・Maigret et les petits cochons sans queue, Presses de la Cité, 1950/8/26[原題:メグレと尻尾のない子豚たち]中短編集、メグレシリーズ2編、その他7編収録 ・『メグレとしっぽのない小豚』原千代海訳、ハヤカワ・ポケット・ミステリ(シメノン選集)、1957* ・Sämtliche Maigret-Geschichten, 翻訳者複数名, Diogenes, 2009[6, 7][独][メグレ全短編] ・Tout Simenon T4, 2002 Tout Maigret T10, 2008[6, 7] ▼収録作 邦題はハヤカワ・ポケット・ミステリ版より ▼他の邦訳 ・Paul Bringuierからの質問に答えるかたちで、Il n’y a pas de romans, ni de films policiers, « Les films policiers », n° 200, 1932/9/15号*[探偵小説や探偵映画なんてない] |
第二期第3シーズンのメグレは、1939年に書かれた短編2作である。しばらく経って戦後の中短編集『メグレとしっぽのない小豚』(1950)に収録されたが、表題作のようなタイトルの小説があるわけではない。代わりに「しっぽのない小豚」というノンシリーズの作品が収められている。つまりこの標題は『「メグレ」と「しっぽのない小豚」』と考えるのが正しい。ただしメグレものが収録されていることに違いはないので、フランス本国では長い間メグレシリーズの一冊として統一デザインのペーパーバック版が出ていた。
メグレ以外のノンシリーズ収録作7編は書かれた時期も違うので、本連載では別途取り上げる。
第3シーズンの2編でメグレは再び現役時代に戻っている。しかも読んでみるとキャリアの中期、つまりメグレがばりばりと仕事をしていた時期を扱った物語だとわかる。枚数は第1シーズンと同じく30枚程度。これ以降、シムノンは中編か長編でしかメグレを書かなくなるので、もし短編からアンソロジーピースを選ぶとしたら第1シーズンの9作か第3シーズンの2作から選ぶほかない。つまりメグレシリーズの短編作品は計11作と意外に少なく、今回で読み納めなのである。
緩やかで肩の力の抜けた筆致がそのまま継続されている。シムノンはゆったりと遊びに興じるような感覚で、古い友人宅を再訪する気持ちで、ふと思い立ったときにこの2作を書いたのだと思う。
■1.「街を行く男」1940■
凍てついた冬のパリ、朝の7時半。メグレを含む4名の男がタクシーにすし詰めになってブーローニュの森の散歩道を見張っていた。
前日の新聞は、ブーローニュの森の散歩道で死体が発見されたこと、その事件に関してある人物が逮捕されたことを報じていた。そして今朝、メグレたちは当の逮捕人物を連れて現場検証にやって来ていたのである。だがこれはメグレの作戦だった。
いま手錠をかけられてタクシーに同行しているちびのルイは、前日別件の掏摸で逮捕された男だが、われわれの手助けをしてくれれば情状酌量してやろうとメグレに持ちかけられていたのである。
メグレの部下としてリュカ、トランス、ジャンヴィエが登場。トランス刑事はメグレ第1作の『怪盗レトン』(第1回)で惨事に見舞われ、以後シリーズに登場しなかったのだが、ここで復活を遂げた。もともとトランス刑事は『マルセイユ特急』(第27回)などメグレ前史でメグレのよき部下だったので、再登場は感慨深い。まるで何でもなかったかのように脇役として出てくるのだから、シムノンの筆がうまく遊んでいる証拠でもあろうと思う。
彼ら3名を含む刑事たちは、これまで5日間、パリ中をかけずり回って、怪しい者がいないか尾行と見張りを続けていたのだ。そうしてひとりの容疑者が浮かび上がった。35歳前後で青白い顔の外国人男性だ。奴は警察の尾行に気づいている。だから尻尾を出さず、自宅の在処を悟られないよう、逆に警察を翻弄するかのごとくにパリのあちこちを歩き回っている。
だがそろそろ所持金も尽きてくるはずだ。メグレと腹心の部下たちは彼を尾行し続ける。「奇妙な親密さが追う者と追われる者の間にできあがった」(長島良三訳)──もはや根気くらべだ。5日目ともなればきっと相手は本性を現すはずだ、とメグレは確信していた。メグレは当直のリュカに電話をかけ、翌日の新聞に記事を載せるよう指示した。自分とは違う人間が逮捕されたとわざと報じさせたのだ──犯人はメグレが投げたこの餌に引っかかるか?
この凄まじい尾行が後に語り草になり、いろいろな世代の刑事たちが新入りに事細かに語って聞かせるようになろうとは、このときのメグレには知る由もなかった。(後略)(長島良三訳)
という一文があるように、本作は名警視メグレの伝説が形づくられてゆく途上のエピソードと位置づけられている。ラスト一行もそうしたニュアンスをはっきりと示している。愛読者へのサービス編といった趣が濃い1作だ。
これを書いたときシムノンのなかではすでに、今後も読者の求めに応じてメグレものを書いてゆこうという気持ちが固まっていたのだと思う。そしてメグレものは他のロマン・デュール作品と違って、このくらい楽しんで書いてもいいのだというはっきりとした自覚が、すでに生まれていたのではないか。
物語の展開はもはやメグレものの定番といってよいが、それゆえの安心感と心地よさがある。文章はのびのびと自由で、ぎくしゃくしたところはどこにもない。目新しい発見もなければもっと世界を切り拓いてやるぞという野心もないが、読者の求める安定した作品を贈り届けるという人気作家の責務は充分に果たしている。
仮に本作がミステリーアンソロジーに収録されていて、そうした一編としていきなり読んでも、あなたは「これがシムノンか。なるほど著名作家だけあってさすがの傑作だ」とは思えないかもしれない。しかしメグレを読み続けてきた者にとって、作者の余技にさえ思える本作のような小品は嬉しい贈りものだ。
だからもし本作や次作「愚かな取引」がアンソロジーに収録されるとしたら、それは選者の作者に対する思い入れゆえなのだろう。シムノンを愛しているから何らかの作品を入れたい、読者はその気持ちを汲み取って読むことが大切になる。選者と読者の間でその共鳴がちゃんと成されたとき、初めて本作は愛すべき作品となるのだろう。第3シーズンの2作はそんな短編たちなのだ。
▼映像化作品(瀬名は未見)
TVドラマ『Maigret et l’homme dans la rue』ジャン・リシャール主演、Jean Kerchbron監督、1988(第82話)
■2.「愚かな取引」1941■
TVドラマ『ローソク売り(Maigret et la vente à la bougie)』ブリュノ・クレメール主演、ピエール・グラニエ゠ドフェールPierre Granier-Deferre監督、1995(第17話)
メグレ警視はヴァンデ県の《水路の橋》という宿屋で関係者たちを集め、事件直前の様子を繰り返し演じさせていた。この時期、彼はナントの機動隊を指揮していたのである。
毎年1月15日にこの宿屋で農具類の競売がおこなわれていた。前日14日の夜は近くに住む常連の他、競売参加予定の遠来客2名が宿にいた。彼らは白ワインを飲んでブロットbelote[カードゲームの一種。メグレものにはよく出てくる]をやっていたのだ。2名の客はかなりの大金を持っており、そのひとりボルシャンが深夜に自室で頭を打ち砕かれて殺され、財布が盗まれたのである。部屋のマットレスが燻っていて、臭いが皆の鼻についたので発覚したのだ。宿の主人ミショーはかつてパリでごろつきだった男で、警察とはおなじみだったが、いまは堅気になってこうして宿屋の経営をしているという。妻ジュリアも若い女中テレーズもパリ時代に裏家業で知り合った女たちだ。
競売は延期された。今日は16日。女中テレーズは主人ミショーと駆け落ちを計画していたことが供述から明らかになる。つまり宿屋の妻ジュリアは彼らに恨みを抱き、いつも行動を監視していたのだ。ジュリアは夫を女中に寝取られるくらいなら殺人容疑で夫が捕まる方がましと考えていたかもしれない。それで夫を犯人に仕立てるため犯行に及んだのかもしれない。凶器は地下室にあった金槌だが指紋は残っていない。競売前夜、まだ食堂で皆がカードに興じていたころ、誰かが隙を見て地下室から金槌を取ってボルシャンの部屋に行き、犯行に及んだのだ。
主人フレッドはどうやら本気で女中テレーズを愛していたようだ。犯人は誰か? また財布をどこに隠したのか?
(前略)ついにメグレは犯人を突きとめようとしているのか? 三日前から、メグレは彼らを刻一刻と不安に陥れ、おなじ動作を、おなじ言葉を何度も何度もくり返させた。もちろん、忘れている細部を思い起こさせる期待と、その一方ではとくに、彼らの神経をくたくたにし、殺人者を耐えられなくさせるためである。(長島良三訳)
メグレはキャリアの一時期にヴァンデ県で働いていた、という新たな設定が登場する作品。ヴァンデ県は大戦時にシムノンが疎開した場所である。
本作には《ハヤカワミステリマガジン》掲載版の長島良三訳があるが、いまのところその翻訳ヴァージョンは単行本に収録されていない。
単体の作品として見ると、本作に特筆すべき点はない。上で引用した通り、すでにキャラクターを確立したメグレが、そのキャラクター性をさらに強調しながら読者の期待通りに動いて見せる。最後に訪れる犯人の告白とその周囲の反応もいかにもメグレものっぽいが、手癖だけで書けてしまった作品のようにも読める。それでも読みやすいことは確かで、常連客ならこれでよしとするだろう。作者シムノンの気分が変わってきたことがわかる。もうメグレは明日引退しなくてもよいのだ。エピソードは永遠に続いてよいのである。
タイトルの「Vente à la bougie」は、正確に訳すと「蠟燭灯りのもとでの競売」となる。小説を読んだだけだとタイトルの意味はわかりにくい。そのままずばりの文章が出てこないからだ。原千代海訳版を読んでも意味がよくわからない。
本作は大量のアンソロジーを世に送り出したことで知られるピーター・ヘイニングが、食や酒をテーマにした『ディナーで殺人を』『ワイン通の復讐』に選出、収録している。実はこれはかなり強引な選出で、本作には宿屋の客が食堂でワインを飲んでカードゲームをする場面があるに過ぎず、特段に食や酒が取り上げられているわけではないからだ。これらアンソロジーの邦訳版は英語からの重訳だと思われるが、やはり原題の意味は表現されていない。唯一、長島良三訳版だけが、ラストの一文を次のように踏み込んで訳して手がかりを読者に与えている。
(前略)そしてろうそく競売(ろうそくの燃え切るまで付価の有効な競売)の火が消えるまでにグルーの掘建て小屋と土地を落札するのはだれだろうか?(長島良三訳)
原文は次の通り。
Et à qui serait adjugée la cabane de Groux quand, pour la troisième fois, la bougie des enchères s’éteindrait?
「そして3度目に競売の蠟燭が消えたとき、誰がグルーの小屋を落札するのだろうか?」なのだから、長島訳がいちばん原文の意味に近い。この部分がおそらく英訳では曖昧なので英訳版のタイトルは「Under the Hammer」[競売小槌のもとで]、その邦訳版は「競売前夜」となっているのだろう。
「Vente à la bougie」をウェブ検索すると、なるほど古きよき時代のヨーロッパでは、蠟燭を灯してそれが燃え尽きるまでの間に入札をして、火が消えたところで値づけを終える、というやり方があったようだ。YouTubeには昔のやり方を再現した2種類の動画がある。ひとつはオークションを始める前に太い蠟燭を灯して前のテーブルに置き、すべての競りが終わった後に火を消して「今日の競りはこれでお終い」とする儀式的なやり方。もうひとつはそれぞれの商品ごとに細い蠟燭を新しく用意して点け直し、燃えている間に入札してゆくのを繰り返すやり方。蠟燭を使うといっても競売は夜ではなく日中にやるらしい。いずれにせよ長島氏は《水路の橋》でおこなわれたのが蠟燭競売であったと理解して、註釈まで補っていたわけだ。
ブリュノ・クレメールのTVドラマ版では、メグレはたまたま田舎の宿屋に泊まっており、そこで事件に遭遇する設定となっている。原作にはない第2の死があり、犯人も動機も変更されている。
このドラマ版でメグレ役のクレメールが「ローソク売り」とはどうやってやるのだと主人に尋ね、ルールが説明されるシーンがある。主人は3つの蠟燭立てを取り出し、競売時にはこの3つを点けるのだという。どれも使い込まれていてごく短い。「3つの蠟燭が同時に燃え進み、その間に入札がおこなわれてゆく。そして1本消えた時点で落札が決定する」と主人。「3本消えるまで待たないの?」と妻が割って入る。「きみならどうする?」とメグレが問いかけ、彼女は「1本に火を点けて、消える前の10分で入札するの」と意見をいう。まったく説明が違うので、メグレは食堂の者たち全員に「結局ローソク売りのルールは?」と尋ねると、ある客が改めて説明し直す。「3本の蠟燭に1本ずつ火を点ける。最後の1本が消えかかると入札も最高潮に。火に目をやりながら入札を遅らせる。勘の鋭い者が勝つ」
先に紹介したふたつのやり方とも違う第3のルールだ。しかしシムノンの原典に「3度目に競売の蠟燭が消えたとき」とあるので、この説明はもっともらしく聞こえる。ドラマ製作者がシムノンの原文から後日想像した創作なのか、あるいは実際にかつてこういうルールがあって、考証に基づいた描写なのか不明だが、こんなタイトルひとつを取っても、メグレものはやはりフランス文化と分かちがたい小説なのだと再認識させられる。
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ペンネーム時代のメグレ前史と関連作品を集めたオムニビュス社刊『Simenon avant Simenon: Maigret entre en scène』[シムノン以前のシムノン:メグレ舞台に立つ](2009)の巻末に、シムノンの書いたメグレに関するエッセイが「Documents: Simenon parle de Maigret」[文書:シムノン、メグレを語る]として8編収録されている。今回、そのうち第二期第3シーズンころまでに書かれた5編を読んだ。どれもメグレシリーズをいっそう理解するために貴重な資料だ。
■「探偵小説や探偵映画なんてない」1932■
シムノンがこの取材を受けたのは第一期メグレの長編が刊行され始めて1年あまり後。ごく初期のミステリー観がうかがえるインタビュー記事だ。
シムノン曰く、最初自分はメグレの長編を3作書いて5社に持ち込んだがどこからも断られた。主役は太っているし、共感要素や恋愛話もなく、ミステリー(フランス語ではポリシエpolicier=犯罪もの、警察もの、と呼ぶ)の常道から外れていたからだ。
『黄色い犬』と『十字路の夜』の映画が、よき友人と才能ある監督と有名な俳優の手によってつくられた。しかし世評はどうも“ミステリー”であるかどうかにこだわっているらしい。ある人は「探偵映画は不可能だ」といい、別の人は「いや、探偵映画にも傑作が生まれうる」という。だが私にいわせれば探偵映画も探偵小説なんてものもありはしない。物語にルールやフォーミュラなんてない。考えてみろ、ガボリオとコナン・ドイル、エドガー・ポーとモーリス・ルブランの間に共通点はあるか? そんなものはない! 繰り返すがそんなものはない! 映画『暗黒街』(1927)や『三文オペラ』(1930)は犯罪映画だろうか?
世のなかにはいい映画と悪い映画があるだけだ。
タリド監督とルノアール監督は『黄色い犬』『十字路の夜』をいい映画にしようとした。だが人々の評価はどうだ。「探偵映画だろう? ルールをないがしろにするな!」という。だがもともと私の小説にルールなんてないのだ!
評論家は「シムノンの小説は雰囲気小説なので銀幕には似合わない」という。だが、それでは映画に雰囲気は不要だというのか?
結果? 映画は2作とも不発に終わった。製作側の失敗ではない。これは出資者の失敗だ。あるいはルールを金科玉条のごとく扱う者の失敗か。
「もうオペレッタ映画は死んだ!」と人はいう。だから代わりに探偵映画がつくられている。だが『薔薇荘にてLe Mystère de la Villa Rose』[A. E. W. メイスン原作の仏映画、1930]は結末に関して警告が出て、その結果、やはり「探偵映画は死んだ!」といわれる。
たとえつくり手側に勇気があっても、そんな映画は出資者側がつくらせようとしない。読者諸兄よ、これが私の仕事仲間にも起こったことなのだ。
■「ミステリーと呼ばれる小説について」1934■
1934年11月発表。すでに『メグレ再出馬』(1934)を出版し、メグレ第一期を終えた後のエッセイ。
ちょうど4年前[註:シムノンがメグレものを書き始めた時期]、もうミステリーは充分だからと、評論家たちは語らなかった。3年前[註:メグレ第一期が刊行され始めた時期]、まだ探偵は蒐集家だったりコカイン中毒者だったりした。そして探偵小説は、自然な探偵役を迎え入れた。大きな靴を履いて、ハーフビールを手に持ち、目に涙を浮かべる。「探偵小説に発展がもたらされた。門切り型のキャラクターは棄てられ、人間の問題に焦点が当たるようになった……」と評論家は書いた。
第三期は雰囲気探偵小説の時代だ。雨、水たまり、アニスの香りのするビストロ、汗臭い寝室。
第四期になると……ふう! 英国の小説は科学的ではないと人々は知るようになり、一方ではユーモアがその特徴なのだといい始める。
いまはどうか。ある人はいう、犯罪小説を読む人は殺人者になる……。
だから私は思うのだ。ミステリーはファッション化しているといわれる。評論家は「ミステリーは死んだ」という。だがそういう人こそ死体として生きているのではないだろうか。
■「探偵小説は存在しない」1943■
ポピュラー(大衆)小説とは商品であり、しかるがゆえにポピュラー小説作家とは工業生産者や職人のようなものだ。前世紀に英国作家ウォルター・スコットのノワール小説が人気を得て、第一次大戦前までにウージェーヌ・シュー『パリの秘密』やユゴー『ノートルダム・ド・パリ』がジャンル小説を生み出し、その成功は今日まで続いている。だが副産物としてグザヴィエ・ド・モンテパン『パン運びの女 La Porteuse de pain』やジュール・マリー『ロジェ・ラ・オント Roger la Honte』のようなメロドラマも生まれた。[註:どちらも大ベストセラーとなり何度も映像化された小説]
こうした小説はポピュラー小説というより、もっと正確には「工業生産品」といった方がいい。文学的な仕事とは区分される。『ノートルダム・ド・パリ』はポピュラー小説に似ているが、たんに読者の興奮や欲求を満たすために書かれたものではない。だが読まれて数年もすると工業生産小説と混同されてしまう宿命から逃れられない。そのため文学批評の観点からすると、ポピュラー小説と工業生産小説は区別がつかないのである。
今日ではさまざまな形式でさまざまな価格のミステリー小説が出ている。ミステリーは自動的にポピュラー小説のジャンルに組み入れられるが、『パン運びの女』からジョルジュ・オーネの作品以降、もっと大雑把に既存のジャンルに押し込められてきた。
さて、ところが今日の批評家は「
いいだろうか。文字通り、探偵小説などない。探偵小説など存在しない。
コナン・ドイルやチェスタートンによる文学作品がある一方で、まるで《マスク》や《夜読むな》といった雑誌は存在しないかのようだ。探偵小説のタイプでも同じことがいえる。アングロサクソン風かフランス風か、雰囲気があるかないか、科学的か否か、調査が電撃的かゆっくりか……。繰り返すが、文学ジャンルとして探偵小説など存在しないし、いままでも存在なかった。製作物として、それがどんな作家のものであれ、『パン運びの女』などより重要か高貴かといったことはない。
そして明日も私たちは微笑むのだ、『ロジェ・ラ・オント』やジョルジュ・オーネ『製鋼技師 Maître de Forges』に微笑むように。
このエッセイだけ年代が違う。「ジョルジュ・シムノン友の会」刊行の研究同人誌に寄せられたジャン゠バプティスト・バローニャン氏(署名はJ.-B.B.の表記のみ)の解説によると、第二次大戦中の1943年終盤にベルギー作家アンドレ・ヴォワザンAndré Voisinがヴァンデ県のシムノンを二日間訪ねてインタビュー取材をした。その成果はブリュッセルの《未来L’Avenir》誌に掲載されたのだが、このとき同時にシムノン自身によるエッセイも載った。それが本記事だという。
自分を何か特定のものに決めつけるな、というシムノンの一貫したスタンスが伝わってくる。旅行エッセイでもシムノンはどこかの場所をキャッチフレーズで表現することをひどく嫌った。同じように、「
シムノンを人間として包括的に見たときどうか、という意見はいろいろあるだろうが、私はシムノンのこういう姿勢には賛同する。世のなかには「これは自分の仲間かどうか」「これは自分の認めるジャンル内に入るかどうか」で物事の価値を決めてしまう人がたくさんいるのだ。それって本当に小説を読んでいることになるんだろうか?
むろん、人間性、人間らしさ、といったものは、何万年経っても変わらないものだと私は思う。それは進化の置き土産であるからだ。バイアスで他人を評価してしまうのも人間性のひとつである。しかし一方で私たちは、知能で自分を変えることができる。それもまた人間の持つ特徴、「人間らしさ」だ。
シムノンがこのエッセイを書いた時代から、世のなかは少しでもよい方向へ進んでいるんだろうか? そうであるといいな、と思う。
■「メグレ復帰する」1934■
このエッセイは1934年1月19日付の《日報》紙に掲載された。
メグレ第18作の『第1号水門』(第18回)が《パリの夜》紙に連載されたのが前年1933年5月25日号から6月16日号。本エッセイ発表後、第19作『メグレ再出馬』(第19回)が《日報》紙で1934年2月20日号から3月15日号まで連載される。
この間にフランスを揺るがす大疑獄事件、スタヴィスキー事件とプランス事件が起こったことは以前に述べた(第60回)。おさらいすると、詐欺師スタヴィスキーがスイス国境近くの別荘で被弾したのが1934年1月8日。パリで大規模なデモが勃発したのが2月5-6日。治安判事プランスの轢死体が発見されるのが2月21日。『メグレ再出馬』がまさにこうした激動の時代の最中に書かれたことはすでに指摘した。
シムノンは本エッセイで、もともとメグレものは『第1号水門』で終わらせたはずだったと告白しているように読める。だが現実世界でスタヴィスキー事件が起き、それはそこらに溢れる通俗ミステリー以上に小説的な出来事だった。
シムノンはヴィクトル・ユゴーが戯曲『エルナニ』(1830初演)を上演しようとしたときの逸話を紹介する。ユゴーはドニャ・ソル役の女優マールMars嬢に手を焼いていた。あるとき口げんかになり、「でもそれじゃあ誰がドニャ・ソル役をやるっていうんです?」と詰め寄られた。するとユゴーはいった。「そうだな、たとえばデプレオーDespréaux嬢でもいい。彼女に才能はないが、若くてかわいい。役に必要な3つの条件のうちふたつを満たしている」──それを聞いたマール嬢は慌てて「デプレオー嬢ですって? 自分がドニャ・ソル役をやります」と答えた、という話だ。[これは実話と思われる。女優ルイーズ・アラン゠デプレオーLouise Allan-Despréaux嬢は最終的にヤケス役を務めた]
ここからシムノンは巷に氾濫する通俗犯罪小説の話へと持ってゆく。多くの犯罪小説はちょうどデプレオー嬢と正反対だ。つまり才能はあるが、警察を知ることと殺人者を知ること、このふたつがどの本にもない! ちゃんと警察と殺人者を最後まで見届けたミステリー作家なんていないのだ、というのである。
すでにクリシェ(型に嵌まった紋切り型のキャラクター)はある。警視側はパイプを吹かし、犯人側は中国人か老いた狂人、あるいはソヴィエトの代議員か世をすねた医師、それともインド在住の重婚した英国人。
ああ、人の死はすべてあるいはほとんど文学上の産物から成るのだと誰かいってくれ。古典悲劇やメロドラマや今日の小説の産物だと。
あなたは3つの条件から選ばないといけない。芸術性、本当の犯罪、本当の警察官。
私はこれまで20冊の本を書いて、オルフェーヴル河岸の視点より神の視点へと傾いたと気づいた。
私はたくさんの手紙を受け取った。私は《日報》紙から、あと数週間でメグレを復活させてほしいと依頼を受けた。
これで最後だと誓おう!
よって私は警察の物語を語ろうと思う。小説という形式によってだ、いやはや! その小説は司法警察局の刑事の前でも浮かれてはしゃがず読めるものになっているだろうよ。──
こうしたエッセイを読むと『メグレ再出馬』に対する評価が変わってくる。
実は私は本連載第19回で『メグレ再出馬』を読み終えたとき、「これってテレビアニメ『ルパン三世(第2シリーズ)』(1977-1980)の最終作「さらば愛しきルパンよ」みたいだ」と思ったのだった。結局その第一印象は原稿に書かなかったのだが、いま振り返るとあのときの直感は案外当を得ていたのかもしれない。
意外にもシムノンはかなりの覚悟を持って『メグレ再出馬』を書き、社会の要請に従ってメグレを復活させたのだとわかる。しかし彼自身はアイロニーに満ちていた。当時スタヴィスキー事件によって司法警察局長は辞職、警視総監は更迭されており、つまりパリの警察機構は収賄に絡んでぐだぐだの状態になっていたわけで、世間の信頼をまったく失っていた。そんな最中に、引退したはずのメグレが本拠地の司法警察局に乗り込んで孤軍奮闘するというのが『メグレ再出馬』の筋書きだ。すなわち作者シムノンはこのようなシチュエーションをあえて取ることで、メグレを司法警察内部の視点ではなく神の視点に移動させ、司法警察局批判、警察機構批判の意味を含めたのである。
そしてシムノンは多くの通俗犯罪小説の探偵役と犯人役がクリシェでしかないことにはっきりと嫌悪感を表している。ということは、「自分はそんな過ちは犯さない。いまメグレを書くならクリシェを越えた探偵小説を読者に見せてやる」と考えていたに違いない。自分がかつて生み出したメグレ警視はそれこそパイプを吹かして通俗小説のクリシェそのものと見なされるようになってしまったが、スタヴィスキー事件が起こったいま、作者である自分自身で落とし前をつけてやる──という意思表明文として本エッセイは読める。
ただし実際に出来上がった『メグレ再出馬』は、決して肩肘の張った物語ではなく、警察告発を前面に押し出した社会派ドラマでもなく、むしろいい案配に力の抜けた作品となっている。そこがとても興味深いところだ。引退後の事件であるという設定が『メグレ再出馬』をほどよい緩さに留めたのである。もしシムノンが前作『第1号水門』でもうすぐメグレは引退するという設定を導入していなかったら、この第19作目もメグレ現役時代の物語になっていた可能性が高い。そしてそれはずっと現実寄りの厳しい物語になっていたのではないか。
しかし第二期第2シーズン中編群の変遷で見た通り、メグレ引退という設定が、結果的にメグレシリーズへ大きな変化をもたらした。『メグレ再出馬』でいったんメグレは引退したからこそ、シムノンは一歩退いたかたちでその後の政情と向き合えたのかもしれない。『メグレ再出馬』がゆるゆると終えられたからこそ、第二期でふらりとメグレを“再”復活させることができたのかもしれない。肩の力を抜いてかつてのおのれのキャラクターと向き合えたのではないか。
そう考えるとスタヴィスキー事件は作家シムノンの人生を変えた重要な転換点だったことになる。スタヴィスキー事件がなければメグレシリーズは『第1号水門』で終わっていた可能性がある。またもしも事前の『第1号水門』でメグレ引退の設定が導入されていなかったら、スタヴィスキー事件後メグレシリーズは迷走したかもしれないのだ。『メグレ再出馬』の原題はMaigretただ一語。このとき初めてメグレの名がタイトルに刻まれた。この一語にシムノンが当時込めた思いは、私が感じていた以上に大きかったのだろう。
今回読んだ第二期第3シーズンの短編はわずか2編だが、そのように考えるとこれらの2編が生まれて私たちに届けられたこと、その何気ない過去の事実さえ奇跡に思える。
■「メグレ警視、退職!」1937■
このエッセイは「メグレ警視」と「私」の対話で始まる。メグレは眼鏡をかけた若い金髪男を取り調べていた。私はその事件の進捗状況を小説にしている。もう8章か9章まで来て、残りはあと40ページしかないのに事件は解決の兆しを見せない。私はメグレに泣きついたが、彼はいった。
「まだそこにいたのか? もうオフィスを閉めるんだ」
「もう一度舞台に立ちたくないのか?」
「ごめんだね」
私たちは司法警察局の廊下にいた。メグレがいった。
「私は去るんだよ! 家に帰る。わかったか?」
「だがあの若い金髪男は……。掃除人は……」
「私の仕事じゃない……。今日は1月31日だ……。真夜中から私はもう役職にはない」
「引退か……。警視……メグレ!」
そして引退によってメグレ警視の最後の捜査は終わった。
もちろんここで書かれているのはシムノンが創作したメグレ警視ではない──とシムノンは種明かしをする。これはメグレのモデルとなったといわれる男、マルセル・ギヨーム Marcel Guillaume警視の引退の話なのだ。
ギヨーム警視は1930年から1937年まで司法警察局に勤務した実在の警視。 フランスのWikipediaに紹介記事と写真があるのでご覧いただきたい(https://fr.wikipedia.org/wiki/Marcel_Guillaume)。ガリア人風の口髭を生やしているとシムノン自身も描写している。私たちの想像する大柄のメグレ像とはちょっと違うが、シムノンは彼から多くの教示を受けてメグレシリーズを書いた。ギヨームは記述の通りおそらく1937年1月31日に実際に退職し、シムノンはその現場に立ち会ったのだろう。本エッセイの発表は4日後の1937年2月4日。シムノンは敬愛の念を込めてギヨーム警視のエッセイを書いたのだ。
本エッセイでシムノンは、自分がメグレ警視のキャラクターを創造したのは1929年か1930年のことだった、と回顧している。すでに本エッセイ執筆時点でシムノンの記憶は曖昧になっているわけだが、そのときの作品が『怪盗レトン』(第1回)だったとはさすがに書いていない。メグレ前史の『マルセイユ特急』(第27回)を書いたのが1929-1930年だったに違いない。後年になって記憶がさらにごっちゃになって、『怪盗レトン』の話にすり替わったのだろう。
「そのころ私はコナン・ドイルも[エドガー・]ウォーレスも読んでいなかった」と彼は書いているが、ウォーレスはともかくシャーロック・ホームズも読んでいなかったとは信じがたい。シムノンは某ホームズ譚そっくりのトリックを何度も使っているからだ。その後続けて「[エドモンド・]ロカールEdmond Locardの著作も読んでいなかった」とあるのでいっそう疑わしい。ロカールは著名な犯罪学者で、フランスのシャーロック・ホームズと呼ばれた人物。研究者の調査に拠ればシムノンは1921年に《ガゼット・ド・リエージュ》の記事でロカールの仕事に言及している。
だがその後「私はオルフェーヴル河岸にもソセエ通りにも足を運んだことはなかった」とあるのは事実だったかもしれない。シムノンは警察機構の実際など何も取材せずにメグレものを書き始めた。
刊行が始まるとメグレものはよく売れたが、あるとき当時の司法警察局長グザヴィエ・ギシャールから連絡を受けた。ギシャールはメグレものを読んでこう考えたのだ。この作家は司法警察局と保安部を混同しているし、警視と刑事の役割や、警官と機動隊の違いも混同している。組織内の制約や、ときには国家の法まで無視している。どうせならもっとリアルに書いてもらえないか。
そこでギシャールは「メグレ警視を紹介してほしいか?」と連絡したのである。そしてシムノンに紹介したのが現役のマルセル・ギヨーム警視だったのだ。彼はパイプではなく煙草を吸う男だった。
以来、シムノンはギヨーム警視から多くのことを学び、その成果はメグレシリーズの描写に活かされることとなる。おそらくはギヨーム警視の後をついて実際の捜査を見学取材することもあっただろう。本当かどうか知らないが、シムノンはギヨーム警視の部下フェヴリエ(Février=2月)刑事の名を援用して自作にジャンヴィエ(Janvier=1月)刑事を登場させた、と上記のWikipediaには書かれているほどだ。“私の記憶が確かならば”ジャンヴィエ刑事の名が初登場するのは『男の首』(刊行順では第9作、執筆順では第5作)(第9回)。そのころからシムノンはギヨーム警視に取材していたのだろうか。
本エッセイは初めてシムノンが、ギヨーム警視から大きな恩恵を受けていたこと、彼の人間性がメグレ警視の造形に多大な影響を及ぼしたことを述べたものである。1933年末からの一連のスタヴィスキー事件によって警察機構はがたがたになり、グザヴィエ・ギシャール局長も辞任したわけだが、ギヨーム警視はその後も残ってプランス事件を引き継ぐなど数々の難事件を担当し、「司法警察局のエース」と呼ばれた。後に彼自身の回想録も出版されている。
本エッセイではそのギヨーム警視引退直前の仕事ぶりが、愛情の籠もったシムノンの筆致によって書き留められている。ピクピュス通り(この後シムノンは『メグレと謎のピクピュス』を書く)で殺人と3万フランの窃盗事件が起こり、ギヨーム警視はある男を容疑者として目星をつける。「これは謎めいた犯罪だよ」と煙草を吹かしながらギヨームはいう。シムノンの筆はギヨームの捜査を追いながら、ときおりメグレの名を滑り込ませる。取材しているシムノンのなかでは、もはやギヨームがメグレに見えているのだ。
複数の事件が並行して進む。「私のメグレは3年前に引退したが、そのモデルとしてふるまったもうひとりの男は、タクシーでブーローニュの森へ行って、カメラマンが撮影しているそばから死体を見やった」という一文が出てくる。本エッセイが書かれたのは1937年だから、3年前は1934年。『メグレ再出馬』が書かれた年であり、つまりシムノンの心中ではメグレは『メグレ再出馬』で引退したまま時間が止まっているわけだ。シムノンは第二期第1シーズンのメグレ短編9作をほんの数ヵ月前に書いているのに、それは思い出から消えている。あるいはシムノンの気持ちではもうメグレは引退していて、第二期第1シーズンの短編は現役時代を振り返る回顧談だという位置づけになっている。ここがとても興味深い。ギヨーム警視の引退は、第二期第1シーズンと第2シーズン執筆の間の出来事なのである。
そうして最後までいくつもの事件を抱えながら、ついに引退の日が来て、すべてを後任者に託してギヨームは司法警察局を去る。彼は引退したのである。シムノンの本エッセイは、司法警察局に多大な貢献を為して引退していったギヨームへの最大級のはなむけであったのだろう。最後はこんなふうに締めくくられる。「そしてブーローニュの森の謎が解決したかどうか知るために、彼はこれからいつだって新聞記事を読んでいることだろう!」
なぜシムノンが1936年10月に突然メグレものを復活させたのかは不明だと私は以前書いた。1936年10月に書かれた第1シーズンの短編9作はすべてメグレ現役時代の物語だ。そして1937-1938冬の執筆とされる第2シーズンの中編10作でメグレは現役を引退し、隠居する。ひょっとしたら、と私は想像を膨らませるのだが、シムノンが1936年10月にメグレを復活させたのは、世話になったギヨーム警視の引退が近かったことが一因だったからではないだろうか。ギヨーム警視への感謝の意を込めて、メグレの現役時代の活躍譚を新しく書いたのではないか。そして実際にギヨーム警視が引退した後に書かれた第2シーズンで、メグレは再び引退し隠居する。『メグレ再出馬』のときよりもずっと引退・隠居が身近になったシムノンの筆によって余生が描かれる。考えてみれば、引退した警視の話など本来だらだらと続ける必要はないのだ。それでも引退後の人生が書かれたのは、ギヨーム警視の今後の人生へ向けたシムノンなりの共感と賞賛の気持ちだったのではないだろうか。
さらにその後、シムノンは第3シーズンの2作を書いた。もうこの時点でシムノンの心は自由になっていたのかもしれない。ある種吹っ切れた気持ちができていたのかもしれない。この第3シーズンでメグレは初めて「小説のキャラクター」となったのではないだろうか。
瀬名 秀明(せな ひであき) |
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1968年静岡県生まれ。1995年に『パラサイト・イヴ』で日本ホラー小説大賞受賞。著書に『月と太陽』『新生』等多数。 『石の花』などで知られる漫画家・坂口尚氏の未完コミック作品をリブート、小説化した長篇『紀元ギルシア』が、《WEBコミックトム》にて連載中(http://www.usio.co.jp/read/kigen_greecia/index.html)。 《週刊新潮》2019年12月5日発売号より、AIを題材にした中編小説「ポロック生命体」を短期集中連載。 ■最新刊!■ ■解説:瀬名秀明氏!■ |
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