・Les gens d’en face, Fayard, 1933/9(1932/夏-1933/7執筆)[原題:向かいの人々]
・« Les Annales » 1933/9/1号-10/13号
・(Préface), « Les Annales »初出, Tout Simenon T18他所収, 1933*[序文]
Tout Simenon T18, 2003 Les romans durs 1931-1934 T1, 2012 Romans du monde T1, 2010
The Window over the Way, translated by Robert Baldick, Penguin Books, 1966[英]*
・The Window over the Way, The Window over the Way所収, translated by Geoffrey Sainsbury, Routledge & Kegan Paul, 1951(The Window over the Way/The Gendarme’s Report)[英]【写真】
・Chez Trotsky, « Paris-Soir » 1933/6/16, 17号(全2回)*[トロツキー宅にて]インタビュー記事
・トロツキー「ジョルジュ・シムノンのインタビュー」湯川順夫・西島栄訳、トロツキー・インターネット・アルヒーフ(日本語ページ)、掲載年不明(2000-2002か)*( https://www.marxists.org/nihon/trotsky/1930-1/df-simenon.htm )上記からシムノンの探訪記部分を削除し再編成した抄訳
・「ジョルジュ・シムノンによるインタビュー(一九三三年六月六日)」『トロツキー著作集 1932-33・下』所収、柘植書房、湯川順夫訳pp.146-150、1989 * 上記の旧訳
・Sixième continent, « Témoignages de notre temps » n° 4(1933/12)*[六番目の大陸]エッセイ
・Peuples qui ont faim, « Le Jour » 1934/4/4-15, 17, 19, 21, 23, 25, 27, 29, 5/1, 3, 5, 8(全23回)*[飢える人々]ルポルタージュ
・Mes apprentissages: Reportage 1931-1946, Omnibus, 2001

「えっ! 小麦粉のパンがあるんですか!」
 ふたりのペルシア人、領事とその妻が客間に入ってきたとき、その妻はきれいに盛りつけられたサンドイッチ皿が準備されたテーブルの前で陶然となったのだった。
 アディル・ベイが次のような話を聞いたのはほんの数分前のことだった。
「バトゥミには領事館が三つしかありませんでしょう。あなた方のところと、ペルシア領事館と、私たちのところ。でもペルシア人とはどうもうまく付き合えませんわね」
 そう言ったのはイタリア領事の妻のペンデッリ夫人で、彼女の夫は肘掛け椅子で足を伸ばし、ピンクのフィルターチップで細い手巻き煙草を吸っていた。ふたりの女性は客間の中央で互いに微笑みを湛えて挨拶を交わし、ちょうどそのとき音が響いてきた。それまでは陽光に照らされた町の喧噪しか聞こえなかったが、音は大きくなり、やがて街路の角からファンファーレが弾けた。
 全員はすぐにベランダへ飛び出し、行列を見た。
 
 アディル・ベイだけがこの場では新参者で、まさに彼は今朝バトゥミの港に着いたのだった。トルコ領事館で彼は、まるで総主教代行を務めるかのようなティビリシからやって来た事務官を見つけた。
 この事務官は晩に帰郷してしまうため、彼はアディル・ベイをイタリア領事館の仲間ふたりのところに案内したのだった。
 音楽は途切れることなく音量を増していった。太陽の光で金管楽器が輝いていた。それは陽気な曲ではなかったが、生演奏であることに違いはなく、すべてのものを震わせていた。空気も、家々も、そして町も。
 アディル・ベイはペルシア領事がティビリシから来た事務官と暖炉の側で、ふたりで低い声で話し込み始めたのに気づいた。
 そして彼は行列へと注意を戻し、楽隊が後方に鮮やかな赤色に塗られた棺を従えているのを見た。棺は6名の男たちの肩に支えられていた。
「これは葬儀ですか?」と彼は躊躇いがちに、ペンデッリ夫人に振り返って尋ねた。
 夫人は笑わずに唇を噛んだので、彼はかなり面食らった。
 それはまさしく葬儀で、アディル・ベイが初めてソビエト連邦(U.R.S.S.)で見た葬儀だった。(仏原文/英訳文から瀬名の試訳)

 
 なんと今回の長編『Les gens d’en face[向かいの人々]は、旧ソビエト連邦・ロシアのバトゥミという、黒海を臨む港町が舞台である。現在バトゥミはジョージア(グルジア)領アジャリア自治共和国の首都である。
 シムノンがロシアを舞台に小説を書いていたという事実を、皆様はご存じだっただろうか。たぶんご存じなかったと思う。私も読み始めようと準備していたまさにそのときまで知らなかった。日本ではまったく紹介されていないシムノンの側面である。
 シムノンが本作を書いていた1932-1933年、ヨーロッパ側から見てロシアの状況は大変なことになっていた。シムノンがロシアに関心を持っていたのは一般社会人として自然なことだったと思われる。
(私は高校時代に世界史や地理を選択していなかったので、これらの分野で理解不足の点も多々あると思うが、ご容赦いただきたい。原稿に間違っているところがあればご指摘いただければ幸いである)
 1932年から1933年にかけて、ウクライナで大飢饉が起こったのだ。「ホロドモール」と呼ばれており、スターリン政権下における人為的な大虐殺であったとされている。もともとウクライナは農作物が豊かな土地だったのだが、ソビエト・ロシアは多くの収穫高を強要し、農民を農地に縛りつけて輸出用に小麦を厳しく取り立て、それが現地での食糧不足を招き、人々が餓死して路頭に倒れる事態になった。しかし当時のソ連は飢饉の事実を認めようとしなかった。ウクライナではこれを機に反ソ感情が高まった。
 1932年以降、メグレシリーズで成功を収めたシムノンは世界旅行に出た、と以前に書いた。シムノンはまず1932年5月から夏にかけてイタリア経由でアフリカに行った(本連載第36回参照)。そして翌1933年の冬から春には欧州各地を巡った。ベルギーやドイツ、リトアニア、ポーランド、チェコスロバキア、ルーマニアなど。これらの旅は「Europe 33」[ヨーロッパ33](1933)というルポルタージュなどにまとめられた(未読)。
 さらにシムノンは同年の1933年、いったん自宅に戻ってメグレものの『第1号水門』を書き終えた4月からまた旅に出て、ルーマニアのコンスタンツァ、ウクライナのオデッサ、セバストポリ、ジョージアのバトゥミ、トルコのイスタンブールなど黒海の東欧の港町を見て回ったのである。この黒海の旅が今回の作品とつながっている。これらの世界旅行ルートは展覧会図録『Georges Simenon (1903-1989): De la Vendée aux quatre coins du monde[ジョルジュ・シムノン(1903-1989):ヴァンデ県から世界の隅々へ](Somogy éditions d’art, 2011)に(やや簡略化されつつ)図示されているので、興味のある方はご覧いただきたい。
 後で述べるが、シムノンは旅行中にイスタンブール近くの島でレフ・トロツキーへの単独インタビュー取材にも成功しており、その記事「Chez Trotsky」[トロツキー宅にて](1933)の要約版は日本でも『トロツキー著作集』(柘植書房)に収録されている。シムノンは旅をしながらルポルタージュ作家としての眼差しで、同時代の東欧の国々やロシアの状況を見たのである。
 以上のような事前知識を得て、私は本作を読んだ。
 英訳版のペンギンブックス(1966)の裏表紙に次の紹介文がある。簡潔で訴求力の強い要約だ。

 スターリン政権下では、愛は犯罪となり得る
 アディル・ベイはトルコ領事だった。ソーニャは彼のロシア人秘書だった。ふたりは愛に落ちた。それが彼らの過ちだった……その愛は見張られていたのである。
 恐れ、疑惑、そして残酷さがロシアの石油港を覆う。このシムノンの長編は『一九八四年』に先駆けた谺のように読める。(瀬名の試訳)

 本当にジョージ・オーウェル『一九八四年』(1949)に似ているのかどうかも注意して読んでみた。
 なお物語中にゲーペーウーGuépéou(GPU)、すなわち国家政治局(国家政治保安部)が登場する。これはスターリン政権下の秘密警察で、反革命分子やスパイなどを摘発、弾圧するための組織。本書刊行後の1934年7月より国家保安総局となった。
 
 主人公は、港町のバトゥミに新しく赴任してきたトルコ領事アディル・ベイ32歳。前任者が亡くなったため急に指名を受けてやって来たのである。彼はトルコ領事館の建物に住み込むが、窓の向こうに道を挟んでアパルトマンがあり、そこの住人の生活が見える。
 ちょうど向かいの部屋に住んでいるのは、コリンという名のゲーペーウー(GPU)長官とその妻であるらしい。GPU特有の緑の帽子が見える。彼らは窓を開けて生活し、長官はときおり窓辺で煙草を吸う。こちらの部屋にはカーテンがないので、向こうからもアディル・ベイの姿は丸見えであるはずだ。居心地悪いが、彼らがこちらを監視している様子は特には窺えない。
 トルコ領事館は前任者が亡くなり、雇用人もなぜかティビリシ出身の事務官によって辞めさせられたらしい。その事務官も帰郷してしまったので、あとはアディル・ベイの秘書役を務めるモスクワ出身の黒服の娘・ソーニャ20歳がいるだけだ。
 バトゥミでは外貨が使える店舗が少なく、食糧や日用品はソーニャに外貨を渡して買い出しに行ってもらうことになる。初日に会ったペルシア領事の妻、アマール夫人がふらりとやって来て、窓にカーテンをつけなさいとアドバイスをする。そしてソーニャは向かいに住むGPU長官の妹なのだと教えてくれて、向かいに手を振って見せた。ソーニャもまた向かいの建物に住んでおり、その生活を垣間見ることは可能だった。
 なぜ前任者が亡くなったのか誰も知らないとアマール夫人はいう。それまで持病もなかったのに、ほんの数時間で亡くなったのだそうだ。「気をつけた方がいいわ」と夫人は意味ありげにいった。
 仕事は単調だ。デスクに座って来客の不平を聞く。それを横でソーニャが書き留め、ときにロシア語とトルコ語を通訳する。来訪者たちは皆同じで、バトゥミなら職とパンがあると思ってやって来たのだ。町は中東のあらゆる都市と同じで、店は閉まり、窓は壊れ、腹を空かせたような老女が路頭にいる。「彼女に何の食糧も与えないのか? この現状をどう説明する?」とアディル・ベイはソーニャと外出していたときそうした光景を見て尋ねるが、彼女は「働いている人には充分な食べものがあります。誰にでも職はあります。一部の特殊な人がいるだけです。──夕食はどうなさいますか?」とまともに受け止める様子もない。
 向かいの長官は真夜中でも窓辺で黙って風に当たっている。灯りは点けない。朝になるとすでに夫婦の着替えは終わり、ベッドは整えられている。
 アディル・ベイはどうも次第に体調が悪くなり、ロシア人医師を訪ねる。吐き気がして、眠れないのだ。寝る前に鎮静剤を服用せよといわれたが、薬はモスクワに問い合わせないと入手できないのだった。
 ペルシア領事のアマール夫人は彼のもとに来て、気のある素振りを見せる。朝、アマール夫人は秘書のソーニャと顔を合わせた際、あたかもアディル・ベイは自分のものだというような行動を取ったりする。
 彼はソーニャが薦めたバーに行き、ジョン・フレミングというアメリカ人と知り合う。彼はここに4年も住んでいて、どうやらいろいろと事情通らしい。彼はアマール夫人のことさえ知っていた。
「きみはいま夫人のことをいったが、彼女はGPUに関与しているのか?」
「そういうことを他人にしゃべる人間はいないね。ウェイターはGPUに関わっている。ここの女も皆そうだ。ドアマンも! 使用人も! 質問などするな。荷物が届いて中身が半分になっていても、泥棒に入られても黙っていろ! 夜道で襲われて財布を捕られてもすぐ家に帰れ!」
「事務官がティビリシで捕まったんだそうだ」
「それがどうした?」
「前任者も……」
「飲め! いつか政府が思い出してきみを交替させてくれるさ」
 バーを出るとちょうどそのとき、男が走ってゆくのが見えた。緑帽のGPUが発砲し、その音が街路に谺する。男の影が動かなくなった。GPUは男を引きずってゆく。その光景を目の当たりにして、アディル・ベイは困惑し、孤独感に駆られる。人々はどこへいったんだ? みんな寝ているのか? 領事館に帰って窓の向こうを見ると、まだソーニャが家に戻っていないことがわかる。彼女はどこに行っているのだ? 港町はずっと雨が降り続いている……。

 実をいうと本作『向かいの人々』を読み始めてすぐに連想したのはジョージ・オーウェルではなく、ローラン・トポールのブラックユーモア長編『幻の下宿人』(1964)だった。ロマン・ポランスキー監督・主演(!)により『テナント/恐怖を借りた男』(1976)として割合と忠実に映画化されている。
『幻の下宿人』は、アパルトマンの部屋を借りた男が次第に狂気に陥ってゆく物語だ。前の住人は女性で、ある日突然窓から飛び降り自殺を図り、空き部屋となったのである。なぜ前の住人が自殺を図ったのかわからないが、主人公は部屋を借りて友人らを招いて引越祝いのパーティをやったとき、うるさいと隣人から苦情を受けたのをきっかけに、少しずつ下宿暮らしの息苦しさを感じるようになってゆく。窓の向かい側はアパルトマンの便所で、いつもふと気づくとそこでじっと佇んでいる人影が見える。彼らが何をしているのかもわからない。ひょっとすると前の住人は隣人たちから精神的に追い詰められて発狂したのではないか。主人公はその女性の気持ちを考えようとして、次第に心も絡め取られ、いつしか鬘を買って女装するようになってゆく。
 本作『向かいの人々』は奇妙な設定で、向かいに住むGPUに終始見張られている話なのかと思えばそうではない。GPU長官はいつも窓辺にいるが、決してアディル・ベイに顔を向けているわけではないのである。ペルシア領事の妻が粉をかけてきて、主人公はそれに戸惑い、かえって秘書のソーニャのことが気になり始める。彼女がどこかで一夜外泊したと知ると、不意に彼女への恋心が湧いて、どこへ行っていたのだと翌日彼女に詰問する。やがてソーニャの方も、今度はペルシア領事の妻を牽制するかのように、主人公に対して愛情を示し始める。彼は体調が回復せず、自分は監視者に毒を盛られているのではないかとの想像に至る。もしかすると前任者も同じように毒を盛られて殺されたのではないか。
 主人公のこの考えがたんなる妄想なのか、事実なのか、中盤まで読み進めてもはっきりしない。全体的に徐々に歪んだ情景になってゆくのである。『幻の下宿人』で主人公が心理的に圧迫されてゆく様子とよく似ているのだ。
 つまり物語は終始、アディル・ベイ個人の不快感と孤独感に焦点が当てられており、監視社会の恐怖を描いているという感じがしない。確かに、当時のソビエトやトルコの状況を反映した展開もあることはある。ある朝、トルコ領事館にひとりの男がやって来て、自分はトルコへの国境を山伝いに越える密出国者の世話をしていたと告白する。後日、その男が処刑されたとアディル・ベイはイタリア領事夫妻から聞いて驚く。男の抱えていた重大な秘密がすぐにどこかへ漏れて処刑されるとは思わなかったからだ。イタリア領事が訊く。
「あなたはそのとき彼とふたりきりだったんですか?」「はい、ですが秘書が……」と答えかけたところで夫人が笑い出す。「GPU長官の妹ですよ!」ソーニャが密告したといわんばかりだ。その後アディル・ベイは、自分を監視しているのはソーニャなのではないかという疑念に駆られてゆく。とてもねじれた関係性だ。密かに愛し合う男女を全体主義社会が監視している、という図式ではなく、当の愛人が自分を監視しているかもしれないのである。そして窓の向かいのGPU長官は、こちらに関心があるのかどうかさえ判然としない。
 このねじれがいかにもシムノンらしい。大枠は確かにソビエトの状況を示しているのだが、物語から受ける印象は社会派告発小説ではなく、『アルザスの宿』『仕立て屋の恋』と同じなのである。その後、物語は主人公がソーニャを海外へ連れ出そうとする方向へと展開する。ソビエトからふたりで船で逃れて、トルコで新しい人生を送ろうと主人公は持ちかける。『アルザスの宿』『仕立て屋の恋』の展開と同じだが、さて今回の行方はどうか。ソーニャには出国を許可するパスポートがない。密出国しか手がないのである。
 具体的には書かないが、これまで読んできた作品と比べると結末はやや弱いと私は感じた。
 
 ジョージ・オーウェルは1903年6月25日生まれで、何とシムノンと生年が同じである。最初の『パリ・ロンドン放浪記』の刊行は1933年で、本作『向かいの人々』と同年というのも興味深い。片やシムノンはすでにペンネーム作品を含めて百数十冊を出版していたわけだが、オーウェルはシムノンがそうして書き飛ばしていた1928-1929年、パリで皿洗いのどん底生活を送っていた。そしてシムノンがルポルタージュ記事を精力的に発表するようになった1933年に、オーウェルも自らの体験をもとにしたルポルタージュで書籍デビューを果たしたことになる。
 私は『動物農場』(1945)は開高健訳(ちくま文庫)で読んでいたが、『パリ・ロンドン放浪記』『一九八四年』は今回が初読。『一九八四年』はこれまでマッキントッシュのCMなどで漠然と内容を想像していたに過ぎなかったので、この機会にちゃんと読めたのは幸いだった。
 確かに本作『向かいの人々』には、『一九八四年』と類似している点もある。『一九八四年』は舞台こそ未来の英国であるものの、世界観はスターリン政権下のソビエトがイメージされているわけで、全体主義的な監視社会の息苦しさがそこにはある。主人公の男性が当局側の女性と密かに愛し合うようになり、その行為が見張られている、という展開も、概要だけ取り出せば似ている。ただしオーウェルの作品から受けるような強い象徴的想像力といったようなものは、シムノン作品には見受けられない。シムノン作品はどこまでも個人的な物語である。
 私はオーウェルのルポルタージュ作品をいくつも読んでいるわけではないので、うまくオーウェルとシムノンの比較はできないかもしれないが、それでも少しばかり試みてみる。まずはシムノンの当時のノンフィクション記事を読んで、彼が小説の創作と実際の体験をどのようにリンクさせていたのかを確かめてみることにした。もともとシムノンは新聞記者からキャリアをスタートさせたのだから、記事風の文章はいくらでも書けただろう。
 シムノンのノンフィクション記事を纏めた『わが訓練』をめくると、やはり本作に関連した記事がいくつか見つかる。そのひとつがトロツキーへのインタビュー記事だ。シムノンのスクープである。
 
 1933年6月6日、トルコのイスタンブールから船で1時間のプリンフィズ諸島Prinkipo(Büyükada)にあるトロツキー宅で、シムノンは亡命中のレフ・トロツキーと会って取材した。トロツキー側の要望によりシムノンはあらかじめ文書で質問事項を用意し、トロツキーは文書でそれに回答したが、実際にふたりは会って話もした。シムノンは紺碧海岸やセーヌ河岸を思い出させる穏やかな島の様子や、トロツキー宅の庭で若者がハンモック椅子に座っていたことなど、まるですべてがスローモーションのような光景だったことを記している。
 当時トロツキーが記者のインタビューを受けるのは珍しいことだったらしい。フランス語を話す若い秘書がシムノンにそう伝えている。当時トロツキーは警官に家を警備されてこの島に居を構え、イスタンブールには外科医や歯科医を受診する以外には出向かなかったそうだ。トロツキーはさまざまな言語の書籍が並んでいる部屋でシムノンを迎えた。彼はロシア語で回答を書き、秘書にフランス語で清書させていた。デスクの書類の上には掲載予定紙の《Paris-Soir パリの夜》があった。彼は穏やかな顔つきをしていた。
 その場で話し合ったことは記事にしないと約束を交わした後で、シムノンはトロツキーと話したという。ふたりはヒトラーのことについて語り合った。シムノンが記事に示したのは文書の形式で渡されたトロツキーの回答であるが、一部はふたりの会話形式としても読める。邦訳版ではシムノンの質問は4項目あるが、もともとの原文では3項目にまとめられている。
 邦訳版の後にも原文ではわずかにシムノンの文章は続いている。シムノンは取材の翌日、船でイスタンブールに戻り、その夜は《Régenceリージェンシー》で夕食を摂った。ロシア上流社会の女性がいるところだと教えられた。イスタンブールにはロシアから千人もの移住者がおり、パリやベルリンのように、バラライカやウォッカ、ピロシキと、ロシア文化の郷愁がそこにはあった。
 さて、ここから先の話がシムノンの別のルポルタージュ記事とつながる。「Peuples qui ont faim」[飢える人々](1934)というかなり長尺の(長編一冊に届きそうなほどの)ルポルタージュ連載(全23回)があり、その連載の第7回でイスタンブールの《リージェンシー》に行った夜のことが書かれているのだ。ロシア社会の淑女たちが迎えてくれたと記されていて、まさにトロツキー取材の翌日に当たる。
 そこまでは東欧の内陸部の都市をいくつか回った話がわりと散漫な調子で書かれている。「飢える人々」というタイトルなのに、なかなかそうした話は出てこない。シムノンはドイツのベルリン、ポーランドのワルシャワ、リトアニアのヴィリニュスなどを巡ったとある。これらの部分は別のルポルタージュ連載「ヨーロッパ33」と重複する部分かもしれない。
 シムノンはヒトラーに会ってナチスのパレードに参加したり、ムッソリーニを見たりしたらしい。だがシムノンのルポルタージュ記事は基本的に社会を撃つというより、どれも個人的な見聞録として書かれている。名所を訪れることはあったのかもしれないが、そうしたことはほとんど書かれず、大抵はナイトクラブで女たちから話を聞いたり、あるいはそこで知り合った男性の家に行って家庭の様子を見たり、といったことで筆は費やされる。あくまでも旅人、行きずりのジャーナリストのスタンスなのである。風景もさほど立ち上がってこない。
 オーウェル『パリ・ロンドン放浪記』のいきいきとした臨場感と比べると、ルポルタージュ作家としての資質が明らかに異なっていたのだなと思わせる。これらのルポルタージュをいまシムノンの熱心なファンでもない人が純粋に読んで面白いかというと、正直なところ微妙だ。
 その後、シムノンは妻と共に船の4等室で地中海ギリシャをぐるりと回り、トルコのイスタンブールへと辿り着いたらしい。これがトロツキーにインタビューした1933年6月で、それから黒海側へと渡り、ごく小さなイタリア船に乗船して時計回りに黒海の港町を巡った、ということだろうか。この連載「飢える人々」も、黒海の船旅が始まってようやくそれなりに読めるようになってきて安堵する(:ただし後の研究資料には、黒海旅行でイスタンブールに立ち寄ったのは旅の終盤だったと書かれている。「飢える人々」の記述とは合致しないが、ここではルポルタージュの記述を紹介する)。
 シムノンはロシア入国ビザをあらかじめパリの旅行会社に手配し、現地ガイドも予約していた。食事・ホテル付きのツアーだったわけだが、イスタンブールを発つときには現地の人から「ハムを持っていった方がいい」「外貨ではなくルーブルを買っておいた方がいい」とアドバイスされている。
 ブルガリアとルーマニアに寄港後、シムノンはまずオデッサに着く。緑帽のGPU長官が乗客のパスポートを積み上げ、念入りに検査し始める。それがとても時間が掛かり、シムノンたちはなかなか上陸できない。何かあるとすぐにモスクワへ確認するといわれるのだ。ようやく降船できたのは3日目だった。
 オデッサでは毎日極貧で50人が亡くなり、公道で遺体が集められていると聞いたり、人々はパンを買うためのカードを持っていると知ったり、ルーブルとフランの両替が法外なレートで驚いたりと、シムノンは短い時間ながら旅行ガイドの女性に見張られつつも現地の様子を見聞きしている。シムノンは自分で写真も撮るので、なるべくガイドが薦めるような小綺麗な景色ではなく、現地の生の姿を記録したいと願ったようだ。シムノンの旅行中の写真は後に研究書や展覧会などでも紹介されており、確かに目を惹きつける魅力がある。オムニビュス社のシムノン全集の表紙は、1巻から25巻までどれもシムノン自身が撮影した写真が使われているのだ。シムノンの写真については興味深いのでいずれ改めて紹介したい。
 そしてシムノンたちの船は石油港バトゥミに着く。ここでのガイドは金髪で小柄、モスクワから来た黒服のソーニャという20歳女性だったとあって驚いた。『向かいの人々』のロシア人秘書の設定と同じだ。旅先で知り合った人物をシムノンはあからさまに作品へ流用したのである。
 バトゥミはさまざまな国から5万人の定住者がおり、石油を運ぶパイプが目立つ。海岸は有刺鉄線で立ち入れない場所がある。年間300日は雨が降り、狭い路地の店は閉まっている。ダンスホールではジャズが演奏され、毎夜3時か4時まで店は終わらない。町にはブロンズ製のレーニン像が建っている。
 シムノンは「Sixième continent」[六番目の大陸](1933)という1ページに満たない短いエッセイにもバトゥミのナイトクラブのことを書いている。
 シムノンは赤い棺の葬儀が前方を行くのを見る。「いまはあれが唯一の棺だ、昔はもっとあったんだが……」と教わる。まさに『向かいの人々』の冒頭シーンだ。朝3時にバーを出ると、緑帽の制服のGPUがリボルバーで男を撃ち、町の中心へと運んでゆく現場に出くわす。「死んだのか?」と訊いても周りの者は誰も答えない。死んでゆく老女や乳のない赤子のことをどう思うのかとシムノンはガイドのソーニャに訊くが、「もう戻るには遅すぎます。進むしかないのです」といわれたりする。外国人向けの商店では外貨を受けつけており、そこではなんとか貴金属での取引も通用するとソーニャはいう。実際に銀のさじを持ってくる女の姿をシムノンは見る。路上に5歳くらいの少女が眠っている。
「両親はいないのか?」
「いないのでしょう。死んだか、旅行中か……」
「こういう子はたくさんいるのか」
「どこにでもいます。どこでも寝ます」
 バトゥミには3つの領事館がある。どの領事館も互いをいつも観察している。蓄音機でスペイン語のレコードをかけたら、スパイの疑いでGPU長官がやって来て取り上げてしまった。ここでは誰もスペイン語がわからないのでモスクワに問い合わせがなされた。不眠症の人にロシア人医師がブロム剤(鎮静薬)を出そうとしたが、モスクワから取り寄せなければならなかった……。『向かいの人々』で描かれているバトゥミの描写は、ほとんどすべてが実際にシムノンの見聞きしたことだったことがわかる。シムノンは見知ったことしか書かない作家なのだ。ロシアは入国は易しいが出国が難しい、という事実もまさにシムノン自身が体験したことだった。シムノンがいざ出発となったとき、GPUから「出国には特別な許可が必要だ、あなたのビザは出国手続きができていない」といい渡され、何日も足止めを食ってしまうのである。シムノンは現地のトルコ領事とも知り合いになっていて、「どうでした? やはりいった通りだったでしょう!」との言葉をもらっている。このトルコ領事はバトゥミに赴任して以来、異常に太ってしまったそうで、『向かいの人々』の主人公から受ける外観の印象とは異なるものの、体調を崩したという点では小説と似ている。
 シムノンは『向かいの人々』で、ほとんど現実のバトゥミを描いたのだ。このことは私にとって発見だった。そしてシムノンは現実を描きながら、しかし物語の骨格では普段の自分そのもの、すなわち『アルザスの宿』『仕立て屋の恋』のリフレインをやっている。本作の据わりの悪さはここに原因がある。
 シムノンは旅から戻って、ルポルタージュ連載の最後にソビエトの状況を振り返る。自宅近くの農夫がイラスト入りの新聞を見ながらシムノンに尋ねた。
「あんたはこの国に行ってきたのかい? 立派な建物や大きなダムが建っているそうじゃないか。この牛舎なんてうちの食事部屋よりきれいだ。本当にこの国の人たちは飢えているのかい?」
「ああ、本当だよ」とシムノンはいくらか感傷的に答える。だがフランスもいずれは他人事ではなくなるだろう。
 ロシアでシムノンは「あと10年のうちに誰の助けもいらない国になる! 我々はもっともパワフルな国民になるんだ!」と聞いた。
「でもこいつらは自分たちでバターを食べているのかい?」と農夫が訊く。
 シムノンは回想する。「自分は経済学者でも政治家でもない。今日のヨーロッパをある側面から写真に撮っただけだ、明日のヨーロッパのために」
 そして心の中で農夫に答える。いや、彼らは食べていない! 
 帰国後、新聞にトロツキーがフランスの田舎町で目撃されたとの記事が載った。シムノンはそれを見て、トルコの島で彼と会ったことを思い出す。トロツキーはよりよい世界になるよう準備しているといわなかったか? もし彼がフランスの田舎町で目撃されたなら、それはただそこで生きるためにその場所を選んだのだろう……。
 最後にシムノンは、そうしてヨーロッパやソビエトの状況を回想した後、ではフランスはどうなのか、と自問する。フランスは役目を終えたか? フランスは堕落しているか? 『赤道』連載第36回)で見た、「アフリカは存在しない!」の叫びと似た感覚でルポルタージュは締められているように思える。これがどの国を訪れたとしても最終的にシムノンの胸中に去来する問題意識であり、ある意味では彼の限界であり、いい方を変えればこれが彼のずっと変わらぬテーマだったのだろう、と思える。文明批評をしているようでいて、実際はおのれという個人へと還ってゆくのである。
 
 最後に少し寄り道をしたい。
 オーウェルの『一九八四年』に次の有名な文章がある。

(前略)その本は彼を魅了した。いや、より正確に言えば、彼を安心させた。ある意味では、なんら新しいことを教えられるわけではないのだが、しかしそれも惹きつけられた一因だった。その本は、もしばらばらの思考を自分できちんと秩序立てることができるなら、自分の言いたかったことを言ってくれているのだ。(中略)最上の書物とは、読者のすでに知っていることを教えてくれるものなのだ、と彼は悟った。(後略)(高橋和久訳)

 私は常日頃から思うのだが、世のなかには二種類の読者がいて、それは自分の知らないことを読みたいと願う読者と、自分の知っていることを読みたいと願う読者である。
 海外ミステリーが好きな方は前者が多いのではないかと一見思われるが、人は必ず両面性を持っている。
 近年、「読書の本質とは共感 sympathy である」という考え方が急速に日本に広まり、市民権を得た。これはふしぎなことに21世紀以降の日本に非常に特徴的な傾向のように思われ、必ずしも欧米でそのような動きは見られないようだ。「自分の知らないことを読みたい読者」と「自分の知っていることを読みたい読者」の世間における割合がどの程度なのか、私はいつか誰かがちゃんと科学的に調査してくれないものかと以前から思っている。それがわかれば売り手側はマーケティングが容易になるからである。
 昨今の文庫解説は本来の役目である作品解説よりも「読者との共感の場を形成し、同調コミュニケーションによって自己確認の安心感と満足感を提供させること」の方が重要課題となっているように思われ、この潮流は書き手の心構えにも大きな変化を及ぼしている。いまは物語の実作者にもつねに「自分の知っていることを知りたいと願う読者」との向き合い方が問われている。私は原稿を書きながら、いままで「もっと読者に寄り添ってください」という文芸編集者からのアドバイスを幾度か耳にしてきたことを思い出し、『一九八四年』を想起する。
 シムノンの本作『向かいの人々』は困った小説だ。本来ベルギー生まれのシムノンは、パリを舞台に共感物語を書くフランス語の作家というイメージが日本で広く共有されており、だが本作はそうでありながらロシアが舞台で、その問題意識は私たちからはるかに遠い1933年の政治状況なのである。21世紀の日本に生きる私たちにとって、「自分の知っていることを教えてほしい」という願いを満足させる要素は何ひとつとしてない。オーウェルの『パリ・ロンドン放浪記』はこの現代日本とつながっていると感じられるのに、シムノンの描くロシアは残念ながらそこまでの生命力が感じ取れない。2017年はロシア革命100周年だった? だがそれも過ぎ去り、本作の邦訳刊行の可能性は限りなく低いように思われる。
 物語であってもオーウェルが描き切ったような寓話であれば、人は時代を超えてその瞬間の〝いま〟と重ね合わせながら共感できるだろうが、シムノンは寓話を書く作家ではない。それどころか当時シムノンは、他のどんなロマン・デュール作品よりも同時代の問題意識でもって、舞台を狙い定めて本作を書いたのだろう。しかしおそらくは当時でさえ、本作はロシアの現実とはうまく重なり合わなかった。シムノンは常に異邦人であり、その地に溶け込めない眼の旅人だった。結果として本作はロシアを書いたのではなく、異邦人を書いた小説となった。切実さの基盤が旅人としての眼にあったのではないか。
 同じくルポルタージュをたくさん書いた作家・開高健は『一九八四年』を失敗作だとした上で、それでも読ませる作品だと積極的に評価した。本作『向かいの人々』はどうだろうか。『一九八四年』に先駆けた谺になっているだろうか。ルポルタージュから物語へというベクトルにおいても、オーウェルとシムノンにはやはり作家的資質の大きな違いがあったように私には思える。
 
 今回はシムノンの小説自体よりも周辺のことに多くの文章を費やした。『一九八四年』『動物農場』を読み、長いシムノンのルポルタージュに目を通して、そういう気分だったのだ。ときにはこんなこともある。
 
映像化作品(瀬名は未見)▼
・TVドラマ「The Consul」《Thirteen Against Fate 宿命に抗う13人》シリーズ、ジョン・ゴリーJohn Gorrie監督、Jonathan Burn、ミッシェル・ドートリスMichele Dotrice出演、1966[英][領事]
・TV映画『Los de enfrente(Els de davant)』Jesús Garay監督、ファンホ・プイグコルベJuanjo Puigcorbé、エステル・スコーニックEstelle Skornik出演、1993?1995?[スペイン]
http://www.filimadami.com/film/53210/quotcycle-simenonquot-les-gens-den-face/
・TVドラマ 同名 《Cycle Simenon》シリーズ、1993?1995? 詳細不明、上記と同一作品か【註1】
 
【註1】
《Cycle Simenon》[サイクル・シムノン]の詳細は不明。1995年9月から10月の5回にわたりフランスで放映されたシムノン原作ロマン・デュール作品のTVシリーズと思われるが、1995年以前に制作されたものもあるようだ。もともとはスペインの単発TV映画の連作かもしれない。異郷ものの物語が多い。
http://www.imdb.com/title/tt3782882/episodes?season=-1&ref_=tt_eps_sn_-1
・Le train de Vienne (Le train de Venise)
・Le mouchoir de Joseph (Chez Krull)
・Le crime de monsieur Stil (Un crime au Gabon)
・Les gens d’en face
・Le passager clandestin
 
 そのうちの一編『El pasajero clandestino(Le passager clandestin)』の予告編はこちらで観ることができる。
http://www.bcncatfilmcommission.com/ca/films/cycle-simenon-le-passager-clandestin
 Claude Gauteur『D’après Simenon: Simenon & le cinéma[原作シムノン:シムノンと映画](Omnibus, 2001)ならびに同著者の同人研究書『D’après Simenon, du cinéma à la télévision[原作シムノン、映画からTVまで](Les Amis de Georges Simenon, 2012)の記述に拠れば、《Simenon des Tropiques》[熱帯のシムノン]シリーズとして1992-1997年に次の作品群の放送があったという。一部は作品が重複しているが、こちらも詳細は不明。
・Les gens d’en face, Jesús Garay監督 上記と同一作品
・Le Blanc à lunettes, Édouard Niermans監督
・Le passager clandestin, Agusti Villaronga監督 上記と同一作品
・Le crime de monsieur Stil, Claire Devers監督 (Un crime au Gabon) 上記と同一作品
・Les Clients d’Avernos, Philippe Venault監督
・Long cours, Alain Tasma監督
・Le Policier de Tanger, Stephen Whittaker監督 (Le Policier d’Istambul) 百万長者と老刑事
・Coup de lune, Éduardo Mignona監督 赤道(連載第36回参照)

瀬名 秀明(せな ひであき)
 1968年静岡県生まれ。1995年に『パラサイト・イヴ』で日本ホラー小説大賞受賞。著書に『月と太陽』『新生』等多数。




















 










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