本連載ではこれまで何度か「メグレは警部か警視か」問題を取り上げ、私の考えを示してきた。「メグレはどこに所属している私服刑事なのか」「その階級コミッセールcommissaireを日本の私たち読者はどのように理解したらよいのか」「司法警察とパリ警視庁の関係はいかなるものか」という問題であるが、「フランス国家警察とはどのような組織なのか」という異文化理解の問題にも繋がる。今回イギリスの作家A・E・W・メイスン(1865-1948)が創造したフランスの探偵アノーの活躍を読むことで、もう少し考察が進んだので報告したい。
前提として述べておくと、私はシムノンを読むのが好きな一読者なので、他のフランスミステリーや他の警察小説をほとんど読んだことがない。フランスの行政も法律も歴史も体系的に学んだことはない。
私は自分の小説に一度も警察官を登場させたことがない。警察機構のことをよく知らないので、書けないのである。警察小説も大沢在昌《新宿鮫》シリーズを除けば若いころほとんど読まなかったし、いまも知り合いの作家の新作を手に取るくらいで、警察機構そのものにはあまり関心がない。映画評論家の水野晴郎は大のアメリカ警察マニアだったという話を聞いたことがあるが(よく『水曜ロードショー』で警官の制服を着て出ていた)、そもそも私は調べなくてもよいならフランス語の原書を紐解いてまでフランス国家警察の歴史を知りたいとは思わなかった。
ところがメグレを読み始めた当初、どうにも居心地の悪さを感じてならない。メグレの役職がよくわからない。翻訳家の長島良三氏は最終的にメグレの役職名コミッセールcommissaireを「警視」と定めたが(『メグレと殺人者たち』新書版1976「訳者あとがき」参照)、創元推理文庫は「警部」を用いる習慣があり、『メグレ警部と国境の町』のように題名にも「警部」が残ってしまっている。今年(2023)の秋の復刊フェアで対象となるシムノン『猫』の紹介文にも「メグレ警部」と書かれているので、こういうちょっとしたことが重なれば新規の読者に混乱をもたらすことになるだろう。
http://www.tsogen.co.jp/news/2023/07/4345/
なぜ混乱が続いてきたのかと考えると、最終的に広く捉えれば行動・進化生物学教授ケヴィン・レイランドが『人間の進化的起源 なぜヒトだけが複雑な文化を創造できたのか』(2023)で指摘した文化進化の問題へと行き着く。専門家でさえおのれのコミュニティに閉じているときは間違いを間違いのままスルーしてしまうという人間の本性のためである。だがパンデミックで露わになったように、ひとたび狭いコミュニティを越える全世界的な問題が発生したとき、コミュニティ内で培われた「常識」は世間で通用しなくなる。
メグレが警部でも警視でも人は死なないのだからどうでもよいではないか、と考える人も多いだろう。もちろんその通りだが、メグレをあたかもパリ警視庁捜査一課の警部のように捉えたことで、その後フランス産の映画やTVドラマが日本に輸入される際にはミステリー業界の誤りがそのまま引用されて、邦訳タイトルにも誤解を招く表現が用いられる状況がずっと続いてきたように見受けられる。こうした慣例による混乱は、最新の人気TVドラマシリーズ『アストリッドとラファエル 文書係の事件録』(2019-)を観賞する際にも影響を及ぼす。
まずは海外翻訳ミステリーにいちばん深く関わっている皆様がこの事実に気づき、自分を変えること、それが何よりも重要だと私は思う。日本ではWikipediaの記述があまくて、私が見たところ「パリ警視庁」や「メグレ警視」「ジョルジュ・シムノン」「パリ警視庁賞」などの項目では間違いや明確ではない記述が10年以上も放置されていた。日本では集合知というものがうまく機能しない特徴があるようだ。昨今の生成AIはウェブに転がっているさまざまな文章をもとに学習するので、Wikipediaが間違っていればAIも間違えるようになる。あなたがブログで間違ったことを書けば、それもAIが間違う理由のひとつになる。そして間違ったAIの回答を見たどこかの人がそれを丸写しして、次にやってくるフランス映画の字幕を間違ってつくってしまうだろう。「メグレは警部か警視か」はとてもよい問題設定だ。人が死ぬことはないが、これがうまく日本人のなかで修正できるなら、ワクチン問題にもマスク問題にも大きな示唆を与えるだろう。文学研究者が感染症の社会問題に関してひとつ学術論文を書くことができる。これこそレイランドが著書で示したように、人間が進化の過程で獲得した〝学び合う〟能力の成果、「総合知」というものだ。
フランス国家警察の全体像を摑むのは相当に難しい。たとえば検索で見つけた浦中千佳央という研究者による次の2020年の論文「フランスの警察とその指導原理について(上)」の冒頭でも「フランスでは立法や組織の改編が頻繁に行われ、フランス人ですら非常に分かりにくい組織、活動形態となっている。」と記されているほどだ。
https://www.google.com/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=&ved=2ahUKEwifyKjmvr2AAxXrm1YBHWwMBG4QFnoECCcQAQ&url=https%3A%2F%2Fksu.repo.nii.ac.jp%2Frecord%2F10406%2Ffiles%2FSLR_53_3-4_645.pdf&usg=AOvVaw22tS-uUjeN7oFxhxCmcUpS&opi=89978449
しかもこれ以降、さらに注目すべき組織改革がおこなわれている。後述するが2021年10月に新しく「パリ市警La police municipale parisienne」というのができたのだ!
https://fr.wikipedia.org/wiki/Police_municipale_de_Paris
https://www.paris.fr/pages/tout-savoir-sur-la-police-municipale-parisienne-16970
今回の文章は自分なりに咀嚼して書いたつもりだが、私自身が間違えている可能性もある。それも含めてお読みいただきたい。
いちばん私たち日本人にとって参考になると思われる最近の公式報告書(2023)を以下に示しておくが、まずこれは目を通さなくてよい。後で説明する。
フィリップ・ドミナティ上院議員Philippe Dominati, Sénateur「司法警察中央局:《虎の部隊》は間もなく檻に入れられるのか?La direction centrale de la police judiciaire: des brigades du Tigre bientôt mises en cage?」
https://www.senat.fr/rap/r22-302/r22-302.html
https://www.senat.fr/rap/r22-302/r22-3021.pdf
https://www.senat.fr/rap/r22-302/r22-302-syn.pdf
A・E・W・メイスンのアノー探偵ものには以下の作品がある。入手容易な邦訳がある場合はその題名も示す。私が読んだものには*印を付した。
・『薔薇荘にて』At the Villa Rose, 1910*
・「セミラミス・ホテル事件」The Affair at the Semiramis Hotel, 1917(短篇)*
・『矢の家』The House of the Arrow, 1924*
・No Other Tiger, 1927(番外篇)
・『オパールの囚人』The Prisoner in the Opal, 1928*
*Preface(A. E. W. Mason’s Omunibus, Inspector Hanaud’s Investigation, Hodder and Stoughton, 1931, 1964第2版収載)(エッセイ)*【図95-5】
・They Wouldn’t Be Chessman, 1934
・The Ginger King, 1940(短篇)
・『ロードシップ・レーンの館』The House in Lordship Lane, 1940*
シリーズ中でずば抜けて面白いのが第1作の『薔薇荘にて』(1910)で、ミステリーの定石がまだ整っていなかった時代ゆえの破格な構成が素晴らしい。続く『矢の家』『オパールの囚人』はいまも観賞に堪えるが、最終作の『ロードシップ・レーンの館』はいささか辛い。メイスンは異郷小説の古典『サハラに舞う羽根』をいつか読みたいと思っている。
日本では長い間、創元推理文庫に入った『矢の家』しか手軽に読めない状況が続き、ようやく1995年に『薔薇荘にて』の完訳版が出て、さらにしばらく経って最近ようやく『オパールの囚人』と『ロードシップ・レーンの館』が新刊で読めるようになった。短篇の「セミラミス・ホテル事件」はハヤカワ・ポケット・ミステリの啓蒙的アンソロジー『名探偵登場2』(1956)に収録された。これらすべてにおいて、アノー探偵は「パリ警視庁の警部」と日本語で紹介されてきたが、それらは正しかったのかを以下に検討する。上記すべてのアノー探偵ものについて、邦訳とメイスンの英語原文を比較し、警察関係の用語が出てくる部分について列挙したのが 【資料番外4-1】「アノー探偵ものに登場する警察関連用語」である。じっくりとご覧いただきたい。重要な部分には下線を引いている。
物語性豊かな大衆娯楽長篇小説を得意としていたイギリス人作家メイスンが初めて「ミステリー」として取り組んだのが、アノー探偵初登場作の『薔薇荘にて』であった。メイスンは当時人気のあったシャーロック・ホームズのライバルとなるべき新たな主人公を求められてアノー探偵を創造した。その経緯が後年のメイスン自身のエッセイに書かれている。長篇3作目の『オパールの囚人』が発表された後に合本のかたちで刊行された『アノー警部の捜査Inspector Hanaud’s Investigation』(1931, 1964)に「序文Preface」として書き下ろされた文章がそれだ。このエッセイは示唆に富むので、どこかで全文翻訳紹介されてよい。
これを読むとメイスンがホームズの好敵手を創造するためにどのようなキャラクターづくりをしていったかがよくわかる。 【資料番外4-1】に原文のDeepL機械翻訳を載せておいたが、
まず第一に、プロフェッショナルであること、第二に、シャーロック・ホームズ氏とは肉体的に可能な限り違っていること、第三に、温和で友好的な魂を持っていること、第四に、フランスの探偵がそうであるように、それを信頼する準備ができていること、(DeepL翻訳)
と、彼はあえてホームズと似ていない人物像を目標としていった。それゆえにアノー探偵は大柄なフランス人となり、かつ私立探偵ではなく官職に就く私服刑事となったのである。そして直前の文章に注目していただきたい。メイスンはアノー探偵を創造するにあたって具体的に誰をモデルにしたのかを明確に述べている。彼は実在したフランス人刑事ふたりの回想録からヒントを得たのだ。「ゴロン氏Monsieur Goron」と「マセ氏Monsieur Macé」である。
長篇『薔薇荘にて』が刊行された1910年、フランスの警察機構は実際にどのようなものであったのだろうか。「ゴロン氏」と「マセ氏」の名を調べてみよう。前者はマリー゠フランソワ・ゴロンMarie-François Golon(1847-1932)、後者はギュスターヴ・マセGustave Macé(1835-1904)であることがわかる。どちらもパリ警視庁治安部Sûreté à la préfecture de police や治安捜索部隊la service de la Sûretéの長官chefを務めた人物である。そしてふたりとも回想録を書き、後年まで広く知られるようになった。邦訳があるのかちょっとわからないが、フランス語のテキストはいまもプリント・オン・デマンドや電子書籍で読める。いずれはこれらの回想録にも当たりたいところである。
https://fr.wikipedia.org/wiki/Marie-François_Goron
https://fr.wikipedia.org/wiki/Gustave_Macé
フランスのWikipédiaの記述は日本のそれと比べて信頼性が高い印象があるのでここに引用している。彼らが活躍した当時は首都警察であるパリ警視庁の組織として「治安部(Sûreté=シュルテ)」というのがあったのだ(la Sûreté de la Préfecture de Police)。
1811年にこのシュルテを最初につくったのが、かの有名なウジェーヌ゠フランソワ・ヴィドックEugène-François Vidocq(1775-1857)であり、彼は回想録(1828)を書き(ただし他人の筆が入った虚実ない交ぜの内容だとされる)、オノレ・ド・バルザックの『ゴリオ爺さん』(1835)などいくつかの小説に出てくる悪漢探偵ヴォートランのモデルになり、またアドガー・アラン・ポーの小説「モルグ街の殺人」(1841)に登場する探偵デュパンの造形にも影響を与えた人物であるのは周知の通り。ヴィドックについては残念ながら今日に至るまで日本で纏まった紹介書がなく、むしろドイツ人作家ヴァルター・ハンゼンの手による小説形式の『脱獄王ヴィドックの華麗なる転身』がわかりやすい。それまで警官といえば制服姿だったが、目立つ服装では潜入捜査もやりにくい。一般市民と同じ私服で任務に当たらせることで、より深く盗賊集団の懐へ入り込めるようにしたのがヴィドックだった。
ヴィドックより後の時代、シュルテがパリ警視庁の一部として機能していたころのマリー゠フランソワ・ゴロンやギュスターヴ・マセが、アノー探偵のモデルとなったわけだ。私たち日本人がぱっと思い浮かべる、『レ・ミゼラブル』(1862)のジャベール警部の雰囲気がまだ残っているような、そんな時代の掉尾を飾る19世紀末から20世紀初頭のパリ警視庁である。 【資料番外4-1】で『薔薇荘にて』の記述が実際どうであったかをご覧いただきたい。アノー探偵はゴロンやマセと同じく「パリ警視庁のシュルテに所属する警部」として設定されている。
・こちらはパリ警視庁のアノー氏ですp.41 This is M. Hanaud, of the Sûreté in Paris. p.53(こちらはパリの治安部のアノー氏です)
・よろしいですね。私はいつもパリ警視庁におりますから。p.177 I tell you so — I, who belong to the Sûreté in Paris. p.182(私はいつもパリの治安部におりますから)
ここで注意されたい。邦訳では「シュルテ」を「パリ警視庁」としているが、そもそも「シュルテ」とはパリやフランス国家を揺るがす犯罪者や犯罪組織を捜査し捕らえる専門性の高い探偵チームとしてヴィドックにより設置されたのであり、パリ警視庁の設立経緯とはいささか異なる出自を持っていた。日本でいえばシュルテはかの『鬼平犯科帳』で描かれた長谷川平蔵率いる「火付盗賊改方」に近い組織であったと私自身は感じる。江戸の北町奉行所や南町奉行所の他に、凶悪犯を取り締まるための独立した犯罪捜査集団として火付盗賊改方があったからだ。ときおり『鬼平犯科帳』とメグレものが似ている、といわれるのは、その組織の構造が似ているためもあるだろう。
フランスではパリ警視庁ができてそのなかに「シュルテ」も組み入れられるようになり、シュルテは主に首都パリの治安を守るようになった。やはりここで思い出しておく必要があるが、首都パリはかつて城壁で囲まれた要塞都市であって、特別な都市だった。『レ・ミゼラブル』のジャベール私服警官もパリ内で捜査活動をおこなっている。
『薔薇荘にて』のアノー探偵がパリの「シュルテ」に所属する私服刑事であることはわかった。ではパリ警視庁とはいかなる関係があるのか。このへんの微妙なニュアンスを原文から拾い上げてみよう。
・電報はウェザミルのもとに配達され、映しが警視庁に送られたわけですが、p.186 It was delivered to Wethermill and a copy was sent to the Prefecture,(パリ警視庁へ送られた)p.191
シュルテではなくPrefectureという言葉が出てきた。この組織は何か。
このPrefecture(英語表記なのでeにアクサンテギュがついていない。フランス語表記ならPréfecuture=プレフェクチュールとなる)こそが私たち日本人の思い浮かべる「パリ警視庁」である。この本庁舎が面する河岸沿いの通りの名は「オルフェーヴル河岸」ではなく「マルシェ゠ヌフMarché-Neuf」であった。
https://fr.wikipedia.org/wiki/Préfecture_de_police_(Paris)
https://fr.wikipedia.org/wiki/Quai_du_Marché-Neuf-Maurice-Grimaud
プレフェクチュールとは「県」とか「県庁」の意味であるから、ふつうは「神奈川県警(神奈川県警察)」などと各県ごとに県警察署のことを指すはずだが、最初にナポレオンが設置したときのニュアンスには、たんにパリを管轄する警察組織というだけでなく、フランスという国全体を守るためにまず首都パリの治安を守るのだという「Préfecture de Police警察総局、警察庁」の意味も備えていたと思われる。
https://www.prefecturedepolice.interieur.gouv.fr
https://www.prefecturedepolice.interieur.gouv.fr/presentation/la-prefecture-de-police/presentation-de-la-prefecture-de-police
そのため、限定的にパリとその近郊の治安を守るという文脈のときには、プレフェクチュールpréfecutureではなくプレフェpréfetの言葉が使われることが多いようだ。プレフェは「県知事」や「地域圏知事」の意味を持つ。警察庁長官、警視総監と訳すこともできる。メルヴィル・デイヴィスン・ポースト『ムッシュウ・ジョンケルの事件簿』(1923)の主人公ジョンケルは、当時の「パリの警察の長官Prefect(=préfet) of Police of Paris」、すなわちパリ警視庁の警視総監だ。
ちなみに、パリはかつて「パリ県」の一部であり、また『薔薇荘にて』の時代は「セーヌ県」に含まれていたので「セーヌ県警」の意味でプレフェクチュールが使われていたのだろうが、セーヌ県は1963年に廃止され、いま「パリ警視庁」が担当する守備範囲は下記に書かれた通りだそうだ。
https://www.prefecturedepolice.interieur.gouv.fr/presentation/le-prefet-de-police/les-prefets-du-grand-paris-de-la-securite/les-prefets-du-grand-paris-de-la-securite
日本でも東京都を管轄する警察組織が「警視庁」と特別な呼ばれ方をされるのと似ているが、日本にも「警視庁」と「警察庁」があり、現在は「警察庁」が東京の「警視庁」を含めて各都道府県警察を指揮しているところが、この当時からのパリ警視庁とは違う。「パリ警視庁」は「Préfecuture」の名のもとに警視庁と警察庁の役目を担っていたと考えられるからである。
つまり注意したいのは、フランスにおけるプレフェクチュールは日本語の「県警」とはいささかニュアンスが異なるという点だ。フランスのWikipédiaでは上述した「Préfecture de Police(Paris)」の他に「Préfecture de Police」の立項があり、そこに書かれているように「警察総局Préfecture de Police」の名で呼ばれるのはパリ警視庁と、2012年にブーシュ゠ド゠ローヌ県のマルセイユに設置された警察本部の2か所のみだ(マルセイユが選ばれたのは麻薬密売が多かったため)。各地方の地元市民を守る警察組織は「自治体警察(市町村警察)Police municipale」と呼ばれる。このことは後述する。
https://fr.wikipedia.org/wiki/Préfecture_de_police
https://fr.wikipedia.org/wiki/Police_municipale_(France)
日本では現在「警視庁」の上に「警察庁」があって、その警察庁は国務大臣らを委員とする「国家公安警察」によって管理されている。日本は戦後に内務省が解体されたので、現在「内務省」という組織は存在せず、戦前まであった国家地方警察や自治体警察もなくなっている。
https://www.police.macanow.com/trivia/trivia09.html
一方、パリ警視庁のトップはいまもフランス警察総局のトップあるとともに大パリ地域の治安を守るトップでもあるので、この地位は上述したプレフェを用いてle préfet de Policeと呼ばれ、訳すときは日本の都警察本部すなわち警視庁の長である「警視総監」と同じ官職名があてがわれる。だが現在はパリ警視庁のプレフェと(東京)警視庁の警視総監では少し役目が違うということだと思う。どうしても私たち日本人には混乱が生じるが、パリに設立され現在まで続いている「警察総局Préfecture de Police」にはパリ付近を守る自治体警察、すなわち地域県警・市警としての役目と(Le préfet de Police)、官房室などさまざまな政治的組織の役割と(Les directions et services)、そして首都警察・国家警察としてより機動的な刑事捜査をおこない市民と治安を守る警察組織としての役目がある(La Préfecture de Police)と理解するのが妥当だろう。いま私たちが焦点を当てたいのはこの第3の役目である。
https://www.prefecturedepolice.interieur.gouv.fr/presentation
https://www.prefecturedepolice.interieur.gouv.fr/presentation/le-prefet-de-police/les-missions/les-missions-du-prefet-de-police
さて『薔薇荘にて』の時代、「プリフェクチャーPrefecture」といえばシテ島にあるノートルダム大聖堂向かいのパリ警視庁本庁舎のことだったわけだが、アノー探偵はいつもそこにいたのだろうか。
上掲の文章で、電報の映しはプリフェクチャーPrefectureに送られたとある。ノートルダム大聖堂前のパリ警視庁本庁舎に届いたというところまではOKだ。では、その電報は同じ屋内にいるアノー探偵へ届けられたのか。おそらくは違う。彼の所属先「治安捜査部Service de la Sûreté」は「ジェルサレム通りRue de Jerrusalem」というところに分課として設置されていたからだ。
・それに私がパリに戻って、ジェルサレム街(パリ警視庁)でこう言ったらどうなります?p.60 And what will become of me when I go back to Paris, and say in the Rue de Jerrusalem, p.72(私がパリに戻って、そしてジェルサレム通りでこういったらどうなります?)
https://fr.wikipedia.org/wiki/Service_de_la_Sûreté_(Paris)
https://fr.wikipedia.org/wiki/Rue_de_Jérusalem_(Paris)
アノー探偵がいつもいる治安部とは「ジェルサレム通り」にあった! このジェルサレム通りとはどこか? いまはもう名前が残っていない通りだが、現在のシテ島の「オルフェーヴル河岸通り」に吸収された西寄りの通りであったらしい。ここにかつてパリ高等法院の法院長Premier président du Parlement de Parisが寝泊まりしていた邸宅があり、その建物がシュルテのものとして当時使われていたのである。おそらく、現在のGooglemapでただの駐車場になっているパリ司法宮の裏手側だと思われる。
結論:『薔薇荘にて』でデビューしたときアノー探偵はパリ警視庁に所属する私服刑事であったが、その居場所はノートルダム大聖堂向かいの本庁舎ではなく、現在のオルフェーヴル河岸沿いの(現存しない)建物内にあった。
もう少し詳しく見てみよう。『薔薇荘にて』はエクス゠レ゠バンというサヴォワ県の温泉保養地で起こった事件に、たまたま当地へ来ていたアノー探偵が関わるという設定だが、すると当然ながら現地のサヴォワ警察の刑事が捜査に当たるはずである。これがルイ・ベスナール警視だ。
・いまのがエクスの警視、ベスナール氏です。p.39 That is M. Besnard, the Commissaire of our police in Aix. p.51
ベスナールがcommissaire=コミッセールと呼ばれていることに注意されたい。フランスでコミッセールとは3つの官職のことを指すと以前に書いた。まず各区の警察署長、次に自治体警察としてのパリ警視庁など各県で犯罪捜査に当たる者(パリ警視庁にシュルテがあった時代ならばその警部)、そして3番目に司法警察局の警視である。ベスナールはおそらくサヴォワ警察で犯罪捜査に携わる私服刑事なので、2番目の意味でコミッセールと呼ばれているのだ。現在なら後述する「国家警察総局Direction Générale de la Police nationale, DGPN」の傘下にある10部局のひとつ「公共安全中央局Direction centrale de la Sécurité publique, DCSP」に属するサヴォワ県警察Les service de l’État en Sovoieの警視commissaireが駆けつけるところだろう(l’Étatは「州」や「国家」の意味があるが、ここでは「サヴォワ県における国家警察」ということ)。
https://www.police-nationale.interieur.gouv.fr/Organisation/Direction-Centrale-de-la-Securite-Publique
https://www.savoie.gouv.fr/Services-de-l-Etat/Securite-et-protection-des-personnes/Direction-departementale-de-la-police-nationale
ここで、パリのシュルテに所属するアノーと、サヴォワ警察で働くベスナールのどちらが「偉い」のか、と問うてもあまり意味がないと考える。『薔薇荘にて』でアノーの官職は明記されていないが、日本語にするならたぶん「パリ治安捜査部の警部=コミッセールcommissaire」だろう。
「警部」と「警視」なら警視の方が階級的に偉いのでは? と思ってしまうので、私たち日本人には混乱が生じる。だが両方とも同じくコミッセールだったのではないか、というのが私の推測だ。実際はエクスで起きた事件だから本来の担当は地元のベスナールであり、アノーはたんに首を突っ込んでいるだけだが、ときにはシュルテの一員としてパリとの連携にひと役買っている──そういう役回りであると了解するのがよいのだろう。
1910年当時(いまから約110年前)のことは大まかにわかった。では現在のフランス警察はどのような組織になっているだろうか。第2長篇『矢の家』(1924)を見る前に、ここでざっくりと纏めてみる。
以前に本連載で紹介した未訳の書籍『フランス警察の歴史:アンシャンレジーム(旧制度)から現代までHistoire des police en France: De l’Ancien Régime à nos jours』(Nouveau Monde, 2013)の35-37ページに「アンシャンレジーム以降のさまざまな警察の概略年表Chronologie sommaire des differentes polices depuis l’Ancien Régime」が載っており、そこでは歴史上フランス警察が次の5つに大別されている。
・Maréchaussée puis gendarme 近衛騎兵隊のちに憲兵隊
・Paris=Lieutenance de police puis Préfecture de police (PP) パリ=警察代理官のちにパリ警視庁(PP)
・Polices municipals 自治体警察、市町村警察
・La marche vers l’étatisation des polices 国家警察へ向けての動き
・Sûreté Générale puis nationale 治安総局のちに国家治安局(警察局)
パリ警視庁のことを古くから「PP」と略して呼ぶ、ということは憶えておきたい。
さて、この5分類を頭の隅に入れつつ、現在のフランス警察の人材募集ウェブサイトなどを見ると、フランスの警察は次の3つが主要な組織であることがわかる。この3分類は前掲の浦中論文の冒頭でも示されている。現在はいずれもフランス内務省の管轄である。
・Police Nationale 国家警察
・Police Municipale 自治体警察、市町村警察
・Gendarmerie Nationale ジャンダルムリ・ナショナル(国家憲兵隊)
https://www.police-nationale.net
今回このなかでとくに私たちが注目したいのは「フランス国家警察Police Nationale」だ。メグレもアノーもここに所属していたと考えられる。
https://www.police-nationale.net/police-nationale/
現在、フランス国家警察は、次のウェブページが示すように、10の総局(Les directions)で構成されている。ここにいま私たちが知りたいと願っている「司法警察中央局Direction centrale de la Police judiciaire, DCPJ」や、地方自治体の安全を守る「公共安全中央局Direction centrale de la Sécurité publique, DCSP」などの部局がある。
https://www.police-nationale.interieur.gouv.fr/Organisation
この組織構造を図式化(Organigramme)したものが次のウェブページにある(いささかピンボケで見づらいが)。冒頭に書かれている文言を引用しよう。
https://monuniform.fr/index.php/police-nationale/lorganisation-de-la-police-nationale/
フランスの国家警察
国家警察La Police Nationaleはフランス国内の治安部隊であり、内務省の管轄下に置かれています。国家警察長官le directeur générale de la police nationaleがその長を務め、それぞれが特定の任務を負ういくつかの総局と局にわかれています。(Google翻訳)国家警察総局La Direction Générale de la Police Nationale
国家警察長官le directeur générale de la police nationaleは国家警察のすべての部門と業務を監督します。国家警察の活動の調整と全般的な方向性を担当します。国家警察長官は、以下のすべての部門を統括します。(以下、10の総局について説明)(Google翻訳)
つまり、内務大臣>国家警察長官>10の総局、があり、そのひとつ司法警察中央局(DCPJ)が、主としてメグレの所属した《虎の部隊》の歴史を受け継ぐ部局だということになる。アノー探偵もおそらくここに所属していただろう。
では司法警察中央局(DCPJ)の中身をさらに見てみよう。このフランス国家警察公式ウェブサイトの下部ページに「司法警察局の歴史Histoire de la police judiciaire」(2011)が書かれていることは以前に紹介した。
https://www.police-nationale.interieur.gouv.fr/Organisation/Direction-Centrale-de-la-Police-Judiciaire
https://www.police-nationale.interieur.gouv.fr/Organisation/Direction-Centrale-de-la-Police-Judiciaire/Histoire-de-la-police-judiciaire
ここで私たちの大きな疑問、「パリ警視庁と司法警察の関係はどうなっているのか」について答えを示しておこう。首都パリにおいて、司法警察police judiciaireははたして「パリ警視庁」の一部なのか、それともそれぞれ独立した組織なのか?
この疑問はフランスのミステリー小説を翻訳する際にも重要なポイントとなる。たとえば『パリ警視庁迷宮捜査班』(2015-)という私がまだ読んでいないシリーズがあって、この訳者あとがきには「司法警察はパリ警視庁の内部部局のひとつ」と明記されており(https://www.hayakawabooks.com/n/na6aff44305af)、他にも「パリ警視庁賞Prix du Quai des Orfèvre」を受賞した小説の邦訳を片っ端から集めて訳者あとがきを調べてみるとおおむね類似の説明が記されているのだが、それは本当に正しいのか。
先に示した公式資料「司法警察中央局:《虎の部隊》は間もなく檻に入れられるのか?」から、その謎を解く最重要部分を引用する。略称部分などを一部補った。
A. 司法警察という変幻自在の国家組織の中で、司法警察中央局DCPJは犯罪の「ハイエンド」に効果的に対処している。
司法警察中央局DCPJは、犯罪捜査を担当するさまざまな政府部局のひとつである。DCPJは、犯罪捜査を管轄する数ある政府部局のひとつで、国家警察、国家憲兵隊、税関、税務当局など、さまざまな部局や当局が担当している。すべての場合において、権限を与えられた職員は、事件を担当する検察官または審査官の直接の権限の下で、司法警察としての職務を遂行する。
国家警察la police nationaleの中で、DCPJは、1907年にジョルジュ・クレマンソーによって創設された《虎の部隊brigade du Tigre》の後継者であり、原則として、組織犯罪やテロリズムに関わる事件だけでなく、あらゆる種類の最も重大で複雑な、あるいは特殊な事件の処理を担当している。そのためには、中央と地方の部門に頼ることになる。パリ警察la préfecture de police de Parisの管轄区域内では、地方圏司法警察局la direction régionale de la police judiciaire(DRPJ-PP)が、DCPJではなく、警察庁長官préfet de policeの直接の権限の下で、やや広範ではあるが、同様の業務を遂行している。
したがって、DCPJとDRPJ-PPに委託される事件は、統計的には犯罪のごくわずかな割合を占めるにすぎないが、社会にとって特に有害なものである。さらに、DCPJは、すべての犯罪捜査部門の利益のために、分野横断的な任務を遂行している。とりわけ、国際的な警察活動の協力や、中央省庁間司法警察局offices centraux interministérials de police judiciaireの大半の管理は、その役割として、それぞれの管轄分野におけるさまざまな捜査部門の仕事を調整することにある。(PDF版p.6)(中略)
また、司法警察police judiciaireには有機的な定義もあり、内務省ministère de l’Intérieur(国家警察police nationaleおよび国家憲兵隊gendarmerie nationale)傘下であろうと、財政や環境を担当する省庁を含む他の省庁傘下であろうと、国のすべての司法警察サービスを指す。
最後に、一般的な用語や警察用語では、「司法警察police judiciaire」または「PJ」という用語は、司法警察中央局(DCPJ)およびその地域圏部門、すなわちDCPJから独立し、パリ警察長官préfet de police de Parisの権限下にあるパリ地方圏司法警察局(DRPJ-PP)、つまり「36」を指すことが最も多い。(PDF版p.12)
(DeepL翻訳を一部改変)
これで皆様も加藤剛演じる警部のように「よし、わかった!」と気持ちよく拳を叩いていただけることと思う。
改めて述べると、フランス国家警察のなかに司法警察中央局(DCPJ)という組織があり、このDCPJがさまざまな凶悪犯罪に立ち向かっていて、多くのミステリードラマではこのDCPJに所属する刑事たちが日夜活躍を続けている。ただし首都パリに限っては、古くから「パリ警視庁la préfecture de police」というものがあったので、特別に司法警察中央局(DCPJ)の傘下ではなくパリ警視庁la préfecture de policeのもとで、司法警察の刑事たちが同様の任務を遂行している、ということだ。そしてこのパリ警視庁la préfecture de policeにおける司法警察局のことを「DRPJ-PP」と呼ぶのである。だがふだんは面倒なので、パリの刑事は自分たちが所属している「DRPJ-PP」のことをさらに略してたんに「司法警察局」とか「PJ」と呼んでいる、ということなのだ。
つまり、前掲の「司法警察はパリ警視庁の内部部局のひとつ」は、厳密にいえば充分な説明ではない。ここでの司法警察とは「DRPJ-PP」に限った話なのだが、私たち日本人の多くはここの区別がついていない。「首都パリにおいては国家全体の司法警察の組織から独立した特別な司法警察の刑事たちが凶悪犯罪捜査にあたっている」と説明するのがよいのだと思う。「オルフェーヴル河岸36番地、犯罪捜査課brigade criminelleのメグレ警視だ」と名乗っていたメグレの系譜は現在、この「DRPJ-PP」に受け継がれているのである。
https://fr.wikipedia.org/wiki/Brigade_criminelle
次の部分も目を通しておくのがよい。パリ警視庁に限定されないフランス国家警察全体としての司法警察は、内務大臣>国家治安総局(DGPN)>司法警察中央局(DCPJ)、という組織図のなかに入っていることがわかり、また司法警察はパリ、地方にかかわらず、犯罪の第2レベルと第3レベルという重大犯罪の捜査を専門としていることが明記されている。
(中略)
(a) 司法警察を担当する各省庁
(i) 内務省およびパリ警察の犯罪捜査担当部局
パリ警察を含む内務省の部局が、司法警察業務全般の大部分を担当している。
一方では、国家警察総局(DGPN)とパリ警察の警察サービスが、警察が担当する地理的地域について、その地域を管轄するいくつかの総局の中で、場合に応じて、主要または補助的に司法警察任務を遂行している。予算書によれば,国家警察において,合計46,161人の職員が司法警察任務に携わっている。
以下に詳述する中央犯罪捜査部(DCPJ)は、犯罪捜査を専門とする国家警察部門であり、特に重大犯罪、複雑犯罪、特殊犯罪、組織犯罪、国際犯罪、テロ犯罪を担当する。その活動は、中央レベルでも地方分権レベルでも、犯罪のトップエンド、あるいはトップエンドの司法警察ミッションにほぼ特化している。その任務は、第3レベルの犯罪の一部と、第2レベルの犯罪のごく一部をカバーしている【註】。3,800人の捜査官を含む5,673人の職員がいる。パリ警察の自治組織内では、パリ警察地方司法警察総局(DRPJ-PP)があり、DCPJの管轄下にはないが、その地理的管轄区域内でほぼ同様の業務を行っている。職員数は2,200人強。(PDF版p.16)【引用者註】
フランスにおける犯罪の第1レベルとは日常的な犯罪。重大性に乏しい財産犯(スリ、万引き、破損など)や、身体的危害を伴わない対人犯罪(脅迫、煽動など)。
第2レベルは中程度の複雑さまたは深刻さを持つ犯罪。組織的犯罪組織が関与していない財産に対する連続犯罪(強盗、武装強盗、自動車窃盗など)、個人に対する深刻な犯罪(特定の性犯罪、特定の形態の調達、特定の殺人など)、街頭での麻薬密売、特定の詐欺など。
最後の第3レベルは、特殊犯罪、組織犯罪、テロリズム。組織犯罪とテロ犯罪は、フランスでは数的には少ないが、重大な脅威であり、専門的な資源の投入が必要である。同様に、複雑な経済・金融犯罪のような特殊犯罪は、甚大な被害をもたらし、特殊で専門的な対処を必要とする。(PDF版p.14参照)
(DeepL翻訳を一部改変)
こうした司法警察局のあり方を「パリ警視庁」の側から再確認してみよう。まず、少し古い資料だが、未訳の書籍『司法警察局:犯罪の現場La Police judiciaire: La scène de crime』(Gallimard, 2000初刊)46-47ページの組織図にもある通り、司法警察中央局(DCPJ)は活動地域によって「パリ地方圏司法警察局Direction régionale de la Police judiciaire de Paris」(=DRPJ-PP)と「その他の地方圏の司法警察」に分けることができる。いま私たちが注目しているのは前者である。
皆様のなかには2017年にいわゆる「パリ警視庁」がシテ島から別の場所へ引っ越したことをご存じの方もいることと思う。ノートルダム大聖堂の向かいのあの建物は1860年代につくられ、1871年から警察本部として使用されて、その威風堂々たる姿は警察組織の象徴としてパリ市民のみならずフランス全土、さらには遠く極東に暮らす私たち日本人にとっても強い印象を与え続けてきた。あの建物の内部がそっくり移転したということなのか、それは「パリ警視庁」の移転を意味するのかどうか、これについても正確なところを示しておきたい。
https://fr.wikipedia.org/wiki/Direction_régionale_de_la_police_judiciaire_de_la_préfecture_de_police_de_Paris
上に掲げたのはフランスのWikipédiaの「パリ警視庁地方圏司法警察Direction régionale de la police judiciaire de la préfecture de police de Paris」項目ページだ。「la préfecture de police de Paris」と「de Paris(パリの)」までついてはじめて「la préfecture de police」は私たち日本人の考える「パリ警視庁」になる。
引っ越しについてはかつてフランス国家警察の以下の公式ページにその告知が出たのだが、やはりタイトルに「PJ parisienne」と書かれていることに注目したい。「パリの司法警察局」だ(パリ警視庁や司法警察局は女性名詞であり、後ろに「パリの」とつけて強調したいときはde Parisないしは女性形のパリジェンヌparisienneとなる)。引っ越したというと、私たちはどうしてもあのシテ島に建っていた荘厳な「パリ警視庁」が中身を丸ごと移動したのだと思いがちだが、それは正確ではないのだ。「パリ警視庁PP」が引っ越したというより「パリ司法警察局DRPJ-PP」が引っ越したのである。その証拠に、現在の警察総局PPのホームページを見ると、La préfecture de Policeの住所として、いまもシテ島ノートルダム大聖堂向かいのあの建物の住所、リュテス通り1−2番地1 bis rue de Lutèce 75004 Parisが記されている。「パリ警視庁」(警察総局)の本拠地は昔のままであったのだ!
https://www.prefecturedepolice.interieur.gouv.fr
「《36番地》よ、さようなら:もうすぐ《バスティオンBastion》に新しいパリ司法警察局PJ parisienneが誕生」
https://www.police-nationale.interieur.gouv.fr/Actualites/Dossiers/L-adieu-au-36
上掲のホームページから新しい警察総局PPの各ウェブページとパリ司法警察局DRPJ-PPのパンフレットを見てみよう。まず「紹介Présentation」のページに、先述した
・自治体警察、すなわち地域県警・市警としての役目(Le préfet de Police)
・官房室などさまざまな政治的組織の役割(Les directions et services)
・首都警察・国家警察としてより機動的な刑事捜査をおこない市民と治安を守る警察組織としての役目(La Préfecture de Police)
の3つが示されていることを確認したい。
https://www.prefecturedepolice.interieur.gouv.fr/presentation
このうち>La Préfecture de Policeから>Présentation de la préfecture de Police「パリ警視庁の紹介」をクリックして紹介ページに飛ぶ。その文章(2019)を下に引用しよう。「フランスでもユニークな行政機関です」と書かれているのが特徴的だ。ページの下部のリンクから資料PDFもダウンロードできる。
https://www.prefecturedepolice.interieur.gouv.fr/presentation/la-prefecture-de-police/presentation-de-la-prefecture-de-police
フランス警察総局La préfecture de Police
1800年に創設されて以来、パリ、シテ島の中心部に本部を置く警察総局la préfecture de Policeは、フランスでもユニークな行政機関である。人間的な力、実行的な力、革新と近代化を推進する力、2世紀もの間、それら多彩な技能を市民のために発揮してきた。
警察総局は内務省の管理下にある。
警察総局は、犯罪、治安の乱れ、自然災害、テクノロジー災害、都市に特有の危機である交通、健康リスク、テロリズムなど、さまざまな危険の防止と対策を担当している。
また、行政許可証の発行、交通・駐車場の管理、消費者保護など、担当する多くの分野において、市民に質の高い公共サービスを提供するよう努めている。最後に、科学技術警察、法医学研究所、精神医学診療所とその中央研究所を通じて、比類ない専門的任務を遂行している。
27,000人の警察官と8,500人の消防士を含む約43,000人の男女が、パリとその近郊に住み、働き、訪れるすべての人々の安全と自由を保証するために、日々努力している。
(DeepL翻訳を一部改変)
続いてこの警察総局(パリ警視庁)内にあるパリ司法警察局DRPJ-PPを見てみよう。先の「紹介Présentation」ページから>Les direcitons et services「組織と業務」>Direction de police active「警察局」>La direction régionale de la police judiciaire「地方圏司法警察局」(DRPJ-PP)の紹介ページへと飛ぶ。こうして辿ってゆくと、私たちの考えるパリ司法警察局とは、警察総局PP全体のなかで警察部門のさらに一部門なのだということが実感できる。ページ下部にはDRPJ-PPとテロ対策に特化した部局である捜査介入部BRI-PPのPDF資料もある。やはり紹介文(2019)の冒頭部を下に引用しておこう。
https://www.prefecturedepolice.interieur.gouv.fr/presentation/les-directions-et-services/directions-de-police-active/la-direction-regionale-de-la-police-judiciaire
パリ司法警察局la police judiciaire parisienneの歴史
司法警察局la direction de la police judiciaire(DPJ)は1913年8月1日の政令と1913年8月13日の知事アレテ(府令)によって創設された。
地方圏司法警察局(DRPJ)として設立され、パリとその近郊3県を管轄しており、パリ控訴院およびヴェルサイユ控訴院の管轄下にある。
2017年9月にパリのバスティオン通り36番地(17区)に設立された新しい本部には、中央総局の(オルフェーヴル河岸の捜査介入部BRIを除く)すべて、すなわち経済・金融事案部局の各課や統合参謀本部、捜査支援のための各課、そして[過激派に対して金や武器の管理をする]GIR75が集まっている。(Google翻訳を改変)
上掲のリンク先で、2017年にシテ島から引っ越したパリ司法警察局の玄関写真をご覧いただきたい。表札には「PREFECTURE DE POLICE」とあるが、その下にもっと大きな文字で「DIRECTION RÉGIONALE DE LA POLICE JUDICIAIRE」と書かれているのがとても印象的だ。そして脇に小さく「36」と番地名がある。
この写真を見ると、この建物はもう「パリ警視庁」というよりはパリ司法警察局の本拠地なのだな、と私は感じるのだが、いかがだろうか。
面白いことにパリ司法警察局はオルフェーヴル河岸から17区バスティオン通りに移転しても、番地は変わらず「36」だったのである。移転後にパリ司法警察局のロゴマークは変更され、オルフェーヴル河岸の建物の姿は消えたが、代わりに「36」という数字が大きく、かつ誇らしげに掲げられている。
(前出のWikipédia「パリ警視庁地方圏司法警察Direction régionale de la police judiciaire de la préfecture de police de Paris」項目を参照)。
《ル・フィガロ》2017年の記事に新生パリ警察総局の紹介があるので、無料で読める分だけでも眺めてみるのもよい。17区バティニョールBatignolles地区にはDRPJだけでなく、それまで約15箇所に分散していた各施設が5000平米のひとつの場所、8の字型のビルに結集すると書かれている。さらに掲載の地図を見るとパリ司法宮Palais de justice de Parisも横に移転したことがわかる。
クリストフ・コルネヴァンChristophe Cornevin「バスティオン通り36番地、パリ司法警察局の新しい景色を発見せよDécouvrez le nouveau site de la PJ Parisienne au 36, rue du Bastion」
https://www.lefigaro.fr/actualite-france/2017/06/01/01016-20170601ARTFIG00292-le-mythique-quai-des-orfevres-met-le-cap-sur-le-36-rue-du-bastion.php
これで現在のフランス国家警察における司法警察局の立ち位置と役目が大まかにわかった。この理解は今後私たちがフランスミステリーを翻訳したり、その訳文を書籍で読んで楽しんだりする際に大きな助けとなるはずだ。またすでに邦訳されているフランスミステリーの訳語にも、一部は再検討の余地があるかもしれないと、その可能性を納得した上で既刊作品に接してゆくことが、ときには求められるのだということもわかる。
さあ、以上を踏まえて私たちは再び歴史を遡り、アノー探偵がどこに所属していたどんな役職の刑事だったのかを探ってゆこう。
第2長篇『矢の家』(1924)の刊行は、『薔薇荘にて』(1910)から14年後だ。この作品でもアノーはまだパリ警視庁の所属刑事なのだろうか? 【資料番外4-1】をご覧いただきたい。
・警察は、パリ警視庁の、有名なアノー探偵を呼びました。p.28 The Prefet of Police has called in Hanaud, a great detective of the Sûreté in Paris. p.311(パリ警視庁はパリ治安部の偉大な探偵であるアノーを呼びました)
・その朝のうちに、裁判所のすぐ裏手にある、オルロージュ河岸の警視庁を訪ねた。p.33 and in the course of the morning found his way to the Direction of the Sûreté on the Quai d’Horloge just behind the Palais Justice. p.315
・フロビッシャーが通されたのは長方形の部屋の片隅だった。向かい側には窓が二つあり、きらきら光るセーヌ河をへだてて、対岸に大きなシャトレ劇場が見えた。p.34 Frobisher found himself at one end of an oblong room. Opposite to him a couple of windows looked across the shining river to the big Théâtre du Chatelet. p.316
・「パリ警視庁のアノーです」p.106 “Hanaud of the Sûreté of Paris.” p.381(パリのシュルテのアノーです)
オルロージュ通りはいまも存在するが、シテ島の北側でセーヌ川に沿って走る通りであり、対岸はパリ右岸だ。南から北へと場所が移っている! 改めてService de la Sûretéのフランス版Wikipédiaを見ると、シュルテの事務所bureauは「ジェルサレム通り」から「オルロージュ通り5番地」へ、そして「オルフェーヴル河岸36番地」へ移ったと書かれている。本作でアノーはおのれの執務室から対岸(右岸)のシャトレ座を眺めている。
本作『矢の家』でもアノーは「パリのシュルテのアノーです」と自己紹介しており、プレフェクチュールという単語はいっさい口に出していない。
注目したいのが上掲の第1文、「パリ警視庁The Prefet of Policeはパリ治安部Sûreté in Parisの偉大な探偵であるアノーを呼びました」と、あたかもアノーを他人のように表現している部分だ。これはどういうことだろうか。アノーはすでにパリの治安を守る意味での「パリ警視庁」の人間というより、凶悪犯罪に立ち向かう「パリに拠点を置く治安部」という独立した犯罪捜査組織の一員であるとのニュアンスに読み取れる。パリのプレフェpréfet de ParisはシュルテSûretéにおうかがいを立てて、アノー出動の要請を願い出ているようなのだ。
1910年から1924年前の間で、パリのシュルテの組織構造が大きく変化していったことを前章で示した。まずパリ警視庁内の一部門であった「治安総局課Direction de la Sûreté générale」は解体された後、第三共和制時代の内務大臣ジョルジュ・クレマンソーによって改革がなされ、内務省の独立した組織として1903年に再設立されていた。さらに1907年、当時の治安総督directeur de la Sûreté générale(シュルテのトップ)であったセレスタン・アニオンCélestin Hennionの助言を受けて、ここから「司法警察局Police judiciere」の源流となるふたつの組織が新たに出発する。ひとつは警視長官commandement du commissaireのジュール・セビーユJulles Sébilleをトップに置く「司法調査総局Control général des service de recherches judiciaire」であり(1907年3月6日設立)、もうひとつはクレマンソーが《虎》の渾名で知られたことから《虎の部隊Brigades du Tigre》と呼ばれた「広域機動警察隊Brigade régionales de Police mobile」で(1907年12月30日設立)、こちらには12の地方機動隊とともに広域組織犯罪の捜査に当たらせたわけである。後にふたつは「司法警察局Police judiciaire」として纏まり、後者は残ったが「犯罪捜査課service de recherches judiciaire」はなくなった。先に紹介した通り、パリ司法警察局の創設は1913年8月であった。
https://fr.wikipedia.org/wiki/Direction_de_la_Sûreté_générale
https://fr.wikipedia.org/wiki/Jules_Sébille
ではパリ警視庁の治安総局課Sûreté généraleはどうなったのか。フランス語のWikipédiaの「治安総局課Direction de la Sûreté générale」項目を見ると、1913年から1934年までの間、その課長である治安総督職は置かれていない。では組織自体も消えてなくなったのか? ここは私もよくわからないのだが、1913年以降も司法警察とは別途、パリ警視庁内に組織としては存続していたようなのだ。というのもその後の1934年にスタヴィスキー事件(第60回参照)の影響を受けて治安総局課Sûreté généraleは国家治安局(警察局)Sûreté nationaleへと変更されるからである。そのため1934年までSûreté généraleは、たとえ名前だけであっても存続していたと思われる。前出の浦中論文によるとパリ警視庁下のSûreté généraleは「政治警察担当の警保局」と表現されており、いささかアノー探偵の活動とそぐわない。ここは作者メイスンのうっかりミスと捉えて、アノーは司法警察局に移ったのだと考える方が妥当だろう。そのため司法警察局のあるオルロージュ通りに執務室を構えているのだ。「パリのシュルテSûreté in Paris」と紹介されているのは、本当は「司法警察局Police judiciaire parisienne」のことなのだが、捜査員もかつてのシュルテから流れてきた者が多かったであろうし、歴史を尊重する意味で通称や俗称として受け継がれていたのではないか、と解釈しておく。
前出『フランス警察の歴史:アンシャンレジーム(旧制度)時代から現代まで』の62ページに「パリ警視庁の活動組織の変遷Évolution de l’organisation des services actifs de la Préfecture de police de Paris」という図が載っているが、これによると1881年までは「捜査課Brigade des recherches」「警備課Brigade des garnis」「治安課Service de Sûreté」があり、さらに「制服警官による自治体警察(平和の守護神)Police municipal en tenue (Gardiens de la Paix)」と併せて「自治体警察局Direction de la Police Municipale」が形成され、これらがパリ警視庁の支柱であったのに、先の3つの仕事はどんどん自治体警察局から切り分けされていった。すでに1889年には「制服警官による自治体警察(平和の守護神)Police municipal en tenue (Gardiens de la Paix)」の役目しか残っていない状態となり、そして1913年には先述の「司法警察部局Direction de la police judiciaire」が完成している。
この図では切り離されていった司法警察部局なども「パリ警視庁の活動組織」のなかに入って描かれているものの、もはやそれらは自治体警察ではない。パリ警視庁のなかで組織が大きくふたつに分かれていったことが察せられる。
つまりナポレオンやヴィドック以来の城塞都市警察シュルテの役割はいったん終わり、第三共和政になってクレマンソーとアニオンの手によって新たな時代のシュルテが誕生した、その劇的な組織改編は1913年の司法警察局創設をもってまずは完成を見た、と考えることができるのではないか。ここで歴史は変わったのだ。
前出『司法警察局:犯罪の現場』p.33に拠ると、1924年には全国の広域機動警察隊Brigade régionalesに所属するコミッセールcommissaireが85人、アンスペクトゥールinspecteurが290人いたという。機動隊の官職はコミッセールとアンスペクトゥールのふたつだったのだ。前者をメグレのような「警視commissaire」とするなら、後者はメグレものにおけるリュカやジャンヴィエと考えることができるので、「巡査部長」でもよいかもしれない。後述する通りフランス語を英語に置き換えるときcommissaireを(Chief)inspectorとしてしまった弊害がここに出てくる。フランス語のinspecteurはごくふつうに広く「私服刑事」を指すと考える方がよいだろう。
イギリス人作家メイスンはひと昔前の19世紀末にパリ警視庁治安部で活躍したゴロン氏やマセ氏を参考にアノー探偵を創造したので、アノーは古いパリ警視庁の警部としてデビューしたことになる。『薔薇荘にて』のときはそれでよかったのだが、『矢の家』の1924年になるとシュルテの組織改革が進んでいた。そのため『薔薇荘にて』のときアノーは「パリ警視庁」の「一般治安課la Sûreté générale」の刑事だったのに、『矢の家』のころは「警察総局Préfecture de Police」の新しい「司法警察局Police judiciaire」に所属する刑事となっていたのだと想像することができる。
先の『フランス警察の歴史』掲載の図「パリ警視庁の活動組織の変遷」で、タイトルに「la Préfecture de police de Paris」と「de Paris」が丁寧に付されていることに私は注目する。パリで司法警察局の活動が軌道に乗ってきた1913年以降ころから、いわゆるパリとその付近の自治体警察としての「パリ警視庁」を呼ぶときは、la Préfecture de Police de Parisないしla Préfecture de Police parisienneと「de Paris」「パリジェンヌparisienne」をつけるのが、より適切になっていったのではないかと私は考えるのだがどうだろうか。
つまり『矢の家』の時点でアノーは組織編成の影響を受けて司法警察の一員となり、メグレの大先輩になったと思われるのだ。別の角度からいえば、これ以降のアノーは、私たちがふだん考える古き佳き時代の「パリ警視庁」の警部ではなくなったのだと私は思う。するとアノー探偵を一律に「パリ警視庁の警部」と紹介するのは正確ではないということになる。どうすればよいだろうか。私見だが、あえて「パリ警視庁の」とつけ加えなくてもよいのではないか。本文中では「パリのシュルテ」とカタカナ表記のまま残しておき、巻末解説などでシュルテの説明を補足するという手もあるだろう(ヴァン・ダイン『ウインター殺人事件』所収の論考ではそう翻訳されている)。
その後の長篇『オパールの囚人』(1928)の邦訳を読むと、アノーが警察組織内の順列に悩まされているかのような箇所が出てくる。だがこれは正しい解釈であるのかどうかを検討しよう。
・そんなわけで、おどけ者の青い顎を持ったフランス警察の大柄な捜査官、ムッシュ・アノーは、p.27 Thus did Monsieur Hanaud, the big inspector of the Sûreté Générale, with the blue chin of a comedian, p.679(治安総局の偉大なる私服刑事、ムッシュー・アノー)
・「紳士淑女の皆さん、私は警視のヘルベスタールです。p.59 ”Messieurs, Mesdames, I am Herbesthal, the Commissaire of Police. p.713
・「奥様、この紳士はパリ警視庁でも有名なアノー氏です」p.60 “madame,” he protested, “this gentleman is the famous Monsieur Hanaud of the Sûreté Générale pf Paris.” p.714
・警視は統治の司法官であり地位は上だったが、このパリから来た偉大な男に喜んで敬意を払っている様子だった。p.67 The Commissaire, magistrate though he was, was happy to pay deference to great man from Paris. p.720
・パリ警視庁の有名な警部といえども、事件を解決したければ、警視の機嫌をそこねるわけにはいかないのだ。p.170 Even famous inspectors from the Sûreté Générale of Paris do not trad on the toes of commissaires of police in they want their affairs to run smoothly. p.823(パリ治安総局から来た有名な刑事といえども)
今回、作者メイスンは初めてアノーの明確な自分の所属と身分を記している。「治安総局Sûreté généraleの私服刑事inspector」だといっているのだが、作者メイスンは英国の作家であり、原著は英語で書かれていることを思い出す必要がある。メイスンはこの一文のなかにSûreté généraleというフランス語と、inspectorという英語を同時に使っている。しかしこのinspectorは警察官としての「階級」を示しているわけではないのだ。
英語でインスペクターといえば、一般には「調査官」「監査官」だが、しばしば海外ミステリーでは「警部補」であり、「chief inspector」とchiefがつけば「警部」の役職名となる。これより上の階級はsuperintendentであり、日本語では「警視」となる。
近年、英国のペンギンクラシックスが《メグレ警視》ものの全作品の新訳に取り組み、無事に終了したが、この新訳でメグレの役職commissaireはチーフインスペクターchief inspectorで統一されている。そのためか「ペンギンの新訳は訳が軽い」と批評されることもあるようだ。フランス語のコミッセールcommissaireを英語にすると一般にチーフインスペクター(chief)inspectorになり、そしてchief inspectorは日本語にすると(主任)警部なのだが、日本語の警部とフランス語のコミッセールは同じではないので、日本で混乱が生じたのだと思われる。たぶん英国でも同様の混乱が読者の間で広がっていると推測する。
ここで邦訳では作者メイスンが書いたinspectorの訳語を「警部補」などと機械的に充てるのではなく「捜査官」と回避して乗り切っている。しかし「アノーの階級は警部chief inspectorであるはず」という先入観に囚われると次の問題が生じて道に迷うことになる。「パリ警視庁の有名な警部といえども」p.170の箇所がそれで、inspectorを「警部」としたことで、ボルドーの地元刑事であるヘルベスタールとの間で階級の違いが目につくことになってしまう。地元刑事ヘルベスタールはこう自己紹介する。
・「紳士淑女の皆さん、私は警視のヘルベスタールです。p.59 ”Messieurs, Mesdames, I am Herbesthal, the Commissaire of Police. p.713(皆さん、私はヘルベスタール、県警の警部です)
ヘルベスタールがフランス語でCommissaireと発言していることに注目されたい。彼はコミッセールの2番目の意味、地方自治体警察Police Municipaleの警部として自分はコミッセールcommissaireだといっているのだと思われるが、このcommissaireを「警視」と訳してしまったため、「あれ? じゃあアノーは警部(chief)inspectorなのにヘルベスタールは警視commissaireなのか。となるとアノーよりヘルベスタールの方が階級は上なのか?」と思ってしまう。ここに罠がある。
真相はこうだろう。ヘルベスタールは自治体警察の警部の意味で自分をcommissaireだといった。一方、アノーはパリの新生「治安総局Sûreté Générale」、すなわち「司法警察局Police judiciaire」に所属する私服刑事inspectorだといっているだけで、このインスペクターは階級を指しているのではなく「私服刑事」であることを意味している。アノーの本当の役職名は? メイスンの原文には明確に記されていないが、おそらくはメグレと同じ「警視commissaire」だろう。作者メイスンはアノーを「big inspector」などと誤解を招きやすい表現で紹介するよりも、旧来のように「big detective」くらいにしておけばよかったのだ。このbigからは「大柄である」と同時に「偉大なる」という意味も読み取れるからである。
それで本作では、自治体警察のヘルベスタールはcommissaireであると同時に司法官magistrateでもあると書かれている。フランス警察は司法をサポートする警察という特殊な役目を司法警察局に持たせたわけで、これが日本の警察と異なるもっとも重要な点なのだが、地方によっては司法警察局ではなく自治体の刑事が司法官の役目も果たしてカバーしたということなのだろう。訳文にある「地位は上だったが」p.67は原文にない補訳であり、これは訳者や邦訳監修者の思い込みによる勘違いだと思う。「彼は地元警察の警部であり司法官の役職も持っていたが、このパリから来た偉大な男に敬意を払っていたpay difference to」と、ヘルベスタールの誠実な人柄を示した箇所なのだろう。「役職はアノーより上だが蔑ろにしたわけではなかった」と捉えるとむしろ誤りではないかと私には思われる。
そして「パリ警視庁の有名な警部といえども、事件を解決したければ、警視の機嫌をそこねるわけにはいかないのだ」p.170の箇所も、原文では「たとえパリの治安総局[パリ司法警察局]から来た有名な刑事であったとしても、地元警察の警部が事件をスムーズに扱えるように、動きを邪魔するわけにはいかないのだ」であって、アノーは役職が下だからヘルベスタールに口出しできないのではなく、地方の事件ならまずそこの地元警察の警部が最前線に立って捜査するのが望ましいと、ごく当たり前のことを感じているに過ぎない。階級は無関係なのだと思われる。
最終作『ロードシップ・レーンの館』(1940)は、フランスのアノーが英国に渡って友人のリカルドを訪ねていた際に事件が起こり、またしても行きがかり上スコットランドヤード(ロンドン警視庁)に協力するという物語で、時代背景は第二次世界大戦前に設定されている。ここではロンドン警視庁の刑事の役職と事件のあった地元刑事の役職とアノーの紹介が入り乱れるのだが、上述のような経緯が理解できていれば混乱せずにすむ。
・パリ警視庁のアノー警部を招いてから一年が経つ。p.9 it was a year since he invited Chief Inspector Hanaud of the Paris Sureté to spend a holiday No.22929/138949
・モルトビー警視との話し合いに参加しなければならず、p.50 and he must attend a conference after that with Superintendent Maltby, No.23390
・地方警察管区のハーバート警部が、ミセス・ウォレスに代わって答えた。p.78 Inspector Herbert of the local constabulary answered for Mrs. Wallace. No.23710
アノーはinspectorからひとつ上がってchief inspectorとして紹介されている。ここでのchief inspectorとは、先に書いたようにフランス警察の官職名「commissaire」の英訳と捉えることができるが、もともとアノーはコミッセールであったと思われるのだから、後述するようにそこからさらにひとつ上の「警視長」になったと一歩踏み込んで考えることもできるかもしれない。一方、ロンドン警視庁のモルトビーは、ロンドンでの階級に従ってsuperintendentを名乗り、これは「警視」だ。
アノーとモルトビーのどちらが偉いのか? やはり意味のない問いであろう。フランスと英国では警察の階級のつけ方が違う。さらに地方警察隊local constabularyのハーバートは、ここでは制服刑事である巡査部長sergentより階級の高い私服刑事の意味で(chief)inspectorと紹介されているのだろう。
さて、ここでいくつか既存の意見、たとえば「日本の警察はフランスを参考に創設された。司馬遼太郎の『翔ぶが如く』の冒頭に川路利良が出てくるのを見るがいい。川路は後の初代大警視(現在でいうところの警視総監)だ」「警視という役職の者は現地捜査をしないはず。それをやるのは警部までなので、現地捜査をするメグレは警視というより警部に近い。メグレ警部と訳す方が的確ではないのか」といった指摘や疑問に改めて答えを示しておきたい。
確かに日本は当初、フランス警察をモデルとして日本の警察組織を新規に構成しようとしていた。多くの文献にもそう書かれているが、その後の長い歳月を経て実際にはドイツ警察に倣った部分も多かったらしく、「現在の日本警察はどこそこの国を参考にして構成された」と明確に特定できないのが実情ではないかと私は思う。いま日本において司法警察に相当する組織は存在しないからである。英国もフランスをモデルにしてスコットランドヤード(ロンドン警視庁)をつくったそうだが、結果的にはやはり独自の発展を遂げたのではないか。またフランス警察も20世紀以降自らの道を歩み、発展を遂げてきた。よって「日本の警察はフランス警察に似ている」とは一概にいえない。前出の浦中論文の冒頭にも同様の指摘がある。
また機動隊Brigade mobileの警視commissaireは古くからしばしば捜査現場に赴き陣頭指揮を執っていたようなので、そこも私たち日本人が考える通常の刑事部捜査一課長とは異なる。よって《虎の部隊》の系譜を汲む司法警察局に所属するメグレ警視が現場に捜査に出かけても不自然とはいえない。ここも日本の刑事部の警部とフランス司法警察の警視を混同しないことが肝要だ。
本作『ロードシップ・レーンの館』におけるアノーがchief inspectorであるならば、フランス語に戻すとそれは司法警察の「警視長」だったかもしれない、という想像だが、これは以前、『重罪裁判所のメグレ』(1960)でメグレが「Maigret, Jules, cinquante-troisans, commissaire divisionnaire à la Police Judiciaire de Paris.」と発言しているのを知って、これがひとつ上の階級「警視長commissaire divisionnaire」ではないのかと推測したことによる(第4回)。だがこの推測はあまり自信がない。日本のWikipediaの「フランス国家警察」項目には官職の対訳が示されているが、そもそもこれが本当に正しいのかどうかも私にはわからない。
https://ja.wikipedia.org/wiki/フランス国家警察
『ロードシップ・レーンの館』の舞台は戦前の1930年代後半である。このときすでにフランスでは、先述のように1934年の大疑獄事件「スタヴィスキー事件」を経て司法警察局も大改編がなされ、「治安総局Sûreté générale」は「国家治安局(警察局)Sûreté nationale」となっていた。
本作ではまだ「シュルテ(治安)Sûreté」という呼称が使われている。これは同じシュルテでも「国家治安局(警察局)Sûreté nationale」を指しているのではないかと思われる。この時期はスタヴィスキー事件で当時の司法警察局長など主だった人物は軒並み解任され、司法警察にとって試練のときだったと思われる。シムノンのメグレもこの時期には活躍していない。
アノーは司法警察局に残ることができたようだが、彼がchief inspectorに昇進できたのはかつての上司らの首が飛んだためかもしれないのだ。そして彼はすでに古参刑事となっていただろう。彼が颯爽と活躍していたはずの、1910年代から1920年代にかけての機動隊も、時代の流れとともに変わろうとしていた。アノー探偵はもはや明治時代に生き残った半七親分のようなものだったのかもしれない。
そして第二次世界大戦が始まり、パリがドイツ軍に占領されると、フランス警察はさらに変化を遂げざるを得なかった。1941年4月23日の勅令で「国家警察総局Direction générale de la Police nationale」になったのである。さらに同年、治安部局Sûretéと「広域機動警察隊Brigade régionales de Police mobile」も纏められて「広域司法警察課Service régionaux de Police judiciaire(SRPJ)」となった。「シュルテ」の名はここで歴史から消えたことになる──と思われる。
パリ解放後、警察機構はいったん戻されたが、戦後のフランス警察はまだ一枚岩とはならなかった。しばらくは市民を守る自治体警察Polices municipalesと大きな犯罪事件を扱う司法警察(SRPJ)の間で縄張り争いや手柄の取り合いが絶えなかったようだが、とりわけ首都パリにおいてはいわゆる後ろに「パリの」とつく「パリ警察本部(パリ警視庁)la Préfecture de Police parisienne」と、オルフェーブル河岸を本拠地とするパリ付近管轄の「司法警察中央局la Direction centrale de la Police Judiciaire」の間では競争が激化して、《中央milieu》での殴り合いと見なされていたらしい(前出『司法警察局:犯罪の現場』p.37参照)。
このように長い間続いた首都パリでの殴り合いも、1966年7月9日に可決された法律によって、すなわち戦後20年経って、ようやく「パリ警視庁」と「司法警察局」の統一がなされ、フランス「国家警察la Police Nationale」としてひとつになったのである(上掲書同ページの記述参照)。実際にはこの組織改編作業は1968年1月までかかり、これをもって「パリ警視庁」と「司法警察局」は同等の立場、あるいは混じり合ったかたちとなったのだと考えることができる。それでも「国家警察la Police Nationale」内で「パリ警視庁」と「司法警察局」両者間でのライバル意識は残り、映画などでもその確執が描かれてきたということなのだろう。
メグレが最後に描かれたのは1972年発表の『メグレ最後の事件』である。だがこの物語は同時代のものではなく、少し前の時代を描いたものだろう(私はまだ未読なので詳細不明)。メグレはフランス国家警察の組織体制が成立する前の時代までを象徴する刑事だったと考えられる。シムノンがメグレのキャラクターを確定するにあたって参考にしたといわれるのは、機動隊が目覚ましい成果を挙げていた1920年代、1930年代にその代表格として活躍した、司法警察局PJのマッス警視やギヨーム警視であった。つまり作家メイスンの創ったアノー探偵はそれ以前の「シュルテ」の立役者らをモデルにし、そして次世代のシムノンは次の新しい「司法警察局」時代を代表する刑事としてメグレを描いた。だが戦後から20年経ち、フランス国家警察の誕生によって、メグレもまた過去の伝説の刑事となっていったのであろう。
フランス国家警察成立後の司法警察局警視が書いた自伝で邦訳されているものには『人質交渉人 ブルッサール警視回想録』(抄訳)(Mémoires, 1997初版)がある。この著者ロベール・ブルッサールRobert Brussardは警視commissaireの役職として日本赤軍などを相手に、フランス国家の治安を守るためあちこちに出向いて捜査の陣頭指揮を執り、邦訳タイトルにもあるように現場ではテロリストたちと直接の交渉にも当たった。この警視commissaireの持つ機動力は《虎の部隊》から伝わる司法警察の特長であったと考えられる。メグレは警視庁捜査一課の警部ではなく司法警察局の警視であったので、やはりパリを離れて自ら捜査の指揮を執ることができたであろうことが、ここからも裏づけることができる。「メグレは警視というより警部のはずだ。だが警視庁捜査一課の警部なら県境を跨いで捜査するのはおかしいのでは?」と多くの日本人はずっと疑問に感じてきたわけだが、「メグレは司法警察の警視なのだ」と認識することでこの矛盾は自ら解消される。メグレをモデルとして創造されたと思われる西村京太郎の警視庁刑事部捜査一課・十津川省三警部は、作中の設定によると若いころフランスに留学し、国際刑事警察機構(インターポールInterpol=ICPO)で学んだことがあったらしい。インターポールと協同するのも古くから司法警察局の役目のひとつであり、十津川警部はオルフェーヴル河岸に通ったと思われる。そのため「パリ警視庁」から国際会議出席の誘いが来たときは喜んでパリへと出向いたのである。そして警察総局Préfecture de Policeのことを、親しみをこめて「パリ警視庁」と呼んだのだろう。コミッセールの立場と思われる人を「警部」と呼んだのも、当時の懐かしさゆえのご愛敬だったろうか(西村京太郎『パリ・東京殺人ルート』(1991)、『パリ発殺人列車』(1993))。
https://www.police-nationale.interieur.gouv.fr/Organisation/Direction-Centrale-de-la-Police-Judiciaire/Division-des-relations-internationales
ちなみに先述の『人質交渉人』では原文が「司法警察局Police Judiciaire」となっているところを「パリ警視庁」と翻訳している。パリ司法警察局の俗称は「オルフェーヴル河岸Quai des Orfèvre」以外に番地名の「36」(trente-sixトロント゠シス)も使われていたとあるが(本稿第2章参照)、邦訳書で読む限りはあまりその重要性は感じられない。よって訳文だけ読むとブルッサールが限定的な「パリ警視庁la Préfecture de Police parisienne」所属の刑事であると思ってしまうだろう。私たち日本人が〝古い時代の日本を懐かしむ〟用語としてならば、「パリ警視庁の警部」という言葉はいまも意味を持つ。だが変遷の激しいフランス警察の現状は、私たちの日本語のスピードをはるかに追い越してしまっている。
かつての認識を根拠に誰かが日本のWikipediaの「パリ警視庁」項目を記述したとする。それはウェブの集合知を信じた善意の行為であり、誰かが悪いわけではない。だがそれが10年放置されると、現状とはそぐわない百科事典がウェブ上に残ってしまうことになる。こうして混乱は広まってゆくものだ。多くの大学では「レポートを書くときWikipediaの記述を信用して丸写ししてはならない」といまも教えているはずである。
しかしさらに時代は移り変わる。いまは学術大会に出席して講演すると、座長の大学教授が私のWikipediaの記述を読み上げて経歴紹介することさえある。「Wikipediaの記述はふつうに正しい」という認識が若手の世代ですでに広まっているのだ。困ったことにWikipediaの記述は本人が直してはいけない(はず)なので、自分の項目に間違いや荒らしが見つかったとしても、自分自身でそれを正すことはできない。
最近ChatGPTという生成AIが注目を集めているが、このチャットで同じ質問をしても日本語で問うのと英語で問うのではまるで返答の精度が違うことをご存じだろうか。たとえば「瀬名秀明とは誰ですか」「パラサイト・イヴについて教えてください」と打ち込んだとき、AIの答は日本語だとめちゃくちゃだが、英語でやりとりするとかなり正確な文章が返ってくる。言語ごとにChatGPTがどれだけ正確な受け答えができるかはけっこう重要なポイントだと思える。その言語圏の社会において、人々が文章を書き残すときどれだけ正確さを重視しているかを知る手がかりになると思うからだ。たぶん日本は得点が低いだろう。それらの言語間の特徴は、新型コロナでどのくらい人が曖昧な情報に囚われてしまうかといったことともおそらく関係があると私は直感する。未来の科学に大いに貢献できる研究テーマであり、そういう論文が出ていれば読んでみたいが、まだ私の勉強不足で調べていない。
いま日本でも人気のあるフランスのミステリードラマ『アストリッドとラファエル 文書係の事件録』(2019-)(https://www.france.tv/france-2/astrid-et-raphaelle/)は、司法警察本部Direction de la Police Judiciaireがオルフェーヴル河岸36番地からパリ17区バスティオン通り36番地(36, rue du Bastion)の新庁舎へ移転した後の犯罪捜査が描かれている。主人公のふたり、アストリッドとラファエルはどちらもパリ司法警察局La direction de la police judiciaire(DPJ)の一員だが、アストリッドは「犯罪資料局Service de Documentation Criminelle」と書かれた高いビルのなかで文書係documentalisteとして働いており、ラファエルはバスティオン通りの本庁舎ではなく分署勤めの私服刑事である。刑事たちのデスクトップPCの待ち受け画面には、(地方圏司法警察局DRPJ-PPのロゴマークではなく)《虎》の横顔が描かれた司法警察中央局PCPJのロゴマークが映っている(註:シーズン3では何度か警察総局PPのロゴマークも刑事らのPCの待ち受け画面として映り込むようになった)。
フランス語版で台詞を聞くと、ラファエルは自分の所属を「犯罪捜査課brigade criminelle」と名乗っており、つまり《虎の部隊》の系譜を汲む、メグレの後輩だ。彼女の官職は「commandant(e)」であるが、ふだんから分署の大部屋におり、他のcapitaineやliutenantに指示を出している。日本のWikipediaの「フランス国家警察」項目では「commandant」を「警視」としており、CSチャンネル《AXN Mystery》放送時の字幕版でも実際「警視」となっているのだが、私にはこれが実はよくわからない。そしてラファエルの上司にカールという男がおり、この男の官職が「commissaire」だ。日本のWikipediaと字幕では「commissaire」は「警視正」となっている。
ドラマを観るとカールとラファエルとの違いは、彼は自分の個室、執務室を持っているということである(ドラマ内でカールはしばしば現場に足を運ぶので、commissaireが現場で陣頭指揮を執る点に関しては間違っていない)。私にはこのカールが「メグレ警視」の立場に近いように思えるのだが、どうだろうか。それなのになぜ「警視正」なのだろう。「メグレは警部か警視か」はフランス国家警察機構をいかに理解するかという問題だった。しかし今度は日本側の問題、すなわち訳語の選択の問題になってくるように思われるのだが、この歴史的経緯が私にはわからない。日本で警視庁刑事部捜査一課長は「警視正」なので、日本においてはある時期からフランス警察機構との突き合わせを見直して訳語を整えた、Wikipediaの執筆者はどこかでそうした情報を得て記述に反映させた、ということなのだろうか。あるいはWikipedia執筆者の間違いなのか。これも私にはわからない。
英語においても警察用語は過去いろいろと揺れてきたので、時代によって訳語が変化してゆくことは理解できる。昔は「主任警部」という訳語はなかったと記憶している。「Chief Inspector」は「警部」だったのではないだろうか。そして「Sergeant」も「巡査部長」ではなくて昔は「巡査」だった。それと類似の改変がフランス警察の階級でもなされたのかもしれないが、しかしパリ警視庁と司法警察局が統合されていなかった時代のメグレを「警視正」と呼ぶのは居心地が悪い。
私は、いわゆるパリ警視庁と司法警察局が統合される1968年までのフランスミステリーならば、「パリ警視庁Préfecture de Police」と「司法警察局Police Judiciaire」は区別して訳した方がよいと思う。そして統合後も両者の間にはいろいろ確執があったらしいことを考慮すると、登場人物がわざわざ「警視庁Préfectureの」と名乗らない限り、その刑事は自分が《虎の部隊》に始まる司法警察の一員であることに誇りを持っていると思われるので、彼が「司法警察局Police Judiciaireの」と自己紹介したならば「パリ警視庁」と老婆心で補訳したくなるのをぐっと堪えて「司法警察局の」で通すのがよいと思う。
登場人物が「オルフェーヴル河岸」や「36」といった隠語を使うなら、2017年までの作品ならそれは「パリ警視庁の」ではなくやはり「自分はパリ司法警察局の所属だ」といいたいのだから、やはりそう訳すのがよいのではないか。「それだとわかりにくい」という意見もあるだろうが、もともとフランスの警察機構はわかりにくいのである。わかりにくいものをわかりやすくするとき、あえて旧来の慣習に倣う必要はなく、新訳の意義を充分に発揮しながら、巻末解説にでも「これはパリ司法警察局のことを指すのだ」と解説を加える方向で処理すればよいのである。
そしてパリ司法警察局が引っ越しをした2017年以降の作品ならば、もう「パリ警視庁」という言葉自体を使わなくてもよいのではないかと私は思っている。先に示したように引っ越し先の表札には、「PREFECTURE DE POLICE」「DIRECTION RÉGIONALE DE LA POLICE JUDICIAIRE」「36」と書かれているだけだ。私たちの多くはシテ島のノートルダム大聖堂向かいの建物をこれまでパリ警察の象徴と捉えていたが、実は引っ越す前から、司法警察局ができた1世紀前の1913年から、あそこは私たち日本人が思う「パリ警視庁」ではなかったのだ、と考えることはできないだろうか。そしてむしろそう考えて全体を捉え直した方が、いまの私たちにとってわかりやすいのではなかろうか。私たち日本人はあの荘厳な建物のイメージに縛られるあまり、フランス警察機構のダイナミックな変遷をうまく翻訳紹介できずにこれまできたのではないだろうか。
『アストリッドとラファエル』も(まだ途中だが)字幕版で観る限り「パリ警視庁」やそれに類する言葉はどこにも出てきていないようだ。わざわざ使う場面がないのだということもできるだろう。懸案の「パリ警視庁賞」も今後はさらりと名称変更して「パリ司法警察賞」でよいのではないか。
つい数日前、私は自分もずっと気づいていなかった落とし穴を見つけた。日本のWikipediaの「パリ警視庁」項目は、よく見るとわかるが、1行目に「Préfecture de Police de Paris」とあるのだ。つまり日本語で書かれた「パリ警視庁」項目は、後ろに「パリの」とつく「パリ警視庁」を限定的に対象としていたのである。だが私を含めほとんどの日本人はそこに気づかないまま、いわゆる古くからのイメージの「パリ警視庁」としてこの項目を閲覧し、参照してきたのではないかと思う。あるいは今後も気づかず参照する人が何人もいるかもしれない。
https://ja.wikipedia.org/wiki/パリ警視庁
「パリ警視庁」の項目内で、「パリ警視庁が登場する作品」としてパリ司法警察局所属刑事が活躍する『アストリッドとラファエル』を紹介するのは、何か奇妙だと私は感じる。だが日本のWikipediaではフランスの「警察総局Préfecture de Police」を説明する項目が立項されていないようなのだ。これが私たち日本人の混乱の主因だと私は考える。フランスのWikipédiaではこのふたつは区別して立項されているし、英語のWikipediaでもそうなっているにもかかわらず、である。一方、日本のWikipediaにおける「司法警察」項目の記述はあまりに寂しい。
https://en.wikipedia.org/wiki/Prefecture_of_Police
https://en.wikipedia.org/wiki/Paris_Police_Prefecture
https://ja.wikipedia.org/wiki/司法警察
そしてごく最近、パリでは「パリ市警La police municipale parisienne」という新しい組織が生まれ、自治体警察のあり方も変わろうとしている。
https://fr.wikipedia.org/wiki/Police_municipale_de_Paris
https://www.paris.fr/pages/tout-savoir-sur-la-police-municipale-parisienne-16970
公式ページ紹介文の冒頭部を、やはり引用しておこう。今後は彼らパリ市警が活躍するフランスミステリーもきっと出てくることだろう。
2021年10月、パリ市警が誕生しました。その任務は? 職員の数は? 私たちの街路や公園でどのように活躍しており、またその組織はどのようなものなのでしょうか? すべてを説明しましょう。
市警の任務とは?
パリ市警は週7日毎日24時間、[一日も休むことなく]住民の近くで活動する警察です。
その目的な公共の場で存在感を示すことです。これは交通安全(交通違反に関係するすべて)だけでなく、公共の平穏と健康をも対象としています。
警察とパリ市警は[協同して]、近隣地域をより安全で穏やかにし、公共空間を共有できるようにするため、徒歩や自転車でパトロールを行っています。
パリ市警には主に3つの任務があります:
予防:パリ市警は、青少年や社会的弱者と密接に協力し合いながら、予防、対話、調停を行う警察です。
治安:パリ市警は、治安の悪化が最も懸念される時間帯や場所(夜間、週末など)において、公共空間に目に見える形で安心感を与えます。
罰則:パリ市警は、あらゆる形態の非礼行為(煙草の投棄、ポイ捨て、不法投棄、騒音公害、交通安全、違法駐車)との闘いを続けています。これらの違反行為には35ユーロから135ユーロの罰金が科せられます。
2020年の違反切符発行枚数:1,305,904枚、2021年上半期:535,508枚。
パリ市警は地域警察であり、緊急対応警察ではありません。
(DeepL翻訳を一部改変)
──このように「メグレは警部か警視か」問題は奥が深く、おそらく全日本人がこれまで勘違いしていたと思われる状況が揃ってきている。〝これまでの慣習だから〟〝日本人に馴染みのある名称だから〟〝以前の翻訳書にそう書かれてあるから〟〝ウィキにそう書いてあるから[註:ウィキペディアのことをウィキと略して呼ぶのも本来は間違い。ウィキペディアはウィキwikiというシステムでつくられた数あるサービスのうちのひとつ]〟という理由で、あなたも気軽にPolice Judiciaireを「パリ警視庁」と訳してしまったり、「メグレは警部から警視になった」と説明してしまったりしていないだろうか。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ウィキ
すでに世に出てしまったものは仕方がない。その訳者や解説者を特定的に非難するのも意味がない。だがまずは今日書いている原稿からより正確な記述に直してゆくことが、私たちひとりひとりには重要だと思うのである。
新型コロナのパンデミックで私たちは、「国民というものは、いったん勘違いして覚えてしまった知識をそう簡単に修正できるものではない」という事実を改めて知ることとなった。この認知バイアスは昔から知られていたのだが、本当に私たちひとりひとりが〝変わってゆく〟ことは難しい。私・瀬名秀明はミステリーの専門家ではないから、専門家の方々からすれば「専門でもないのに何をでしゃばっているのだ」「専門家の発言ではないから信頼性は低い」とお考えになるだろう。それもまた仕方のないことだが、まれに専門家でない者が、それまで慣習として続いてきた事象のおかしさに気づき、指摘して、それで世界の見え方が変わることもある。
それができるかどうか、私たちはまず海外ミステリー翻訳というコミュニティから始めてもよいのである。人類の最大の進化的特徴は、互いに教え合える、学び合える知能を身につけたことにあると先に述べた。もちろん私・瀬名秀明だってこれまで何度も間違えてきた。本連載でも誤字脱字の類いや思い違いの記述を何度後日修正していただいたか知れない。『人殺し 運河の家』の巻末解説でも、アルベール・カミュ『ペスト』の登場人物リュー(リウー)とタルーの台詞を、一部取り違えて紹介している。私たち人間はどうしても間違えてしまう生きものなのだ。しかし次に書く原稿(『知の統合は可能か パンデミックに突きつけられた問い』)で間違えないことが重要なのだと私は思う。私が今回ここに書いた見解も、間違いがあればぜひご指摘いただきたい。フランス語を習ってまだ数年の私には、何か重大な事実を見落としている可能性が充分にありうるからだ。
人間は間違える生きものである。だが、未来に間違えないよう少しでも学び合い、教え合って、努力するのもまた「人間らしさ」だ。私たちが進化の過程で獲得してきた素晴らしい知能だ。私はいつでも「人間らしい」読書をしたい。長いと思われるかもしれない今回の調査報告は、そのほんのわずかなメモに過ぎない。だがこうしたメモのひとつひとつが集まって、私たち人間は総合知を実践できる。ご了承いただければ幸いである。
瀬名 秀明(せな ひであき) |
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1968年静岡県生まれ。1995年に『パラサイト・イヴ』で日本ホラー小説大賞受賞。著書に『魔法を召し上がれ』『ポロック生命体』等多数。
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