なんだか前回の記事でコージー番長に私の恋愛観を心配されてしまい、「恋愛に疎い人間ってロマンスのことを言及するのに最も不適切な人間なのではないだろうか。鬼門だなあ。」などと自分でボヤいていたことが現実のものとなりましたが、えー……えーとですね。私とてフィクションと現実の区別はつけてるつもりですよ。区別はつきますんで、フィクションの恋愛くらい都合がよくてもいいでしょうよ! ということでひとつ収めていただきたい。

 だ、ダメ?

 ところで私が都会派なコージーも読んでみたいなー、などと言っていたらば今回の課題作はニューヨークはマンハッタンのど真ん中のお話、コレオ・コイル『名探偵のコーヒーのいれ方』ですってよ。やったね。

【おはなし】

 クレア・コージーは1895年から続く名門コーヒーハウス〈ビレッジブレンド〉のマネージャーである。子育てが終わり暇になったところを店のオーナー“マダム”に乞われ、マンハッタンの一等地に建つ〈ビレッジブレンド〉の二階を住居とすることを条件に、十数年ぶりに復帰することになったのだ。だが彼女が〈ビレッジブレンド〉に越してきたその日に見つけたのは、店の地下室に意識を失い倒れているアシスタント・マネージャー、アナベルの姿だった。警察は階段から落ちた事故と判断するが、どうしても納得がいかないクレアは元夫マテオの協力を得て捜査に乗り出した。

 正直なところ驚いた。この小説、ニューヨークはマンハッタンのちょっと南寄り、グリニッチビレッジ(ウェストビレッジ)周辺、その都市の空気がとてもよく出ているのだ。そしてこれは恐らく、舞台となるコーヒーハウス〈ビレッジブレンド〉の描写にかなりの部分を依っている。まず〈ビレッジブレンド〉の描写を見てみよう。

ハドソン通りの静かな一画にビレッジブレンドはある。煉瓦造りの四階建てのタウンハウスの一階と二階部分を占めている。いれたてのコーヒーの素朴で豊かな香りをグリニッチビレッジの曲がりくねった通り沿いに漂わせてすでに百年以上になる。

 グリニッチビレッジを歩いたことがある人にはわかるかもしれない。ニューヨークはマンハッタン、大都会のど真ん中でありながら高層ビルの立ち並ぶような場所ではない。昔ながらのカフェ、レストランが開かれている場所で、〈ビレッジブレンド〉の建物も歴史を感じさせる煉瓦造りの四階建てである。煉瓦造りの建物が立ち並ぶ通り、セント・ルーク協会の近辺でちょっと行くとクリストファー通りにぶつかるとくれば大体あの辺だな、とだいたいの見当はついてしまうくらいなのだ。そして作中では〈ビレッジブレンド〉というコーヒーハウスが如何にニューヨークの歴史と文化に根ざしているか、“マダム”をはじめとする関係者たちが、その伝統を守っていくことに対し如何に誇りを抱いているかが語られている。

ひと昔前のこの女性(筆者注:マダムのこと)の情熱の源はカフェインとは別のところにあった。マダムを支えていたのは店に対する誇りであり、長い歴史、多彩な顧客、品格の高さ、地域に貢献するという使命感。無数のストーリーの舞台となったビレッジブレンドという店を維持してゆくのだという意識だった。

 ニューヨークと言ってもエンパイア・ステート・ビルディングやタイムズ・スクウェアに象徴されるような経済の中心地としてのニューヨーク、繁華街のニューヨークではない。エドガー・アラン・ポーやO・ヘンリーが住んだ文化人の街、そして彼ら文化人や知識人たちが通い、サロンとしての役割を果たしてきた由緒正しきコーヒーハウス、カフェが舞台となっているのである。

 まさにそれを「酔っ払ってブレンドにやって来たジャクソン・ポラック、ウィレム・デ・クーニングら抽象派の画家に、ポットまるまる一杯ぶんのフレンチローストの熱いブラックコーヒーを飲ませて酔いをさました、なんて話をするときのマダムの誇らしげな声。あるいは売れない詩人(若き日のジャン・ルイ——”ジャック”——ケルアック)や立ち退きにあった劇作家を二階のソファで寝かせたことを語るときのプライドに満ちた様子が、なによりもそれをものがたってい」るではないか。

 いや、私はもうこれだけでお腹いっぱいですよ。街をきちんと描いている小説には個人的な信条として敬意を表せざるを得ません。

 で、グリニッチビレッジの話だぜ、みんな読めよ! というだけで終わっても(私は)別にいいのだが、いい加減ちゃんとした紹介をしないと怒られそうですな。しましょうか。

 本書の読みどころをいくつか抽出すれば、まずはコーヒー、そしてもうひとつは、マダム、クレア、そして元夫のマテオの三人の関係性というところ。

 コーヒーハウスを経営する主人公のクレアが物語の中で幾種類ものコーヒーを入れることになるのは至極当然。相手によって品を変え、また時によって品を変え。ギリシャ系の刑事には強烈なギリシャ(トルコ)風コーヒーを。コーヒーなんて飲めればいい黒い液体だと思っていそうなクィン警部補にはラテを入れてみる。そしてエスプレッソを使った占いまで披露してくれるのだ。コーヒーうんちくも適宜、物語の腰を折らない程度に入ってきてなかなかに楽しい。焙煎後の豆の保存方法なんかはまあ、知ってる人は知ってるはずですけどね。

 で、もうひとつのほう、三人の関係ですな。これは今後のロマンス要素に関わってくるところであろうところ。クレアの元夫・マテオは〈ビレッジブレンド〉のオーナー・マダムの息子であり、クレアの娘・ジョイの父親でもある。そしてマテオもまた〈ビレッジブレンド〉の一員であり、豆の買い付けを担当して世界中を飛び回る日々を送っているのだ。マダムがクレアを〈ビレッジブレンド〉にマネージャーとして呼び寄せたのもこのあたりが原因になっている。端的に言えばマダムの望みはクレアとマテオがヨリを戻すこと。コーヒーハウスの伝統を継ぐ二人が〈ビレッジブレンド〉の共同経営者となって店を末長く繁栄させることを望むマダムの策略によって、マテオの登場シーンはとんでもないことになってしまうのだが……まあ、ここはお楽しみ。

 ちなみに恋愛感情ということで言えば、クレアはマテオのことを憎からず思っている一方、離婚した過去のことを思うとまず「ありえない」といったところ。そして彼女はアナベルの事件の捜査を行うクィン警部補にも惹かれるところはあるものの、「現実の人生では、男と女はぐずぐずしながらおたがいに気のあるところをかいつまみせたりする。相手に行為を抱き、惹かれ合うことはあっても、それ以上は進まない。つまらないといえば、つまらない。でもこうした関係が行き着く先は、たいていそんなところだ」だそうで、まあ今まで読んできたコージー・ミステリの主人公としてはとても現実的なほうだろうと思う(のだが皆さんいかがでしょう。そして私はやたらと恋にドキドキな主人公よりはこのくらいのテンションのほうが好みかな。お盛んなのも結構ですが)。マテオと離婚した過去についても第一巻では完全に伏せられていて、これからシリーズが進む中で触れられていくようなので気になるところではありますね。

 そうだ、肝心なことを忘れていた。アナベルが階段で足を滑らせた事故なのか、それとも誰かに襲われたのかというミステリ部分。ここもなかなか興味を惹く作りとなっている。クレアは第一発見者として、そして毎日現場を見ている人間として違和感を感じて捜査に乗り出すわけだけれども、これにお金の問題が絡んでしまうのだ。従業員が業務中に怪我などを負った場合、雇った側は慰謝料を払わなくてはならない。多分日本とアメリカでは制度は違うでしょうが労災と考えてよいでしょう。で、この労災保険に〈ビレッジブレンド〉が入っていなかったことが判明するのである。経営者として、そして敬愛するマダムのために、何としてもアナベルを殺そうとした犯人を探さねばならないわけで、ここは一気に緊迫感が増すところでしょう。そしてこのあたりに配置された伏線が実は、というあたりも小慣れている印象。読みどころです。

 そしてさらに言えばこのミステリ部分、多くの私立探偵小説がそうであるように、アナベル(被害者)を巡る人間関係を追ったインタビュー小説として非常によくできている。クレアが出会っていくアナベルのダメな母親、あるいは婚約者やその家族、アナベルが通うダンス・スクールの友人たち。人間を観察し、彼らの話を通じてアナベルの、クレアの視点からは今まで見えていなかった一人の人間の像・人生が徐々に、パズルのピースのように組上がっていくその快感はコージ・ミステリを今まで来た中では(まあ三シリーズ目ですが……)ピカイチでした。特にダンスの教師とクレアの会話の、12ページという短い文量で互いに箴言を交わすシーン。これはどちらかと言えばコージー読みよりもハードボイルド好きにハマるんじゃないかなあ。

 とまあ都会派だからと自分の好きなジャンルのほうに引きつけて読んでしまった感は否めないですが『名探偵のコーヒーのいれ方』、私は満足でした。

コージーについて今回まででわかったこと

  1. 今度のコージーは大都会!
  2. 今度のコージーはコーヒーだ!
  3. ロマンスの相手は離婚した夫。なんだろ……明石家さんまと大竹しのぶみたいな?
  4. そして表紙でコーヒーを飲んでいる謎の猫! *1

そして次回でわかること。

それはまだ……混沌の中。

それがコージー・ミステリー! ……なのか?

小財満判定:今回の課題作はあり? なし?*2

あり。これをなしと言ったら罰が当たります。

コージー番長・杉江松恋より一言。

 クレオ・コイルについては以前別のコーナーでも紹介しましたが、作風は都会小説のものだと思います。別名義アリス・キンバリーの〈ミステリ書店〉シリーズはコージーと私立探偵小説の融合に挑戦した意欲的な作品であったし、ハードボイルドとの相性もきっといいでしょうね。ローレンス・ブロックの作品が好きな人は、きっとクレオ・コイルも好きになると思うのです。小財満も気に入ってくれたようで何より。次はちょっと飛ぶんですがこのシリーズの第5作、『秘密の多いコーヒー豆』読んでもらいましょうか。これを読むと、コージーというジャンルの見方も変わると思うんだよな。

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小財満

ミステリ研究家

1984年生まれ。ジェイムズ・エルロイの洗礼を受けて海外ミステリーに目覚めるも、現在はただのひきこもり系酔っ払いなミステリ読み。酒癖と本の雪崩には気をつけたい。

過去の「俺、このコージー連載が終わったら彼女に告白するんだ……」はこちら。

*1:クレアが飼ってる猫(ジァヴァ)かしら。猫とコーヒーといえば……コピ・ルアク!? 怪奇大作戦!?

*2:この判定でシリーズを続けて読むか否かが決まるらしいですよ。その詳しい法則は小財満も知りません。