日本では、中国の監視社会化がますます深刻になっていると報道されているそうです。
 
 深センでは人々に交通ルールを遵守させるために、信号無視の歩行者をビデオで撮影し、その顔をモニターに映すという措置を取ったそうです。北京でも同様の措置が行われていたそうですが、北京の酷い交通事情を知っている身としては、この程度で渋滞等が減少するのであればどんどんやればいいと思います。
 警察官が使用を開始した顔認証メガネ(スマートグラス)は、それで対象者の顔をスキャンすると犯罪者データベースと照合し、犯罪容疑者の特定を進めるというものです。
 中国全土を覆っている顔認証システムは屋外のみならず屋内にも目を光らせており、この前は江南省の数万人が集まるコンサート会場でたった一人の犯罪容疑者がカメラに映り、現場で逮捕されたそうです。システムは他にもホテルのカメラにも繋がっており、宿泊客の顔写真や個人情報がデータベースに収集されます。
 
 今年5月に配車サービス「滴滴」を使用して車を呼んだ女性がドライバーに殺される事件がありましたが、監視カメラにはその女性がホテルで車を呼んだ姿、車が死体発見現場を通った様子、そして容疑者が車を停めて川に身を投げる姿まで映っていたようです。
 
 監視カメラの普及によって安全が強化されるとともに人権軽視が問題になってきますが、このようなハイテク社会を背景にして果たしてミステリ小説が書けるのかということが気になります。警察の手が及ばない場所で行われる犯罪や、犯人が全く証拠を残さない完全犯罪ならともかく、現代中国の都市部で起きる犯罪を書くとなると監視カメラの存在を無視するわけにはいきません。
 
 そのような疑問を抱く私に対して、これまで一貫して監視カメラを重視した作品を書いてきた中国人ミステリ小説家の紫金陳が新作『追跡師』(2018年)を披露してくれました。
 

 2016年、中国の杭州でG20サミットが開かれる半年前に市の防犯システムの根幹を揺るがす強盗事件が多発していた。犯人は高級マンションで今まで4回も強盗を働いているのに、付近の監視カメラに犯人の使用車両が全く映っておらず、今のところほとんど手掛かりがないと言うのだ。
公安も採用している防犯システムの会社に勤め、公安情報センターに出入りしている夏明は警察の捜査チーム隊長の林奇の依頼を受けて捜査に協力するが、調査を進めると犯人たちが監視カメラに映っていないのは運ではなく、監視カメラの場所を知っているからだという事実に気付く。それは警察または監視カメラシステム会社の内部に犯人がいることを意味していた。そして夏明は何としてでも犯人を見つけようとする林奇らからの命を受けて、半ば脅される形で非合法な捜査を進めることになる。

 紫金陳はこれまで「監視カメラを捜査すれば自ずと犯人が見つかる」という捜査をする敏腕刑事と、「監視カメラの網をいかに掻い潜るか」に知恵を絞る知能犯の攻防を描き続けてきました。
『設局』(2014年)では路上で殺害された公安局副局長を犯人が待ち伏せたのかを、『高智商犯罪之死神代言人』(2013年)では6人もの公務員を殺害した犯人の車両が一体どうやって高速道路から下りたのかを、昨年ドラマ化された『無証之罪』(2014年)ではまるで見つけてくれといわんばかりに現場に大量の証拠を残すのに全く姿を見せない犯人を、それぞれ監視カメラの映像を確認することに特にページを割いています。
 
 本作『追跡師』では、監視カメラの分布位置や機能に精通する犯人が本当の目的を隠したまま部下に命じて次々に犯行を起こさせ警察を混乱させる様子と、警察に協力を強要された夏明が犯人の立場になって監視カメラの死角や抜け穴を見つけて真犯人の正体や目的を突き止める様子を通じて、最新の中国監視カメラ事情を理解できます。本書に書かれていることが全て事実であれば、の話ですが。
 
 紫金陳の本では犯人のみならず警察側の人間も一筋縄ではいかない個性を持っています。本書でも中盤から夏明が物語を散々に引っ掻き回します。そもそも、何故彼が警察に協力を強要されているかと言えば、公安の情報センターに自由に出入りしている立場を利用して、公安のネットワークを使って元恋人の動向をチェックするという犯罪行為をやらかしていたことを林奇に見られたからです。そこで林奇が、黙っている代わりに夏明の責任で非合法捜査をやれと持ちかけるわけですが、この辺りは監視社会の弊害を描いているようにも見えます。
 夏明の次なるやらかしは警察すらも手玉に取る犯罪で、この内容の邪悪さから言えば犯人より夏明の方がよっぽど酷く見えるわけですが、このように警察側にいるからといって正義ではない人物が登場するのも紫金陳の作品の魅力です。
 
 しかし、不満点も多々あります。紫金陳の作品は大抵犯人が復讐(故人)のために難易度の高い殺人に挑戦し、知力を尽くして警察の捜査の手を逃れるかを考えるわけですが、本作の真犯人は私欲のために罪を犯しているだけで、G20が控えているからと言って特に大きな犯罪を計画しているわけではなく、それが一種のミスリードになっているとは言え、監視社会の最前線を書いた作品としてはスケールがだいぶダウンしています。
 一番の不満点は真犯人が内部犯だと言うことです。これまでの犯人が事前調査や実験などで監視カメラをいかに避けるかに時間や努力を払ったのと比べて、内部事情に精通しているという恵まれた環境のおかげで犯行が可能だったというのは、紫金陳らしくありませんでした。
 何よりもこれが、現代中国の監視カメラを誤魔化すのはいくら頭が良くても素人ではもはや不可能で、内部犯しかできないという証明になるのではないかと心配になりました。本書が中国の監視社会を舞台にした作品のデッドロックになるのか、それとも紫金陳が監視カメラを掻い潜る更なる方法を見つけるのか、中国の監視社会の進展と共に注目を続ける必要があります。
 
 一番怖いのは、監視カメラの詳しい事情を書きすぎて出版できなくなるということですね。中国が監視に本腰を入れれば入れるほど、実は書きづらくなるテーマなのかもしれませんので、例えスマートグラスの回避方法とかを書いていなくても、本書のように一般人には到底不可能な犯罪を書くことが抜け道になるのかもしれません。逆に、中国の監視システムがどれほど素晴らしいのか、それを称える内容だとまだ出版の芽があるでしょうが、それは多分紫金陳が望む本でもないし、読者が読みたいという本でもないので、その辺りのバランスは本当に難しいです。
 とは言え、今後ますます監視社会化していく中国で作品を書く上では、どうしてもその現実に直面しなければならなくなります。いっそ、そのような現実的な設定を捨てて、舞台を監視カメラなどない陸の孤島や雪の山荘にして本格ミステリを書く作家が増えるという展開になったら面白いのですが。

阿井幸作(あい こうさく)
 中国ミステリ愛好家。北京在住。現地のミステリーを購読・研究し、日本へ紹介していく。

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現代華文推理系列 第三集●
(藍霄「自殺する死体」、陳嘉振「血染めの傀儡」、江成「飄血祝融」の合本版)

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(冷言「風に吹かれた死体」、鶏丁「憎悪の鎚」、江離「愚者たちの盛宴」、陳浩基「見えないX」の合本版)

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