■ロス・トーマス『狂った宴』(新潮文庫)■

 昨年、久しぶりの翻訳『愚者の街(上・下)』(1970) が出て、好評だったのだろう。今年も、新潮文庫の海外名作発掘レーベルからロス・トーマスの初期作の翻訳が出た。デビュー作でMWA新人賞をとった『冷戦交換ゲーム』(1966) に続く第二作『狂った宴』(1967)だ 。
 米国の選挙マネージャーであるシャルテルは、英国の広告会社の若手アップショーと組んで、アフリカの英国植民地で独立寸前のアルバーティアの国家元首選挙戦に参入する。他の候補者には米国の大手広告会社が、さらに第三の候補者にはCIA!がバックに付いている。クライアントの候補者を当選させるため、二人は手段を選ばない計略を展開していくが…。新興国の政治的カオスの激化の果てに、一体誰が元首となるのか。
 アフリカ新興国の選挙戦という当時としても新しい題材に、コン・ゲームの面白さを盛り込んだオリジナリティ溢れる一作。
 シャルテルは四十三歳。米国での選挙戦には百戦錬磨のつわもので、ケネディ大統領の上院、下院議員の選挙にも深く関わったと豪語する。アフリカにベストのついたシアサッカー生地のスーツで登場するという優雅な伊達物で、人心をたぶらかす話術は十分。市場のママさん商人たちともすぐ打ち解ける人好きする男だ。一方のアップショー (私) は30代半ばの米国人。元海外特派員で、今は英国の広告会社に籍を置く。離婚歴あり。選挙演説をはじめ政治的文章を担当する。アップショーの経歴には、実際にナイジェリアでの選挙戦にも参入したという作者自身の経験が反映されていると思しい。『冷戦交換ゲーム』『暗殺のジャムセッション』(1967) などのマック・マッコークル& マイク・パディロと同様、バディ物でもあり、話の進展とともに、二人の絆が厚くなっていくところが一つの読みどころ。読み終わる頃には、いかにも胡散臭いこの二人が好きになっていることだろう。
 二人には大義はない。民主主義や政治そのものをシニカルにみており、選挙戦に参入するのも商売であるからにすぎない。アフリカの選挙戦らしく、短いメッセージを伝えられる話し太鼓 (トーキングドラム)で、候補者の名前を連呼するというアイデアもあったりするが、劣勢の状況をひっくり返す最大の作戦は、「漁夫の利」戦術。かなり悪どく、笑いの出るような作戦だが、二人はプロフェッショナルに徹している。
 人口二千万、数百の方言、幾多の部族があり、読み書きできない者が多く、大きな権威をもつ宗教的指導者の存在、25万人が集う立会選挙演説会など、先進国とは異なる選挙戦の様子を、いささか黒いユーモアも交え、ヴィヴィッドに語られる。
 一方で、二人は、朝から酒を飲みっ放し。アップショーにもシャルテルにも恋人ができる。投票前には、この四人で前祝いとしてリゾートで極上の休暇を過ごすが、この後、驚きの展開が待っている(クイーン張りのダイイング・メッセージが伏線にもなっているのもちょっと面白い)。
 騙し合いの果ての結末もひとひねりしているが、アップショーの決断にはウェットな感はまるでなく、爽快な風が吹くようなラストには、喝采を送りたい。
 『愚者の街』のグロテスクなまでの厳しい現実認識、奥行きのある人物像には至らないが、生きのいい会話、解像度が高い多彩な人物、予断を許さぬ展開は、既に完成された作家を思わせる。選挙戦までの導入が少し長いような気もするが、作者の特異の体験を盛り込みたいという新進作家の意欲の現れでもあったのだろう。

■アンジェラ・カーター『英雄と悪党との狭間で』(論創海外ミステリ)■

 アンジェラ・カーターは、英国の女性作家。52歳の若さで亡くなるまで、四半世紀の間に9冊の長編、5冊の短編集などを遺した。我が国にも、『夜ごとのサーカス』『血染めの部屋』など多くの作品が紹介されている。しばしば、マジックリアリズムの作家といわれ、フェミニズムの観点からも高く評価されている作家で、ミステリのようなジャンル小説にはくくれない書き手だ。カーター自身が「ほとんど問題にされなかった」(現代女性作家研究会編『アンジェラ・カーター ファンタジーの森』におけるインタビュー) と語っている小説が 〈論創海外ミステリ〉の一冊として収録されたのは、訳者の勧めによるもののようだが、作者も天上から驚いているだろう。それはさておき。
 
 ときは近未来。大規模な戦争の後の村落共同体で、主人公の少女マリアンは父と暮らしている。父親は共同体の知識人で史学の専門家。マリアンは、性悪娘といわれ、共同体の人間になじめない。共同体の外には蛮族がおり、ときに襲撃して略奪を繰り返す。共同体は武装しているが、兵士だったマリアンの兄は蛮族に殺害されている。錯乱した乳母に父親を殺され、孤児となったマリアンは、蛮族の青年ジュエルを匿い、命を助けたことをきっかけに、彼とともに行動することを決意し、共同体を出ていく。異人種との出逢いで、マリアンは何を見、どのように変容していくのか。
『英雄と悪党の狭間で』 (1969) は、作者の初期に属する長編で、初期のカーターは、神話や伝説から題材を借り、民話や童話を語り換え、またSF仕立てにするなど、様々な文学上の試みにより、自らの思考を表現できる最良の文学形態を探っていたとされる。本書の設定 (大規模戦争後の共同体で外界に怖れと憧れを抱く少年少女)は、SFではありきたりな設定ともいえるが、その後の展開は、暴力と死が日常化した異世界を描いて、イマジネーションを遊ばせる方向には向かわない。
 本書の主要な関心は、少女の成長、男と女の関係だ。不潔で貧困、原始的な生活を送る蛮族の世界にも、秩序はあり、家父長制が維持されている。ジュエルは、蛮族の小集団の中では、若き長のような地位にあり、美しさと例外的な知性をもった青年だったが、集団から逃げ出したマリアンは彼に強姦される(「マリアンのからだに塔が崩れ落ちた」)。翌日には、強制的な結婚に至る。マリアンは決して彼を許さない。用意されたウェディングドレスは恐怖の具現になる。結婚後、13歳の少年を相手にジュエルへの復讐じみた性行為まで行う。ここまでなら、男性優位社会、家父長制の悪夢を描いたフェミニズムテーマの小説といえるのだが、一方で、性愛を知り、さらに身ごもったことを知ったマリアンは、ジュエルに対し、一転、情愛表現を示し、「あの人が行くところはどこへでも行きます」と語る。ジュエルはジュエルで何らかの苦悩に囚われ続け、二人は、蛮族の集団から離脱を決意する。嫌悪と愛情に引き裂かれたマリアンのアンビバレントな心理の機微は考察されないが、結末近く、ジュエルはジュエルでマリアンを恐れつつも、最も愛していたことが示唆される。二人ともに「この敵意に満ちた世界で生き残る何かの手がかりを相手の存在から見出そう」としていたのかもしれない。ここに至って、本書は、男と女を越えた人間の本源的な孤独と救済を求める姿を描いた小説とも読めてくる。
 状況に翻弄されながらも、自らの主体性を諦めないマリアンは、結末近く出会った灯台から「座礁を忌み嫌え、不合理を恐れつつ進め」といった励ましを感じ取り、主体的な決意をするが、この唐突ともいえる決意をどう受け止めるかは読み手によって様々だろう。
 文明と野蛮、聖と俗、美と醜、知性と反知性、血と肉等と様々な観点から鑑賞できうる小説で、蛮族が旅する中で出逢う崩壊した都市の廃墟、海水に浸された巨大像や駅のイメージも喚起力も強烈だが、ここでは二つの注目ポイントを挙げたい。
 一つは、ゴシック小説の影響という点だ。マリアンは、共同体では、白い塔に住み、新婚の褥は崩壊寸前の礼拝堂の塔にしつらえられる。明らかに、ゴシック小説の「塔の中の姫君」を意識されていると思しい。外界の悪人によって捉えられ、隔離されて、辛酸を舐める経験をするというのは、例えば、18世紀のアン・ラドクリフのゴシック小説『ユドルフォ城の怪奇』『森のロマンス』のモチーフにそっくりだ。作者はこのモチーフを、主体性をもった知性的な少女を主人公に据えることで (ラドクリフのヒロインに主体性や知性が欠けているわけではないが)、ゴシックロマンスを男女関係や人間性の本質を問う小説として、再構築している。
 二点目は、疑似家族を描いている点だ。蛮族の中には、共同体出身者が二人いて、一人はグリーン夫人。ジュエルら兄弟の養母となり、蛮族の中の暮らしは「地獄」というが、運命と諦めてもいる。マリアンの境遇には同情的ながらも、強制結婚の際には、体制維持の護持者ともなる。もう一人はドナリーというジュエルの個人教師で、元は共同体の教授だったが、今は蛮族の呪術師の役割を果たしており、ジュエルの父替わりを自負してもいる。博学ながら胡乱なところもある人物で、マリアンに「肥溜めの女王になればいい」と言い放ち、性的関心も寄せている。血のつながりのない「父」「母」それに、「夫」ジュエル「妻」マリアンという疑似家族が形成されているわけだが、「子」という唯一の血のつながりのある人間の誕生を契機にこの疑似家族がどのように崩壊していくかを思考実験的に描いてもいる。いうまでもなく、疑似家族が照射するのは、「家族」という制度にほかならない。
 会話も一筋縄ではいかず、一義的な解釈を許さない手強い小説だが、60年代カウンター・カルチャーの影響も受けつつ、血と暴力に満ちた世界 (それは現実の社会でもある)と、それをどう生き抜くかという作者初期の切実な問題意識が鮮烈に伝わってくる。

■カレン・ピアース『料理からたどるアガサ・クリスティー 作品とその時代』(原書房)■

「スーパーが一軒あるのよ。大したお店じゃないけれど。味気のない英国の食品ばかりで……」
「あれほど味気ないものもないな」

 今月の『狂った宴』の中の主人公と恋人の会話だが、とかく英国の食は評判が良くない。美食家ポワロも同じような不満をもらしていたはずだ。しかし、同じく美食家だったクリスティー作品には、美味しそうな料理が出てくる場面がふんだんにある。
 最近、様々な切り口によるクリスティー本の刊行が目立つが、本書は料理に着目した本。1920年代から70年代までの年代ごとのクリスティー作品と英国料理の変遷、66の長編の作品をコンパクトに紹介。類書のように写真はない代わりに、作品紹介の中で、作品に登場したり、縁がある料理の著者オリジナルのレシピを掲載している。
 66のレシピとなると結構な分量となるもので、巻末には、「朝食」「昼食」「つけ合わせ、軽食」「夕食」「デザート」「飲み物」といったシーン別のおすすめメニューがまとめられており、著者の選択のバランスの良さも示している。
 英国の伝統料理、レストランの料理に加えて、中東を舞台にした作品も数を残しているだけあって、メソポタミヤのフムスとピタパン(『メソポタミヤの殺人』)、中東風七面鳥の詰め物 (『バグダッドの秘密』)といった変わり種も。
 『マギンティ夫人は死んだ』でポワロは田舎のゲストハウスに滞在するが、そこでは生焼けの料理しか出てこない。そこで、ポワロはサマーヘイズ夫人に何度も完璧なオムレツのつくり方を教える。7年後『鳩の中の猫』でサマーヘイズ夫人の姪だという少女から「おばさんのオムレツは最高」だと聞かされ、「つくり方を伝授した甲斐がありました」と答えるといったような、作品が連関したちょっとしたいい話も紹介されている。
 料理が趣味の方なら、本書のレシピに沿ってあれこれ工夫することで、クリスティー作品をさらに優雅に楽しめることだろう。

ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた)
 ミステリ読者。北海道在住。
ツイッターアカウントは @stranglenarita
note: https://note.com/s_narita35/


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