アリンガム『葬儀屋の次の仕事』を読んでいて、久しぶりにフラット・キャラクターという言葉を思い出した。小林信彦『小説世界のロビンソン』で知った言葉で、もともとはE.M.フォースター『小説の諸相』に出てくる用語とのこと。孫引きながら、フラット・キャラクター(平面的人物)は「今ではタイプとか戯画(カリカチュア)とか呼ばれる」。対する言葉はラウンド・キャラクター(立体的人物) 。フラット・キャラクターには、彼らが登場しただけで、すぐ読者にわかる、彼らは状況によって変化しないので不変の存在として読者の心に残る、という利点があるという。「ディケンズの登場人物は殆どすべてがフラットである」とフォースターはいい、小林信彦によれば、漱石は『吾輩は猫である』『坊ちゃん』でフラット・キャラクターを駆使しているという。ミステリでいえば、ポアロやHM卿などはフラット・キャラクターの最たるものだろう。
 

■マージェリー・アリンガム『葬儀屋の次の仕事』■


 アリンガム『葬儀屋の次の仕事』(1949)は、こうしたフラット・キャラクター大集合の趣がある。本書は、10年以上前から版元の予告が出たり消えたりしていた曰くつきの作品であり、アリンガムの代表作の一つとして邦訳が待たれていた作品。
事件の舞台は、ロンドンのこぢんまりとした一角、エプロン街。街区のはずれには今は没落し家屋も手放した名家パリノード家の一家が今は下宿人として住んでいたが、その家族の間で怪死が連続する。
 家族は奇人・変人揃い。普通の会話で英詩の引用癖が止まらない女、クロスワードパズルのヒントの要領でしゃべる男、地下室で新食材を研究している女、窓から出入りする若い娘…。元舞台芸人で下宿を切り盛りしている溌剌としたルネをはじめ、その周辺に住む葬儀屋、銀行の支配人、薬屋、医師、捜査官にも個性的な面々が揃う。生き生きとした比喩や卓抜なユーモアがこの物語に特別の活気を与えている。
 この奇人連中の事件に挑むのが、個性は個性がないことというアルバート・キャンピオンとその従僕ラグ。怪死事件に加えて、様々な事実が脈絡なく現れ、その裏では不穏な事態が進行しているらしいが、それが何かは判然しない。実は脈絡なく立ち現れる事実の中に、奇人揃いの事件にふわしい奇想天外なたくらみが仕込まれているのだ。
 この作品に関しては、アガサ・クリスティーの評語がしっくりくる。

「全体的には信じがたい部分があるとしても、ここに描かれたロンドンの一角(略)は、あらゆる要素が内包された、完全なひとつの世界となっている」
「思うに、それこそマージェリー・アリンガムならではの特徴-幻想性と現実感の混在する味わいでしょう」

 浮世離れした小世界の構築というファンタスティックな試みであり、「過去にしがみついたような」エプロン街の倫理や論理は、街区の外の現実とは少し違っている。だからこそ、この小世界には奇人変人たちが生息でき、事件の不可思議な謎も、この世界の倫理や論理を知ることで解決に至る。犯人の動機にも、この小世界の論理と倫理に基づく切実な要求があるのだ。しかし、そのことは作品が現実ばなれした人工的な作品であることを意味しない。フラット・キャラクターたちの描写は、アリンガムの鋭い観察眼や人間性への深い理解に立脚したものであり、風俗は戦後のロンドンの混乱を踏まえたものだ。だから、物語は今そこに生起しているという実感をもって読者にも迫ってくるのである。
 本書を『海外ミステリ名作100選』の一冊に選んだH.R.F.キーティングは、「すばらしく豊饒な味わいに満ちたスープのような作品」としている。
 創元推理文庫の短編集でアリンガムとアルバート・キャンピオンが身近になった今こそ、味読したい秀作。
 

■ジム・トンプスン『殺意』■


 文遊社のジム・トンプスン初訳シリーズの第3弾『殺意』(1957) は、まさにトンプスンらしいノワール/クライム・ノヴェル。先行の『天国の南』『ドクター・マーフィー』が普通小説よりだったこともあり、待ってました、の掛け声をかけたいところ。
 この『殺意』という全12章からなる長編、かなりの異色作である。章ごとに語り手が次々と変わっていき、全体が12人の男女の一人称で成り立っているのである。話者交代自体は、別に珍しい手法ではなく、それこそ19世紀のウィルキー・コリンズ『月長石』でも用いられていた手法ではあるものの、重複なく12人もの語り手を用意したところが実験的とすらいえ、年齢も職業も社会的地位も異なる男女の肉声を書き分けるという作家としての自負も感じさせる。
 舞台は、ニューヨークから電車で数時間のところにある海辺の町マンドゥウォク。人口は1280人(!)、戦前はリゾート地としてそれなりに賑わっていたが、近年はさびれていく一方で、夏場のシーズンに乏しい客がやってくるくらいだ。
 最初の語り手は、町にコテージをもつ弁護士。クライアントでゴシップが生きがいの女ルアン・デヴォアに悩まされている。ルアンは、22歳年下の夫のラルフが自分を殺そうとしていると弁護士に訴える。弁護士は働き者のラルフがルアンを殺す動機など一切ないと諄々と説く。
 章が変わって、語り手は、ルアンの夫ラルフ。
 その一行目が「ルアンを殺すって考えが芽生えたのは、シーズンが始まった日のことだった」で始まるのだから、ゾクゾクとすることこの上ない。
 12人の語り手は、このひなびた町に生きる人々の愛憎と欲望、殺意の芽生えを浮き彫りにしていく。半ばまで誰が殺されるのか、明らかにされないまま語りは続き、そして人々の思惑がある臨界に達した時点で事件は起きる。
 ダンスホールのバンドマスター、黒人の家政婦、郡検事から浮浪者まで多様な登場人物が語り手となるが、中でも、両親に復讐を誓い、町を業火に包むことを夢想するボビー、最後の方で語り手になる冷徹な実業家パヴロフの存在感が際立っている
 関係者たちのひとり語りも、悪意の有無にかかわらず、どこか歪んでおり、共感をもてる人物はいない。歪んだ内面と内面が接触するときに軋轢は起き、理解不能な殲滅(原題 The Kill Off )もまた発生する。
 構成的、実験的語りのせいもあり、代表作『おれの中の殺し屋』(別題『内なる殺人者』)『ポップ1280』ほどの狂熱と密度はなく、事件の「犯人」が明らかにされた後に、「真犯人」が名指されるのも(意外なことは意外だが)付け足し的でバランスを欠く。
 しかし、本書には、ある当時者の見方、考え方の次に、別の当事者の内面が明らかにされていくことで、次々と見る角度が変化し、裏切られていく快感とでもいうような語りのスリルがある。
 多声(ポリフォニック)の語りは、もともとトンプスンの重要な武器である。『おれの中の殺し屋』『ポップ1280』の主人公の人格が分裂したような語り、自己の中に何人もの人間が棲んでいるような語りこそ、読者を震撼させたものではなかったか。
 作中、マグワイアというバンマスの語り手が、自分がバンドのメンバー全員になっている、という夢を見るシーンがある。トランペットもサックスもクラリネットもドラムもピアノもボーカルも全部自分がやっているという夢。あるいは「おれたちは皆変装している」という浮浪者の述懐。あるいは「自分が何者かもわからない」というボビーの告白。
 これらの描写は、語り手は多声であるが、欲望の主体、罪の主体としての人間は一つであり、一つは実は多でもあるというトンプスンの認識を、また、本書の実験的構成の由来もよく示しているのではないだろうか。
 本書の7年後、人口が同じく1280人の田舎町で繰り広げられる殲滅戦は、より徹底した形で『ポップ1280』として描き出されることになる。
 なお、本書を原作とした映画が、1990年に公開されている(日本未公開)。『グリフターズ/詐欺師たち』『アフター・ダーク、マイスイート』も同年公開でトンプスン映画が本国で大ブレイクした年だった。
 

■C.デイリー・キング『間に合わせの埋葬』■


『間に合わせの埋葬』(1940/Bermuda Burial)は、『いい加減な遺骸』(1937/Careless Corpse)『厚かましいアリバイ』(1938/Arrogant Alibi) に続くいわゆるABC三部作(実際の刊行順はCABだが)の完結編。一時は、「幻の」と形容されたキングの長編がこれですべて翻訳されたわけで、感慨深いものがある。
 しかし、この完結作にして、キングの最後の長編は、どう受け止めればいいのか迷う、かなりの問題作であった。なにせ、森英俊氏が解説で「本格ミステリのシリーズ探偵のなかで、作中にこれほどキスをした探偵は前代未聞」と書いているくらいなのだ。
 
 マイケル・ロード警視は、大西洋に浮かぶ英国領バミューダ諸島行きを命じられる。幼児誘拐の予告がされた家族に同行し警護する任務だ。島に到着してしまえば任務は完了、あとは二週間ほど滞在して楽しんでこいという、願ってもない出張だ。
 バミューダ諸島に向かう船の中で、ロードは多くの男女と知り合いになり、旅情も味わうが事件の徴候はみられない。ロードは、島の西端のサマセットに滞在。風光明媚なのどかな島で、休暇とパーティを楽しみ、女性たちと戯れ、笑い、そして恋に落ちる。
 逸楽に溺れる、といってもいいような一週間。本格ミステリらしい道具立てやギミックがふんだんに盛り込まれた従来の作品とは様子が大いに異なり、ロードと人妻イヴのラブアフェアがテーマであるかのような成行きである。美しさと優雅さをあわせもち、どこか謎めいてもいる若い人妻イヴがなかなか魅力的に描かれており、ロードの気持ちは高まり、かき乱される。
 予告された誘拐事件と、殺人が発生するのは物語の半ばも過ぎてから。ロードは、現地の警察本部に協力し、幼児の救出と犯人探しに必死に取り組むことになる。
 怪しげな人物は次々に登場してくるのだが、犯人とする決め手に欠け、主要人物たちは、船でアメリカに向かってしまう。重大な手がかりを得たロードは、船に追いつくための非常手段に出る。この以降の展開は、大変ドラマティックだ。
『海のオベリスト』以来、フェアな謎解きを一貫して追求してきたロード警視物シリーズという観点からみると、本編の恋愛模様は大いなる逸脱であり、シリーズ番外編ともいえるが、誘拐や殺人をめぐる謎は相当に込み入っていて、作者としては謎の構築の手を緩めているわけではない。ただし、真相を覆い隠すためのニセの手がかりが多すぎるし、真の手がかりは決定力不足で、犯人の設定に意外性はあるもののスッキリとしたものではない。
 むしろ、作者の狙いは、終局近くに再度登場する心理学者のポンズ博士がロードに語った衝撃ともいえる一言にある、と考えたい。そうであれば、ロードの恋愛模様を描いた前中盤との整合性もとれ、真相の意外性とも符合する。ロードの心の振幅を読者も共有する。
 興味深いのは、結局、ロードもポンズ博士も謎解きには成功せず、真相を見抜く人物は、別人であること。シリーズ掉尾を飾る長編で、名探偵が恋愛にデクノボウ化され、推理の面でも敗れ去るというのは何やら象徴的でもある。
 読後に強い印象に残るのは、海の青、咲き誇る花々、髪に飾られたハイビスカス、浜辺でのカクテル……作者が愛したというバミューダという楽園の魅力と、そこで育まれる男女の恋愛の機微。
 長編作家としての活躍は、わずか10年に満たなかったが、ミステリ史に足跡を残した作家が行きついた終着地は、本格ミステリというジャンルの翳りをも象徴するような異色作であった。
 

■エドワード・D・ホック『怪盗ニック全仕事5』■


 価値のない物しか盗まないユニークな怪盗ニック・ヴェルヴェットの「全仕事」シリーズも順調に巻を重ね、「5」までこぎ着けた。訳者によると、次の「6」が最終巻になるという。読者としては慶賀の至りだが、ここまで来ると一抹の寂しさも。
 本巻には、14編収録。そのうち、初訳が9編も収録されており、古なじみの読者にも、お得感がある。
 シリーズ物も長くなると、マンネリ度が高くなるものだが、さすがに名手ホックだけあって、飽きさせないようなあの手この手を繰り出してくる。
 盗みの対象こそ、初期作品のようなインパクトはないが(本書では「二十九分の時間を盗め」「偽の怪盗ニックを盗め」は盗みの対象として面白い) 、盗む対象にまつわる謎だけではなく、依頼人の謎や関連事件の謎解きの方にアクセントを置いてみたりと、一編一編プロットづくりも工夫されている。
 女怪盗サンドラ・パリスとの共演物が3編。そのうち、「レオポルド警部のバッジを盗め」は、ホックの主要キャラクターの一人レオポルド警部との競演物だ。クリスマス・ミステリが3編「クリスマス・ストッキングを盗め」「サンタの付けひげを盗め」「錆びた金属栞を盗め」。そのうち「錆びた~」は、実在のミステリ専門書店〈ミステリアス・ブックショップ〉にニックが盗みに入るという話で、書店主で評論家のオットー・ペンズラーも登場し、ローレンス・ブロックのサイン会までチラリと描かれる。「ビンゴ・カードを盗め」はカリブ海クルーズ、「吠える牧羊犬を盗め」は英国、「蛇使いの籠を盗め」はモロッコなど、事件の舞台の目先も様々に変えている。
 ニックもさすがに年齢を重ねており、17歳の娘に「泥棒をするには少し年を取りすぎてるんじゃないの?」と言われたり、女優に投げ飛ばされて「ジムで毎日トレーニングしている女性に投げられるには、年を取りすぎている」とこぼしたり。長年一緒に暮らしているグロリアには白髪が増え始めてきている。老いの徴候は隠せないが、「二十九分間の時間を盗め」では、グロリアとともに、賭博船で華麗なるマジックショーを披露するなど、その意気は衰えていない。
「吠える牧羊犬を盗め」では、英国の新聞で「著名な泥棒」と写真付きで紹介されていたり、「錆びた金属栞を盗め」には、EQMMに自分自身の活躍が小説化されて掲載されている、という記述まであって、ニックの令名は高いものになっているようだ。
 どの短編も水準を維持しているが、三者競演の趣向に加えて意外性も十分な「レオポルド警部のバッジを盗め」、殺されていたはずの男が生き返ったような謎が牧羊犬の謎とスマートに結びつく「吠える牧羊犬を盗め」、サンタ連続絞殺事件という派手で不可解な事件に創意を盛った「サンタの付けひげを盗め」などで、特に手練の技を堪能した。
 

■マーティン・アッシャー編『フィリップ・マーロウの教える生き方』■


 マーティン・アッシャー『フィリップ・マーロウの教える生き方』は、元出版社クノップフの編集者の選による、レイモンド・チャンドラーの小説から引用した名言集。村上春樹訳。ミステリ界隈で一冊の名言集が出るのは、この作家、この訳者だけだろう。BOOZE(酒)、COPS(警官)、DAMES(女)など項目ごとに名言が並べられている。『高い窓』『プレイバック』からの引用がないことに気づいた訳者が巻末で増補している。120頁程度の薄い本だが、たまにパラパラ見るのに向いているかもしれない。ただし、実際に酒場等で使ってみるには勇気がいるだろう。
 気に入ったのを一つだけ。

「僕は作家だ」とウェイドは言った。「何が人を動かすのかを見きわめるのが仕事だ。しかし皆目わからん」
                  ――『ロング・グッドバイ』

 最後に。クリスティーの小説評に新風を巻き起こし、日本推理作家協会賞評論その他の部門等を受賞した『アガサ・クリスティー完全攻略』〔決定版〕として文庫化。単行本刊行当時、未刊行だった『ポアロとグリーンショアの阿房宮』に関する章と文庫版あとがきを付した完全版。本家・ハヤカワ文庫のクリスティー文庫106となった、クリスティー論のマイルストーンとなった本をこの際、是非。


 

ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた)
 ミステリ読者。北海道在住。
 ツイッターアカウントは @stranglenarita



 

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