今回は、論創海外ミステリから『死への疾走』、原書房ヴィンテージ・ミステリ・シリーズからは『犬はまだ吠えている』と、パトリック・クェンティン(ウェッブ&ウィラー)作品の刊行が相次いだ。いずれの本の帯にも、版元を越えて、相互の作品の同時期刊行が謳われているのは、珍しいことではないだろうか。

 思い起こせば、当欄の第一回も、クェンティン作品『人形パズル』(1944)だった。このコンビ作家の多彩で巧緻な作品に、改めてスポットが当たり、邦訳が進むのは喜ばしい。

『死への疾走』(1948)は、演劇プロデューサー、ピーター・ダルースとその妻で人気女優のアイリスがシリーズ・キャラクターを務めるシリーズ第7作目。近年、急速に新訳・改訳が進んだ、このシリーズの唯一の未訳長編、最後のワン・ピースである。

 それにしても、この時代に、これだけ波風の立ったカップルも珍しい。第一作『迷走パズル』(1936)で出会った二人は、ピーターの二次大戦の出征の間も固い絆で結ばれているが、前作の『巡礼者パズル』では、ピーターとアイリスがともに別の男女に心を移し、アイリスは出奔してしまう。本書の次の作『女郎蜘蛛』では(一応)元の鞘に収まっているが、夫婦の危機の後、この第7作で、このカップルに何があったのかは、大いに気になるところだった。

 ところが、意外なことに、本書は、アイリスは最後の方で顔を見せるだけで、ピーター・ダルース単独の活躍譚。巻き込まれ型サスペンス風味の強い作品だ。

『巡礼者パズル』事件の後、まだ、メキシコに残っているピーター。帰国を前に、ユカタンのマヤ遺跡の見学に出かける際に、二十歳の娘デボラと知り合いになる。彼女は何者かに怯えており、ホテルで同室になることをピーターに懇願する。翌朝、二人で生贄の泉という自然の井戸を見学に出かけたが、彼女は謎の転落死を遂げてしまう。前夜一緒になったアメリカ人観光客の中に犯人はいるのか。

『女郎蜘蛛』でも、小説家志望の小娘に翻弄され殺人事件に巻き込まれてしまうピーターだったが、 さらに、『悪魔パズル』『巡礼者パズル』、本作と並べてみると、シリーズ後半は、現れる女性が魅力的過ぎるのか、はたまたピーターの浮気心のなせる業なのか、「女難ミステリ」の様相を呈しているというべきか。もちろん、これらの「女難」の系譜は、後のノンシリーズの悪女物を用意している、というべきだろう。

 デボラの死後、ピーターは何者かにつけ狙われ、元バレリーナの富豪未亡人と称する謎の美女も接近してくる。善玉悪玉の見分けがつかない人物が入り乱れ、ピーターは、裸に剥かれたり、銃弾を潜り抜けながら、事件の背後に潜む謎を探る。

『巡礼者パズル』の重苦しいほどの愛憎劇とはうって変わり、軽みを帯びたヒッチコックタイプのサスペンスで、ヒッチコックの『海外特派員』『北北西に進路を取れ』といった作品を思わせる。映画の中の秘密条約やフィルムといった、いわゆるマクガフィンの扱いも、似通っている。

 そんな本作の基本路線においても、後半部でサプライズを連打するための仕込みをしっかりしているのが、クェンティンらしいところ。見えない敵との虚々実々の駆け引きを描きながら、犯人探しに加えて、「味方探し」「敵探し」のミステリにもなっているのである。

 マヤの遺跡をはじめ、メキシコ最大の墓地(パンテオン・デ・ドロレス)といった名所が舞台になり、「死者の日」の風物などメキシコ情緒たっぷりなところも、本書の風味を増している。

 内容への言及があるわけではないが、クレイグ・ライス『大はずれ殺人事件』のポケット版がある役割を果たすのも、ファンには嬉しいところ。これは、後発の夫婦キャラクター、ジャスタス夫妻への目配せだろうか。

 威風堂々の本格ミステリ、ゴシック風サスペンス、心理サスペンスなど、一作ごとに趣向を変えていく本シリーズだが、サービス精神豊かに冒険要素の強いサスペンスという新たな趣向を試みたものとして評価したい。

『犬はまだ吠えている』(1936)は、クェンティンが、ジョナサン・スタッグ名義で発表したドクター・ウェストレイク物の第一作で、同シリーズは本邦初紹介。ウェストレイクは、マサチューセッツ州の片田舎ケンモアの医者で、40歳を迎えようとしている。病気で愛妻を亡くし、10歳になる娘ドーンと暮らしている。

 ウェストレイク医師は、深夜、娘ドーンが唱える「耳を澄ませ、耳を澄ませ、犬が吠えている」というマザーグースの童謡に耳を傾けていると、猟犬たちの吠え声が聞こえてくる。ただならぬ凶暴な吠え声に不吉さを感じているところに、いつも深夜に呼びつける裕福な夫人から電話があり、医師は不機嫌に往診に向かう。夫人は、村の男女の噂話を一方的にしつつ、「ケンモアで誰かが死ぬんじゃないか」という不気味な予言をする。

 ここまでで、開巻約10頁だが、凶事が押し寄せてくるような禍々しい雰囲気を醸成しつつ、田舎医師と娘の平凡だが落ち着いた日常、村の主だった男女の人物像と人間関係を、簡潔、的確にウェストレイクの一人称で描き出しており、その筆運びの確かさには舌を巻く。

 やがて、狩猟クラブのメンバーによるキツネ狩りのさなかに、頭部のない若い女の死体が発見され、悪い予感は的中する。さらに、狩猟用の名馬が殺されるという不可解な事件に次いで、真相に近づいたと思われる女も殺される。ウェストレイクは、保安官補に任命され、コブ警視とともに、謎に迫っていく。

 本書は、かっちりした本格ミステリ。事件の猟奇性、動物殺しなどの相次ぐ不可解事、舞台となる田舎の閉鎖性や狩猟のモチーフなどは、同じ著者(ウェッブ&アズウェル)の秀作『グリンドルの悪夢』(1935)を思わせるところがあるが、同作にみられるような作品全体から滲むような不穏さはない。

 相次ぐ殺人、馬殺し、多発する侵入事件などが矢継ぎばやに繰り出され、手数の多さで飽きさせない。これらの事件のディテールに、終盤での構図の反転が目論まれてはいるのだが、たとえ読者がそこに気づいたとしても、真犯人を名指すのは、なかなか困難だろう。名馬殺しの謎にも創意があるし、作中の印象的なシーンにまったく違う意味をもたせるミスディレクションも決まっている。

 全般に、陰惨さが強調される事件だが、活動的で、ウサギを飼うことを熱望しているドーンのおしゃまさ、愛らしさは、全体の良きアクセントになっている。 

 シリーズ全作品を紹介した森英俊氏の本書解説によると、シリーズ中には、本作を上回る出来映えの作品も多いようであり、引き続き紹介されることを期待したい。

 ドロシー・B・ヒューズ『青い玉の秘密』(1940)は、『孤独な場所で』などの邦訳があり、1978年には、アメリカ探偵作家クラブの巨匠賞も受賞した作家の処女作。

 青い玉の争奪戦に、素人が巻き込まれるという『死への疾走』と似たタイプの作品だ。この青い玉には、世界の富の秘密の隠し場所やそれを上回る秘密が隠されていると作中で講義されるから、実に気宇壮大なマクガフィンではあるのだが、そのわりには、登場人物も限られており、こじんまりと展開する感は否めない。元ハリウッドのスター女優で、現在、ファッションデザイナーの24歳というヒロインという設定には、素直にノレない読者もいるかもしれない。

 読みどころは、主人公が巻き込まれていく得体のしれない状況への不安と恐怖なのだが、殺人を目撃したり、命の危機にさらされるのに、捜査当局に知らせない理由に説得力が欠けていたり、行動にも疑問符がつくところがあって、物語の推進力であるマクガフィン・青い玉の効果も長くは続かない。発表当時に評価された文体の簡潔さ、という点も、今では、作家の特徴として見えにくくなってしまっている面もある。

 ただ、主要登場人物である、倫理観が欠落した美貌の双子の兄弟のキャラクターと、この双子とヒロインの妹の共依存的な関係には、書かれた時代を超えるような、強いインパクトがある。

ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた)

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 ミステリ読者。北海道在住。

 ツイッターアカウントは @stranglenarita

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