■ヘレン・ライリー『欲得ずくの殺人』(論創社)■


 メアリ・ロバーツ・ラインハートの作品を紹介する度に、引き合いに出すワードがHIBK派 (Had-I-But-Known school 「もしも知ってさえいたら」の頭文字)が、ミニオン・G・エバーハートの作品を除けば、この「派」に属する作家の紹介は数少ない。
 戦前には雑誌での抄訳があるものの、単行本としては、本邦初紹介になるヘレン・ライリーは、このHIBK派に連なる作家。かなりのファンでも聞いたことのない作家と思われるが、40冊以上のミステリを遺し、1953年にはMWAの会長も務めた女性作家である。
 HIBK派という言葉は、「もしも知ってさえいたら〇〇だったのに」とヒロインに語らせて、来るべき災難を予感させサスペンスを高める手法を多用する女性向けミステリを揶揄も込めて呼んだものと理解しているのだが、時代や形式は変われど、「女性向き」ロマンティック・サスペンスの供給は途絶えることがない。そういう意味では、HIBK派は、この種のミステリのプロト・タイプをつくったものとして、看過できない影響力を及ぼしているともいえるだろう。
 1930年デビューのライリーが1939年に出版した本書は、こんな話。
 ヒロインは、繊維王の孫で二十歳のダフネ。屋敷のある村を訪れた若い弁護士アンドリューと恋に落ちるが、家族に専制をふるう祖父は、ダフネの結婚を頑なに許さない。アンドリューが村を再訪した際、ダフネのお目付け役でもある女性が毒殺される。容疑をかけられたアンドリューは行方をくらますが、警察を避けながらダフネと密会し、無実を誓う。続いて、第二の殺人が発生、愛憎渦巻く家庭に起きた事件の真相とは。
「主人公は中流以上の若い女性」「舞台はお屋敷」「恋愛が重要な位置を占める」「波状攻撃的にヒロインを襲うサスペンス」というHIBK派の文法に沿いながらも、1939年の作品だけあって、ラインハート初期の作品からは、かなりの洗練がみられる。
 実際、「もしも知ってさえいたら」というような俗な表現はほとんど出てこないし、ヒロインは怯えるだけではなく、事態に立ち向かう主体性を持ち合わせている(気を失ったり、絶叫するシーンは多いが)。
 本書の特徴としては、まず、サスペンスの高め方が巧み。ダフネのお目付け役が乗ったタクシーが目的地に着いたら、彼女は死体になっていたという冒頭はショッキングで興味をそそらずにおかないし、ダフネが逃げているアンドリューと秘密を分かち合うことで、彼女は二重三重の苦難に巻き込まれていくという展開が緊張感を高める。容疑者が限定されていく中で、見知った人たちが見知らぬ人に見えてくるという感覚が強調され、予断を許さない終盤の盛り上がりに繋がっている。
 加えて、本書が〈マッキー警視シリーズ〉の一冊であり、シリーズ物でありながら、内容はヒロインのサスペンス主体という点が大きな特徴だろう。本書では、捜査側の視点も重要視されている。マッキー警視こそ登場場面は少ないが、警視の部下で、愛犬とともに捜査に参加する小男の刑事がいい味を出している。それゆえ、フーダニット要素もおろそかにされず、手がかりが少ないことは惜しいが、かなり意外な真相が待ち受けている。
 従来のHIBK要素を足場にしつつも、サスペンス、プロットの面での洗練をうかがわせる佳作といえる一冊だ。

■リチャード・オースティン・フリーマン『ヘレン・ヴァードンの告白』(風詠社)■


 主として黄金期の未訳作を意欲的に出版している風詠社の松本真一訳シリーズに新たに一冊が加わった。リチャード・オースティン・フリーマン『ヘレン・ヴァードンの告白』(1922) がそれだ。本書は、ソーンダイク博士物の第五長編であり、『キャッツ・アイ』(1923)の前年に書かれたもの。
 邦訳本で500頁以上ある大作だが、これが目を瞠るような異色作だった。
 語り手は、ヘレン・ヴァードンという23歳の聡明な女性。彼女は、弁護士の父親と依頼人ルイス・オトウェイの会話をもれ聞いたところから、悪夢のような境遇に立たされる。オトウェイは、父親に預けた金の返済を求めている。返済されなければ刑事告発も辞さないと脅し、債務をなしにするにはヘレンとの結婚を認めよ、と迫る。父親はこの話を一蹴するが、誇り高い父親の自殺を恐れたヘレンは父に黙ってオトウェイの家を訪れ、年も離れ好きでもない男との結婚を承諾する。極秘結婚を知った父親は激怒し、オトウェイの家を訪れるが、口論の際中に死んでしまう。しかも、金銭の返済の目処はついていたのに、オトウェイはその事実を隠していた。
 時代劇とかセンセーショナル・ノベルのような筋だが、法律上、ヘレンは、オトウェイの正式の妻であることから逃げられない。検死審問で、父は病死とされ、当面、オトウェイはヘレンと別居することに同意する。
 謎解きミステリとしての眼目は一体何なのか読者には知らされないままだが、ここで物語は奇妙な転調をみせる。
 ヘレンは、趣味として行っていた装飾用の金属加工で身を立てようとする。(父の知人ソーンダイク博士の斡旋で入った下宿は、博士の助手ポルトンの姉が経営しており、独身女性の住む芸術工房のようなところ)。朝ドラ的女の一代記風になったと思いきや、かつて惹かれていた青年との再会や「マグパイクラブ」という収集家の会と出逢いがあったりする。そうかと思えば、ヘレンは降霊術に参加して幻覚を見たり、霊的能力を生かし水晶玉占い師にならないかと勧誘されたりもする。そして、恋に落ちたヘレンの苦悩はさらに深まっていく。ますます、話がどこへ向かって進んでいく判らない中、物語の三分の二以上を過ぎて、遂に眼目の事件が発生する。
 長めのあらすじになったのは、一見逸脱を繰り返しているような異色の筋運びの一端に触れてほしいためだ。逸脱・寄り道と思える部分も、長すぎる感はあるものの、実はミステリとしてのプロットの部分に大きく関わっていることが次第に判明してくる。ことに、霊的能力絡みで「無意識」の要素を取り入れた点は、大変ユニーク。この要素があるので、本書は、風変りな倒叙型ミステリともなっている。「無意識」に関わって、実は本書で最もゾクゾクと来たところは、ヘレンがオトウェイの部屋である物に眼をとめるくだり。作者の眼は人間心理の襞に触れていると思わせる。
 本書の最終盤は、再び検死審問となるが、ヘレンの運命を巡るサスペンスは最高潮となり、謎解きの醍醐味が味わえる。ソーンダイク博士が審問に間に合わず、その点でもハラハラさせるが、瀬戸際で颯爽と登場し、過去の短編の事件も引き合いに出しながら、科学捜査の切れ味で、事件の構図をひっくり返す場面には溜飲が下がる。
 ヘレンが偽証罪に問われかねない理由が作中で二度も変わっている瑕疵があったり、検死審問での検視官の立論がいかにも無理筋であったりという弱い部分もあるが、不条理に立ち向かう女性サスペンスであり、風変りな倒叙ミステリであり、法廷ミステリであり、謎解きミステリでもある本書は、著者のチャレンジ精神全開、異彩を放つ一作だ。
 なお、翻訳の文章は、部分的に完成度にムラがあるところは残念だった。

■井波律子『中国ミステリー探訪』(潮出版社)■


 著名な中国文学者である著者が3世紀中頃から20世紀中頃までの中国文学を渉猟し、「中国式ミステリー」を紹介した類書のない本。2003年11月にNHK出版から出た単行本をこの度文庫化したものだ。
 3世紀から中国にはミステリがあったと聞くと、エッとなるが、もちろんポー以降の首尾整った探偵小説ではない。本書では「犯罪を扱った作品」程度の意味で「ミステリー」の語が用いられている。
 3世紀六朝志怪小説『捜神記』から始まって、唐代伝奇、南宋の裁判説話集『棠陰比事』、元曲(歌劇)、明末の白話短編小説集「三言」、同じく明末の『包 (龍図)公案』、明末清初『聊斎志異』、そして清末から中華民国初期の外国ミステリ翻訳と偵探 ていたん作家誕生まで、全73話、歴史を追いながら、個々の具体作品の面白さのエッセンスを浮き彫りにすることを主眼として書かれている。元々は、新聞連載であり、1話ずつコンパクトにまとまっていて読みやすい。
 
 『捜神記』には、早くも夫の頭部に鉄の錐を打ち込んで殺した妻が焼死と偽装する話が出てくる。妻のウソ泣きから犯行がバレるのだが。
 この話を下敷きとして、『包 (龍図)公案』には次のような話がある。妻のウソ泣きを怪しんだ裁判官・包が葬儀屋に命じ、夫の死因を調査させる。困った葬儀屋は妻に相談すると「鼻の中を調べてみましたか」と助言され、調べてみると鼻の中に鉄釘が撃ち込まれていることが死因と判明する。
 包裁判官は、葬儀屋の妻の聡明さを賞賛し、褒美を与えた際に、彼女に「初婚か再婚か」と訊くと妻は「前夫は病死し、再婚です」と答える。
 この後は書かないが、ダールの短編でも読んだような味わいがある。
 『包 (龍図)公案』は、中国古典ミステリーの大スター11世紀の名裁判官・包拯の事件小説集。奇想天外な話や倒叙形式のものも多く、本邦の「大岡越前」にも影響を与えている。
 同じく公案物では、清末には『狄公案』が成立し、唐初の名臣狄仁傑が難事件を解決する姿を描いている。これは、ファン・フーリックにより英訳され、ヨーロッパで大反響を呼び、フーリック自身も狄仁傑を主人公にした〈ディー判事物〉を著したことも書かれている。
 
 古来の小説にも、ブラックユーモアあり、グロテスクあり、ナンセンスあり、悪夢的展開あり。人間の想像力や情動というのも、そうそう変化するものではないと思わせる。
 それにしても、美女と資産家が出てくる話が多い。「金」と「女」といえば、やはり世界共通、普遍的な欲望なのか (男性目線だが)。そして、愛人と共謀して夫殺しをするフレンチミステリ風悪女の話も多数。世に悪女の種は尽きまじだ。
 
 ポー以前のミステリに関して、西洋に比べ東洋のそれに言及したものは圧倒的に少なく、本書は、未開の分野を拓く好著。近代探偵小説の誕生も突然変異ではなく、人類普遍の犯罪 (奇)や謎 (知) への欲求・愛好という広大な土壌の上に成り立っていることを実感させる本でもある。

ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた)
 ミステリ読者。北海道在住。
ツイッターアカウントは @stranglenarita
note: https://note.com/s_narita35/




◆【毎月更新】クラシック・ミステリ玉手箱 バックナンバー◆

◆【毎月更新】書評七福神の今月の一冊【新刊書評】◆

◆【随時更新】訳者自身による新刊紹介◆

◆【毎月更新】金の女子ミス・銀の女子ミス(大矢博子◆)