最近しきりに、クラシックな短編ミステリが読みたくなる。50年代、60年代のEQMMやAHMMを賑わせたような短編。本格物でもクライムストーリーでも良し。ウィットとユーモアに富んだ「うまい犯罪、しゃれた殺人」(ヘンリー・スレッサーの短編集のタイトルだ)を描き、結末にはちょっとしたサプライズが待っている。人物や犯罪がリアルすぎてはいけない。この世界では、殺人者も恐喝者も探偵も警官も、愉しきクライム空間の一員なのだ。そんな短編の書き手は数多くいたが、今となっては短編集が出ることは稀となってしまった。そんな渇きを癒すように、この度、ロバート・アーサーの短編集が出たことを喜びたい。
■ロバート・アーサー『ガラスの橋』■
ロバート・アーサーも、この時代の短編名手の一人。1930年代から、ミステリ、SF、ホラー等多彩な短編を発表。40年代からは、ラジオのミステリ番組の脚本を書き、ラジオショウ部門で二度のMWA賞を受賞している。ヒッチコック名義のアンソロジーの実質的な編集者でもあった。短編ミステリとしては、「五十一番目の密室」「ガラスの橋」の2作が不可能犯罪物の名品として名高いが、クライムストーリーでも切れ味の鋭い短編を残した。
本書『ガラスの橋』(1966) は、年少の読者向けとして編まれたものだが、「三匹の
「マニング氏の金の木」 銀行の2万ドルを着服した銀行員が金を隠したのは、新築の家の木を植える寸前の穴。服役後、彼は金を取り戻そうとするが…。意外な展開とハートウォーミングな結末。
「極悪と老嬢」 ミステリ狂の老嬢二人がこれまで貯めこんだミステリ知識で、悪漢と対峙し、重要文書の隠し場所を探り当てる。冒頭から老嬢がクイーンとカーの最新作を読んでいるのだからたまらない。ミステリ作家、探偵の名が続々登場。
「真夜中の訪問者」 太っていてスパイらしからぬスパイを描いた掌編。果たして頭のキレの方はどうなのか。
「天からの一撃」 アフリカの部族の黒魔術に関して講演されているさなか、誰も出入りしていないはずの部屋で女主人がナイフで刺されており、自殺と思われたが…。不可能犯罪物で、カーの某作とトリックが似ているが、こちらの発表が先という。
「ガラスの橋」 雪に閉ざされた山荘を訪ねた女性が消えた。屋敷に入る足跡以外は周囲には一切痕跡がない。犯行に詩的イメージさえある「絵になる」不可能犯罪物の名品にして、デ・ヒルシュ男爵なという探偵の安楽椅子物。山荘は、売れないミステリ作家のものだが、事件を機に旧作すべてに重版がかかるという皮肉も愉快。
「住所変更」 夫と妻に捧げる犯罪テーマを一ひねり、二ひねり。住所変更を核としたアイデアの連鎖が面白い。
「消えた乗客」 特急二十世紀号で起きた殺人と容疑者の女性の消失事件。消失の解法はいま一つだが、探偵役に女性ミステリ作家と甥の俳優が配され、華やかさを感じさせる作品。
「非情な男」 甥が殺されても何の感情の示さない老人がある事件で見せた非情さとは。犯人の意外性も盛り込んだ掌編。
「一つの足跡の冒険」 これも不可能犯罪物。外部から侵入不可能な家での殺人事件には、たった一つの足跡が残されていた。この謎を推理するのが、自らをシャーロック・ホームズと思い込んでいる男。探偵の設定がなんともユニークで意外性も十分。「ガラスの橋」のペインズ警部再登場。
「三匹の
巻末には、著者自身による「本書収録作品について」が収録されている。いかに各作品のアイデアを得たかが書かれており、作家の頭を覗き込むようで、興味深い。
本短編集は不可能犯罪物が多く、トリック以外にも探偵役の設定や、登場人物にミステリ作家やミステリ狂が配されたりと、ファン心理を刺激する要素が散見する。かと思えば、ヒッチコック劇場風アイデアストーリー、クライムストーリーにも長けていて、遊び心に満ちたその作風は、懐かしく、愉しく、夏の涼風のように爽やかに感じられる。
■ハーパー・リー『ものまね鳥を殺すのは』■
米国の女性作家ハーパー・リー『ものまね鳥を殺すのは』(1960)は、ピューリッツァー賞受賞作の新訳。我が国では、暮らしの手帖社『アラバマ物語』(菊池重三郎訳)として長らく現役本だったが、現在は、販売終了しているようだ。1962年に映画化され、主演したグレゴリー・ペックは、オスカーの主演男優賞を獲得した。
舞台は1930年代アメリカ南部のアラバマ州、メイコムという架空の小さな町。町の人々はいまだに南北戦争の影をひきずっており、経済的には大不況時代。物語は、弁護士のアティカス・フィンチ、兄のジェム、妹のスカウトという、母のないフィンチ家の2年余りの歳月を追っている。
子供を主人公に据えた物語でありながら、家族、地域社会、合衆国の抱える課題や矛盾にまで透徹した視線を投げかけた作品であり、抜群に面白い小説であると同時に、民主主義や教育、差別や階級、ジェンダー等様々な社会的テーマ性も持ち合わせた作品でもある。
本書の勝利は、何より、物語当初6歳の少女スカウトの視点(後に獲得した大人の視点と複眼的に)語られることにある。スカウトは、小学校に入る前に既に読み書きをこなす知力と、男の子ように負けん気が強い性格をもっている(叔母からは度々レディのようにふるまいなさいと叱られている)。スカウトの子どもらしいまっすぐな視線は、無垢でときに辛辣、ときに大人の世界とのギャップによるユーモアも醸し出す。兄と、友人のディルも加わった子どもの世界-果てない遊びの時間、隣家に幽閉されている男や超自然への怯え、学校への違和感、未知との邂逅等-は、時代と地域を越えて、読者の郷愁を誘うだろう。また、物静かで、親切、常に公平な配慮を忘れない父アティカスは、色褪せないアメリカンヒーロー像、優れた父親像を提供してもいる(2003年にアメリカン・フィルム・インスティチュートが選んだアメリカ映画100年のヒーロー部門では、グレゴリー・ペック演じるアティカスがなんと第1位を獲得しているという)。
さて、全世界で4000万部を売り上げたというこの小説の新訳を取り上げたのは、いうまでもなく、ミステリとしての側面からである。本書は、米本国では、「アメリカ探偵作家クラブが選んだミステリBEST100」60位、米独立系ミステリ専門古書店協会ベスト100に選出されており、ミステリとしての評価も高い。
その中核にあるのは、黒人青年による白人女性のレイプに関わる裁判である。被告人側の弁護士は、アティカスが務めることになる。いまだ激しい黒人差別の土地柄であるから、アティカス一家は、有形無形の嫌がらせを受ける。スカウトは、学校で父親のことを「ニガー好き」と嘲笑される。被告人が、裁判のため町の刑務所に移送された際には、群衆が取り巻き、たった一人でアティカスは、彼らに対峙する。この場面で、父を救うための一心で無手勝流の弁舌をふるうスカウトには心打たれる。
こうして、町全体に不穏さがつのる中、物語は裁判シーンになだれ込んでいく。町中の白人、黒人が固唾を呑んで裁判の行方を見守る中(黒人席は二階だ)、アティカスは巧みでときにトリッキーな尋問を続け、本件が冤罪であることを立証しようとする。クライマックスでは、赤子ですら声を上げなくなるこの裁判シーンは、迫力満点。白人ばかりの陪審員を前に、アティカスが繰り広げる最終弁論は、すべての人間が平等である場所こそ裁判であるという、メッセージを力強く伝える。
ペリー・メイスン物ならば、ここでヒーロー弁護士が凱歌をあげ、物語は終わることになる。しかし、本書の物語は、これでは終わらない。アティカス一家は、この後も、地域社会の理不尽に翻弄される。何事にも動じないアティカスだが、悲劇を前にして、引き裂かれていく彼の心を叔母は代弁する。
結末のハロウィンの夜でも、兄妹に恐怖が襲いかかかる。物語の前半部分と照応した意外な結末がつき、余韻を残して物語は終わる。
なお、結末は映画『アラバマ物語』と少し違っているところがあるが、映画版のほうが、腑に落ちるように思われる。
本書は、(あえてミステリとして扱う必要もない作品かもしれないが)ミステリとしては、一人の少女のナラティヴによって描かれている点、法廷物でありながら「犯罪」が発生した土壌を克明に描き判決では決着がつかない「事件」としてその後の社会的余波まで扱っている点で、通常のミステリの枠を超えており、その後のミステリに及ぼした影響も少なくないものがあると思われる。
なお、作中に出てくるスカウトの2歳上の友人ディル-二人は「婚約」したりしている-は、実際に作者と交際があった幼少時のトルーマン・カポーティがモデルであり、後にカポーティが『冷血』(1965)を書いた際に、作者は、助手として取材を助けたという。一方は小説、他方はノンフィクションだが、社会性をもった犯罪ドラマという両作の共鳴性という点でも興味深いところだ。
■ナイオ・マーシュ『幕が下りて』■
ナイオ・マーシュ『幕が下りて』(1947) が風詠社から。論創海外ミステリでも翻訳がある、松本真一氏の訳。この版元からは、既に、ナイオ・マーシュ、E.C.R.ロラックやドロシー・ボワーズなど同氏による訳が数冊あるが、今回も、マーシュの戦後作の貴重なところが訳された形だ。本作の前二作品は、アレン警部がニュージーランドへ派遣されていて、同国での活動に従事していたとのことで、本作で、久しぶりにロンドンに帰還し、画家で妻のアガサ・トロイと再会する。
そういったこともあってか、本作は、変則的な構成になっており、前半部は、アガサ・トロイが活躍する。
夫のアレン警部の帰国が決まった矢先、アガサ・トロイは老俳優ヘンリー・アンクレッド卿の肖像画を描くことを依頼される。彼女には気が進まない依頼だったが、依頼人である卿の孫に好感をもつ。トロイは、卿の自宅であるアンクレトン館に赴くが、館には卿の若い愛人も同居しており、大家族の間には不穏な雰囲気が漂っていた。館では、悪ふざけのようないたずらが頻発し、トロイが完成させた肖像画にまで被害は及ぶ。誕生日パーティの席で激怒したヘンリー卿は、彼の遺言について変更を加えたこと、若い愛人と結婚することを発表する。しかし、翌日、ヘンリー卿は、自室で死体となって発見される。
後半部では、アレン警部が帰国そうそう、卿の死に関する匿名の告発を受けて、捜査に乗り出すことになる。果たして、卿は殺害されたのか。
本書は、マーシュ得意の演劇ミステリとはいえないが、ヘンリー卿はマクベス役を演じた名俳優。家族にも俳優や演劇関係者が多い。卿には、息子・娘が多く、その配偶者や子供たちも主要人物となるから、登場人物はかなり多く、さすがに人物の描き分けが巧いマーシュといえども、しばらくは登場人物表のお世話になるかもしれない。
長編ミステリでは、しばしば不可解な「いたずら」が出てくることがあるが、本件では、問題行動のある女児が犯人として疑われる。トロイは、女児の行動であることを否定するが、しからば誰が何の目的で「いたずら」を仕掛けているのかが、本作のキーポイントの一つ。結局、謎の解明にはアレン警部の登場を待たなければならない。その謎解きは一見あっけないが、その解明自体が本件の真の犯人解明のための伏線になっているところは、巧みな仕立てだ。
異例なことに、卿の死が殺人か否かについては、結末近くまで明らかにならない。しかし、終盤に畳みかけるような展開がある。真の犯人が分かって、読者は、作者による目くらましに引っ張られていたことが判明する。犯人限定の論理はやや甘いが、あるアクシデントから、犯人の行動が裏目に出ることにより、犯人を読者の視線から遠ざけるとともに、事件の悲劇性を濃くしている点を評価したい。
トロイは冷静な観察眼をもつ職業人であり、前半部分、彼女の前で展開される一癖も二癖もある家族間の軋轢は、さながら家族劇の舞台を見守るようでもある。演劇人であり、絵画を学んだマーシュの個性がよく出た作品だ。
■カーター・ディクスン『五つの箱の死』■
国書刊行会〈奇想天外の本棚〉から、カーター・ディクスン(ディクスン・カー)『五つの箱の死』(1938) 。早川ポケット・ミステリで邦訳があるが、既に品切れらしい。
カーの作品としては、それほど評価が高くない。瀬戸川武資氏が『夜明けの睡魔』で、「カー・ファンでない人が読んだら、なんだ、これは、怒るだけだろう」「いくらなんでもこればかりは無理だった、という代物」「凡作」(「ジョン・ディクスン・カーが好き」)と書いているくらいだ。が、「奇妙な愛着を感じる」作品として挙げ、「ファンには作者の狙いがよくわかるはず」とも書いている。さて。
深夜一時、ジョン・サンダース医師は、仕事を終え、ロンドンの街路を歩いていると、一人の若い女性に呼び止められる。目の前の建物の一室に一緒に行ってほしいというのだ。医師が彼女に請われるまま部屋に足を踏み入れると、蝋人形か剥製のように四人の男女が食卓の周りを取り囲んでいた。いずれも、麻酔性の毒物を飲んでいる症状がみられ、そのうち一人は、刺殺され、こと切れていた。
いかにもスティーヴンスン『新アラビアンナイト』風の冒険が始まりそうな出だしに、極めて風変りの犯行現場。のっけから驚かし読者を引っ張る、カーらしい冒頭である。
さらに、現場の不可解な状況に輪をかけるのは、息のある三人が、四つの時計、目覚まし時計のベルの仕掛け、生石灰と燐の瓶等不思議な品々を所持していたこと。マスターズ主席警部は、ヘンリー・メリヴェール(H・M) 卿に出馬を求める。
H・M卿の登場シーンが可笑しい。マスターズの車は果物を満載した巨大な手押し車に接触し、果物の山は周囲に散乱。押していた男は、側溝に落ち、バスローブにランニングパンツの恰好で怒鳴り声をあげる。これが実はH・M卿。ダイエット目的で手押し車を引っ張っていたのだ。まるでコントで、こんなところもカー好きにはたまらないところである。
閑話休題。H・M卿の登場後により、奇妙な現場の謎は徐々にほどけていくが、新たな謎と意外なできごとが次々と生じ、マスターズも音を上げる。
「彼は、ドアを開けるたび、質問をするたび、あるいはただ向きを変えるたびに、新たに痛烈な衝撃に見舞われる事件は、それまでほとんど経験したことがないといった。」
なお、旧訳(西田政治訳)は、こんな風になっている。
「彼はあのように転々と変って行った事件には、これまで出合ったことがなかったということだった。」
省略しすぎではないだろうか。さて。
大きな謎として残るのは、四人に毒を飲ませた手法である。四人は互いに見張っており、毒を入れるのは不可能。一瞬、飲み物が別室に置かれたが、第三者が現場を見ており、何者も近づいていないことが明らかだ。
本書では、この不可能状況の解明自体は、実はたいしたことがない。カーの真の凄みは、この犯行方法の解明が真相特定のロジックに緊密に結びついている点だ。カーは、識者が指摘するように、不可能犯罪の謎解きと同様、ときにそれ以上にこだわったことがあり、不可能状況もこの狙いを達成するための道具にしている例も多い。本書でも数々の迷彩を張り、小説の奥にある真の狙いを気づかせない。惜しまれるのは、H・M卿が取り組むべき謎が多すぎるゆえに、全体にゴタゴタした感じがあるのが、否めないことだ。
H・M卿は、登場人物の一言で最終的な解決に至るのだが、多くの読者には最初は何のことか分からない。H・M卿の解明を待って、初めて膝を打つことになる。
カーは、本書でも、手記における叙述の仕掛け、錯覚トリック、別な推理等による誤導、記述の時間差などのテクニックを総動員して、手がかりをきちんと提示しながら意外な真相には気づかせないという綱渡りを見事にやっている。疑問に思ったことはほぼ説明がつくし、こうしたプロットを作り上げたことに恐れ入る。同時期の作品と比べても遜色のない巧緻なできばえだ。
(本作は、〈奇想天外の本棚〉製作総指揮の山口雅也氏によると、旧訳に「造本上のミス」があり、それがアンフェア、反則という風評を招いたという。『夜明けの睡魔』の一文(ここで引用していない箇所。ネタバレのおそれあるので注意)から、その「造本上のミス」を何となく想像していたが、実際に旧訳に当たってみると、想像とは異なっており、結局分からなくなってしまった)
■越前敏弥『名作ミステリで学ぶ英文読解』■
記念すべき「ハヤカワ新書」の001号本。ハヤカワ読者を新たなレーベルに誘導するには、うってつけの一冊だろう。英文読解本は数多くあれど、ミステリだけに絞ったは、まず珍しいのでは。著者のあとがきには、ミステリの場合は、叙述の仕掛けや読者へのミスリードなども注意深く読みとらなくてはならないことも多いため、英文読解の最良のテキストになりえる旨、書かれている。
取り上げられた作品は、エラリイ・クイーン『Yの悲劇』『エジプト十字架の秘密』『災厄の町』、アガサ・クリスティー『アクロイド殺し』『パディントン発4時50分』、コナン・ドイル『恐怖の谷』の6冊。どれも、ネタバレゾーンがあり、未読の人は避けることができる。あらすじ・概略の後に、原文の一部が引用され、その後に、テストのように、解釈の問題が出されている。英検2級程度、大学受験程度の文法知識のある人なら、ワンランク上の英文読解力を身につけることができる、とある。
筆者は、クイーン等が原文で味わえると、勇躍、設問に臨んだが、英語から遠ざかった身としては、討ち死に近かった。ざっくり読むのは別として、精読となると、文法知識がないと厳しいと改めて思った次第。
それでも、ミステリ翻訳の第一人者による丁寧な解説(翻訳クラス生の反応を含む)と翻訳を基に名作の原文に触れられる喜びは格別で、読後には、読解力が少し上がったような気がした(気のせいか)。
クイーンの原文がかなり込み入ったものであったり、『アクロイド殺し』の語りがユーモアに富んでいること等、新たに認識させられたことも多かった。『アクロイド殺し』で、引退したポアロが育てているのが、ただのカポチャではなくて、vegetable marrow(ペポカボチャ、ズッキーニ)であると知ったのも原文に触れたゆえ(著者の訳例では、「細長いカボチャ」)。
原文の後に添えられたコラムも面白く、『Yの悲劇』の blunt instrument の処理、『災厄の町』の重要人物を従来の「妹」から「姉」に変えたこと等興味深い話も多い。大矢博子氏のクリスティー、駒月雅子氏のホームズ作品に関するコラムも収録。
ミステリ好きで英文読解に取り組んでみようとする人なら、是非手元に置いておきたい一冊。
なお、本書には、NFT電子書籍付き版があり、こちらには、特典として、著者とミステリ評論家・翻訳家の飯城勇三氏との対談「エラリイ・クイーン 翻訳の極意」が収録されている。クイーン作品に関して、越前訳の革命性が多くの例を挙げて語られているので、クイーンファンには、こちらを購入する方がお得かもしれない。
■飯城勇三『密室ミステリガイド』■
実は、この本、全部を読めていない。読めていない本をレヴューするのは不誠実極まるが、著者の意図するとおり読もうとすると、いつまでかかるか判らないので、ここでご紹介だけしておこうという趣旨だ。
本書は密室ミステリのガイドブックだが、有栖川有栖『有栖川有栖の密室大図鑑』等と大きく異なるのは、全体を「問題篇」と「解決篇」に分け、解決篇については、トリックを明かして解説している点だ。採りあげられたのは、海外篇20編、国内篇30編の長短編計50編。
著者は、優れた密室ミステリのネタを解説・考察することで、読み終わった読者と楽しみを共有できる、また、作品鑑賞に新たな評価軸を提示できるとそのメリットを挙げている。本格ミステリの技術批評・分析に踏み込んでいく以上、解決を明かさないで済ませることは避けられないかもしれない。著者は、未読の本については、作品を読んだ上で、「解決篇」に進むことを勧めているので、特に国内分には未読が多い筆者は、「解決篇」に読めてない部分が多い。
作品選定についても独特のものがあって、例えば、クイーンでは、『チャイナ橙の謎』ではなく『ニッポン樫鳥の謎』、カーでは『三つの棺』等ではなく『緑のカプセルの謎』、高木彬光は『刺青殺人事件』ではなく『能面殺人事件』という具合だ。また、モーリス・ルブラン『奇岩城』、スタンリイ・エリン『鏡よ、鏡』といったように意表を突く作品も挙げられている。本書は、「トリックを明かして考察する」という前提で、よりそれにふさわしいと著者が考える作品が挙げられているわけだ。
既読分だけだが、「解決篇」を読むと、密室物の歴史に沿って、各作品に新しい評価軸に基づく評価を加えようと意図が伝わってくる。特に、国内篇は、現代に近い作品が多く、あの手この手で、この古い革袋に、新しい創意を盛り込んだ密室物が生み出されている現状を認識できる。
本書には、長文のコラムとして、「密室トリックの分類」(『三つの棺』以降、様々な分類が行われているものだ)、「密室作成動機の分類」(こちらの方も色々発展形がある)、「密室ミステリ・NEXT50-次点50作」も収録されており、いずれもファンなら楽しめること間違いなし。
未読本をやっつけて、遠くない将来、隅々まで味わいたいガイドだ。
論創海外ミステリからウィンストン・グレアム『小さな壁』(藤盛千夏訳)が出たが、これは、昨年末、新潮文庫から出た『罪の壁』と同一作品なので、レヴューを省略させていただく。力のこもった横井司解説は、一読の価値あり。
ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた) |
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ミステリ読者。北海道在住。 ツイッターアカウントは @stranglenarita 。 ■note: https://note.com/s_narita35/ |