語を生徒に教えてほしいという。ただ、それ以上に力を貸してほしいことがあり、事態は混沌として恐ろしい状況だという。エマは、グレイスの懇願に負け、私立学校のある地に向かう。
 ストーリーから逸脱したようなエピソードは、この後だ。
 目的地の駅に着いたが、迎えの車はない。田舎町に取り残されたエマは、駅前の坂を上ると、世界が眠っているような不思議な感覚にとらわれる。町の中心部にあるティーショップで休んでいるときに、取り乱した中年婦人を目撃する。さらには、動揺した細身の年配女性が向かいの角の小道に現れる。ティーショップには、それを観察する若い娘。ドーセットのよく晴れた田舎町になにか獰猛なものが潜んでいると思わせる奇妙な体験。話が始まった途端に、本筋から逸脱するようなこの挿話が、これからのエマの経験を予言し、後にメインストーリーにも合流していくことになる。
 たどり着いた私立学校は、かつて病院だった建物を学校に転用したものであるため、病院時代の老嬢の患者が二人残っていた。サーローという患者は、ありもしない病気をでっちあげ、夜になれば泣き声、うめき声を上げる患者。そして、彼女は、何度も何者かに毒を盛られていたことを校長のグレイスは、エマに告げる。
 この後に、続く不審事の数々に、エマは翻弄されていく。
 本書は、ゴシック・ロマンスの結構をもっているが、ゴシック・ロマンスのヒロインは、決まって若い女性なのに、本書は、老齢の独身女性を主人公にしているところが異色だ。洞察力に優れ、逆境に甘んじない女性だ
 作者ドロシー・ボワーズは、四十代で早逝した英国の女性作家。オックスフォード大学卒業後、教職を経て、『命取りの追伸』(1938)でデビュー。同書や『謎解きのスケッチ』(1940) では人物描写に冴えをみせながら、謎解きの面では地味に見えた英国女性作家だが、書評家からは「セイヤーズの後継者」と称賛された。本書は、彼女の最高傑作の呼び声高く、『タイムズ』紙に、1941年最高のミステリ作品と称されたという。
 作者の筆は、老境に入り過去が去来する主人公を繊細に描き出し、彼女が巻き込まれた事態をサスペンスフルに描く。かつての教え子グレイス校長、二人の患者、学校の女性教師たち、寮母や生徒といった女性たちの肖像も、鮮やかに描き分けられている。
 冒頭の田舎町に並ぶ忘れ難いシーンがもう一つある。
 エマが、学校の関係者が多く出入りしている水晶占い師グレイト・アンブロジオの部屋を訪れる場面。神秘的な部屋、異様な顔が描かれた淫らな雰囲気をまとった絵、これまで見た誰よりもハンサムな占い師、「流れる水」の暗喩。彼との腹のさぐりあいの会話は、秘密めいて、セクシャルな香り、幻想味も漂っている。
 学校において自分を死に追いやる企てが進行していることを確信したエマは、スコットランドヤードに命からがら助けを求める。
 ダン・パードウ警部が乗り出してからは、一挙に謎解きミステリになる。患者サーローに毒を入れたのは誰か、何を狙っていたのか、占い師はどんな役割を果たしていたのか。
 パードウ警部が解き明かしたのは、事件の表面の構図をガラリと変えるもの。エマが学校勤務の中、まとめた21の項目が、すべて新たな構図にビタリと収まっていくのも見事。真犯人の狙いは、意外なだけではなく、邪悪で獰猛ともいえるものだ。変形のゴシックミステリとして出発した本書が、叙述の一切に無駄がない本格ミステリに変貌することに、驚嘆させられる。
 本書には、サスペンスに幻想味に恐怖、フェアな謎解きとサプライズ、謎が解かれたときに噴出する悪意の怖さが漲る。全編を通底する水の暗喩も作品に一段の深みを与えている。本書は、ボワーズが残した逸品だ。

■マックス・アフォード『暗闇の梟』


『百年祭の殺人』(1936)、『魔法人形』(1937)、『闇と静謐』(1937)など不可能犯罪物が得意なオーストラリアの作家アフォードの名探偵ブラックバーンシリーズの邦訳もこれで4冊目。
 本書『暗闇の梟』(1942) の舞台は英国の田園地帯の屋敷。
 屋敷の住人であるエリザベスとその婚約者ロバートがスコットランドヤードに乗り込んできて窮状を訴える。エリザベスの兄である化学者エドワード・ブレアがガソリンの三倍の効力をもち、価格は20分の1という化学物質「第四ガソリン」を発明したというのだ。ところが、ロンドンで人々を恐怖に陥れていた「梟」を名乗る怪盗から、「第四ガソリン」を渡さなければ殺すという脅迫状が送られてきた。二人の訴えを聞いた、若き数学者ジェフリー・ブラックバーンと相棒のリード主席警部は、当の屋敷に乗り込むものの、謎めいた事件が続発し、化学者は内部から鍵のかかった状態で四階の部屋から消失する。現場には、「梟」からの「我は君らと共にいる!」というメッセージが残されていた。
 不可能犯罪と手の込んだ謎解きが中核だった前3作のブラックバーン物に比べると、怪盗対名探偵のフォーマットによるスリラー寄りの作品。奇怪な声を発し、空も飛べるらしい「梟」という悪人の造形からも、これまでと違うものをという作者の意気込みを感じさせる。「梟」は、屋敷を跳梁しているようで、エリザベスの部屋の鏡板の隙間から指4本の手を現わすなど、屋敷の住人に対し、戦慄を与え続ける。
 古い屋敷には、秘密の通路が残されており、「梟」は巧みに通路を利用しているようだ。これまで人を殺ることはしなかった「梟」であったにもかかわらず、ついに殺人事件まで発生してしまう。
 怪奇色が強く、場面展開も早い内容だが、ブラックバーンとリード主任警部の信頼関係に結ばれた遠慮のないやりとりがいいアクセントになっている。
 華を添えるのは、既に婚約者がいる化学者の妹で元新聞記者のエリザベスとブラックバーンの恋。二人の間の恋は、本書のメインプロットにも影響を与えている。
 屋敷には、主人である武器商人をはじめ、世界を変える可能性のある「第四ガソリン」を狙う曲者が集っているが、いずれも何らかの秘密を抱えているようだ。
 リーダビリティ優先の作風に舵を切ったかにみえる本作だが、事件の様相を反転させる真相が示されるし、「梟」の正体は意外なもの。部屋からの消失もすっきりと解明されるなど本格物の面目は保っている。ただし、事件の真相は、登場人物のそれぞれの秘密が明らかになり、次第に状況が整理されてくると、読者には気づきやすいものかもしれない。
 ここまで来たら、ブラックバーン物の残された一作もぜひ紹介してほしいところだ。

■ウォーターズ『ある刑事の回想録』


(https://seirindousyobou.cart.fc2.com/ca15/917/)
(画像をクリックすると〈書肆盛林堂〉の該当ページに飛びます)

 ヒラヤマ探偵文庫23は、栄えある「クイーンの定員」第2番(もちろん第1番は、ポー『物語』(1845) ) に選ばれた幻の探偵小説集。英国の元警察官の体験談を披露するという体裁の短編集だ。クイーンによると、1852年にニューヨークで出版されたが、おそらく海賊版だろうという。本書の内容は、1856年にロンドンから出版された版と1859年に出版されたその続刊の内容を併せた物という。
 この本のアメリカ版の前書きで、同時代の批評家は、「この二十年での大きな変化の一つは―イギリスでは刑事が尊敬の対象となったということである」と書いているが、警察機構の整備が進み、市民社会で刑事による捜査活動への理解が定着したということを物語っている。
 元刑事の回想録の体裁をとっている本書の短編が創作であることは明らかであるが、往時の警察活動に材をとり、その実態を披露していること、草創期の刑事を主人公とした探偵小説であることの両面から、誠に興味深い短編集だ。
 前書きでは、英国の家庭の安全と安寧が警察官や兵士のおかげなのは誰も否定し得ない、危険で困難な仕事において彼らが発揮する勇気は恐れを知らないこと、英国の警察は厳格に定められた合法機関として信頼されていることに触れている。
 主人公 (私)は、刑事のウォーターズ。フランスの著名な捜査官ヴィドック同様、かつては、犯罪者の側にいたようであり、その際の経験が捜査に生かされている。変装もたしなみ、フランス語も堪能。
第一話「賭博場の一夜」は、貴族の子息を賭博に引き入れた詐欺師の正体が、かつての暗黒時代の仇敵と刑事は知る。刑事は、劇場で詐欺師に遭遇し、旧交を温めたかにみせて、秘密の賭博場に案内される。数日通い詰め信用させた後、警官隊を引き入れ、賭博場の悪党どもを一網打尽し、貴族の子息も賭博の沼から救い出す。それだけの話だが、巨額の金を失わせる賭博の魔力の描写が巧みで、密かに潜入させた警察官が踊り場も階段も息をひそめ埋め尽くしているという場面描写も良好、興味を逸らさない探偵譚になっている。
「有罪か無罪か?」は、強盗殺人事件の犯人と疑われた青年を証拠を基に逮捕するが、刑事自身が偽造の証拠であることを見破り、冤罪を晴らす。偽造の証拠をいかに青年の持ち物としたかという点に機智がある。
「X・Y・Z」薄幸の故、盗難の罪を起こしたと思える容疑者の足跡をたどり、追い詰めるが、別の犯人がいることを刑事は探り当てる。奇妙な新聞広告が発端の事件。
「未亡人」ガーンジー島でみかけた美しい未亡人が貧乏な弁護士と結婚する理由とは。刑事は、彼女を脅迫し、結婚を迫る男の奸計を暴いていく。
「双子」 違法な相続のため、生まれたばかりの双子の片割れが誘拐された事件の顛末。告訴のない限り罪が問えないという刑事訴訟上の課題を提起している。
「追跡」刑事の失敗談。犯罪者を乗せた移民船を取り逃がした刑事は、嵐で戻ってきた船を再度取り逃がす。犯罪者の家族の奸計が見所。
「法律は変化する」大量の紙幣等の盗難事件。犯人と目される男に、悪党を装い接近。同僚の刑事をユダヤ人そっくりの違法の換金業者に変装させるというのが面白い。
「復讐」 前の話で逮捕され、流刑 (刑罰として一般的だったようだ) に処せられた男たちを乗せた囚人船が難破した。舞い戻った男たちが刑事に復讐を遂げるため、誘拐の挙に出るが。悪党との再度の対決編。
「メアリー・キングスフォード」かつて娘の友人だったメアリーと偶然列車で出逢った刑事は、ロンドンに出た彼女のことを気遣ったが、彼女は盗難の濡れ衣を着せられて。自殺を図った彼女を刑事は救い出す。
「火打ち石のジャクソン」謎解きの骨格をもつものでは編中随一。ある盗難事件を導入として、毒殺未遂事件が発生。刑事が、犯人とその意図をすぐに見破ってしまうのは残念だが、犯人の構想や「石鹸」の不在という手がかりには着想の妙がある。犯人の寝言の習性を利用した解決もユニーク。
「偏執狂」若い未亡人と肖像画の人物を同一視する老人の妄執。刑事の若い頃に遭遇した話で、幻想味ある本編は、他とややタッチが異なる。
「相棒」刑事が警察から離れていた時期の話。刑事は独自の捜査により。盗まれた紙幣を掴まされた青年を救う。
「陰謀」 急に羽振りが良くなった3人の男女が企む陰謀とは。誰が悪党で誰が被害者か分からない錯綜した事件だが、ラストで甘言を信じた女の悲しさが浮き彫りになる。ただし、話が成立するための重要なピースが抜けていると思える。
 
 事件はバラエティに富み、空間的も刑事は英国各地を馬車で飛び回る。刑事の苦難をものともしないねばり強い捜査も、よく書けており、時代背景を書き換えれば、現代の刑事ドラマとしても通用しそうだ。
 後半に近づくに連れ、刑事の個人的な事件を扱うことが増え、英国の私立探偵小説誕生まであと一歩と感じさせる。

■野崎六助『快楽の仏蘭西探偵小説』


 著者の『北米探偵小説論21』に続く評論は、フランスの探偵小説/ミステリの固有性を探り、フランス探偵小説の全体像を提示しようとした二段組み660頁を超える大冊。
 「本書の書かれる意義は、一つ。フランス探偵小説の快楽を究めるためである」として書き出された本文は、「しかして、フランス探偵小説に究めるに値する快楽などあるだろうか」と自問する。こうした課題の設定と課題への自問の間をゆれ動き、往還する叙述が、『北米探偵小説論21』などと同様、本書のユニークネスでもある。
 序論では、「フランス探偵小説の流れ」と題する見取り図が提示され、探偵小説を成立させる7つのコードと2つベース(「プロット」と「トリック」)、探偵小説に類縁するギリシャ悲劇の二つの作品『オイディプス王』『アンティゴネ―』などの予備的な考察がなされる。
 「Ⅰ 始原の探偵小説」では、バルザックの探偵小説(『ふくろう党』『暗黒事件』など) を中心に、シュ―、ユーゴーの作品も分析。バルザックは、密偵、怪盗探偵、死刑執行人と次つぎに貪欲に時代のヒーローを探しもとめたが、そのいずれにおいても始原性にとどまり、探偵小説の主流をなす議論に影響を与えうるに至らなかったと結論づける。そこから、江戸の探偵小説、1940年の対ナチスドイツ戦争(「奇妙な戦争」)を発端とする恐怖時代に飛び、元犯罪者によって書かれたロマン・ノワール(暗黒小説)に犯罪者から刑事に転身したヴィドックの末裔を見る。
 「Ⅱ 始原の第二章 英仏海峡波高し」では、ガボリオ-涙香、ヴェルヌ、ルブランから、英国黄金期の本格ミステリの考察、フランスの同時代ミステリ、ジッド、ピエール・ノールなどを扱う。
 「Ⅲ 絶対密室のほうへ」では、バルザックの「密室」小説から始まり、ルルーを経て、密室とは無縁のようなアポリネール、ピランデッロ、カミ、クノーといった作家たち、アルテ、さらには日本の吉村達也、柄刀一まで叙述を延ばす。
 「Ⅳ 白耳義探偵小説のバサージュ」では、ベルギー幻想派のジャン・レイ、シムノン、ステーマンなどが扱われる。
 「Ⅴ 純粋探偵小説を求めて」は、戦後のロマン・ポリシェ、サルトルの『嘔吐』、ブランショ『謎の男トマ』、デュラス『苦悩』といった文学作品から亡命者シムノン、ボワロー&ナルスジャック、アルレーらの作品(本書ではビリヤード・サスペンスと名付けられている)からネオ・ポラールまで、さらには、ロブ=グリエ、ビュートルのアンチ・ロマンを考察する。

 『北米探偵小説論』『北米探偵小説論21』と同様、これまでの著者のミステリにとどまらない小説・評論の膨大な読書、非探偵小説をもミステリと関連付けで読みこなそうとする感性、世界の経済社会、歴史への洞察・懐疑がなければ、成立し得ない書だろう。その意味で、本書は、世界にただ一つのフランスミステリ論といえる。
 ただ、参照紹介されているのは、ほぼ邦訳のあるものだけであり、通史の試みではないにしても、未紹介の秀作・佳作の出現によって、著者の論考の内容も変わってくる可能性があることを念頭に置く必要があるだろう。
 また、こちらの読解力に問題があるのかもしれないが、著者特有の徘徊するかと思えば飛躍するような叙述によって、その結論の明瞭な像を感得しがたいのも事実だ。
 「Ⅲ 絶対密室のほうへ」では、周縁の書を様々に参考にしながらも、結語では、 「時系列にしたがって考察しても、収穫はささやかにしか望めなかった」
 「Ⅴ 純粋探偵小説を求めて」の結語では、「純粋探偵小説を求めて、とは苦々しい反語であり、何も意味しないということをしか意味しない身ぶりだ」と書かれるのでは、いったいフランスミステリ長征の旅は何だったのかという気持ちにもなる。
 神は細部に宿る。こうした冥府探索めいたうねうねとした叙述の中の卓見、創見、明察、連想の飛躍といったところが、本書の最大の読みどころかもしれない。
 巻末には、「フランス探偵小説ベスト33」「フランス探偵映画ベスト33」が付されている。

ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた)
 ミステリ読者。北海道在住。
 ツイッターアカウントは @stranglenarita


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