Roll up。ようこそ、マジカル・ミステリー・ツアーへ。

 現代でこそ、ミステリー・トレイン、ミステリー・ツアーのような行先不明のツアーがあるが、1930年代にミステリの中でやってしまったのが、『ミステリ・ウィークエンド』(1938)。

 コネティカット州の小さな村、経営が傾いたホテルを立て直そうとオーナーが起死回生のアイデアとして打ち出した企画ミステリ・ウィークエンド。行先不明でツアーのチケットを売って旅行客を呼び込み、週末、ウィンター・スポーツを楽しんでもらおうというものだ。

 本作が、『検死審問—インクエスト』『検死審問ふたたび』『悪党どものお楽しみ』『探偵術教えます』と傑作・佳作が揃っているパーシヴァル・ワイルドのミステリ長編第1作とあれば、この趣向への期待は高まるというもの。本書には、このミステリ・ツアーや典型的な「雪の山荘」物の設定に加えて、語りの趣向も凝らされている。コリンズ『月長石』イネス『ある詩人への挽歌』がそうだったように、全四章の各章ごとに語り手が交代していくのだ。

 最初の語り手、アクの強い守銭奴の手記により、雪に閉ざされたホテルのミステリ・ウィークエンドのさなかに、客の男が手斧(トマホーク)で殺されている顛末が綴られる。続く医師の手記では、最初の語り手が失踪し、死体が消え、そして……。

 ツアーの行先が客たちに不明だったように、物語の行きつく先も最初のうちは見当もつかない。死体が表れては消え、また表れるといった状況に加え、作家を名乗る男や終始泣き続けているその夫人、ネイティブ・アメリカンの武器の収集家夫人、頭のねじのゆるんだ紳士など登場人物も謎だらけ。だれが探偵役かさえも不明なのだ。(終章では、真犯人より意外かもしれない探偵役が判明する)

 こうした混沌と謎解きが、個性豊かすぎる面々の笑劇じみた会話を縫うように繰り広げられるのだから、愉快なことは請け合い。

 四人四様の個性を浮き彫りしながら、続いていく語りのメドレーも効果的。廻り舞台のごとく、一方の視点では見えなかったものが立体化され、筋の進行とともに、事件の構図が変転していく面白さ。さすがに本職は劇作家だけあって、この時点で何を見せて何を見せないのかという情報管理を行き届かせている。読み返してみると、手がかりの大胆な提示に驚かされるし、クローズド・サークルの設定同様、この語りの趣向は、パズラーとしての本書の成立に不可欠なものだったことがわかるはずだ。

 さりげなく不可能状況が四回も登場することも特筆に値する。それぞれのトリックは小粒なものでも、ストーリーに密接に絡ませながら、それぞれ別の解法をこなしているのが小気味いい。

 短めの長編なのがもったいないくらい。ロジカルかつシアトリカルな構成でマジカルな効果を呼び寄せた秀作。

 短めの長編のせいで、ボーナストラックとして作者の短編が三つ収録されている。「自由へ至る道」の人情譚もいいが、『探偵術教えます』に唯一未収録だった、通信教育迷探偵モーラン物が収録されているのも嬉しい。 

 次に向かう先は、60年代、アメリカの郊外。

『熱く冷たいアリバイ』(1964)は、エラリー・クイーン外典コレクションの第3弾。代作者は、フレッチャー・フローラ

 夏の盛り、郊外に住む四組の夫婦のホームパーティ。一見仲良しのグループには、実は男女関係のもつれが潜んでいた。パーティが気まずく散会した翌日、主婦ナンシーが隣家のコナー家を訪ねると、夫人は殺害されており、コナー自身も会社で死亡していることが判明して……。

「密室」(『チェスプレイヤーの密室』)、「クローズドサークル」(『摩天楼のクローズドサークル』)と続いた外典の今度のテーマは「アリバイ」。

 単純な夫の妻殺しとみられた事件だが、ある事実が判明したことをきっかけに、事件は複雑な様相を呈していく。愛憎のもつれが背景にあるものの、冒頭から予想されるエロティックな要素はほとんどなく、事件の構図を解き明かすことに精力を注ぐつくりには好感がもてる。物語に渋滞がないのは、八人の男女を描き分けているフローラの作家としての実力も寄与していそうだ。

 捜査の過程でこみ入ったアリバイ工作が浮上してくるが、アリバイ崩しだけではなく、フーダニットの醍醐味もある。手がかりの提示や結末のサプライズへ畳みかけは、この度の外典三作の中で最もクイーン的と感じた。人妻ナンシーの魅力にどきまぎしてしまうマスターズ警部補のキャラクターもいい。厚みや奥行きには欠けるものの、ペーパーバックの謎解き物はかくあってほしいという佳作。

 次の行先は、ロンドン。

『ウィルソン警視の休日』(1928)は、『クイーンの定員』にも選ばれた短編集の初邦訳。

 G.D.H.コールは著名な経済学者・社会主義運動家で、マーガレット夫人との合作により長短併せて30冊以上のミステリを遺した。『百万長者の死』がよく知られている。

 そのシリーズ探偵、ヘンリー・ウィルスン警視は、『百万長者の死』事件を契機にロンドン警視庁を引退、私立探偵の事務所を開き、「ロンドンで最も有名な私立探偵」の称号を得るが、いつの間に警察に復職した人物。本書には、警察官、私立探偵双方の時期の事件が混在している。8編を収録。

 集中、既に邦訳のある「電話室にて」「ウィルソン警視の休日」がやはり光っている。「電話室にて」は初読時、密室トリックの印象が強かったが、証拠の断片を積み上げ冒頭の不思議な「ふくろう」に結びつけていく組立ての妙があるし、後者は無人のテントに残されたなにげない痕跡から犯罪を浮かび上がらせていく推理のユニークさがある。また、最後の「消えた准男爵」は、幾つかのアイデアを組み合わせて巧妙につくられた秀作。

 パズラーとしては物足りないものの、「ボーデンの強盗」「オックスフォードのミステリー」などには、警視が事件を解決しなければならない物語の強度があり、弱者へのいたわりの視線も感じられる。

 ウィルソン警視の捜査手法は、派手さはまったくなく、証拠を丹念に積み上げるコツコツ派ながら、地に足のついた捜査と実直な人柄は、クイーンが「血肉を持った存在」と評したのも肯ける。

 イングランドとスコットランドの「国境」地帯へ。

 J・S・フレッチャーは、20世紀初頭に活躍した英国の小説家で、長短併せて100以上のミステリを書いている人。戦前に多く邦訳されているが、新訳長編が刊行されるのは、実に86年ぶりという。『ミドル・テンプル殺人事件』が代表作とされているが、筆者は未読。

 当時の人気作家の筆によるものといっても、書かれた年代から、古色蒼然としたスリラーが予感されるが、『亡者の金』(1920)は、大変、読み口がいい謎解き冒険物語だった。それは、ひとえに主人公のヒュー・マネローズの存在にある。21歳のヒューは、弁護士事務所の事務員で母親と二人暮らし。将来を誓ったメイシーという恋人がいるが、結婚資金がたまるまでは結婚はお預け中。どこにでもいる気立てのいい若者なのだ。

 そんなヒューの家に下宿した元船長の不可解な依頼に応じたばかりに、ヒューは相次ぐ殺人事件に巻き込まれる。事件の謎を探るヒューは背後に複数の思惑と陰謀が渦巻いていることを知る。

 悪人の魔手は、ヒューにも及ぶが、ヒューは度重なる危難をかいくぐっていく。ストーリーには曲折があり、ヒューと彼を取り巻く人々の運命も定まらない。謎が少しずつ解かれ、さらに謎を呼ぶ、こなれたストーリーテリングと相まって、青年の成長物語としても楽しめる。周囲の人たちが善悪はっきりしているのも、読み心地がいい理由だろうか。ミステリ史的にはスティーヴンソンとガーヴの間辺りに位置しそうな英国的冒険の物語。事件の舞台は北海に面したイングランドとスコットランドとの「国境」の河口付近の村が中心になるが、その地方色も物語の魅力を添えている。

 ヴィクトリア朝ロンドンへ。

『ミス・キューザックの推理』が、精力的にクラシックの紹介を続けるヒラヤマ探偵文庫(電子書籍)から。

 女性探偵の歴史は古く、先月紹介したルーシー・ワースリー『イギリス風殺人の愉しみ方』によると、「モルグ街の殺人」と同年(1841年)、英国で登場したスーザン・ホプリーというメイドの探偵まで遡るらしい。

 ホームズにも女性ライヴァルがいても不思議でなく、ミス・キューザックは、1899年に登場した女性探偵。L・T・ミード、 ロバート・ユースタスは、英国の合作コンビ。ミード作では、マダム・コルチーという凶悪すぎる女賊キャラクターの小説が紹介されている(『シャーロック・ホームズのライヴァルたち1』所収)が、お嬢さま探偵でも先鞭をつけているわけだ。本書は、雑誌に掲載されたまま埋もれ、1998年にカナダの出版社から初めて書籍化されたものという。6編収録。

 ミス・キューザックはロンドンの大きな屋敷に住む、若く美しい女性。社交界の華でもあり、スコットランド・ヤードの刑事全員から高い尊敬を受ける探偵手腕の持ち主、というから、いまどきのライトなミステリにもありそうなキャラクター。ワトスン役は、ロンスデール医師が務める。

 冒頭の「ボヴァリー氏の思いがけない遺言状」には、とんでもない遺言状が登場する。相続する資格のある三人のうち、故人が遺したソブリン金貨の重さに体重が一番近い人間が相続できる、というのだ。相続騒動の後に金貨消失事件が発生するが、「盗まれた手紙」的な意外な隠し場所が決まっている。続く短編は、競馬賭博で常に当てる男の謎、宝石運搬中に意識を失った男の謎、株取引で常に先回りする謎など、トリッキーなハウダニットでミステリ心をくすぐる。長さの問題もあって、物語的なふくらみは乏しく、ミス・キューザックのキャラクターも設定以上に深まらないのが残念。作者も意欲が失せたのか、最後の一編はロンスデール医師の単独捜査だ。もう少しシリーズ短編の数があれば、このヴィクトリア朝末期のお嬢さま探偵は、ホームズのライヴァルとして名を遺せたかもしれない。

 20世紀初頭のフランスへ

『モーリス・ルヴェル短篇集3 古井戸』は、先般、シンジケートサイトでも訳者ご自身により紹介された電子書籍。

 うかつにも気づいておりませんでした。オリジナルの第一短編集『地獄の扉』から本邦初訳タイトルを中心に集めたシリーズの第三巻。これで、第一短編集については、全編日本語で読めるようになったという。5編収録。どれも短い枚数ながら、愛憎入り混じる人生の皮肉を意外性に富んだ劇的構成で描いている。盲人の最後の選択の苦さが強烈な「奇蹟」が特に印象深い。

 最後は、清朝末期の不思議な地帯へ。

 ホームズのパロディは、「ボヘミアの醜聞」がストランド・マガジンに連載され始めた早くも翌年の1892年、ロバート・バーによるものが嚆矢とされているようだが、中国清朝でも翻訳はおろか、パロディ、パスティッシュが書かれていたというのだから、驚かざるを得ない。文化の伝播と吸収のスピードに改めて恐れ入るとともに、名探偵という黒船がもたらしたカルチャーショックの大きさを物語っていると思う。

『上海のシャーロック・ホームズ』には、清朝末期に中国人によって書かれたホームズ・パロディ、パスティッシュを7編収録。「訳」とあっても原典がない、つまり創作が収められている。

 冷血という作者による表題作は、短いものだが、ホームズをパロディ化したようでいて、当時の上海人に手厳しい皮肉を放つ。

 ある程度の長さのあるものとして、桐上白侶鴻訳「福爾摩斯(フウアルモス)最後の事件」は、強烈なインパクトをもっている。

 主要舞台は亜勒比斯(アルプス)のふもと鏡岩(チングイエン)村。主要人物は雅魯(ヤアルウ)に、その娘・錦霞(チンシア)……という具合。わが国の黒岩涙香による翻案物のように、ヨーロッパが舞台ではあるが、登場人物には中国名が当てられている。そればかりではなく、作中の人物の心情やふるまいは、ヨーロッパ人のそれとは到底思えない。

 また、物語は、数ページの節の連なりから成り立っており、節の終りには、詠嘆調・教訓調の詩句めいた短文が置かれ、節の末尾は「あとのことを知りたくば、次をご覧じろ」で結ばれる。中国の伝統的小説形式に探偵物語が流し込まれたものなのだ。

 物語は、資産家・雅魯の不審な死と錦霞の従妹の殺人事件をめぐって進むが、第十節「神探偵の登場」になって、やっと福爾摩斯(=ホームズ)と国海(クオハイ=ワトスン)が紹介される。ホームズは「探偵の聖人」と絶賛されているが、ワトスンの方は「医術に関してまったく精通していない状態だったから、彼に診てもらう人はいなかった」「生まれつき品行が軽はずみで滑稽な性格」とさんざん。

 ホームズがなぜかパリに事務所を構えていたり、理由も説明されずホームズは事件のあと引退してしまったりと、ノンシャランなところもあり、探偵小説的な創意にも乏しいが、読んでいる間の何処ともしれぬ場所の物語を読んでいるような独特の浮遊感は珍なる体験だった。

 一方、ワトスン著(実際の「訳者」は不明)「主婦殺害事件」は、弁護士夫人の焼死の謎を扱ったもので、トリックとしては古くからあるものだが、ワトスンの単独捜査やホームズの奇矯なふるまいをうまくストーリーに織り込み、ミスディレクションも効かせている。別な英国探偵小説のプロットを流用したのではないかと思えるほど、この時代としてはできがいい。後に、正典の長編で用いられるモチーフが使われているのも何かの因縁か。

 次回刊行予定として、「インド篇」が掲げられているが、この旅はどこまで続くのだろうか。

ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた)

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 ミステリ読者。北海道在住。

 ツイッターアカウントは @stranglenarita

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