最後の方に、◆2018年のクラシック・ミステリ◆という回顧を書いておりますので、ご覧いただければ幸いです。
美人薄命という。佳人が若くして命を失うことほどいたましいものはないが、その映画では美しい娘たちが神隠しにあったように山間に消えてしまう。
■ジョーン・リンジー『ピクニック・アット・ハンギングロック』
映画『ピクニック・at・ハンギングロック』(1975) のことだが、その原作小説が訳された。映画は、『刑事ジョン・ブック 目撃者』などで知られるピーター・ウィアー監督の出世作。公開当時は、美少女映画としても話題を呼び、ボッティチェリが描いた天使に例えられる金髪の少女ミランダの美貌はとりわけ目に焼きついた。本書を読むと、映画版が1967年に刊行された原作のかなり忠実な映画化であることが判る。
ジョーン・リンジーは、オーストラリアの女性で70歳のときに見た夢の内容を小説にしたという。
バレンタインデー。オーストラリアは夏、絶好のピクニック日和。女子寄宿学校アップルヤード学院の生徒たちは、馬車でハンギングロックの麓のピクニック場に向けて出発したが、学校行事はいきなり暗転。ハンギングロックを近くで見ようとした少女三人と、教師一人が行方不明になってしまったのだ。何が起きたのかは分からぬまま、すべての歯車は狂いはじめる。
この19世紀末の四人の失踪事件にはこの世の条理を超えた深淵が口を開けているような怖さと悲しさがつきまとう。事件を契機に、澄みきった水に黒い絵具を落としたように、あるいはせせらぎに伏流していた毒が顕れるように、学院は静かに崩壊していく。そこに、アップルヤード校長に代表されるブルジョワ的偽善の崩壊を見出すことは可能だが、物語が描き出していくのは、いたましくも不可思議な事件が、学生や教師、学校の職員、避暑地の人々らを呑み込み、運命を変えていくありようだ。そこには、若い貴族と御者が友情を深めていく姿のような光の部分もあるが、多くは人間の無力さやはかなさを感じさせずにはおかない。
作者は書いている。周囲の人々がひとりまたひとりと
さらにミステリ方面に引き寄せていえば、本書は謎が人を惹きつける力を示した作品でもある。人は謎の失踪に戦慄しながら、次の瞬間、その謎が解かれるのを焦がれる。医師は「(ハンギングロックの)謎が解けるなら、命を差しだしたって惜しくないくらい」という。映画版でも強烈な印象を残した場面だが、一人だけ生き残って発見された娘が学校の生徒たちと再会するシーンの怖さ。沈黙、に続くパニック。何が起こったかと詰め寄る少女たち。誰もが謎の深淵を怖れ、取り憑かれているのである。本書はミステリとはいえないかもしれないが、謎の禍々しさと甘美を怜悧に描いた点で、ジャンル外からミステリの本質に迫った作品ともいえよう。
■M・R・ラインハート『大いなる過失』
メアリ・ロバーツ・ラインハートは、「もし知っていたら」(H・I・B・K(Had-I-But-Known)派の始祖といわれる。「もし知っていたら、おそらく一人の命が助かったろうに」(本書第37章にもこの言葉がある) 女性の語り手に現在の視点からこういわせる手法は、読者のページを繰る手を早める効果があったろうが、その命名はあまりに使用されすぎることに対する、からかいのニュアンスがあったと思われる。
HIBKの嚆矢とされるラインハート『螺旋階段』(1908) から30年も後の『大いなる過失』(1940) でも、現在の視点を挿入する手法が頻出する。もはや、作家の個性というか、自家薬籠中のものにしているというか、まことに堂々たるものだ。
ヒロインは、パット(パトリシア)25歳。乗馬好きの活発な女性だが、両親を亡くし失業中。そんなパットがひょんなことから、近隣の大豪邸「
サスペンスを絡めたシンデレラストーリーと甘くみてかかると頻発する不可解な事件の数々に驚かされるだろう。都合三件の殺人事件が起きるのだが、それ以外にも数々の事件が勃発する(警察官が身ぐるみはがされ全裸にさせられるという事件も)。読者を納得させる結末が待っているのか、心配になるほどだ。
6月から半年間という長期にわたるパットの回想の語りは、かなり独特なもので、現在の視点が随所にはさみこまれるほか、地の文の一人称に加えてパットが後から知った事実(警察の捜査状況など)が三人称でシームレスに記述される。奔放ともみえる語り口が、頻発する事件を追いつつ、主要人物のみならず、地域の人々、屋敷の使用人らの横顔や季節のうつろいを過不足なく描き出している。凶悪な犯罪が続くとはいえ、何ごとにも臆しないパットの語りは明るく、読後感もいい。
登場人物の抱える秘密のヴェールは徐々に剥がれていき、そのいくばくかは読者に見当がつくが、肝心の犯人を最終章の半ばまで隠し続ける作者のじらしのテクニックは心憎い。真相は証拠に基づく厳密な推理というより推測を交えた形で示されるとはいえ、犯人が指摘される部分には一瞬あっけにとられる。この意想外な犯人を当てるのはなかなか困難だろう。
めまぐるしいまでに連打され、錯綜する事件を、整合性をもって解決し、意外な犯人を用意するために、作者は、裏地の部分にひどく込み入った人間模様を織り込んでいる。かなり無茶な部分もあるが、並みの本格ミステリ作家も裸足で逃げ出す仕込みの充実には眼を瞠らされる。警察が着実な捜査をしていればたどりつくはずの秘密をベースにしているところが本書の謎解きの弱点だが、語りの奔放さと同じように、謎づくりの制約に拘泥しない一種の自由さの表われとも受け取れる。作者66歳、自己の作風を突き詰めていった作家の充実ぶりがうかがわれる作品。
■R・オースティン・フリーマン『キャッツ・アイ』
『キャッツ・アイ』(1923)は、『オシリスの眼』(1911)などと並んでフリーマンの代表作の一つとして挙げられることが多い作品。
ロンドン深夜。闇を切り裂く女性の悲鳴。駆けつけた弁護士アンスティは男女が激しく組み合う姿を目撃。脇腹を刺された女性を運び込んだ近くの屋敷では、主人が宝石コレクションの陳列室で殺害されていた。殺人は、単純な強盗殺人に思われたが、被害者の弟は納得せず、ソーンダイク博士の出馬を要請する。
本書ではソーンダイク博士のパートナーであるジャーヴィスが出張中で、語り手はアンスティが務める。それは語り手アンスティの恋愛を盛り込みたかったからではないかと推測される。冒頭の事件で刺された女性画家、ウィニフレッド・ブレンドは「伝説や
犯人が盗みそこなった金色の本型のロケットには暗号のようなメッセージが遺されているが、アンスティとウィニフレッドには見当もつかない。やがて、現場から盗まれたキャッツ・アイを嵌め込んだペンダントはブレンド家の家宝であることが検死尋問の場で明らかにされ、強盗殺人の謎は、ブレンド家の遺産相続の問題とクロスしていく。
本書の大きな事件は冒頭の一つだけだが、暗号のようなメッセージの謎に加え、遺産にまつわるジャコバイト(17世紀名誉革命の反革命勢力)の奇譚という伝奇性、さらにはウィニフレッドを襲う毒入りチョコレート事件というサスペンス、謎の解明のため博士とアンスティが問題の地に乗り込んでいく場面の冒険的要素といった読者の興味をひく様々な要素が取り入れられている。なお、本書の毒入りチョコレート事件については、同様な現実の事件が発生し、両者が相まってフィクションにおける流行をつくったことが、マーティン・エドワーズ『探偵小説の黄金時代』に書かれている。
ソーンダイクは科学者で弁護士、さらにその博識は本書でもいかんなく発揮されている。とはいえ、事件の過程での推理を一切語ろうとしない博士の態度に、ときに語り手アンスティ同様いらいらさせられる。
が、結末に至って、世の凡人には無理とはいえ、博士がごく早い段階で事件の全貌をつかんでいたことには恐れ入るばかり。強殺現場に残され指紋や足跡、謎の男の忘れ物の小骨のようなマスコットやペンダントに残された「青い髪」といった断片的な証拠から様々な事象を結びつけ、強盗事件の背後のたくらみを明らかにする。作者の別の長編を思い起こさせるような犯人像もユニークだ。
本書は、暗号・伝奇・冒険・恋愛と盛りだくさんの物語の要素が詰めこまれている上に、断片的な証拠や事実をロジカルに結びつけ当初は想定もされなかったような構図が描かれるプロットの妙が光る。盛り込まれた要素はいずれもクラシカルではあるけれど、そのレンジの広さや物語性には現代のミステリにも通じるエンターテインメント精神が宿っている。訳者による懇切で詳細な解説も充実。
■金来成『白仮面』
本書は、戦前の朝鮮(韓国) のミステリ黎明期、『魔人』に先立って書かれた少年探偵小説二編を収録。いずれも、『魔人』でも活躍する名探偵・劉不乱(ルブランのもじりといわれる)も登場するが、主人公は、定石どおり少年少女である。
「白仮面」は世界中の宝物を盗む「白仮面」が京城(今のソウル)にやってきて、姜工学博士を誘拐。博士の息子・姜水吉少年が友人・朴大準と劉不乱の力を借りて父を救い出そうと奮闘する。白仮面はつま先まで白いマントで身を隠し髑髏の仮面をかぶり、白馬にまたがっていというのだから楽しくなる。
当時、少年たちの爆発的人気を得たというが、ネズミ一匹入り込めない警備の中、白仮面が詭計を用いて秘密の手帖を奪いとっていく場面、虚空にそびえる南大門の屋根での警官隊との攻防など見せ場はたっぷりで、連載時の読者は次号を待ち焦がれただろう。秘密手帖に記された新型兵器の秘密をさぐる軍事探偵らで一大修羅場となった京城から、舞台は黄海の海辺にある研究所へ移っていく展開もよく、白仮面の動機や正体にひと工夫がされている。
水吉少年らは賢く勇敢で親思い。乱歩の少年物 (初の少年物「怪人二十面相」が「少年倶楽部」に連載されたのが「白仮面」連載の前年1936年) を参照しているのかしていないのか、お国柄の違いはあまり感じられない。が、日本の統治時代なのに、日本への言及はほとんどない。事件が終結した後、少年たちが黄海の黄金色の光の壮観に「希望の国! 希望の世界!」を見出す、胸を衝くような終わり方をしているのは、祖国朝鮮への作者の思いが仮託されているのだろうか。
「黄金窟」は、インドの仏像に残された暗号に基づく宝さがし物。主人公は、孤児院に入所している児童。5人の少年少女は劉不乱とともに、財宝を求め、はるかインド洋まで宝さがしに赴く。胸躍る設定だが、暴風雨による一か月の孤島暮らしが1頁で片づけられるなど、スケールの割には枚数不足の感もある。黄金窟には、財宝は「見つけた人のもの」と掲示され、少年物らしく宝の所有権問題を回避していて、なかなか潔い。
■サー・エドモント・C・コックス准男爵『インド帝国警察カラザース』
『インド帝国警察カラザース』ヒラヤマ探偵文庫02 著者:サー・エドムント・C・コックス准男爵 訳者:平山雄一 発行:ヒラヤマ探偵文庫 発行年月:2018年11月 価格:2,000円 |
翻訳者・平山雄一氏が主宰する「ヒラヤマ探偵文庫」については、何度か触れてきたが、電子書籍から紙書籍に舵を切ったようだ。本書は紙書籍のヒラヤマ探偵文庫02(01は電子書籍『スーザン・デアの事件簿』の単行本化) 。
未訳のミステリを個人出版してくれるのだから、実にありがたいことだ。
本書は、1905年に発刊された短編集。作者は聞きなれないが、ケンブリッジ大学終了後、植民地インドに渡り、インドの警察に30年の長きにわたり奉職した人。この短編集もインドでの勤務時に発刊したものだ。現役警察官が書いた探偵小説というだけでも珍しいのに、インド在住の英国人によるインドを舞台にした作品としても珍重に値する。
そして、驚くことに、ミステリとしての出来ばえも優れたものが何編も含まれていのである。
主人公カラザースは、インド警察の地域の本部長ないし査察官的な役回り。30年の勤務経験があるなど作者の一面を投影しているものと思われる。インド各地を転勤して歩き、それぞれの地で出逢った事件を一人称で語る体裁になっている(「最後の話」事件のみ英国が舞台) 12編収録。
冒頭の「アブドラの運命」では、テントによるキャンプ生活を好むカラザースの日常から始まる。キャンプといっても現地の召使いたちに囲まれたなかなか優雅なもの。そこへ、現地のイスラム教徒の鉄道橋監視人が現れ、甥っ子の行方不明事件を訴える。少年のネックレスがジプシーのキャンプ場所で発見され、ジプシーによる誘拐が疑われるが、実は犯人も意外なら、動機も奇想天外なもので、当時のインドならではの作品だ。
次の「ラジャプール事件」は村の強盗事件を扱った作品だが、予期しない逆転劇を用意している。「文書盗難事件」は、イギリス人総督の公邸での公文書紛失事件を扱ったユーモラスな一編。バナナも一緒に盗まれていることで犯人の想像はつくかもしれないが、なぜ総督の娘の写真まで盗まれたかは読者の想像は及ばないだろう。「神々の車輪」は大胆なトリックを用いた復讐事件。意外な真相にたどり着く論拠が十分でない作品もあるが、暗号物、都市奇譚、詐欺事件など扱う事件はバラエティに富んでいる。
「インドはある意味、逆さまの国である。常に極端だ。暑すぎるか寒すぎるか、乾燥しすぎかじめじめしているか、陽気に浪費にふけるか、それともロビンソン・クルーソーのような状態かの、どちらかだ」(「神々の車輪」)というのがカラザースのインド評。
様々な宗教や人種、カーストが存在し、未開と資本主義、英国的価値観と現地の価値観がせめぎあうこの時代のインドは混沌の地である。カラザースには、インドやインド人に対する偏見や優越感もあるが、この時代の産物とあってはやむを得ないだろう。彼はできるだけ現地の人間と友人になろうと努力もしているのだ。かの地で長きにわたり現地の犯罪に接した英国人が見た生のインドの記録としても、本書の価値は高いだろう。
■グラント・アレン&アーサー・コナン・ドイル『ヒルダ・ウェード―目的のためには決してくじけない女性の物語―』
ヒルダ・ウェード―目的のためには決してくじけない女性の物語― 著者:グラント・アレン&アーサー・コナン・ドイル 訳者:平山雄一 表紙:小山力也(乾坤グラフィック) 頒価:3,500円 判型:A5判 発売開始:2018年12月22日 |
「探偵文庫」とは銘打たれていないが、『ヒルダ・ウェード』(1900) は、これも平山氏による盛林堂ミステリアス文庫の一冊。作者は、怪盗クレイ大佐が活躍する『アフリカの百万長者』などで知られるグラント・アレン。連載の最終回(最終章)は、著者の急逝により、コナン・ドイルによって書き継がれたという。
物語の語り手は、私、医師カンバーレッジ。医学界の世界的権威セバスチャン教授の助手だ。私の推薦で、優しく愛らしい看護婦ヒルダ・ウェードはセバスチャン教授の下で働くことになるが、彼女には教授に近づくある目的を持っていたのだ。
女探偵物かと思ったが、そしてそれに類する章もないではないが、全体としては、父の無念の死をはらすために、どんな苦難にめげず、ある行為を実現しようとする女性の物語だ。
筋の運びは、古い話で恐縮だが、70年代に評判をとったTVドラマ「赤い~」シリーズを思い出した。秘密を抱えたヒロインとその恋人を次々と襲う試練と苦難。ヒルダ・ウェードを山口百恵、カンバーレッジ医師を三浦友和が演じるとピッタリだ。かなり強引な展開にツッコミを入れたくなるところも似ている。こういう連続ドラマというのは、大昔からあったというのは発見だった。
閑話休題。ヒルダは、常人離れした記憶力と洞察力をもっており、彼女が問題を解決するエピソードが何話か続くが(新婚の夫が一年以内に妻を殺すというヒルダの予言には驚く)、セバスチャン教授とぶつかり、病院をやめてからの展開は、実に波乱万丈。ヒルダは、南アフリカ行きの船に乗り、カンバーレッジ医師は彼女を追う。二人は、なぜか未開の地で居住してしまう(清いまま)。彼女が南アフリカに行くのは、「地球上で白人女性が安全に訪れられる、一番遠い場所だったから」。二人は、先住民の蜂起に巻き込まれるるが、先住民と白人の戦闘シーンの迫力は相当なもの。さらに二人の運命は変転、なぜか舞台はチベットへ。いずこにも、ヒルダを亡き者にしようとする人物の影がある。続く道のりで、二人の乗った船は沈没し、海上漂流までしてしまうのだ。
波乱万丈の物語にしては、最終章はやや予定調和的にすぎ、作者のもともとのアイデアに基づくものとはいえ、コナン・ドイルは書きにくかったに違いない。
作中では、イプセン『人形の家』について何度か批判的に言及される。ノラという新しい女性像は作者にとっては仮想敵だったのかもしれない。ヒルダは特殊能力をもっていても、上品で淑やかな女性であって、作者がノラを超える自立した女性像を提示しえたかは大いに疑問だが、怒濤のように運命が変転する物語の中で決してくじけない女性を描き出したことは疑いない。
◆2018年のクラシック・ミステリ◆
年末の海外ミステリの各種ベスト10リストをみると、アンソニー・ホロヴィッツ『カササギ殺人事件』、陸秋槎『元年春之祭』、ポール・アルテ『あやかしの裏通り』、ジョン・ヴァードン『数字を一つ思い浮かべろ』など本格ミステリのテイストを強くもつ作品が並んでいる。本格ミステリの復権を思わせるが、とりわけ、『カササギ殺人事件』は、クリスティー風の探偵小説丸ごと一冊を詰め込んだ上で現代ミステリとして再生させた作品で、今後の展開を期待させる。ジョン・ヴァードンは、自らを魅了したミステリを「classic detective story」としているそうだし、昨年評判となった華文ミステリ『13・67』の陳浩基や、陸秋槎は、日本の新本格に強く影響を受けているようだ。英語圏や中国で同時多発的に本格ミステリ復権や隆盛の動きが出てきているとすれば、クラシック・ミステリ愛好者には嬉しいことだ。
折しも、黄金期の探偵小説を改めて読む上で欠かせない手引きともいえる、マーティン・エドワーズ『探偵小説の黄金時代』という大著も翻訳された。
今日の本格ミステリ復権の動きとクラシック・ミステリの再評価が今後どのようにリンクし、どのようなうねりを見せていくのか。2019年も目が離せない一年になりそうだ。
(作品後の算用数字は本欄で取り上げた月)
■古典期■
ホームズパロディ/パスティッシュの珍品を集めたジュリー・マキューラス他編『シャーロック・ホームズの失われた災難』2、先に別訳者による電子書籍はあったが、アーサー・B・リーヴ『無音の弾丸』1。古典の翻訳そのものにスポットを当てた北原尚彦編『シャーロック・ホームズの古典事件帖』1やモーリス・ルブラン/保篠龍緒訳/矢野歩編『名探偵ルパン』11もあった。
■黄金期■
英国物では、電子書籍で珍品ウォルター・S・マスターマン『誤配書簡』11が出たのは驚き。ほかに、密室トリックの古典エドガー・ウォーレス『血染めの鍵』2、A・E・W.メイスン『ロードシップ・レーンの館』5、アガサ・クリスティの戯曲集『十人の小さなインディアン』7など。
米国物では、ジョナサン・ラティマーのビル・クレイン物の『サンダルウッドは死の香り』10と『精神病院の殺人』12が立て続けに出てファンを沸かせた。ホンキートンクな展開プラス熱い本格魂は唯一無二の作風。
メルヴィル・ディヴィスン・ポースト『ムッシュウ・ジョンケルの事件簿』5は、アブナー物の作者がその実力をいかんなく発揮し、物語性と謎解きをマジカルに融合させた作品集。C・デイリー・キングのABCシリーズ最後の本となる異色作『間に合わせの埋葬』4、不可能犯罪物の名短編集『タラント氏の事件簿[完全版]』2が完全版の形で出た。イザベル・B・マイヤーズ『疑惑の銃声』8は、驚きの終幕をもつ30年米国ミステリの隠し玉。何人かの方が年末ベストで挙げていて我が意を得た思い。ヴァレンタイン・ウィリアムズ『月光殺人事件』9はロマンチックな味付けの本格物。
■ポスト黄金期■
マージェリー・アリンガム『葬儀屋の次の仕事』4は、ロンドンの一角という狭いコミュニティの中での奇抜な犯罪を扱った円熟期の秀作。『ホワイトコテージの殺人』7は黄金期の長編だが、若書きとはいえど犯人像に工夫を凝らした清新な作。マイケル・イネス『盗まれたフェルメール』3は、ファンタスティックな冒険譚の色彩が強いが、絵解きも見事。『アリントン邸の怪事件』10は長崎出版Gemコレクションからの復刊。すっきりとした構成をもつ佳品。フレデリック・ノット『ダイヤルMを廻せ!』6はヒッチコック映画で知られる名作戯曲。
ヘレン・マクロイのベイジル・ウィリング物の長編が『悪意の夜』9をもって全作翻訳になったのには感慨の念ひとしお。ノンシリーズの『牧神の影』6は、暗号物プラス謎解き/サスペンスという異形の秀作。H・カーマイケル『アリバイ』3は、アクチュアルな人物造型に、ミスディレクションの技巧が冴える。さらに翻訳を。
永らく翻訳が途絶えていたパット・マガーが二冊も出たのにはときめいた。『死の実況放送をお茶の間へ』10は草創期のTV界を舞台にした謎解き物。『不条理な殺人』11は、演劇界を舞台にした作品だが、ストーリーテリングの巧さに唸る。
■ノワール/ハードボイルド■
この分野は少なく、ジム・トンプスンの独擅場。『殺意』4、『犯罪者』8、『綿畑の小屋』10。これまでの未訳揃いにもかかわらず、クオリティは高く、同工を避けつつも、いずれもトンプスン印が刻印されているのには感服。ザ・ゴードンズ『盗聴』2は50年代に訳し忘れたような不思議な佳品で、ほかにフランク・グルーバーのジョニー&ハンサム物『はらぺこ犬の秘密』8があった。
エルモア・レナードの傑作西部小説『オンブレ』2が村上春樹訳で出たのは嬉しい驚き。
■その他■
ミステリとはいえないが、ドナルド・E・ウェストレイク『さらば、シェヘラザード』7は噂に違わぬ娯楽メタフィクションの怪作。未訳が数少なくなってきたレオ・ペルッツ『どこに転がっていくの、林檎ちゃん』12は、豊かで味わい深い冒険小説風の作品。
■短編集■
ジョルジュ・シムノン『十三の謎と十三人の被告』11は、メグレ物へと移行する時期の好短編集2冊を収録。既に訳し尽くされと思われたラジオ台本集だが、エラリー・クイーン『犯罪コーポレーションの冒険』7でも創意工夫を凝らした仕事ぶりは変わらない。ほかに、エドワード・D・ホック『怪盗ニック全仕事5』4、サキ『四角い卵』1など。
■評論/ノンフィクション■
マーティン・エドワーズ『探偵小説の黄金時代』11は、デテクション・クラブを中心に英国黄金期の探偵小説評論に新生面を拓いた。アダム・シズマン『ジョン・ル・カレ伝』7は綿密な取材に基づいた大労作。ジャック・ドゥルワール『ルパンの世界』5は、本国でのルパン物評価の新展開をうかがわせる。
ほかに、エセル・M・マンロー/ロセイ・レイノルズ/サキ『サキの思い出』1、マーティン・アッシャー編『フィリップ・マーロウの教える生き方』4、F・W・クロフツの『四つの福音書の物語』12、中尾真理『ホームズと推理小説の時代』3などがあった。
■2018極私的ベスト8プラスα■
ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた) |
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ミステリ読者。北海道在住。 ツイッターアカウントは @stranglenarita 。 |