思いもよらぬ、岩波文庫から英国クラシック・ミステリのアンソロジーが出た。なにせ、「真理は万人によって求められることを自ら欲し~」(「読書子に寄す」)の岩波文庫である。近年は、江戸川乱歩の少年探偵団シリーズが入るなど、ジャンル小説の古典にも目配せしている印象があるが、ヴィクトリア朝を中心にした古典ミステリも、「万人の必読すべき真に古典的価値ある書」(同)として、その視野に入ってきたかと思うと、感慨の念を禁じ得ない。

■佐々木徹編訳『英国古典推理小説集』


 しかも、この選集、名作を並べただけのアンソロジーではない。
 チャールズ・ディケンズ「『バーナビー・ラッジ』第一章より」に、エドガー・アラン・ポーの書評が付されたものから始まり、知られざるヴィクトリアン朝ミステリを並べ、いわゆるマスターピースにも目配りしつつ、英国最初の長編推理小説ともいわれる『ノッティング・ヒルの謎』の本邦初訳が付されているという豪華な編成。英国文学者である編者の渉猟と深い知識に基づいて編まれた一書なのだ。
 長編を除き、出版された順に配列された作品を通読することによって、「段々「推理」の要素が強くなって、推理小説という形式が洗練されていく過程がおのずと浮かび上がるはずである」と編者は、編纂の意図を述べている。
 チャールズ・ディケンズ「『バーナビー・ラッジ』第一章より」(付)エドガー・アラン・ポーによる書評
 長編小説『バーナビー・ラッジ』(1841)の一章とポーの二つの書評を収める。ポーがディケンズの小説の全体の六分の一程度が発表された段階で、真相を推理して見事に的中させたのは有名な話。江戸川乱歩『幻影城』には、ディケンズをして「まるで悪魔のような男だ」と驚嘆したという逸話も書かれている。(「探偵作家としてのエドガー・ポー」)その推理の鮮やかさには、書評の現物に接して改めて唸らされる。それ以上に、「謎を謎として維持するために、不当な方法、芸術を裏切る方法を用いてはならない」として、証言中の虚偽情報はOKだが、地の文中の「未亡人」は不正直であると、フェアプレイ論を早くも展開し、「謎の解決が作品内でなされずに読者の想像力に委ねられる時においてのみ称揚されるべき」等、謎解きミステリの本質的限界まで踏み込んで論じているのには、最初の書評と同年に発表された「モルグ街の殺人」で新しいジャンルが産声を上げたばかりということを思い合わせれば、驚嘆以外の何物でもない。
 ウォーターズ「有罪か無罪か」は、クイーンの定員№2。草創期の警察官の回想録形式で出た短編集から。全訳『ある刑事の回想録』がヒラヤマ探偵文庫から出ている。冤罪に挑む警察官の捜査に、機智の要素が見受けられる。
 ヘンリー・ウッド夫人「七番の謎」現実の進行する殺人事件の謎が興味深いのに、解決はやや腰砕け。少年の眼から見た浜辺の休暇と二人のメイドが魅力的に描かれている。
 ウィルキー・コリンズ「誰がゼビディーを殺したのか」警察官を主人公にした一遍。意外な犯人だが、メロドラマのほうに比重がある。
 キャサリン・ルイーザ・パーキス「引き抜かれた短剣」最初期の女性探偵ラヴデイ・ブルックを主人公にした一編。この時代まで来ると、謎解きにせよ、手がかりにせよ、ホームズ譚のように切れがいい佳編。
 G・K・チェスタトン「イズリアル・ガウの名誉」ブラウン神父譚まで至ると、探偵は一種の狂人の論理すら解明する。作中悪魔信仰に言及されるが、真相はユーモラスでもあり、悪夢でもある。
 トマス・バーク「オターモゥル氏の手」シリアルキラーを扱ったサスペンス小説にして、謎解き物でもある名作。粘るような容赦ない叙述も強烈。

■チャールズ・フィーリクス「ノッティング・ヒルの謎」
 ジュリアン・シモンズにより、英国最初の探偵小説とされた『ノッティング・ヒルの謎』(1865)は、「読んで驚け」的な作品で、形式的には純粋な探偵小説の形態、内容的には度肝を抜かれるような要素をもっている。
 作品の形式は、R・ヘンダソンなる秘密調査事務所の調査員が、生命保険会社取締役に当てた報告書の形式をとっている。冒頭明らかにされるのは、ラ×××男爵夫人の不審な死の調査にヘンダソンが当たっていることだ。ラ×××男爵は、夫人の命に、五社の保険会社で多額の死亡保険をかけていた。夫人は、夢遊状態で夫の実験室に行き、強度の酸を飲んだのが死因とされていた。しかし、ある男性の手紙で、真実が隠匿されている旨の指摘があり、保険会社からヘンダソンへの依頼になった。
 調査を進めたヘンダソンは、別な不審死の事件も視野に入れることになる。アンダトンなる紳士が妻を毒殺した容疑で逮捕され、死因の化学的調査が終了する前に自殺した事件だ。二つの事件には、連関があり、「極めて複雑かつ戦慄すべき犯罪」があったことが示唆される。
 この後、夫人たちにまつわる数奇な運命と知的犯罪者による奸計が徐々に浮かび上がってくる。
 特筆すべき一点目は、叙述のスタイル。数多くの手紙や証言を積み重ねる形式で、事件の全貌を明らかにしていくところだ。影響を受けたとされるウィルキー・コリンズ『白衣の女』(1860)も多人数の手記等により構成されるが、この小説ほど断片的な事実の積み重ねではない。報告書の中には、手紙の切れ端や証書、現場の見取り図(最初の探偵小説に挿入された見取り図!)まで挿入され、遥か後の黄金時代の探偵小説を彷彿させる。小説の地の文章を廃したスタイルは、例えば昨年話題になったジャニス・ハレット『ポピーのためにできること』で同様の手法を使用していることを思えば、今なお新鮮だ。
 ヘンダソンは、時折、証言等に注釈を入れるのみで、彼の捜査活動が描かれることはない。したがって、我々は、この英国最初の長編推理小説に登場する探偵について、ほとんど知らされる点はない。このことは、この小説から「捜査」という物語が排されていることにほかならない。捜査という物語すら排して、手紙や証言といった事実の断片を並べ、読者に手がかりへの注意を促し、推理を迫る本書は、幾分、冗長なところはあるにしても、純粋探偵小説の形式に近い。ただし、込み入った構成でありすぎ、相当数の記述上のミスが編者の精読により指摘されている点には留意する必要がある。
 その二つ目は、解き明かされる内容だ。勘のいい読者でも、最初から、この「極めて複雑かつ戦慄すべき犯罪」の真相に気づくのは困難だろう。モザイク状に配された証言等による叙述が進んでいくに連れ、「まさか」が生じ、その「まさか」に落ち着いていく快感と意外性。現代の読者なら、非常識にすぎると思われるかもしれない真相も、見方を変えれば、
普通の謎解きミステリに飽き足らなくなった後に書かれたハイブリッド作のようにみえなくもない。
 メスメリスムが題材としてとられているのも、本書の特徴である。18世紀の医師メスメルが唱えた、生物の体内にある「動物磁気」を操作して病気を治すことができるという説で、19世紀には、これを真面目に考える人たちは少なくなかったという。作中でも「いんちき」とする人の多いメスメリスムをどのように料理しているかも、本書の読みどころの一つだろう。
 一見真相に迫ったかにみえて、見出された真相を宙づりにする結末も見事で、そのスタイル、内容の尖鋭性には、目を奪われずにはいられない。
 「モルグ街の殺人」はいうまでもなく、色んなジャンルで「最初の~」というものには、その一作で試された可能性の豊かさに驚かされることがあるが、本書もそうした「最初の作品」の好例だろう。
 
■ジェームズ・マルコム・ライマー トマス・ペケット・プレスト『吸血鬼ヴァーニー』


 『吸血鬼ヴァーニー』(1847)は、ブラム・ストーカー『吸血鬼ドラキュラ』(1897)以前の英国の吸血鬼小説で、週刊形式の〈ペニー・ドレッドフル〉(安価な大衆小説シリーズ)の代表的作品。本邦でも部分訳はあっても、その長大さからか刊行が予告されながら実現していなかった。クラシック・ミステリの範疇ではないが、『奇想天外の本棚』作品であり、若干触れておく。
 全体232章という長大な小説で、本書は、2段組400頁超38章までだから、単純計算で全6巻くらいにはなるのだろうか。作者は、二人の〈ペニー・ドレッドフル〉界のスター作家とされるが、作者名が明記されなかった出版条件から、ライマー単独説もあるようだ。

 吸血鬼小説としては、やはり冒頭、猛烈な嵐の後、古い屋敷に眠る「春の曙のように」美しい娘の喉笛に、蒼白の顔の魔人が牙のような歯をたてるシーンが大迫力。
 この吸血鬼、次々と娘を襲うわけではなく、冒頭に襲った娘フローラ・バナーワースに執着するので、勢い、物語は、吸血鬼とバナーワース家の戦いとなる。吸血鬼が隣家に越してきた紳士(ヴァーニー卿)として、しれっと現れるのも驚きの展開だが、若い当主をはじめバナーワース家の人にも卿を退治する決定打が出ない。吸血鬼に血を吸われ、自らも将来吸血鬼になるのではという懊悩がフローラを襲う。
 半ばで、フローラの婚約者チャールズの叔父ベル提督と元甲板員ジャック・ブリングルが登場して、二人がののしりあいを始めると雰囲気は一転。このコミックリリーフの登場により、物語は、喜劇的な様相まで呈する。
 ある一章を費やして、フローラを慰めるために兄が貸した本の物語の筋(犯罪を企て復讐される伯爵夫人の話)が語られたり、ベル提督が出会った海洋奇譚が語られたり。毎週新たな展開を考えるのに、作者が窮したのかと邪推するのも楽しい。ヴァーニー卿も、悪魔というわけでもなく、人間的な悩みも抱え、彼の弱みを握っている人間も存在するらしい。
 ベル提督が一度ヴァーニー卿に決闘を申し込んだのに、後になって再度申し込むなど辻褄の合わないところもあるが、こうした齟齬も、強引にでも読者を楽しませることを旨とした〈ペニー・ドレッドフル〉ゆえか。
 第1巻は、ここで読むのはやめられないという場面で終わり、さすがストーリーテラーの本領を発揮する。今後も、多分うねうねと続いていくであろう続刊を待ちたい。

ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた)
 ミステリ読者。北海道在住。
 ツイッターアカウントは @stranglenarita


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