容易に入手することが難しい同人誌などは、本欄では、ほとんど触れてはこなかったのだが、どうしても紹介したい本が出た。

■松坂健『海外ミステリスケッチノート』


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 著者は、昨年、学生時代からの盟友・瀬戸川猛資との共著『二人がかりで死体をどうぞ 瀬戸川・松坂ミステリ時評集』の刊行直前に急逝した松坂健。『二人がかりで死体をどうぞ』も滅法面白い時評集だったが、本書も、松坂氏のミステリ観のエッセンスを凝縮した遺著となった。松坂は、慶応義塾大学推理小説同好会出身で、「ミステリマガジン」などに執筆を続けたミステリ研究家。「月刊食堂」「月刊ホテル旅館」の編集長を経て、大学でホスピタリティ論を講じる専門家でもあった。
 本書の成立の事情は、小山正氏の解説に詳しい。
 著者は、20年ほど前、海外ミステリの作家別ガイドブック作成に意欲を燃やしており、海外ミステリのガイドブック『ミステリ・ベスト201』『ミステリ絶対名作201』の続巻として、『海外ミステリ作家ベスト101』の企画を通す。執筆メンバー6人が決まり、101人がリストアップされる。作家別分析チャートの設定等コンセプトもしっかりしたものだったが、いかんせん各人の執筆は進まず、中断。2010年を過ぎた時点で、今度は松坂氏単独で書き上げることで出版話が進んだが、その後76人目を書き上げた時点で出版社自体がなくなってしまったという。
 分担執筆が進まなかった理由は容易に想像がつく。作家のブリーフスケッチを書くにしても、主要作品は当然読んで(再読して)いなければならないし、作家論の類にも目を光らせていなければならない。作家の本質を短い枚数で掬い取るセンス・膂力りょりょくもいる。
 さらに単独執筆の時点では、「すべての作家について、新しい形容、新しい視角、新しい評価を与えたい、というのが僕の狙いです」(小山氏宛のメール) という野心的ともいえる狙いを明かしている。
 そして、ここに当初の101人には達しないが、76人のミステリ作家のスケッチが遺された。関係者の尽力で文庫本の形になって成立したのが本書だ。
 前置きが長くなったが、本書では、1作家3頁足らず、肩ひじ張ったところのないごく短いスケッチながら、その切り口は従来の作家評を超えていこうという気概が至るところにみられる。
 本書を眺めると、作家の生年順にスケッチが並べられているのが面白い。レイモンド・チャンドラーは、アガサ・クリスティーより年長とか、ジョン・ディクスン・カーとジム・トンプスンは同年生まれ、エリック・アンブラーよりチェスター・ハイムズのほうが一つ上など意外な事実が判る。これも、ミステリ史を俯瞰しようとする本書のコンセプトの一環だろう。YOUCHANによる全作家の本文扉絵も楽しい。
 そして、何よりも本文。例えば、チャンドラーに関しては、『長いお別れ』の「「長い」は、別れているインターバルが長いのではなくて、さよなら、グッドバイと相手に言い続けている時間が長いという意味だと思う」という目からウロコの一撃から始まり、「どうしても離れがたく、ぐずぐずする。この感傷過多がチャンドラーという人の魅力だ」と続ける。さらに、自殺未遂をきっかけとしたオースラリアの少女との文通、浮気者の一面など知られざる一面をさらりと書いて、ロバート・B・パーカーの評言をひいてみせる。
 E・S・ガードナーのメースン物はハイブリッド車(「論理の燃費がいい」)、クリスティーの普通さとエレガントさ、イノベーターとしてのアントニー・バークリー、セイヤーズの後期作が長くなる理由、グレアム・グリーンのこだわったテーマは三角関係に尽き三角の頂点一つは神だった、カーの特徴は物語展開力のアジリティ (敏捷性) 等々、クラシックに限っても、目を瞠らされる指摘が続く。
ハメットの読後感は上昇感覚、チャンドラーは平面をうろうろ、ロスマクは下降感覚、スパイ物では、イアン・フレミングは肉体労働、ル・カレとデイトンは頭脳労働、フリーマントルは感情労働といった秀抜な比較も随所にある。
 ウィリアム・L・デアンドリアの項で、瀬戸川猛資に触れて「だいたい、この男は褒めだすと表現がどんどんインフレ化していくところがあった」と書いているところも、盟友ならではの言葉で、著者のスタンスをも物語ってもいるようだ(そこが瀬戸川の魅力でもあったわけですが)
 松坂は当初の執筆者に「面白がることに力づくである必要はないんです」といい、「素直に作家たちを愛する気持ちは必ずやミステリファンの心に伝わるものと思います」と書いているが、これは著者の作家論・作品論の基本スタンスに違いない。
 一見さらりと書いているようでいて、本書のような文章を綴るには、古典から現代までミステリの膨大な読書、幅広い領域への関心と教養に加え、素材の取捨選択に優れキャッチーな言葉をひねり出す編集者感覚と探求心旺盛な研究者の顔を併せもった著者の全経験が必要だったのだろう。
 未完成ではあったが、「新しい形容、新しい視角、新しい評価を」という狙いは十分に満たされ、著者は、本書をもってミステリ作家について語る一つのスタンダードを確立したといえよう。それが誰もがなしえる業ではないとしても。
 76人の作家のスケッチが著者のデータフォルダから救い出された意義はことのほか大きい。

■ジョン・ロード『デイヴィッドスン事件』


 英国黄金期から140冊を超えるミステリを書き続けたジョン・ロードの『デイヴィッドスン事件』(1929) は、近年ではおなじみのランスロット・プリーストーリー博士物。いわゆる「退屈派」の作家の評論においてカーティス・エヴァンズが、ロードの「1920年代の謎解きのベスト」に挙げているなど、ロードの代表作の呼び声の高い一作だ。
 優秀な設計技師の解雇を巡り揺れていた、科学装置製作会社デイヴィッドスン社の社長、ヘクター・デイヴィッドスン卿の死体が発見された。それも、鉄道の駅から卿の田舎の屋敷へ向かう途中の有蓋トラックの荷台の中で。さらに、ヘクター卿が運んでいたケースも消失していた。卿は、移動しているトラックの中で殺害されたとしか思えない状況だが、果たしてそんなことが可能なのか。
 ヘクター卿のいとこで、卿が会社で自己の利益を貪っていたことや享楽の追求に明け暮れていたことを苦々しく思っていたデイヴィッドスン社の取締役ガイ・デイヴィッドスンは、旧知のプリーストーリー博士に事件の私的な捜査を依頼する。
 作家の中期以降、自宅でのディスカッションや推理が主となるプリーストーリー博士物だが、本書では助手のハロルド単独で、あるいは彼と一緒に事件の現場にも赴く。ストランド・オン・ザ・グリーン(ウェストロンドンのテムズ川沿いにある村) の捜査などは、現場の臨場感もあり、博士の聞き込みの腕前も示している。
 丹念な事実の収集により、博士の推理の的はやがて、一人に引き絞られていく。実は、ここまでが前段にすぎない。詳しくは書けないが、さらに、事件は予想を裏切る二段構えの展開をみせる。博士と一緒に犯人を追い込んだはずの読者も放り出される。アイデアに先例もあることはあるが、ここまでドラマティックな展開に結びつけたところに作者の手柄がある。
 結末まで読んで、本書が、この二段構えのアイデアを実現し、それを読者の目から覆い隠すために、ヘクター卿の動静、関係者の動静がジグソー・パズルのように緻密に組み合わせていることに改めて、唸らされる。
 ただ、不満な点もある。一つは、博士の推理の前提となる部分が物語の転換点であっさり覆ってしまう点、もう一つは犯人のもつアイテムがこれほど強力なら、ここまで複雑なプランは必要なかったと思われる点だ。
 これは、作者も多少無理をしたということだろうが、それほどに作者とってもこのアイデアは魅力的だったと思われる。
 犯人の犯罪計画は、極めて人工的だが、知力いやまさる黄金時代の名犯人らしく、後年の本格ミステリのワンテーマを先取りするような視点をもった犯罪空間を構築し、名探偵と相対している。動機も特異なものだが、その点も含めて、名探偵vs名犯人の図式がここには生々しく息づいているのが、嬉しい。

■G.D.H.&M・コール『クロームハウスの殺人』


 論創海外ミステリとしては、短編集『ウィルソン警視の休日』以来2冊目となる『クロームハウスの殺人』(1927) は、その導入が魅力的。
 大学講師フリントは、図書館から借りた本に、老齢の男にもう一人の男が銃を向けている写真が入っていることに気づく。翌日、当の銃をもっていた男が、フリントのところへやってきて、写真を返却してほしいという。
 友人のアンダーウッド弁護士との会話で、老齢の男ハリー・ワイは殺害されており、写真の男はワイの娘婿であること、犯人と目される男オリヴィエも逮捕されたが、嫌疑不十分で不起訴になったこと、写真は裁判で有名になったもので、銃をもつオリヴィエを娘婿に差し替えたものであることを知る。現場の状況も不思議で、オリヴィエは覆面の男に銃を奪われたと証言している。偽造写真は何のためなのか、ワイ殺しの犯人は誰なのか。オリヴィエの婚約者が従妹に当たるアンダーウッド弁護士の依頼で、フリントは、素人探偵として捜査に当たることになる。ここまでがほどよくユーモラスな筆致で、渋滞なく描かれる。
 このフリントのキャラクターがなかなか好感のもてるもので、16~17世紀の経済が専門の30歳を超えたばかりの探偵小説の愛好家。チェスを好むがブリッジはしない。ダンスもせず、女性には奥手。気のいいインテリが場違いな犯罪の捜査に乗り出すところがミソ。
 G.D.H.&M・コールは、よく知られているように、夫婦の合作で、夫のジョージ・ダクラス・ハワードはオックスフォード大学の社会学と経済学の教授。妻のマーガレットはケンブリッジ大学卒業後、労働研究所に勤務というバリバリのインテリ夫婦。
 『百万長者の死』の著者とあってみれば、ハードなパズラーと身構えたが、著者としては、ウィルソン警視という名探偵役を初めて外した本書では、パズラーとしての面白さよりも、世事には疎い文弱の徒を捜査小説に従事させる面白さを狙ったようだ。
 職業持ちの素人探偵が犯罪捜査に乗り出すといえば、同時代で成功を収めたJ・S・フレッチャー流だが、フレッチャーほど、滑らかな展開にならないのが難といえば難。講師としての本業 (日本人に失業周期を講じているシーンもあり) をうっちゃっての素人探偵の苦闘ぶりが本書の見所の一つといったところか。
 フリントの捜査は、行き当たりばったりの感が否めず、人相で犯人を決めつけるなど思い込みに左右され、犯人候補は次々と移り変わる。容疑者らのアリバイや遺言書の所在といった事件に付随する状況もいまひとつ漠としており、鋭い推理の冴えで真相に向かっているようにはみえない。一方、頼りない素人探偵を援護するように、アンダーウッド弁護士、オリヴィエの婚約者、謎の男をみかけた海軍大尉らの探偵チームが自然に形成され、謎を追い詰めていく雰囲気は良好だ。
 事件は、物語の成り行きで自然に解決に至り、トリックがあるといっても、推理による謎解きの魅力は薄い。それでも、後味が悪くないのは、フリントをはじめ脇の人物まで含めて適度なユーモアを湛えて的確に描かれ、大団円ともいえる結末が待っているからだろう。
 経済学者夫婦が書いたらしく、随所に経済社会の分析家らしいところもうかがわせるが、『ウィルソン警視の休日』にも顕著だったように、弱者への共感に基づく人間味ある筆致が印象に残る一編。
 (なお、222Pに「1942年1月」という日付が出てくるが、1927年の作なのだから、誤植だろうか)
 
追記(2022年06月29日)】論創社編集部から「訳者の菱山さんに原書を見ていただき「原文の時点で1942年」と確認できました」とのツイートをいただいたので、追記します。

■森下雨村訳//セクストン・ブレイク・コレクション2『謎の無線電信』


(https://seirindousyobou.cart.fc2.com/ca15/864/p-r-s/)
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 ヒラヤマ探偵文庫の柬埔寨カンボジアの月』に続く、セクストン・ブレイク・コレクションの2。セクストン・ブレイクは、英国の紙上探偵としては、ホームズに並ぶような大衆的人気を博し、4000余を超える作品が多くの作家によって書き継がれた。大正・昭和初期の日本にも、翻訳され、その痕跡を残したが、このコレクションはそれを復刻しようとするシリーズ。
 本書は、『中学世界』に、1921(大正10) 年4月号~11月号まで掲載されたもので、書籍の形となるのは今回が初、100年ぶりにサルベージされたわけだ。雑誌には、原作者のクレジットもなく、森下雨村の創作のように掲載されたらしいが、解説 (湯浅篤志) によると原作者は、ウィリアム・ウォルター・セイヤーという作家らしい。
 大西洋を往復する汽船の乗組員が、“CQ CQ CQ Blake London BM OC G2437 KO KO KO”という謎の無線電信を受け取った。ロンドンのブレエク (作中表記) 探偵は、その無線電信で、英国外務省の秘密探偵グラントのことを思い出した。グラントは、秘密の任務のため、三か月前、英国を後にしていたのだ。
 電文から英国博物館の図書館に秘密があると喝破したブレエクは、図書館に急ぐが、目当ての本の地図が切り取られ、一人の男が絶命しているのを発見する。
 その後、仮装舞踏会で謎の美女との遭遇やベーカー街のブレエクの事務所荒らし等の事件を経て、窮地に陥っているグラントを救出するために、ブレエクは、小型汽船でカリビアン海に向かう。助手のチンカァ、探偵犬ペドロとともに。
 柬埔寨カンボジアの月』と同様、後半は、異国でのスケールの大きい冒険活劇となる。テンポよく、物語は進み、特に後半のドイツが一次大戦の戦費として調達した1億5000ポンドの争奪戦は当時の中学生をも十分惹きつけたと思われる(1億5000ポンドという表記は、1億5000円というのと同じで少し変。一か所1万5000ポンドの表記もある) 。調子が良すぎて、フランスの女探偵の活躍にはさすがに無理があると苦笑してしまうのもご愛敬。

「太陽の照らすところ、そこには生があり、自由がある。しかし、それはもう永久に彼から失われた生と自由である。ブレエクは名残なごしげに、そのかすかな光線をじっと凝視みつめた」

 悪党の一味に、洞窟に置き去りにされ、潮が刻々と増し、探偵が死を覚悟する場面だが、実作者でもあった森下雨村の名調子も往年の読者には響いたに違いない。

ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた)
 ミステリ読者。北海道在住。
 ツイッターアカウントは @stranglenarita



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