■風間賢二『怪異猟奇ミステリー全史』


 本書は、ホラー小説をはじめ幾多の怪奇幻想小説から、現代のポストモダン小説まで通暁した博覧強記で知られる著者による怪異猟奇のミステリ史。著者は、『ダンスする文学』のあとがきで、「ビット数の多い評論・エッセー、これがぼくのモットーである」と書いているが、本書も実に情報量の多い評論である。もちろん、本書の特徴は情報量にとどまらない。 その帯文が要約している。

 「心霊主義 疑似科学 進化論・退化論 エログロ 変態性欲-。西洋のあらゆる奇想が日本のミステリーを生んだ」

  論考の中心には、海外から我が国へのミステリの移入が据えられ、作家や作品相互の関係性ももちろん追っているが、作品の背後にある思潮や疑似科学を含む科学の動向を丹念に跡付けている。並みのミステリ評論の分野からは、このような視野の広い文化史的側面からのアプローチは、手に余る題材だろう。
 題材は難しげだが、本書は、『怪奇幻想ミステリーはお好き?』(2014年、NHK出版)に加筆改稿したものであり、もともとはNHKラジオ第2の番組がベースになっていることから、語りは入門者にも親しみやすいものになっている。
 全体は二部構成。全14章のうち、第6章までが欧米篇で、第7章以降は日本篇、明治時代から現代までのミステリの浸透と拡散を跡付けている。
 第1章のタイトルは、「ゴシックこそがミステリーの源流」。ゴシック小説の始祖といわれる『オトラント城』から語り起こし、ゴシックの神髄は「フェイク精神」にあると喝破している。
 第2章は、ポー以前のミステリを『ユドルフォ城の怪奇』などのアン・ラドクリフの小説、エログロ・ホラーの元祖マシュー・グレゴリー・ルイス『マンク』等を題材に「テラー」と「ホラー」という恐怖の二つの型について語っていく。さらには、ウィリアム・ゴドウィン『ケイレブ・ウィリアムズ』、アメリカン・ゴシックの創始者チャールズ・プロックデン・ブラウン『ウィーランド』と、と先ごろ翻訳が出たレジス・メサックの大著『「探偵小説」の考古学』に通底するような歴史的パースペクティブをもって作品を紹介・分析。3章以降は、ポーとセンセーション・ノベル、ドイルと進んでいく。
 この著者らしいのは、スビリチュアリズムとオカルト探偵を扱った第4章、観相学・骨相学、進化論・退化論とミステリの関係を論じた第6章。
 19世紀末には、進化論と並ぶようにして、退化論が一世を風靡しており、『ジキルとハイド』『吸血鬼ドラキュラ』『モロー博士の島』等の作品に反映されているほか、性科学の理論などに影響を与えているという事実が特に興味深かった。
 第7章は、黒岩涙香と翻案小説に充てられるが、併せて、日本への小説概念の移入についても説き起こされる本格的なもの。明治に探偵小説ブームが存在していたことを知っていても、一般に、これほどの熱狂があったことを知る人は少ないだろう。第8章以下、ホームズ・ルパン・捕物帖、押川春浪と武侠冒険小説、谷崎潤一郎、佐藤春夫といった文豪たちの探偵小説を経て、いよいよ「新青年」と乱歩の登場となる。さらに、戦中・戦後の探偵小説を経て、最終章は一気に〈新本格〉の章に。現代の「奇想天外にはじけまくった超マニエリスティックな逸脱ミステリー」には、「パラミステリー」というサブジャンルの呼称を提唱している。
 「新青年」以降の記述では、「変態性欲が〈変格探偵小説〉を生んだ」と題して、〈変格〉ものの背景には、クラフト=エビングとハヴロック・エリスらの性科学書の翻訳紹介を皮切りに、知的・科学的な性に関する言説が〈変態性欲〉〈変態心理〉として、巷を席巻した事情が述べられている。谷崎潤一郎や佐藤春夫がこれらの概念をもとに人間心理の深層を探ったのが、彼らの探偵小説であり、その衣鉢を継いだのが乱歩という見立てには、説得力がある。〈変態性欲〉は当時の社会意識としてモダンな感性の一つだったのだ。
 といっても、論考の中で触れられているように、当時の性科学や犯罪科学には、生来性犯罪者=女性といったトンデモ説があって、こうした誤った言説が当時の作品にも反映されていることは留意すべきだろう。
 歴史的叙述の間に挟まれる著者の分析の数々には、ハッとさせられるところが多々ある。

 ・「本職の医師が執筆した症例記録がシャーロック・ホームズの事件簿です」
 ・芥川龍之介の「藪の中」「報恩記」はビアスの影響を受けており、同じくビアスの作品の影響を受けていたボルヘス「八岐の園」につながるという指摘
 ・乱歩の創作は、「初期=ドイル、中期=谷崎、後期=黒岩といった具合に、読書遍歴の始原へ遡っていったのです」

 著者の専門領域では、話し出したら止まらないような、臨場感、ドライブ感も魅力の一つ。
 新本格以降を除き、戦後のミステリへの言及が少ないのは少し寂しいが、分量に制約のある「選書」とあってはやむを得ないだろう。
 R.D.オールティック『ヴィクトリア朝の緋色の研究』をはじめとして、文化史の読み直しが進む中で、ミステリ史の読み直し・編み直しも部分的には進んできているように思われるが、本書は、ゴシックに始まるフィクションとしての怪異猟奇のミステリの欧米・日本にわたる歴史を、関連諸領域の影響を受けた太い一本の流れとして描き出した点で、類のない文化史・文学史といえるだろう。

■浅倉久志編・訳『ユーモア・スケッチ傑作展2』


 翻訳家・浅倉久志氏のライフワークでもあった〈ユーモア・スケッチ〉もの全4巻に集大成す『傑作展』『1』に続き、早くも2巻目。本書には、早川書房版『ユーモア・スケッチ傑作展2』の復刊部分32編に、単行本未収録作品12編を収める。
 本書にも、コーリイ・フォード、フランク・サリヴァン、ロバート・ベンチリー、アート・バックウォルドら、1920年代に花開いた笑いの猛者たちのエッセイ・短編がずらり。
 中には、イギリス作家特別展示もあるが、必ずしも真顔のユーモアという類の作品ではないスーパーナンセンス譚J・B・モートンの「十二人の赤ひげの小びと」等も収められている。ジョージ・ミケシュの「英国人入門」は、「大陸の人間には性生活がある。英国人には湯タンポがある」等の箴言で有名。
 「1」「2」を通して読んで思ったのだが、良き笑いは、SFやミステリの発想に通じるところがある。
 コーリイ・フォードの「透明人間の手記」は、誰からも歯牙にかけられない自分は透明人間なのではという発想の転換があるし、「もし男が女のようにポーカーをしたら」は、SFのif物と同じ、アート・バックウォルド「実用新案 観光日記」は、どの旅にも使える汎用日記とがあればという着想、スティーヴン・リーコック「テキサスの旅がらす」はテキサスの特徴が拡大され途方もないテキサス像が飛び出す。物の見方を転換することで、見慣れた日常を見慣れぬものに変える異化効果を生む技術が、ある種のSFやミステリに共通している。この辺がSF翻訳者・浅倉氏をユーモア・スケッチの渉猟に赴かせた理由の一つなのかもしれない。
 眠りと死が兄弟のように、笑いと驚  異センス・オブ・ワンダーも兄弟なのだ。
 ハゥ・トゥー物のようなステロタイプを笑いのめすスケッチも多いが、謎解きミステリやハードボイルド、怪奇小説といった型のある小説も俎上に乗せられる。S・J・ペレルマン「どこかでハジキが……」は、作者が「スパイシー・デテクティヴ」というパルプ雑誌の私立探偵ダン・タナー物に出逢って、気鬱を克服するというもので、その分析は多いに笑わせる(驚いたことに雑誌も探偵も実在のものだ)。 同じ作者の「チャイナタウン大乱戦」は通俗スリラーのパロディ。
 スティーヴン・リーコック「Q-ある怪奇心霊実話」は、霊界との通信に成功した(と信じた)男の奇譚。生真面目な主人公がひたすらおかしい。
 J・B・モートン「書斎に死体が……」は、本格ミステリパロディ。書斎に死体が「ない」ことから始まる抱腹譚(登場人物の一人の台詞「なぜなくっちゃいけないの?」が的を射ている)。小間使いがクリスティーとセイヤーズというのだから大胆だ。
 抱腹物一色というわけでもなくフランク・サリヴァン「鈍行列車」「ある隣人に宛てて」、スティーヴン・リーコック「五十六番」(これは一昨年出た延原謙訳の短編ミステリアンソロジー『死の濃霧』にも収められていた)のように笑っているうちに胸を衝かれるような短編や、ブルース・ジェイ・フリードマン「ドアに片足」のような異色作家短編集のような作品もある。残り2巻を楽しみにしたい。

ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた)
 ミステリ読者。北海道在住。
 ツイッターアカウントは @stranglenarita


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