Le Suspect, Gallimard, 1938/5/25(1937/10執筆)[原題:反動分子]
The Green Thermos, On the Danger Line所収, translated by Stuart Gilbert, Penguin Books, 1952(Home Town/The Green Thermos)[英]*
Tout Simenon t.21, 2003 Les romans durs 1937-1938 t.3, 2012

 劇場コンシェルジュの男は、シャヴがドアや階段や廊下という空間を隔てているにもかかわらず、電話で叫んでいるのを耳にして、はらはらせずにはいられなかった。
「彼はいま舞台中だといっただろ!」
 第一幕の冒頭からコンシェルジュとこの頑固な電話機しかないのだから、誰がかけてくるのかは神のみぞ知る! ──いったいなぜコンシェルジュは、声を張り上げて取り次ぐその場所で、受話器を外しておこうとしなかったのだろう? 
 シャヴは数センチ後ろへ下がった。プロンプトの文章全体を見るため姿勢を傾けたとき、最前列の観客に近づきすぎて彼らを〝魅了“してしまったからだ。彼は舞台で流れてゆく仮綴本のテキストを機械的に追いながら、同時にまるで半ダースもの大脳に取り憑かれたかのように、他のいろいろなことで頭がいっぱいになっていた。
 第一に、麻疹であるのかどうか、考えを巡らせずにはいられなかった。医師の来診を受けて妻から5時過ぎに電話があった。コンシェルジュはまたしても怒鳴っていた。なぜかといえば、もし上演がなかったら、一日か二日はみな身動きが取れなくなってしまうからだ。
 その間、ピエロはベッドで真っ赤に火照りながら、無能な大人たちを咎めるかのように、ふてくされた感じを顔に浮かべていた。
「きみ!」とシャヴは、軍曹の衣装に身を包んだ同僚に向けて囁いた。役者の口髭は、頬に食い込んだ細糸で繋がれていた。(瀬名の試訳)

 今回読む『Le Suspect』のタイトルは、ふつうに訳せば『容疑者』であり、仏和辞典でもその意味がいちばん最初に載っている。だが今回は辞書の2番目の訳語、「(権力の側から見た)反動分子、敵対者」をあてることにした。本作は爆破テロを巡る物語であり、主人公のシャヴという男はかつてアナーキストだったが、ここでは昔の仲間がパリで画策している爆破テロを阻止する側に回る。だが警察は彼自身がまだ反動分子の一員として活動しているのだと考え、彼こそ爆弾魔だと推察し、未然に逮捕しようと追跡するのだ。シャヴは反動分子グループの過激行動を制する使命に衝き動かされながら、一方では容疑者(suspect)として包囲網にかかってゆくのだから、本作のタイトルは二重の意味が含まれていることになる──と、私には思われる。
 そして確証はできないが、本作はジョゼフ・コンラッドの先駆的爆破テロ小説、『シークレット・エージェント』(1907)へのシムノンなりのアンサーだと捉えることもできよう。海洋小説を数多く書いたコンラッドの作品にはシムノンも親しんでいたはずであり、おそらく『シークレット・エージェント』も読んでいたと充分に考えられるからである。残念ながらシムノンはほとんどまったく読書記録を残さない人だったので、生涯にどのような小説を読んだのか、私のような一介の読者には、具体的なところはわからない。シムノンはドストエフスキー的であるとよくいわれるが、そのドストエフスキーでさえどの作品を読んだのか、はっきりしたことがわからないのである。だが、たぶん本作とコンラッドを並べることは、さほど見当違いではないはずだ。

 小説冒頭部の原文はかなり難解で、フランス語からだけでは状況がうまく読み取れない。スチュアート・ギルバートの英訳版はかなり説明を補っており、それと照らし合わせてようやくシャヴという男が何をやっているのか推測できた。先の試訳はギルバートの補訳の助けも借りて何とか形にした代物である。
 ベルギー、ブリュッセルのスハールベークという町に暮らすピエール・シャヴは、劇場で働くフランス人中年男である。いま彼は舞台袖でプロンプターの役目を担っているのだ。彼は同時に支配人で、また小道具係でもある。頻繁にかかってくる電話にも対応しなければならず、上演日は忙しくて昼食さえ摂れない。今回の演目ではパリからそれなりに有名な俳優を招いて主役に据えているので、成功させなければならない。だがアパルトマンでは息子の幼いピエロが熱を出して寝込んでおり、妻のマリーが看病しているが、ときおり連絡の電話もかかってくるというわけだった。外はひどい雨だ。第一幕が終わったところで思いがけない来客があった。オーバーコートを着て、アタッシェケースを手に持って戸口に立つ男。「どうしてここへ?」パリの仲間内で「男爵」と呼ばれていた40代前半のその男は、「私的な話がある。通りの向こう側へ行こう」と小さなカフェへ彼を誘い出した。ほんの一時間前に着いたという男爵は、「K.が動き出した。昨日、若いポーランド人に爆破テロの任務を与えた」と重大な要件を切り出した。
 シャヴはかつてパリでアナーキスト集団のメンバーだったのである。男爵もその仲間だった。もっとも、シャヴは扇動文を書いてチラシを撒くだけで、人に直接危害を与えるような活動には関わらなかったのだが、シャヴたちが脱党してからはK.というスラブ系の男が中心となって過激派へとシフトしていったらしい。爆破テロなど決してシャヴの望むものではなかった。しかもK.が任務を与えた若いポーランド人とは、彼が組織にいたころ弟のように可愛がっていた青年ロベールだというではないか。シャヴはロベールの不運な生い立ちを自分の人生と重ね合わせることが多かった。ロベールを爆破テロの実行犯にするわけにはいかない。
 シャヴはその夜、妻や寝込んでいる息子を残し、密かにひとり自転車を漕いで国境を越えた。男爵は翌朝、シャヴのアパルトマンを訪れて彼の妻と面会し、彼は急用で昨夜アムステルダムに行ったと取り繕おうとしたのだが、すでに窓の外にはふたりの警官の姿があった──男爵もまた反動分子のひとりと見なされ、ベルギー警察の監視下にあったのだ。
 シャヴは約5年ぶりにフランスに戻り、安ホテルに宿を取って、組織の動向を探り始めた。とりわけ若造ロブ──ロベールと直接会って、テロをやめるよう説得する必要がある。
 男爵はテロ実行の日時や場所まで特定できなかったようだが、シャヴは組織本部があったパリ郊外のピュトーPuteaux[パリから見て東北東にあたる。かつては軍需工場が建ち並んでいた]のセーヌ河岸を歩き、北側のクルブボワCourvevoie橋にほど近い航空機工場から昼食時に多くの工員が出てくるのを見て、ここが爆破テロの対象だと確信した。時間外になれば工場を守るのは門番とその男が飼うアルザス犬だけだ。ロベールはここへ忍び込んで爆弾を仕掛けるのに違いない。雨が降っていた。季節は晩秋で、濡れれば肌は冷えて冷たい。だが、そのときシャヴはまだ知らなかった。爆破予告の匿名の手紙がパリ保安部に届いており、ベルギー警察との連携によって、まさにシャヴ自身が爆破テロの容疑者として捜査線上に浮かび上がり、彼は警察に追われていたのだ。
 翌日も雨は続いたが、シャヴは早朝から宿を出て、工場近くのカフェで周囲に目を光らせつつ、ゆっくりと橋の上に陽が昇ってゆくのを見た。河岸には浮浪者や釣り人もたくさんいるので、そのうちの誰かがK.であるかもしれない。なにしろシャヴはK.の顔を知らないのだ。
 ロベールは新聞配達の仕事をここ2日休んでいるとわかった。ならば次に手がかりとなりそうなのはシャヴ自身も組織に入っていたとき「印刷屋」の渾名で呼ばれていたポーランド人の仲間と、ロベール自身がかつて話していた「従姉妹のジャンヌ」のふたりだ。
 しかしそのとき、男爵もまたシャヴに危険を知らせるためフランスにやって来ていたのだった。シャヴはクルブボワ橋の近くで男爵と遭遇し、咄嗟に赤煉瓦塀の陰で情報を聞き、警察がすでに自分を捜していることを知る。だがこの短いコンタクトはパトロール隊の発見によって中断を余儀なくされる。男爵自身が警察に追われていたからだ。シャヴは何とか逃げおおせたが、ついに男爵は警察に捕まってしまう。
 シャヴはひとりで行動しなければならなくなった。翌日、牛乳店で働く「従姉妹のジャンヌ」を訪ねて、ロベールの居場所を聞き出す。彼女は若く、実際に血は繋がっていないもののロベールは妹のように慕っていたという。そしてシャヴはひとりパリへ出向き、ヴォージュ広場手前のビラーグ通りのホテル7号室へと足を踏み入れた。そこにいたのはステファンというポーランド人と正体不明のもうひとりの男だけで、ロベールはもう出て行ったというが、ロベールがこの男たちの指令を受けて動いていることは間違いない。では、どこの出身とも知れないこのふたり目の男がK.なのだろうか? 彼は何もしゃべらない。K.もフランス語を話すのを見た者はいないとされている。
 彼らから何も手がかりは聞き出せない。だが正体不明の男はシャヴをどこまでもつけてくるかのようで不気味である。シャヴはモンマルトルで「印刷屋」を探った。以前から「印刷屋」ジャックは居酒屋の上階で集会を開いていたのだ。周りに警官の姿が見える。ジャックも反動分子のメンバーのひとりとして監視下にあるのだ。シャヴはその店の様子が見えるカフェの電話ボックスから電話をかけてジュールを呼び出し、警告する。だがどうも返事がのらりくらりとしてはっきりしない。シャヴは悟った。向こうの電話口の横にK.がいるのだ! 「ジャック! K.とステファンがきみに何を話した? ロベールはどこにいる? 私ははるばるブリュッセルから彼を止めに来たんだ」「いいたいことはそれだけか?」つい声が大きくなってしまい、カフェの客たちが振り返ってこちらを見てくる。通りへ出ると、まさに警察バッジをつけた男たちが居酒屋へ乗り込もうとしていた。シャヴは必死で逃げ、途中で擦れ違った船員と服を取り替えてもらい、セーラー服で咄嗟の変装をしてクルブボワへと戻った。だがセーヌ河岸を進んでいるとき、シャヴは驚愕した。レストランのガラス越しに、彼はそこに捕まったはずの男爵の姿を見たのだ! なぜ彼がここに? これは蠟人形なのか? 
 そのとき不意に、武装した警察隊が橋の向こうから近づいてくるのがわかった。何としても捕まる前に、テロが実行される前に、ロベールを捜し出して説得しなければならない! まだチャンスはある! シャヴはヌイイ橋を過ぎてバスに飛び乗った! 

 本作は全8章だが、章をまたぐ“惹き”が毎回鮮やかで驚かされる。ご覧のように、本作はシムノンには珍しいスリラー系のストーリーで、爆破テロの阻止という派手な意匠もさることながら、パリ郊外のクルブボワやパリ歓楽街を行き来するシャヴの行動がサスペンスに満ちており、アクションシーンも随所に盛り込まれ、良質のエンターテインメント作品に仕上がっている。
 舞台の設定も面白い。シャヴがテロ実行現場だと目星をつけるピュトーという町は、パリから見てセーヌ川の下流域にあたるが、中洲のピュトー島の北側あたりをヌイイ゠シュル゠セーヌNeuilly-sur-Seineといって、シムノンが第二期メグレものの最初の短編群(第二期シーズン1、本連載第61回参照)を書いた1936年10月に滞在していた場所でもある。このセーヌ河岸から見た豊富な風景描写が作品を生き生きとしたものにしている。低く垂れ込める雨雲、そうかと思えばどこよりも明るく輝いていると思われる曙光、朝方には懐かしいカフェの匂いが安宿の部屋まで漂う。そして夕刻から真夜中にかけては河岸のレストランやバーの灯りに人々が集う。一方でここは古くからの工場地帯でもあり、川沿いの道には浮浪者が溜まっている。印象派の画家クロード・モネが一日の陽光の変化に応じて何枚ものルーアン大聖堂の絵を描いたのに似て、本作では実に印象深く、無限の光の反射を捉えた、さまざまな表情のピュトーのセーヌ河岸が描写されるのである。ヌーヴェルバーグの監督が本作に目をつけて映画化を企画していたなら、きっとジャン゠リュック・ゴダールの『勝手にしやがれ』(1960)に比肩する伝説的名作が生まれたのではないかとさえ夢想する。
 シムノン中期の特徴がわかってきた。「ふつうにエンタメ作品として面白い」作品がごろごろあることだ。筆が伸び伸びしていて、ストーリー展開やプロットに妙があり、登場人物の内面にも奥行きが感じられ、それでいて読みやすい。本作の主人公シャヴはかつてアナーキストだったものの、いまでは妻子を持って平和に暮らしている男である。ただしさほど大きくない劇場の経営者でもあり、そんなところに彼の人生のこだわりが垣間見える。彼は弟分のロベールを捜す過程で何度も自分の人生を振り返る。彼もまた不運な星のもとに生まれ、苦労を重ねてようやくパリに出てきた経緯があるのだ。その事実が彼とロベールを繋いでいる。
 本作ではなぜK.たちが爆破テロをおこなおうとしているのか、その動機がはっきりとは示されない。主導者のK.はセルビア人と思われ、またその配下のステファンはポーランド人で、それぞれフランスとは複雑な長い歴史を持つ国だ。本作が書かれたのは1937年。あと少しで第二次世界大戦が始まる。こうしたテロ行為をパリやその近郊で画策する反動分子集団がいたとしてもおかしくない時期だったろう。だが、とここからは私個人の推測に入るのだが、この時期に本作が書かれたのにはもっと別の理由があったと思える。すなわちそれは、冒頭でも述べた、ジョゼフ・コンラッド『シークレット・エージェント』へのアンサーとしての役割、そしてその時代性であり、それをシムノンは示そうとしたのではないか、と私は考えるのだ。なぜならば、かのアルフレッド・ヒッチコック監督がコンラッドの『シークレット・エージェント』を原作としてイギリス時代につくった映画『サボタージュ』の製作年は、1936年なのである。本作『反動分子』が書かれたのはその翌年、1937年。これは本当に私の推測に過ぎないのだが、つまりシムノンは映画『サボタージュ』を観て本作の執筆を思いついた可能性がある! 

 映画『サボタージュ』はイギリス時代のヒッチコック監督の人気を決定づけた作品のひとつで、コンラッドの小説と同じくアナーキストたちの爆破テロ計画を描いているにもかかわらず、物語の骨格や焦点は原作とかなり異なる。映画は映画でスリルに富んでいて面白いのだが、タイトルが「サボタージュ(破壊行動)」と変更されていることから察せられる通り、ヒッチコック版の映画はそもそも「シークレット・エージェント」の意味が原作と違う。
 ヒッチコック版では映画館を経営する男ヴァーロックがアナーキスト集団のひとりで、彼らはロンドン市民を恐怖に陥れることを目的としている。ただしこの「目的」はかなり曖昧で、滑稽ですらあり、映画の冒頭で彼らはまずロンドンを停電にするのだが、ロンドンっ子たちはかえってそのハプニングを歓迎して乱痴気騒ぎを楽しんでしまい、これでは失敗だから次は人の多いピカデリー広場に爆弾を仕掛けようとする。ところが隣の八百屋に務めるスペンサーというハンサムな男が、実はヴァーロックを反動分子と睨んで監視を続けている覆面刑事なのだ。彼はヴァーロックの妻や、その弟スティーヴィー少年と仲がよい。しかしやがて彼はヴァーロックに正体を見破られてしまい、そのためヴァーロックは爆破テロ決行当日に自分で時限爆弾を運ぶのではなく、義理の弟スティーヴィーへ爆弾を持たせてお使いに行かせ、自分のアリバイをつくろうとするのだ。スティーヴィーは途中でいろいろあって約束の時間に間に合いそうにない。バスに乗り込んで何とか届け先まで行こうとするが、刻一刻と爆破の時が迫る……。ヒッチコックのテクニックが冴え渡るこのシークエンスはいま見ても充分にはらはらどきどきする出来映えだが、つまり何を指摘したいかというと、まず①コンラッドの原作とは爆破テロの動機が変更されていること、そして②原作では市井に溶け込みながら爆破テロの実行を企てる主人公が「シークレット・エージェント」なのだが、映画版ではその犯人を監視するスペンサー刑事がいわば「密偵」の役目を果たしており、彼こそが主人公で、最後にはヴァーロックの妻と愛で結ばれること、であり、シムノンの本作『反動分子』は、こうしたヒッチコックの改変に対して自分ならこうするとでもいうかのような、あたかもコンラッドとヒッチコックを踏まえて書かれたプロットになっているということなのである。
 コンラッドが1907年に発表した『シークレット・エージェント』は、1890年代ころの近過去を想定して書かれた物語だが、9.11の国際貿易センタービル崩壊以降その存在が俄然注目されるようになったのは、コンラッドの物語でもまさにテロの対象が時代の象徴的建物に向けられていたからであろう。9.11のテロリストたちは世界経済の象徴であった国際貿易センタービルに飛行機で突っ込んでいった。一方、コンラッドの小説でアナーキストたちが標的にするのはグリニッジ天文台である。彼らはただ漠然とロンドン市民を恐怖に陥れたいのではない。真に人々を恐怖させるには、時代の象徴を破壊する必要がある。ではその相手は何か? 王権や宗教ではない、従って対象は宮殿や教会ではない。「今日の神聖侵すべからざる崇拝物といえば科学より外にない」「示威行動の対象は学問──科学でなければならない。だが科学なら何でもいいというわけではない。目指す攻撃は冒瀆そのものを自己目的化した衝撃的なまでの無意味さを備えていなければならない」(高橋和久訳)。いうまでもないがグリニッジ天文台は子午線の基準であり、これによって世界は否応なしに、何の意味性も持たない純粋数学によって位置を決定づけられることになった。これほど科学の権威は人間を蹂躙しているわけだが、グリニッジ天文台がその権威の象徴だからこそ、彼らにとっては最高の攻撃対象となるのだ。私が読んだ光文社古典新訳文庫版ではとくに訳者も解説者も注目していないようだが、1890年代といえば俗にアジア風邪と呼ばれたインフルエンザが大流行した時期であり、コンラッドの原作にも冒頭でこのパンデミックへの言及がある。もちろん当時は濾過性病原体の正体、すなわちウイルスなど発見されておらず未知の感染症だったわけだが、まさにパンデミックが起こっているその隣で人々は科学文明の恩恵に溺れていたのであり、そうしたねじれた社会状況が必然的に、アナーキストらによる爆破テロを誘導したのだと、コンラッドは物語のなかで示唆したのだ。
 どこかの時代にそっくりだと思われることだろう。9.11のテロリズムは戦争へと発展した。人文・社会・自然科学の枠組みを超えて生じるこうした時代の「大遷移The Great Transition」は、しばしばパンデミックなどの継続的災害とそれに対抗できない科学の脆弱さ、科学や政治権威の失墜に端を発する人々の心理的抑圧、そうした社会の雰囲気が、その時代の環境問題など地球規模で進行する諸問題と一体になることで起ち上がってくる。ヒッチコックの映画版ではコンラッドが描いたそれらの真の恐怖がすっぱり消されてしまっている。
 シムノンの本作『反動分子』でも、アナーキストたちの動機はほとんどまったく描かれていない。なぜ彼らが航空機工場を爆破テロの対象に据えたのか、最後まで読んでもわからない。執筆当時の時代の雰囲気から察してくれと作者シムノンは説明しなかったのだろうが、不条理ではある。シムノンの小説ではしばしば犯行者の動機が書かれないが、本作もそのひとつだ。その不条理を“不条理”としてフォーカスすればアルベール・カミュの『異邦人』になるのだろうが、シムノンはそれをやらない作家である。
 しかし本作では主人公シャヴがまさに「シークレット・エージェント」として、強い動機を伴って動き続ける。彼はアナーキストではあったが、テロリストではなかった。だから個人的な友愛の情から弟分のロベールを救おうとする。彼の行動原理はテロリズムの阻止というよりロベールの精神の救出なのである。しかし警察側はあくまで彼を社会的破壊行為者という通俗的なレッテルを通してでしか見ていない。そしてあえてあらすじ部分では書かなかったが、終盤になってついに彼がロベールと対面できたとき、彼はまさに慕っていた弟分のロベールから、突き放されるような衝撃的な見解を聞くのである。それは彼自身のアイデンティティが崩壊しかねないほどの、天地がひっくり返るほどのどんでん返しであり、弟分のロベールでさえ自分のことをそんなふうに思っていたのかと、他者の心を知ることの困難さを残酷なまでに見せつける一瞬だ。すなわちシムノンがつくり上げた主人公シャヴの造形は、コンラッド版とヒッチコック版の相違を踏まえての、シムノンなりのオリジナリティに拠るものだと考えられるのである。そしてその造形は見事に成功している。
 最後はどうなるのか。本作の英訳版のタイトルは『The Green Thermos』だが、私は最初のうちこの意味がわからなかった。実は「緑の魔法瓶」とは、アナーキストたちが爆弾を仕掛けた手提げ魔法瓶のことを指している。「サーモス」は皆様もご存じの通り魔法瓶のブランド名で、「Green Thermos vintage 1930」などの言葉でGoogle検索すると当時の円筒魔法瓶の写真を見ることができるだろう。容量は1リットルで、飯盒に似た取っ手がついており、蓋はそのままコップとして使用可能、中身はコルク栓で密封される。クライマックスでこの魔法瓶こそが爆弾だと気づいたシャヴは、相手の隙を狙って間一髪でつかみ取り、胸に抱えてパリの夜の街路を一心に逃げる。彼は追っ手を振り切ることができるか。ひょっとしたら躓くだけでも爆弾は震動で暴発してしまうかもしれない。だが彼は爆弾のメカニズムさえわからない。分解することなどできないのだ! シャヴはアナーキストたちだけでなく警察隊からも追われて逃げる。バスティーユ広場を抜けてアンリ4世大通りへ。先にあるのはセーヌ川とサン゠ルイ島だ。魔法瓶をどうすればいい? どこへ棄てれば人々は死なずにすむ? 自分の命に替えてでも、追っ手に捕まる前にこの魔法瓶を始末するのだ! 
 漲る緊張と、そしてやがて訪れる静かで美しい結末が、主人公シャヴを、そして私たち読者を迎えてくれる。そしてやはり私はあえてここまで書かなかったが、中期シムノンの作品には(すべての場合ではないものの)もうひとつ大きな特徴がある。本作もその例に漏れることはない。
 すなわち、物語はハッピーエンドで終わるのだ。こうした「ふつうに面白いシムノンのエンタメ作品」はもっともっと日本で紹介されていいと思う。人に知られざる「秘密のエージェント」である彼はラストで我が家へ帰る。また今日からありふれたふつうの生活が繰り返されるのだ。妻が自分を信じて待っていてくれたのは、地元ベルギーのムールマン警視という人物が、つねに一家を気遣ってくれたからだということもわかった。息子にお土産を買ってこなかったことを悔やみつつ、「今日は何曜日だ?」と彼は妻に聞く。「金曜日よ」。息子はもう外出できるだろうか? 明日か明後日なら? トランペットをぶうぶうと吹き鳴らしているのだから、きっと病気は大丈夫だろう。だから彼は久しぶりの風呂に入りながら妻に提案するのだ。「日曜日に川へみんなでピクニックに行こう」。もちろん今日は午後から劇場にも顔を出さなければならないが、まずはずっと伸びっ放しだった髭を剃ってからだ。
 日曜日、という何気ない単語が、これほど胸を熱くする小説はないだろう。いつだってシムノンの日曜日は光り輝く永遠なのである。

▼映像化作品(瀬名は未見)
・TVドラマ 同名、イヴ・ボワッセYves Boisset監督、ジャン゠ピエール・ビッソンJean-Pierre Bisson、フィリップ・レオタールPhilippe Léotard出演、1989[仏]

【ジョルジュ・シムノン情報】


 本年(2022年)4月26日、幻戯書房より本邦初訳で刊行されたシムノンの〈硬い小説ロマン・デュール『運河の家 人殺し』については、翻訳担当の森井良氏や編集担当の中村健太郎氏もコメントやエッセイを発表している。以下の記事もぜひご覧いただきたい。

・翻訳ミステリー大賞シンジケートブログ 訳者自身による新刊紹介「ジョルジュ・シムノン『運河の家 人殺し』(執筆者・森井良)2022/4/22(https://honyakumystery.jp/19929
・幻戯書房編集部note 「ジョルジュ・シムノン『運河の家 人殺し』訳者あとがき(text by 森井良)」2022/4/25(https://note.com/genkishobou/n/n6468450d005f
・じんぶん堂 「果てなき“文芸の共和国”を目指す〈ルリユール叢書〉とは──ひとり編集部で30冊刊行できたわけ」(執筆者・中村健太郎)2022/4/25(https://book.asahi.com/jinbun/article/14601870
・森のクマさんのポッドキャスト 「走ることについて語ること/フレンチミステリの翻訳」獨協大学のフランス文学者、森井良氏と熊木淳氏の対談(作成者・Atsushi Kumaki)2022/4/29(https://anchor.fm/morikuma/episodes/ep-e1hr4a3

 このように〈ルリユール叢書〉は「ひとり編集者」でつくられているため、校正・校閲も訳者と編集者(今回は解説者の瀬名も含む)だけでおこなわれる。そのため、どうしても誤字脱字等の校正漏れが発生してしまう。類書と比べると〈ルリユール叢書〉は驚くほどミスの少ない叢書だと思われるが、それでも『運河の家 人殺し』初刷にいくつかの校正漏れが残ってしまったことは、解説者の私からもお詫び申し上げる。

瀬名 秀明(せな ひであき)
 1968年静岡県生まれ。1995年に『パラサイト・イヴ』で日本ホラー小説大賞受賞。著書に『魔法を召し上がれ』『ポロック生命体』等多数。
 文理の枠を超えた「パンデミックと総合知」をテーマに、母校・東北大学の研究者らとの対話連載を展開。記事構成は翻訳家・サイエンスライターの渡辺政隆氏(https://web.tohoku.ac.jp/covid19-r/people/)。この連載は年度の更新に伴い2022年3月に終了となったが、とりわけ最後に掲載された押谷仁教授との対話、「COVID-19の特異性を理解してこそ」https://web.tohoku.ac.jp/covid19-r/people/people9/)と「今こそ総合知を ― COVID-19は転換点」https://web.tohoku.ac.jp/covid19-r/people/people10/)の2回分は、ぜひ全国民に読んでいただきたいと心から願っている。押谷教授は感染症疫学の専門家であり、皆様もご存じの通り「新型インフルエンザ等対策有識者会議 新型コロナウイルス感染症対策分科会」(https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/ful/yusikisyakaigi.html)や「新型インフルエンザ等対策推進会議 基本的対処方針分科会」(https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/ful/taisakusuisin.html)のメンバーのひとりである。押谷教授は2020年5月以降ほとんどメディアに登場しなかったが、その後も東北大学内で有志を集い、登録者限定でのウェビナー等を続けていた。今回の瀬名との対談は、ほぼ2年ぶりに押谷教授が一般に向けて発信したもので、誰もが無料で閲覧できる貴重な資料となっている。これまでの多くの誤解も払拭されるであろう。「がんばるでもなく、たたかうでもなく、明るい方へ」という、押谷教授の深い洞察と未来に向けての提言を、ぜひお読みいただきたい。




 
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