お暑うございます。みなさま、ご無事でしょうか。
 今年の夏は平成最後の夏なんですね。だから通常より暑さましましというわけでもないだろうけど、なんなんでしょう、この暑さ。極寒の地が舞台の本ばかり読んで涼むという手もあるけど、行き当たりばったりに読んでいるのでそうもいかず。
 でも、七月に読んだ本の舞台は、大西洋上、月面、オーストラリア、旧東ドイツ、アメリカ。夏休みの旅行でも、豪華客船の旅なんてなかなか行けないし、月面都市や冷戦時代の東ドイツには行きたくても絶対行けないから、読書はほんとうにありがたい!
 というわけで、七月の読書日記です。

 

■7月×日
 当サイトの特別企画、『遭難信号』×『乗客ナンバー23の消失』の交換書評が記憶に新しい豪華客船クルーズ、わたしも便乗させていただこうと思います。今月はとりあえずセバスチャン・フィツェックの『乗客ナンバー23の消失』を。全然関係ないと思うけど、ピンチョンの『競売ナンバー49の叫び』を思わせるタイトルだ。よく見ると〝ナンバー〟しか同じじゃないけど。

 フィツェックというと、『アイ・コレクター』がとにかく怖くて、でも読むのをやめられなくて、一気読みした覚えが。今回はサイコ・スリラーではないということだけど、帯の惹句どおり、「一件落着と思った直後から始まる驚愕の真実のつるべ打ちに圧倒される」ミステリーです。これはおもしろくないわけがない。

 ベルリンの囮捜査官マルティン・シュヴァルツは、妻が息子を道連れにして自殺したあと生きる意味を見失い、自分を痛めつけるように率先して危険な潜入捜査のチームに加わっていたが、息子のテディベアが見つかったとの知らせを受け、五年まえに妻子が姿を消した大西洋横断客船〈海のスルタン〉号に乗りこむ。テディベアを持っていたのは、二カ月前に船上で行方不明になり、その後突然姿を現した少女だった。五年まえに死んだ息子のテディベアがなぜここに? マルティンは妻子をめぐる謎を解きたい一心で少女に接触するが、少女は虐待を受けていたらしく、なかなか心を開いてくれない。

 船内のどこかに監禁されている女、メイドを拷問する船員、母親のまえから姿を消した少女、航海中に乗客が消えつづけていると訴える富豪の老婦人。〈海のスルタン〉内でいったい何が起きているのか?

 船長、船医、船員、メイド、乗客たち。マルティンでさえ妻子を失った心痛のためあやうい精神状態で、だれもがあやしく、信用できない登場人物ばかり。閉鎖的空間で短時間に連続して事件が起こる緊迫感は半端ない。はっきり言って、のんびり船旅を楽しむ余裕はほとんどありません。

 テンポの速い展開と多視点による描写はいかにも映画的だけど、ひとまず事件が解決したあとたてつづけに明かされる「驚愕の真実」には思わず絶句。覚悟していたにもかかわらず、予想の斜め上を行く展開でした。これはたしかにすごいわ。

 というわけで、『遭難信号』のほうはまた月をあらためて(たぶん)。

 

■7月×日
 デビュー作『火星の人』が大ヒットし、映画化もされたアンディ・ウィアーの第二長編『アルテミス』の舞台は月面都市「アルテミス」。スーパーポジティブなヒロイン、ジャズの無謀な挑戦にハラハラしながらの無重力読書体験を楽しめます。

 ジャズことジャスミン・バシャラは美人でナイスボディ、頭もめちゃくちゃいいのに、なぜかビッチでガラッパチな二十六歳。サウジアラビア国民だが六歳で月に移住したので自称アルテミス人。ポーター(運び屋)の仕事をしながらひたすら貯金する、生きのいい佐川女子だ。わたしのイメージは「トゥームレイダー」のアンジェリーナ・ジョリーかな。

 ある日ジャズはある人物にたのまれて破壊工作に手を貸すことになるが、作戦は思い通りにいかず、とんでもない事態に。その過程でアルテミスの人々の生存を左右するさまざまな事実が明らかになり、ジャズは自身と仲間たちとアルテミスの生存をかけて、無謀とも思える戦いに挑む。まさに「ミッション・インポッシブル」。個性的な仲間がジャズに手を貸そうと集まり、チームプレーを見せつけるところは「オーシャンズ11」チックでもある。

 破天荒なストーリーももちろんだけど、月面都市アルテミスでの日常生活の描かれ方がすごく魅力的。ハンガリー人は金属加工、ベトナム人は生命維持、サウジ人は溶接というように、民族によって従事する産業が(なんとなく)決まっていたりするのもよくできてるなあと思うし、地球からやってきた観光客が楽しむ様子もすごくリアル(窓に激突して跳ね返る子供とか)。重力が地球の六分の一なので足の不自由な人も楽に歩けて、関節炎持ちの老人などにもやさしいとか、軽くジャンプするだけでものすごく高く飛べるとか、その代わり足跡はいつまでも残るので追跡されやすいといった、月面生活あるあるもおもしろい。ジャズは地球に送還されたら重力症で死ぬのではと恐れるくらい、この無重力の月面生活になじんでいる。慣れればいいものなのね。地球人としては空気がないのは恐怖だし、主食の「ガンク」はまずそうだけど。

 そしてなんといってもジャズの語り口がいいのよ。「どっひゃー」とか「どうよ」とか、今時女子風の口調がなんともジャズにぴったりで、ノリツッコミも交えながらときおり「ですます」調になるのがどことなくブログ風で、なんとも言えないグルーヴ感。ちょっと抵抗を感じる人もいるかもしれないけど、このノリ、わたしは好きです。ていうか、この口調だけでもうジャズにメロメロです。

 ケニアの財務大臣時代にゼロから宇宙産業を立ち上げ、ケニアをグローバル宇宙産業の中心地に変えたアルテミスの統治官フィデリス・グギとか、 溶解炉を設計し、サンチェス・アルミニウム精錬所を創業したロレッタ・サンチェス(生命維持センターに酸素を供給)とか、女性が重要な役割をになっているのもなんだかうれしい。
 SF脳を搭載していないわたしでも最高に楽しめました。『火星の人』同様、本書も映画化が決まっているそうで、楽しみ。

 

■7月×日
 夫の荷物から「死後開封のこと」と書かれた自分宛ての手紙を見つけてしまったら、自分ならどうするだろう? もちろん夫はまだ死んでいないとしてだ。中身を見るにしても見ないにしても、手紙を発見するまえの状態にはもう決して戻れないのではないか。リアーン・モリアーティの『死後開封のこと』は、ひとりの妻がそんなに苦境に立たされるところからはじまる。

 ドラマ化もされた『ささやかで大きな嘘』は、第八回翻訳ミステリー大賞の予備投票で一位に入れたほど大好きな作品だったので、本書はまさに待ってましたという感じ。ちなみに、ノンシリーズなので、どちらを先に読んでも問題ありません。『ささやか〜』は幼稚園ママ同士の人間関係が鍵だったが、今回はシドニーにある私立小学校を中心に、児童、教員、職員、保護者とその家族がそれぞれに抱える秘密が、思わぬ事態を引き起こす。

 夫の字で「死後開封のこと」と書かれた封筒を見つけてしまう、PTAの女王にしてやり手のタッパーウェア販売員で、家事も完璧にこなす三児の母セシリア。夫と従妹が愛し合っていると知り、衝動的に六歳の息子を連れてメルボルンからシドニーの実家に帰ってきたものの、自分も元彼とできてしまうテス。三十年近くまえに十七歳だった娘のジェイニーを殺されたことから立ち直れず、孫を溺愛して息子の嫁を目の敵にする老婦人レイチェル。三人の女性の視点で描かれる物語は、やがて不穏な結びつきを見せはじめる。

 親の介護、嫁姑問題、子供のいじめ。家族の悩みはどこの国でも変わらないのね。もともとちょっとした問題を抱えていた三人の女性は、運命のいたずらでさらにとんでもない窮地に立たされる。そんなとき、何を優先すればいいのか。自分の心の平安か、子供の幸せか。

 ミステリーというよりは家族小説に近い。プロットにそれほどひねりはないものの、だれにでも起こりうることだからこそよけいにヘビー。自分だったらどうするだろう、とシミュレーションしながら読むと、ぞっとしたりハラハラしたり、とても冷静ではいられないので、なるべく自分に置き換えないようにして読んだ。でもやっぱり考えてしまう。自分だったら……と。

 読み終えたあとで、冒頭の一文「すべては、ベルリンの壁のせいだ」に戻ると、うわあ、たしかにそうだわ、と思う。まさかベルリンの壁がこんなふうに関わってくるとは。

『ささやか〜』が明るめ系だとすると、本書は内省系とのことだが、こっちのモリアーティもいいぞ。

 

■7月×日
『影の子』は一九七〇年代半ばのドイツ民主共和國(東ドイツ)を舞台にした警察小説だが、著者のデイヴィッド・ヤングはイギリス人で、なんとシティ大学ロンドン(首都大学東京みたい)のミステリ小説創作科の修士号獲得のために書かれた作品だとか。冷戦時代のドイツについてはあまり知らなかったのでとても興味深かった。英国推理作家協会賞も受賞しています。

 一九七五年二月、反ファシスト防護壁(ベルリンの壁のこと、東ではこう呼んでたんですね)に近い東ベルリンの墓地の一角で、無残に顔をつぶされた少女の死体が発見された。現場に急行した刑事警察の殺人捜査班班長であるカーリン・ミュラー中尉は、国家保安省(シュタージ)のイェーガー中佐から、「東へ逃げ込もうとしたところを西から射殺された」という表向きの筋書きを言いわたされ、それを裏付ける証拠を見つけろ、矛盾する証拠が出たら他言無用だと指示される。

 人民警察とか刑事警察とかシュタージとか、最初はちょっと混乱するけど、読んでいるうちに東ドイツの犯罪捜査や警察のしくみが(なんとなく)わかってくるので大丈夫。そこに東ドイツのリューゲン島にあるプローラ・オスト青少年労働施設に収容されている少女イルマの視点が加わり、謎の解明のヒントが提示されていく。

 いろいろと過去がありそうなカーリン。女性刑事としての苦労や、教師の夫ゴットフリートとの不仲など、そうでなくてもしんどそうなのに、さらなる闇を抱えていそうなたたずまいがイイ。思わず応援したくなります。きっと男が放っておかない感じの魅力的な女性なのだろうな、と想像。東ドイツに忠誠を誓っているけど果たしてその本心は……シリーズ次回作が気になります。

 それにしてもイルマすごいわ。まだ十五〜十六歳なのに、その行動力とメンタルの強さは目をみはるばかり。子供っぽさをしたたかに利用しながらうまく世の中をわたっていけそう。でもエピローグはびっくりというより、やっぱりという感じかな。

「書評七福神の五月度のベスト!」の川出氏と同じく、わたしもタイトルは原題カタカナ表記のほうがいいなと思ったクチだけど、〝影の子〟も闇を感じさるタイトルで捨てがたい。

 

■7月×日
 これも「書評七福神の五月度ベスト!」で霜月氏が推してるのを読み、たぶん好きなやつだ、と思ってポチりました。話題のアクションスリラー『インターンズ・ハンドブック』。予想どおりめっちゃおもしろかった。ブロックの殺し屋ケラーとか、伊坂幸太郎の殺し屋シリーズみたいなオフビートな殺し屋ものが好きな人、タランティーノが好きな人はお勧めです。

 重役たちにとって透明人間であるインターン。主人公のジョン・ラーゴは、そんなインターンとして大企業に派遣され、ターゲットの命を奪う殺し屋だ。もうすぐ二十五歳になるジョンは、早くも定年を迎えようとしている。十二歳でこの世界にはいり、最強の殺し屋となったジョンだが、二十五歳以上のインターンは目立ってしまうから引退しなければならないのだ。本書はそのジョン・ラーゴが、自身の最後の仕事を例にとって、後輩たちにインターン/ヒットマンの心得を伝授するハンドブックという体裁をとっている。

 まず教則本(という名の自分語り)になっているのが楽しいし、アクションありユーモアあり、嵐のような恋に出生の秘密にコンゲーム、ときにはニンジャのコスプレで屋根を伝って侵入したりとサービス満点。すごいことをあっさりやってのけるジョンがスーパーマンに見えてくる。冷徹なキャラかと思いきや、思わぬところでヒューマンな一面をのぞかせるところもイケてます。ガンガン殺すし、残酷なシーンも多いのに、不思議な爽快感があるのは、人をおちょくったようなライト語り口のせいだろうか。

 ヒットマンの心得を伝授する合間に、ジョンの過去の仕事がいくつも紹介されるのだが、そのエピソードがそれぞれぶっとんでいて、とくに、曾々祖父は天皇に仕えた忍者だという日本人ビジネスマン「雷電三十郎」(この設定もすごい)がターゲットの案件などは、それだけで一本の映画が撮れそうな内容でおののく。ジョンが孤児として育ち、殺人者になったいきさつも、とんでもなくヘビーなのにさらっと語られていて、ウェットにならないところがかっこいい。

 これでもかというぐらいぐちゃぐちゃな展開になりながら、あっさり二作目も出てるのが超びっくり。これはもう、読まずにいられません。

 ジョンは映画フリークで、通好みなものからメジャーどころまで、映画タイトルがゴマンと出てくる。ときには会話まで映画のパクリだったりして……それもそのはず、クーンはアメリカン・フィルム・インスティチュート出身で、二十年間ハリウッドで映画制作にかかわっていたそうな。これは映画化しないとマズいでしょ。

 

■7月×日
 もう一冊おまけ。ミステリじゃないけど、フレドリック・バックマンの『おばあちゃんのごめんねリスト』は、かわいくていとしくて、ぎゅっと抱きしめたくなる本。『幸せなひとりぼっち』を読んでファンになった人はもうとっくに読んでると思うけど、そうじゃない人も絶対読んで! おばあちゃん子だった人も、そうでない人もね。でも電車のなかで読むのは厳禁。くすっと笑いながら読んでいるうちにいつしか号泣ということになりかねない、号泣ポイントが地雷のように無数に埋まっています。わたしは、子供を亡くしたお母さんのひざの上でなんとか症候群の男の子(よその子です)が眠ってしまい、「さしつかえなければ……もう少しこのまま……抱っこさせて……」と小さな声で言うところがもう……(涙)数年ぶりに声をあげて泣いてしまった箇所もあるけど、それは秘密。

 おばあちゃんの存在と影響力は、おばあちゃんが死んだあともとてつもなく大きいけれど、もうすぐ八歳になるエルサは、おばあちゃんがしてくれたおとぎ話の教えをもとに、大人たちとの触れ合いから多くを学び、けなげにもたくましく生きていく。エルサがおばあちゃんの残した手紙を届けることで、「変わり者」と言われたおばあちゃんの真実の姿が見えてくるのがすばらしい。助けた人を責任を持って守る。それを貫いてきたおばあちゃん。孫ができたとたんにフルタイムのおばあちゃんになったおばあちゃん。そんなおばあちゃんの信念や人となりがにじみ出たエピソードが尊い。おばあちゃんはいつだってエルサのスーパーヒーローなのだ。章題の意味を明かされたときなんてもう、胸がいっぱいで……笑って泣いて、感情的にすごく忙しい読書だったけど、最高にすてきな時間でした。

 怖いことも悲しいことも起こるけど、それが人生だし。と、エルサならしかつめらしい顔で言いそう。そして、完璧じゃなくてもいいんだよ、と。うん、そうだよね。めでたしめでたし、となれば上出来だ。

上條ひろみ(かみじょう ひろみ)
英米文学翻訳者。おもな訳書にフルーク〈お菓子探偵ハンナ〉シリーズ、サンズ〈新ハイランド〉シリーズ、バックレイ〈秘密のお料理代行〉シリーズなど。趣味は読書と宝塚観劇。最新訳書はカレン・マキナニーの《ママ探偵の事件簿》シリーズ第一弾『ママ、探偵はじめます』。

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