今月は、多くの関係書が集まった。ここに、さらに、アンドリュー・ウィルソン『パトリシア・ハイスミスの華麗なる人生』(書肆侃侃房) が加わってくると、年末年始の読書は多忙なものとなりそうだ。


 
 
■『真田啓介ミステリ論集 古典探偵小説の愉しみI(フェアプレイの文学) II(悪人たちの肖像)』(論創社)■
 『真田啓介ミステリ論集 古典探偵小説の愉しみI(フェアプレイの文学) II(悪人たちの肖像)』(論創社)をご恵送いただく。第74回日本推理作家協会賞(評論・研究部門)を受賞した荒蝦夷社版の増補版。同書の初版500部は完売、版元を変えてこの度の増補となった。我が国における探偵小説復興を評論面で支えた著者の名著。計18編の文章が増補され、付録として著者インタビューが付されている。インタビューの中では、解説の途中に、「本書の物語の細部に触れていますので、未読の方はご注意ください」と断り書きを入れる、今では一般化した手法が真田氏の発明であることや「多重解決」という語も真田氏の造語であることも明らかにされている。新たに読んだものの中では、「ベントリー『トレント最後の事件』を論ず」「クロフツ『ポンスン事件』を論ず」(いずれも塚田よしと氏との往復書簡) が、精緻に読み込まれていて(後者は、人生談義めいた話も含め) 大変面白かった。

■飯城勇三『名探偵ガイド』(星海社e-SHINSHO))■


 飯城勇三『名探偵ガイド』は、海外50名+国内100名の名探偵を解説したガイド。キャラではなく“推理”と“事件の関わり”を重視して探偵をセレクトしたのが特徴になっている。ゆえに本格物の探偵が多いが、変わり種ではキャプテン・フューチャー、コミックやドラマの探偵も採られている。
 通り一遍のガイドではなく、それぞれの項目で、簡潔ながら大変ユニークな探偵論が展開されている。「隅の老人」「ファイロ・ヴァンス」のフェアプレイ性の議論は面白いし、「ドルリー・レーン」の項で開示される「推理」によって操る探偵像は確かにヤバい。『Xの悲劇』はそんな危険なミステリだったのか。一方、ギデオン・フェル博士を「作者の共犯者」とするのは、決めつけすぎではないか、という気もする。とまあ、様々に反応したくなるのも、著者の論考のユニークネスによるものだろう。
 なお、本書は今年出た『本格ミステリの構造解析』(南雲堂) の第三部――推理に関する論――と各論、総論の関係になっているという。国内作品への言及が多いようで、また積読になっているのだが、いずれ併せて読んでみたい。
 それにしても、国内物の後半の探偵はすっかり馴染みが薄くなってしまったと詠嘆。

■レックス・スタウト『シャンパンは死の香り』(論創社)■


 さきの『名探偵ガイド』では、ネロ・ウルフの探偵としての有能さは、手がかりに基づく推理ではなく、その手がかりを得る技量にあるといっているが、これはなるほどの指摘。
 『シャンパンは死の香り』(1958) は、〈ネロ・ウルフ〉シリーズ第21作目の長編。この作家には、珍しい不可能犯罪物だ。

 未婚の母たちを支援するパーティに友人の代役として、心ならずも参加したのは、ウルフの助手アーチー・グッドウィン。ゲストの娘がシアン化化合物の瓶を持ち歩いていることを知らされたアーチーは、彼女の動向を注視していたが、シャンパンを飲んだ彼女が絶命するところを目撃する。警察は、自殺事件として処理しようとするが、彼女がその場で毒を入れたものではないことをアーチーは証言する。シャンパンを運んだ男も途中で毒を入れることは不可能であり、カウンターに置いてあったグラスに毒が入れてあったとしても確実に彼女に届くようにすることは不可能だった……
 パーティの背景設定も面白い。パーティの主宰者である夫人の死んだ夫は慈善家で、未婚の母たちのための施設をつくった。施設を退所してからも援助は続き、関係維持のために、年に一回自宅で四人の未婚の母たちを招き、お相手として四人の若い男性を招待する。アーチーは、そのお相手の四人の男性の一人として参加したわけだ。当然四人の男性は将来の結婚相手として期待されることになるから、ウルフは「茶番だな」「男の値打ちを下げることになる」とアーチーの参加に反対するところは、シリーズファンの最初の萌えポイントだろうか。
 当初は依頼人がない事件だったが、運よく秘密を抱えた参加者が現れ、真犯人探しをウルフに依頼することになる。
 この後は、アーチーやソール・パンザーらの足をつかった捜査 (施設での未婚の母たちとアーチーのやりとりは愉快)、クレイマー警視のウルフ邸への乱入、ウルフ邸での関係者の聴取、ウルフとアーチーの反目といったおなじみの展開になるが、丁々発止の会話のやりとりは安定の面白さ。
 終幕は、ウルフ邸での大人数による事件の再現となる。
 確かに、手がかりというか、犯人逮捕の決め手を得る点では、ウルフは、またしても鮮やかな勝利を遂げている。
 不可能犯罪の謎には、さしたる創意があるわけではないが、ハウダニットの謎が結末への期待を高め、本格ミステリとして一本筋を通している。フーダニットとホワイダニットはかなりの驚きがあり(クレイマー警視も「衝撃です」というくらいだ) 、納得度も高い。それは、軽妙な筆であっても、登場人物たちが実在感をもって描かれ、紙上のリアリティを獲得しているからだろう。
 
■ダナ・モーズリー『夏の窓辺は死の香り』(論創社)■


 ダナ・モーズリーは、米国の台本作者という以外は、ほぼ経歴不詳の作家。残された著書も本書『夏の窓辺は死の香り』(1953) だけのようである。
 舞台は、アメリカ中西部のある街。六月のうだるような暑さにあえぐ街での二日間のできごとを描いたサスペンスだ。
 冒頭では、警官がアパートメントで絞殺死体を発見する。部屋に住んでいるのは、ペティグリー夫妻で、夫人のキャサリンが出張中の夫あてに、48時間前のできごとがきっかけで、ある男に金を強請られていると書き残している。
 そこで時間は、48時間前に巻き戻され、殺人に至った事情が語られていく。
 始まりはごく些細なことだった。キャサリンは21歳、英国出身の若妻で、39度を超える暑さと物憂さから酒を飲んで、下着姿のまま窓辺に立ち、外にいる男に微笑んだ。
 この彼女の姿を見たのは、当の若者だけではなかった。
 主な事件関係者は、六人。
A 外にいた男。軍隊や地域の集団生活になじめず、人との交際の経験がない。現在は、ホテルの使用人として、地下室の焼却炉に住んでいる。
B 夫妻の隣室に住む退役軍人大学生28歳。英語教師の職を得ようとして、大学院進学に必死。
C 階下に住む主婦。アイルランド人。夫とも心が離れ鬱々とした日を送っている。Bに一方通行の思いを寄せている。
D その夫で低賃金の事務員。女性に興味はなく、好きなのは野球のみ。
E 向かいのアパートに住む大学生
F その叔父で詐欺師
 これらの人々がカットバックで描かれ、その心理に分け入っていくところが、小説の読みどころ。それぞれの心理の描き方は細やかで、それぞれの抱える欲求、鬱屈、不満を達者な筆で描いていく。幾分かは読者自身を重ね合わせることのできる彼らは地方都市で暮らす普通の人々だが、「些細なできごと」をきっかけに、それぞれの欲望や嫉妬、金銭的欲求に火が付き、キャサリンは追い詰められていく。結末にひねりはあるものの、殺人というゼロ地点に向かう過程がドキュメンタリーのように迫ってくるところが本書の魅力だ。
 欲をいえば、キャサリンへ迫る危機が複数あってもいずれも直線的であり、A~Fの絡み合いをもとに、もっと複合的なものになってほしかった。
 1950年代は女性作家による心理サスペンスが流行したが、地方都市の普通の人々の欲望や暗部を描き出し、その結果として生じる犯罪と危機にさらされる女性を描いたところに本書の価値がある。
 なお、本書は、1970年にジーン・セバーグ主演によりイタリアで映画化されているという。

■セシル・スコット・フォレスター『悪夢』(株式会社HM出版)■


 電子書籍のみ。海洋冒険小説「ホーンブロワー」シリーズで著名な作家の短編集(1954)。ミステリ関係では、金を詐取した男が追い詰められていく過程を描いて秀逸な犯罪小説『終わりなき負債』(1926) の著作もあるが、本短編集の収録作はすべてナチス政権下のドイツを舞台にしたもの (最終話だけ色合いが違う)。10編中3編は、過去に邦訳はあるものの、短編集全体が紹介されるのは、今回が初めてとなる。狂気に支配され、合法的に犯罪行為が行われていたドイツの極限状態を舞台にしており、心理サスペンスやホラーにカテゴライズされるような作品も多い。実際に起きた事件を書いているわけではないが、現実の資料から着想され、「どれも簡単に起こりえたであろうことばかり」と作者は、序文で述べている。
 一個のショート・ストーリーとしてみても秀作と思われるのを三つ挙げる。
「証拠」 強制収容所の若者が三十人の小隊の一人に選ばれて見知らぬ軍服を着せられる。結末でその目的が明らかになるとき、戦争のリアルに慄然とせざるを得ない。
「板挟み」 友人将校の依頼に不穏を嗅ぎ取った軍事の天才が究極の選択を迫られる。彼の罪とは一体。タイムリミット・サスペンスとしても一級品。
「人質」 行動の責任を家族が負う「人質法」のもとで、一万人の兵を率いた老将軍が下した判断とは。妻の深い愛に満ちた手紙に心揺さぶられる。
 その他、暗殺により権力を手にした男の行く末を描く「バウワー・オブ・ローゼス」、強制収容所に送り込まれた少女が起こした奇跡とは「ミリアムの奇跡」、強制収容所医師の愛する甥が手を染めた忌まわしい人体実験の顛末「恐怖の生理学」、五千人もの男女がいる強制収容所の医師が取りつかれた恐怖「首と足」、難民のあふれる中、任務から離脱し、ダクボートで逃げた親衛隊少尉が味わう凄惨な航海「信じがたいこと」、終戦後の軍事裁判で裁かれる強制収容所長の悟り「神に捧げられるべきもの」いずれも、目をそむけたくなる戦争の狂気の一断面を鮮やかに描き出し、結末まで間然とするところがない。
 「世間では、強制収容所で働く人間を地獄の悪魔だと思っている。悪魔であることに違いはないが、なかには同じように地獄を味わっている悪魔もいるのだ」(「首と足」)と作中人物はいうように、権力者側を一方的に断罪するのではなく、弱みを抱えた一個人として描き出しているところに、普遍性がある。英国の作家が大戦の記憶が消えない時期に書いたことを思えば、冷静な筆致には感服させられる。
 最後の「さまよえる異邦人」の舞台は、戦後のアメリカ。ヒッチハイクの老いた男女の二人連れを乗せた男は、乗せた女の名前が「エヴァ」、男の名前が「アドルフ」と知る。直接「総統」を描いた作品がなかったゆえに、掉尾に必要だったかもしれない短編。ファシズムの亡霊は、いまなお世界を徘徊している、という作者の警鐘でもあるに違いない。

■チッカリング・カーター編『ミカドの謎 ニック・カーターの日本の冒険』(ヒラヤマ探偵文庫)■

(https://seirindousyobou.cart.fc2.com/ca15/1168/p-r15-s/)
(画像をクリックすると〈書肆盛林堂〉の該当ページに飛びます)

 米国のダイム・ノベルを代表する名探偵ニック・カーターは、1886年を初出として、複数の作家によって書き継がれ、1915年には、専門週刊誌が発刊されるまでの人気となったという。英国のセクストン・ブレイクと並ぶ大衆ヒーローだろう。
 しかし、その日本への紹介となると乏しく、戦後は数編の短編を数えるのみ。この度、ヒラヤマ探偵文庫からニック・カーター物が訳され、それも日本を舞台にした連作とあっては驚かざるを得ない。
 本書には、「ミカドの謎」という中編及び「芸者タリカ」の題名でまとめられた中編3編が収録されている。
 「ミカドの謎」は、日本のミカドから依頼を受けたカーター探偵が日本の国難を救うという途方もない物語。カーターの助手役である天一は日本人であり、日本への招へいは、この天一を介して行われる。そして、この天一、ミカドのご落胤であるというのだから、恐れ入る。ミカドはとてもフレンドリーな人物で、カーターの来訪を直接出迎え、完璧な英語を話し、友人同士としておつきあい願いたいと話す。
 依頼内容というのは、日本とロシアの戦争を防いでもらいたいというもの。どうやら、宮殿内にスパイがいて、日本側の情報がロシアに漏洩しているようなのだ。さっそく、秘密文書漏洩の謎を解いたカーターは、得意の変装術や語学力を駆使してスパイたちの背後にいる黒幕に近づいていく。
 本作は、1904年の発表だが、日露戦争のさなかに発表されており、筋は荒唐無稽ながら、国際的な政治情勢を踏まえたものになっている。
 「芸者タリカ」は、1908年発表の連作。カーターは、今度は、米国政府の依頼で、来日する。依頼内容は、対米に関する日本の真意を探ること。満州権益や日系移民排斥問題などを巡って対米強硬派が勢力を得ているという事実に基づくものだろう。日本には二大政党があるが、政党は儀式を行う巨大な秘密組織なようなもので、何ごとも秘密裡に進められるとカーターは国務長官に説明する。
 カーターは、対日強硬派の政党集会に変装して潜り込んで、日米友好の演説をしたり、殺人容疑で逮捕されたり、これまた荒唐無稽の活躍を繰り広げるが、その過程で、絶世の美女芸者タリカと出逢う。タリカは「芸者の女王」で、自宅で客をもてなすなど珍妙な描写がある (昼間に芸者の家に行くには官憲の許可が必要になっている) が、以降は、誘拐されたり、暗殺集団乗り込む帰途の船に同乗したりといった調子で、本編のヒロイン役を務める。カーター探偵に寄せる彼女の一途な思いには、一掬の涙をこぼさずにはおられない。
 ここに全貌を現したニック・カーターの奮闘はもとより、当時の日本観が窺えたり、日本のファンタスティックな描写には筒井康隆「色眼鏡の狂詩曲」、小林信彦「ちはやふる奥の細道」的愉しみがあったりで、幾重にも楽しめる冒険譚だ。

■諏訪部浩一『チャンドラー講義』(講談社)■


『「マルタの鷹」講義』『ノワール文学講義』という画期的論考を上梓してきたアメリカ文学研究者が『チャンドラー講義』という形で、レイモンド・チャンドラー作品総体を論じる、というのは、ある意味必然かもしれない。本書は、フィリップ・マーロウ物の長編はもとりより、詩やエッセイ、パルプ作家時代の短編から映画シナリオまで徹底分析。全12章で、伝記的情報とともにチャンドラーの成長と変化、実存に迫っている。
 第一講「イントロダクション」では、同時代には探偵小説のサブジャンル (ハードボイルド)としか見なされなかったチャンドラーの小説が1980年代以降、「都市小説」という文脈で論じられるようになり、また、「ノワール」の再評価によって、ロサンゼルスという都市を舞台にしたノワール小説の書き手として再定位された経過が示される。そして、チャンドラーは、(いつの間にか)「ただの探偵小説ではなくなっていた。」
 著者は、フィリップ・マーロウという人物のとらえ難さから出発する。マーロウの変化はチャンドラーの変化ないし成長であり、マーロウの「イメージ」がぼやけてしまうところに、チャンドラーの「文学性」を見る。
 デビュー長編『大いなる眠り』において彼は「騎士」であり、同作は「幻滅のドラマ」として収束する。『さよなら、愛しい人』 (『さらば愛しき女よ』) では(事件を解決する)「行動者」ではなく「傍観者」となって人々の孤独/哀しみを見つめるという任務が与えられる。『高い窓』では弱者の味方、『水底の女』(『湖中の女』) では戦争が背景になっているせいか他者に「深くコミットしない」。ハリウッドでシナリオを書いた時期を経て、書かれた第5作『リトル・シスター』 (『かわいい女』) のマーロウは、ハリウッドで出会う人々にほとんどまったく「同情/共感」できない。戦後の階級差が薄れ「弱者」がいなくなった(ということになった) 豊かな社会では、依頼人は不在であり、「弱者の味方」としてのマーロウは必要とされない。第6作『ロング・グッドバイ』では、「探偵」「依頼人」ではなく個人的な形で他者(テリー・レノックス)に関わっていく。そして、最終作『プレイバック』により、「フィリップ・マーロウ」とは本質的に未完のプロジェクトであったと結論する。「「未完」であることは、チャンドラーが探偵小説を「文学」の域に高めようとしたことと不可分の関係にあったのだ」
 まったく雑駁な形で、本書が明らかにする、変遷するマーロウ像を辿ってみたが、マーロウの変化は、チャンドラーが自己の小説世界を継承発展させてきたゆえの変化であることが了解できる。『リアリスティックな探偵小説』を書くことで出発したチャンドラーは、その『ロング・グッドバイ』を『探偵を主人公としたリアリズム小説』へと向かわせたという論旨は、明快で納得のゆくものだ。著者がチャンドラー文学の到達点とする『ロング・グッドバイ』に関しては、二章が割かれ、「友情」や「三者関係」といった観点から登場人物の関係性を豊かに読みとっていく。
 本書の特徴的なアプローチの一つに、「ハードボイルド」の重視ということがある。批評史に従えば「チャンドラー=ハードボイルド」というイメージはほとんど時代錯誤になるらしいが、それですませていいのかという問題意識である。チャンドラー自身がハメットを先人として出発し、探偵小説というジャンルを強く意識しながら執筆していたのだから、「文学」としてチャンドラー作品を読むなら、時代的コンテクストを捨象できるはずがないと著者はいう。『ロング・グッドバイ』において「リアリズム小説」的に読むことを可能にしつつも「ハードボイルド探偵小説」を捨てなかったことを積極的に評価しているし、苦しい道を選び歩み続けたことに、「ハードボイルド作家」の矜持をみる。
 著者は、チャンドラーに、「どこにいても居心地の悪い人間」であったが、「常にベストを尽くして作品を書いてきた小説家」、「シリーズ」に依存せず、「一作ごとに生みの苦しみを味わわねばならなかった」「誠実な「小説家」」像をみてとり、そのキャリア全体を肯定しているのも、特筆すべきだろう。
 また、チャンドラーのハリウッド時代について、まとまった考察があり、『深夜の告白』『青い戦慄』『プレイバック』といったシナリオは、作家の全体像を理解する上で、看過できない作品として評価しているのもチャンドラー論の間口を広げている。 
 巻末には、13頁に及ぶ参考論文等が列挙されている。これだけの先行研究の存在は、自論の展開に当たっては、時に桎梏になったかもしれないが、テクストの森から本書のようなオリジナルな果実が持ち帰えられたことを喜びたい。

ビリー・ワイルダー I・A・L・ダイアモンド『アパートの鍵貸します』(論創社)■


 さて、最後は、レイモンド・チャンドラーの脚本で『深夜の告白』を撮ったこともあるビリー・ワイルダー監督作品の名作『アパートの鍵貸します』のシナリオ本。本作は、1960年アカデミー賞作品賞、監督賞、脚本賞等を受賞した。ビリー・ワイルダーはいわずと知れた米国映画の名匠だが、「映画の80%は脚本である」が信念だった。
 『アパートの鍵貸します』のシナリオは、ワイルダー映画のベストに挙げられることも多い。その脚本の妙を味わうべく、本書には詳細な注釈が入っているが、それらは単なる脚本の注にとどまらない。この映画や監督に関する評価や情報が目いっぱい詰め込まれており、さながら『アパートの鍵貸します』大全の趣がある。巻末には、ワイルダー監督を敬愛する三谷幸喜氏の特別インタビューを併録。
 『アパートの鍵貸します』は、一言でいって、保険会社の社員 (ジャック・レモン) とエレベーターガール (シャーリー・マクレーン) のロマンティック・コメディ、というのは既に語弊あり。監督は、本作は喜劇ではないといっているし、二人を取り巻く状況はロマンティックなものではない 。
 バド (ジャック・レモン) は、アパートの自室を会社の複数の上司の情事用に提供する羽目になっている。そのおかげで、昇進した彼は、フラン (シャーリー・マクレーン)をデートに誘うが、彼女は実は会社の上司の愛人で……。
 大昔にTVで観たときは、会社でのクリスマス乱痴気騒ぎがなぜか強く印象に残ったが、改めて観ると、社員3万人という大会社の非人間性が冒頭の巨大オフィスのシーンから色濃く出ていた。
 シナリオには感嘆することしきりだったが、幾つかのポイントを挙げると――。

【伏線の妙】 部屋に置き忘れたひび割れたコンパクトから上司と愛人の仲が険悪になっていること、フランが上司の愛人であることをバドだけが知る。コンパクトの事前の提示もしっかりされている。結末の逆転に結びつく複数の鍵という伏線が早い段階から提示されている。こうした小道具の使い方のうまさが、やはり小道具使いの天才ヒッチコックの称賛の手紙につながったのかもしれない。
【照応の妙】 誰かの台詞が別の文脈で形を変えて出てくるところが多い。発話者と状況で言葉の意味が変容していくところは、ダイアローグの醍醐味としかいいようがない。
【省略の妙】 上司とフランのいさかいの省略 (ひび割れたコンパクトで代用)、上司が家を出るまでの描写の省略などは語りの緩急、ダイナミズムを感じさせる。
もちろん、それぞれの人物像に応じた会話が生彩に富み、スマートなところは、ソフィスティケーションの精華である。脚本家I・A・L・ダイアモンドとの共同作業というのが大きく寄与しているのだろう。

 注釈には訳者独自の考察も付されており、ルビッチ監督の『街角 桃色の店』(1940) の色濃い影響を分析したところなど大変興味深かった。
 クリスマスや新年のカウントダウンといった風俗も味わい深く描かれており、年末年始にゆっくり映画とともに鑑賞したい名脚本だ。

ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた)
 ミステリ読者。北海道在住。
ツイッターアカウントは @stranglenarita
note: https://note.com/s_narita35/


◆【毎月更新】クラシック・ミステリ玉手箱 バックナンバー◆

◆【毎月更新】書評七福神の今月の一冊【新刊書評】◆

◆【随時更新】訳者自身による新刊紹介◆

◆【毎月更新】金の女子ミス・銀の女子ミス(大矢博子◆)