「一生、女は愛さない」
全国の腐女子の皆様とそうでない皆様、こんにちは! 冒頭は、日本に一大腐文化を築き上げたといっても過言ではない、美形BL映画の金字塔『アナザー・カントリー』(1984/英)の宣伝句です。もちろんそれまでも少女マンガや小説等で腐文化は脈々と育っていた訳ですが、この映画の登場により広く一般に認知度が上がったという事実は明らか。腐女子はおろか、BL、やおいといった言葉さえ無かった当時、立ち見も出た映画館には女性が溢れ、何度も通うファンも少なくありませんでした。通称『アナカン』と親しまれたこの名作が愛された理由の一つは、パブリック・スクールという特殊な環境背景。体育界系とはまた違った先輩後輩の絶対的な上下関係、学ランとは比べ物にならないオシャレな制服、学内派閥、厳しい校則。こうした非常にストイックな状況の下で繰り広げられる男性同士の恋愛や憧れといったものに、昭和の腐女子達は狂喜乱舞したわけでございます。
その『アナカン』の主人公、ガイ・ベネットのモデルとなったのが、実在した英国のスパイ、ガイ・バージェス。映画は祖国を裏切りソ連に亡命して年老いた彼のインタビューで始まり、諜報活動に手を染めるきっかけとなった学生時代の回想という形で作られています。バージェス本人も『アナカン』の舞台となったイートン校を出てケンブリッジのトリニティ・カレッジに入学…というわけで今回取り上げる本はチャールズ・カミング『ケンブリッジ・シックス』(原題 The Trinity Six )。同書及びジョン・ル・カレ『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ[新訳版]』の冒頭でも触れられている通り、ケンブリッジの同窓であり、SIS(英国情報局秘密情報部 別称 MI6)、MI5 の現役部員を含む国内でも重要な地位を得ていた5人が、実はソ連のスパイとして暗躍していたという大英帝国を揺るがした大事件。本書はこれをヒントにした娯楽性の高いスパイ小説です。
主人公のギャディスは歴史学者で専門はロシア。40がらみでバツイチ子ありですが、相手には事欠かないそれなりのモテっぷり。自著サイン会で魅力的な20代の女性から「母がロシア関係の資料を残したので見て欲しい」と声をかけられ、後日訪ねるとあっさりベッドイン。ご機嫌な時も束の間、別れた妻から娘の養育費の増額を頼まれ、若い彼女の資料を使ってベストセラーを書かざるを得なくなります。そんな折り、特ダネを見つけたと言っていた長い付き合いの友人ジャーナリストが突然死。奇しくも彼女が追っていたのは、スパイだったケンブリッジ5人組はあと一人いたというネタ。最初は躊躇したものの、背に腹は代えられず、友人の取材を引き継ぎ調査を始めることに。実はギャディスの慣れない取材活動は、密かに SIS の監視下に置かれていました。彼の調査対象こそ、SIS が未来永劫葬りたい重要機密だったのです。
さてここからがスパイものの真骨頂。目的達成のためにSISがまず使ったのは色仕掛け。女性の好みもバッチリ把握していますので、落とすのも時間の問題……とここまで読んで「これのどこに腐成分が……」と思われた貴女、そうです! この小説の萌えどころは主人公ではありません! 彼が探していた二重スパイの残りの1人——コードネーム「アッティラ」——と在学時から友人だったという91歳の老人、トーマス・ニームです!!! 杖をつき、ツイードのスーツに完璧なウィンザー・ノットのウールタイを着こなし、いわゆるケンブリッジ英語を操る老人こそが今回の最重要チェック人物なのです!
前述の『ティンカー、テイラー…』を映画化し、去年公開されて大変話題となった『裏切りのサーカス』をご覧になった方も多いと思います。あの映画ではトマス・アルフレッドソン監督の特殊な脚色(特にベネディクト・カンバーバッチ演ずるギラムのキャラ設定改変とあのシーン!)が非常に際立っており、原作を既読の方には驚かれたと思いますが、なにせあの監督、前作『ぼくのエリ 200才の少女』でも、原作の『モールス』ではお世辞にも可愛くなかった主人公男子と、そのいじめっ子達をウィーン少年合唱団かと見まごうばかりの美少年ぞろいに配役した前歴あり。『裏切りのサーカス』では更にターゲットを広げたのか、白眉は中高年男性の色気だったというこのサービス精神! スマイリー役のゲイリー・オールドマンの孤独な佇まいや、ヘイドン役のコリン・ファースの自信たっぷりなセクシーさ(原作でもバイセクシュアル)、マーク・ストロング演じるプリドーが男子中学生と心を通わすナイーヴさといい、若いギラムが太刀打ちできない(?)シニアの色気オンパレードですが、やはり一番注目すべきなのは最長老のコントロール(ジョン・ハート)ではないかと。紫煙にまみれ、いい感じに草臥れたスリーピースのスーツの着こなしは他の追随を許さず、ダントツに美老人として君臨していたのでありました。(ああうっとり)
冷静になって本書に戻りますと、5人組がソ連にリクルートされた理由として2つの要素が挙げられています。一つは、1930年代当時、学生の間で共産主義が流行ったため、もう一つは同性愛が禁じられていたため。上流階級で何不自由なく育ったと見えても、その実古い慣習に縛られた息苦しい生活、なおかつ同性愛者であることが発覚したら出世の妨げとなるのは明らか。リクルーターにその弱みを握られてやむを得ず……という例も少なくなかったとのこと。ちなみに『アナカン』では、おおっぴらにコミュニストを宣言するジャドという主人公の親友が出てきますが、これを演じたのはかのコリン・ファース。上映当時はガイ派とジャド派に大きく支持が分かれたものでした。今観なおすと、常にレーニン像を持ち歩くちょっと?なキャラですが(笑)。
ギャディスは、ニーム美老人(仮)の話から、アッティラもその性的嗜好ゆえに母国を裏切ったと推測します。こんな美老人とずっと仲良しだったんだから最初から疑えよ! と思ったりしますが、なにせこの主人公は女好きで、若いおねーちゃんから“たくましくも洗練された男”に見られたいと常に思っているタイプ。美老人が手足のように使っている20代のスキンヘッドのおにいちゃんとか、せっかくいいキャラがいっぱいいるのに気がついてない……。しかしそんな鈍感力ゆえ、後半のスパイアクション要素てんこもりの展開で、清々しい程の巻き込まれっぷりを見せてくれます。やはりスパイものと言えば追いつ追われつのサスペンス。命がけの逃走劇に、冷血な殺し屋、そして謎の暗号などなど。古今東西のスパイ劇のエッセンスを贅沢に盛り込みながら、たまに肩の力を抜いたエピソードが混じっていたり、読者を飽きさせずにクライマックスへと持っていきます。そうそう、イギリスの学校ではベルリンに修学旅行に行くそうですよ。
というわけで、残念ながら(?)主人公はあくまでストレートな一般人だったわけですが、登場人物の半分以上がスパイのこの作品、ここは皆様の妄想力、もとい推理力を駆使して、隠された腐要素を自ら掘り起こしてみてはいかがでしょうか。さらに『アナカン』を観た後に『ティンカー、テイラー…』と併せて読むと、シニア愛も倍増! 今後の老スパイもの読書が一層楽しくなること請け合いです。それにしても『アナカン』のガイの老人メイクはもうちょっとなんとかならなかったのかとそれだけが惜しい(笑)。
【おまけ:本文中に配した写真説明】
(1)と(2)は、20年以上前に初めてケンブリッジを訪れた際、Trinity の卒業生だった知り合いが予約してくれた校内のゲストルームの写真です。お部屋で朝ごはんを食べた後は、ガイ・バージェスやキム・フィルビーも通ったであろう図書室(サー・クリストファー・レン設計)(3)を見たりなど。ここは今でも観光で入れるそうなので、訪問予定のある方はぜひ。
♪akira |
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BBC版シャーロックではレストレードのファン。『柳下毅一郎の皆殺し映画通信』でスットコ映画レビューを書かせてもらってます。トヨザキ社長の書評王ブログ『書評王の島』にて「愛と哀しみのスットコ映画」を超不定期に連載中。 Twitterアカウントは @suttokobucho |